第22話 学園都市を歩こう
魔族による一連の事件から一週間が経ち、瀬名直人はようやく通常の授業へ戻ることを許可された。
家族はまだ学園都市側が用意した保護住宅で生活しており、元の実家へ帰る時期は決まっていない。直人自身にもダンジョン活動の一時停止と定期検査が続いていたが、少なくとも教室へ通い、授業を受け、放課後を自由に過ごせる程度には日常が戻ってきていた。
もっとも、その「日常」を直人が理解しているかは別問題だった。
「なおとっち、学園都市に来てから行った場所、言うてみ?」
放課後の教室で羽柴零士に突然そう問われ、直人は少し考えた。
「学校、病院、ギルド、ダンジョン、旧封鎖区画、それから――」
「もうええわ」
零士は黒縁眼鏡を押し上げ、心底呆れたように首を振った。
「それ学園都市生活やなくて、能力事故の巡回コースや。せっかくこんだけ店も遊ぶ場所もある街に住んどんのに、なおとっちの思い出が救護所の天井ばっかりなんは問題あるで」
「必要な場所には行っている」
「必要やない場所に行くんが遊びやねん」
そのやり取りを聞いていた白石透子が、すぐさま机から身を乗り出した。淡い茶色の髪が肩の辺りで弾み、面白そうな話を見つけた時の笑みが浮かぶ。
「賛成。直人君の学園都市観光、今日やろうよ」
「今日はもう四時だぞ」
真壁遼介が時計を確認すると、透子は迷うことなく頷いた。
「じゃあ夕方観光。夜景まで入ってお得」
「何に対して得なんだ」
「思い出?」
「疑問形で返すな」
真壁が額へ手を当てる横で、ルーカス・アルメイダはすでに参加する気だったらしく、大きな身体で立ち上がって鞄を肩へ掛けた。
「俺は食事区画を推薦する。この街へ来て、あそこの巨大肉盛りを食べずに帰るのは犯罪に近い」
「直人君、今すごく食べるから、ルーカス負けるんじゃない?」
「白石、それは挑戦状と受け取ったぞ」
「私はどっちが負けても楽しいから大丈夫」
実習班の面々まで当然のように話へ加わったことで、直人は断る理由を探した。しかし今日は検査もなく、家族との定時連絡までにも十分時間がある。何より、目の前の五人が自分を事件の当事者としてではなく、単に遊びへ連れ出す友人として扱っていることが、どこか新鮮だった。
「……分かった。案内を頼む」
「よっしゃ。なおとっち社会復帰ツアー開催や」
「大げさだ」
「久しぶりに普通の高校生やるんやろ? 大体合っとるやん」
零士は事件続きで日常から離れていた直人を、軽口としてからかっただけなのだろう。
直人は返事をせず、「普通の高校生」という言葉を胸の内で反芻した。事件続きの日々を思えば、確かに今の自分からは遠い生活だった。
◇
学園都市中央商業区は、直人が想像していた以上に普通の街だった。
高層建築の壁面を無人広告が流れ、道路には自動運転車が行き交っている一方、歩道には制服姿の学生が溢れ、飲食店の前には列ができている。能力者向けの装備店と衣料品店が隣り合い、そのさらに隣では、何の変哲もない菓子を学生たちが買っていた。
「ここが能力用品の大通り。装備、訓練器具、能力事故保険まで大体揃っとる」
案内役を買って出た零士が説明し、直人は店頭へ並ぶ商品を眺めた。火炎系能力者向けの耐熱制服、電磁系能力者用の絶縁端末、身体強化能力者が壊しても保証される家具まである。
「能力者用の家具?」
「机を叩いたら真っ二つにした奴がおったらしいで」
「どこのルーカスだろうね」
「なぜ俺を見る!」
透子が笑う横で、真壁は店内の防災設備ばかり確認していた。
「この区画は能力暴発時に天井から抑制剤が散布される。商業施設では避難路も通常より広く――」
「真壁君、それ案内じゃなくて防災講習だよ」
「重要だろう」
「重要だけど、女の子を案内する時に最初に非常口を教える人は少ないと思う」
「今日はデートではない」
「そこだけ即答なんだ」
透子に笑われ、真壁が真面目な顔のまま黙り込む。直人はそんな会話を聞きながら、異世界の仲間たちとは違う関係なのだと、改めて感じていた。
命を預けるだけが仲間ではない。
くだらないことで笑い、役に立たないものを見て回る時間もまた、人と人の距離を縮めるのだろう。
それを知識としてではなく、感覚として思い出し始めていた。
◇
「さあ、決着をつけようじゃないか、直人!」
夕食では、予想通りルーカスが勝負を挑んできた。
目の前には鉄板一枚を埋め尽くす肉と米が積み上げられている。レベルアップ後の定着負荷で食欲が増している直人にとっては大した量ではなかったが、ルーカスは注文した時点では自信満々だった。
二十分後、その自信は完全に消えていた。
「待て。少し考えよう」
「何をだ」
「これは勝負ではない。食事だ。食事を競争にするという発想がそもそも間違っていた」
「勝負を始めたのはお前だろう」
「人間は間違いを認めることで成長するんだ」
向かいで透子が腹を抱えて笑い、零士が携帯端末で残量を記録している。
「現在、なおとっち完食。ルーカス、残り三割。これは歴史的敗北やな」
「撮るな! 俺には母国の名誉がかかっている!」
「ルーカス君、それどこの国代表で戦ってるの?」
紗良も笑っていた。
直人は肉をもう一切れ口へ運びながら、ふと周囲を見た。大声で騒ぐルーカス、面白がって煽る透子、何でも記録しようとする零士、それを止めながら結局付き合っている真壁。そして、少し呆れた顔で笑っている紗良。
その光景を見た瞬間、胸の奥へ奇妙な感覚が広がった。
懐かしいようで、初めてでもある。
異世界で食卓を囲んだ仲間たちとは、いつも次の戦いが隣にあった。笑っていても、翌日には誰かがいなくなる可能性を全員が知っていた。
今のこの時間には、それがない。
「どうしたの?」
隣の紗良が直人の視線に気づいた。
「いや……こういうのも悪くないと思って」
「こういうの?」
「意味もなく騒ぐ時間」
「なおとっち、褒め方下手すぎん?」
「褒めていたのか!」
零士とルーカスから同時に突っ込まれ、透子がまた笑い出した。
直人自身も、遅れて小さく笑った。
その表情を見ていた紗良だけが、ほんの少し目を細めた。
◇
食事の後は透子に半ば引きずられ、娯楽施設へ向かった。
能力を使わない対戦ゲームで真壁が意外なほど負けず嫌いだと判明し、零士はなぜかどの機械の攻略法にも詳しく、ルーカスは反射神経ゲームへ本気になりすぎて店員から「もう少し優しく操作してください」と注意された。
最後に透子が全員を壁際へ集め、集合写真を撮ろうと言い出した。
「直人君、もっと笑って」
「笑っている」
「それ、敵の作戦を見破った時の顔だよ」
「笑顔に用途別の種類があるのか?」
「あるある。ほら、紗良ちゃん、直人君もうちょっとこっち」
透子が直人の腕を掴んで位置を動かした。
その瞬間、紗良の胸の奥へ、ほんの小さな引っかかりが生まれた。
嫌ではない。
透子のことも好きだし、直人が友達を増やしていることは嬉しい。むしろ、帰ってきたばかりの頃、いつもどこか遠い場所を見ていた直人が、こうして同年代の仲間と笑えるようになったことを、誰より喜んでいるつもりだった。
それなのに、直人の隣へ誰かが自然に立つ光景を見た時だけ、自分の場所を確かめたくなる。
十一か月前まで、直人の隣にいることに理由など要らなかった。
幼馴染だから。
それだけで十分だった。
だが、直人には自分の知らない四年間があり、今も新しい人間関係が増えている。自分だけが知っていたはずの直人など、もうどこにもいないのかもしれない。
「紗良ちゃん?」
透子に呼ばれ、紗良は慌てて笑顔を作った。
「ごめん。ぼーっとしてた」
「ほら、入って入って」
結局、写真では紗良が直人の隣に立った。
それだけのことなのに、胸の奥が少し軽くなった自分へ気づき、紗良は今度こそ理由を考えないことにした。
◇
帰り道では、零士とルーカスと透子が前を歩き、真壁は途中で別方向へ帰ったため、自然と直人と紗良が少し後ろへ残った。
「今日、楽しかった?」
紗良が尋ねる。
「たぶん」
「たぶんなんだ」
「こういう過ごし方から離れすぎて、まだ何を基準に楽しいと判断するのか分からない。でも、またやってもいいとは思ってる」
直人らしい答えだった。
紗良は笑った。
「それなら楽しかったってことだと思うよ」
「そうなのか」
「たぶんね」
自分の言葉を返され、直人も少し笑う。
「紗良は、この街に詳しいのか」
「零士君ほどじゃないけど、十一か月はいるからね」
「なら、今度は紗良が案内してくれ」
「私が?」
「ああ。今日見ていない場所もあるんだろ」
胸の奥が、思っていた以上に大きく跳ねた。
皆で出かける約束ではなく、自分へ向けられた次の約束。その違いを意識した途端、紗良は返事をするまでにわずかな間を作ってしまった。
「……うん。じゃあ次は私が案内する」
「頼む」
直人は何も気づいていないように頷いた。
それが少しだけ悔しく、それ以上に嬉しかった。
紗良自身も、なぜそこまで嬉しいのかは、まだ考えないことにした。
その夜、直人が一人暮らしの家へ戻ると、学園端末へ新しい通知が届いていた。
《戦闘適性再評価の実施について》
《瀬名直人を学内模擬戦の対象者として選出》
続いて表示された最初の対戦相手の情報へ、直人は目を留める。
《相馬颯真》
《能力等級3》
《能力――火炎噴射》
日常へ戻り始めた直人を待っていたのは、今度は魔物ではなく――同じ学園で学ぶ能力者との戦いだった。
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