↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
19/103

第19話 守るものは鎖か


 魔族の青年が防水隔壁へ指を触れると、壁面を這う黒い術式が脈を打ち、管理室の床へ水が流れ込み始めた。まだ足首にも届かない量だったが、奥では排水口が黒い膜に塞がれている。放置すれば、父と母と妹が逃げ場を失うのは明らかだった。


『俺が何者か知りたいなら、家族から離れろ』


『この世界の仕組みは便利だな。命令書一枚で、お前の家族は自ら檻へ入った。信用とは、扱いやすさの別名らしい』


『偽造しなければ従わせられなかった奴が、信用を笑うのか。父さんたちは命令を信じたんじゃない。人を助けるために作られた仕組みを信じた。それを悪用したお前の卑劣さと、信じた側の価値は別だ』


『結果として捕らえられた』


『そして俺たちがここまで来た。お前の計算には、助けに来る人間の数が入っていなかったらしいな』


 青年は金色の縦長の瞳を細め、直人の背後に控える榊美鈴と対応班員を見回した。


『お前の力の起源を話せ。代わりに三人を返す』


『先に保証を示せ。俺が話した後で家族を殺さないと、何を賭けて証明する』


『弱者が条件を求めるのか』


『違う。条件を出せないほど追い詰められているのは、お前の方だ。俺の正体を知りたいのに、自分では見抜けない。だから家族を攫って、答えを乞うている』


 青年の笑みが薄くなった。背後で榊が拘束索をわずかに持ち上げる。直人はそれを視界の端で確認しながら、相手から目を離さなかった。


『口だけは達者だな。守るものが増えるほど、お前は弱くなるというのに』


『守るものを持たない奴には、そう見えるだろうな』


『それは鎖だ』


『ああ。だから踏みとどまれる。何にも繋がっていないお前は、落ちても誰にも気づかれない』


 青年の笑みが完全に消えた。代わりに浮かんだのは、自分には理解できないものを観察する冷たい興味だった。


『なら、鎖の強さを見せろ』


 青年が指を鳴らすと流入量が一気に増え、管理室の水位が膝まで上がった。妹が母へしがみつき、父は二人を背に庇いながら隔壁を睨んでいる。


 直人は飛び出さなかった。隔壁の上部、床へ走る黒い線、天井の配管、家族の背後にある赤い手動レバーを順に確認する。古い河川施設には、電源が落ちても水圧を逃がす機械式の排水設備がある。魔族は排水口を術式で塞いでいたが、配管そのものまでは作り替えていない。


「父さん、後ろの赤いレバーを見てくれ!」


 隔壁越しに声は届いた。父が振り返り、錆びついたレバーへ手をかける。


「今は引かないで。母さんは妹を壁の安全帯へ固定して。俺が合図したら、父さんがレバーを引く!」


 母は青ざめながらも頷き、妹の腰へ非常用の帯を回した。父も質問せず、両手でレバーを握る。信じて待つと言った父は、今度も直人へ判断を預けてくれた。その信頼を利用するのではなく、生きて返す責任として受け止める。


 水圧を逆流させれば、隔壁が割れた瞬間に家族も水流へ巻き込まれる。母はその危険を察したように、自分の安全帯を妹のものへ連結し、父は二人の前へ立った。誰も戦う力は持っていない。それでも、自分にできる役割を探し、直人の合図を待っている。


 その姿を見た直人の胸へ、怒りとは別の熱が灯った。守られるだけの存在など、ここには一人もいない。力の大小が違うだけで、家族も榊たちも同じ作戦へ加わっていた。


「榊先生。黒い線はあいつの左手から床へ繋がっています。三秒だけ腕を隔壁から離してください」


「三秒で何をする」


「排水圧を逆流させて、内側から術式を剥がします」


「失敗すれば?」


「水位が上がる。だから一度で決めます」


 榊は短く息を吐き、後方の班員へ配置を指示した。


「三秒は作る。失敗したら、次の判断は私がする」


「お願いします」


 青年が二人の会話を理解できずとも、何かを企んでいることは察したらしい。影が槍の形へ伸び、直人の胸を狙って走る。


「許可する。瀬名、動け!」


 榊の声と同時に、直人は《魔力循環》を右脚へ集中させた。レベル三の身体は、異世界時代と比べればあまりにも遅い。それでも槍の軌道へ正面から逆らわず、半身で滑り込み、貸与された短剣の腹で先端を逸らす。


 衝撃が右肩を痺れさせた。二本目は避けきれず、脇腹を浅く裂く。痛みで呼吸が乱れたが、直人は後退せず、青年の左側へ踏み込んだ。


『家族を救うために、自分が死ぬか』


『違う。全員で帰るために、お前を退かす』


 短剣を振ると見せかけ、床の黒い線へ刃を突き立てる。青年が咄嗟に左手を上げた瞬間、榊の拘束索が手首へ巻きつき、隔壁から強引に引き離した。


「今だ、父さん!」


 赤いレバーが下がる。施設の奥で巨大な弁が開き、配管へ溜まっていた水圧が逆流した。防水隔壁の内側から白い水流が叩きつけられ、黒い膜が大きく膨らむ。


 直人は床の術式へ魔力を流し込んだ。魔王軍の術式は異なる力を拒む。勇者由来の魔力が触れた瞬間、黒い線が焼けた蛇のようにのたうち、隔壁の中央へ亀裂が走った。


 青年が拘束索を影で断ち切り、直人の首へ爪を伸ばす。その一撃を避ければ、背後で術式を切断していた対応班員へ直撃する。敵の胸元には一瞬だけ隙が開き、短剣を突き込めば致命傷を狙えた。


 直人は攻撃を捨て、班員の前へ身体を入れた。


 爪が肩へ届く直前、胸の奥で何かが弾けた。


《守護対象の選択を確認》


《勇者固有スキルへの再接続を開始》


 淡い金色の光が直人の身体から広がり、爪と肩の間へ薄い膜を作った。完全に止めるほどの力はなく、衝撃で直人の膝が床へ落ちる。それでも爪は肉へ届かず、光は榊と班員、隔壁の向こうにいる家族まで一瞬だけ包み込んだ。


 魔族の青年が目を見開いた。


『その光……王の因子ではない』


『知りたかったんだろう』


 直人は痛む脚で立ち上がり、真正面から青年を睨んだ。


『なら覚えて帰れ。俺の力は、誰かを踏み台にして強くなるためのものじゃない』


 金色の膜に押し返されるように黒い術式が剥がれ、防水隔壁が内側から砕けた。榊たちが開いた隙間へ飛び込み、父と母と妹を順に引き出す。直人は三人が保護されたことを確認してから青年へ向き直ったが、すでに相手は排水路の前へ退いていた。


『力を見せるために守ったのではない。守った結果、力が現れたか』


『逃げる前に賢くなれてよかったな』


『次は、その光が砕れるところまで確かめる』


 青年の身体が黒い粒子へ崩れ、開いた排水路へ吸い込まれていく。榊が直ちに別動班へ排水路の封鎖と追跡を命じる一方、直人も一歩踏み出しかけた。


 その時、背後から妹が直人の名を呼んだ。


 追跡すれば届く可能性はある。だが家族は震え、対応班にも負傷者がいる。直人は短剣を下ろし、逃げる影ではなく、今ここにいる者たちへ戻った。


「……遅くなってごめん」


 妹は泣きながら傷を避けるように直人の胸へ飛び込み、母もその背へ腕を回した。父は何も言わず、血の滲む直人の肩を強く掴む。三人の体温を確かめた瞬間、抑え込んでいた恐怖がようやく身体の外へ抜け、直人は家族を抱き返しながら深く息を吐いた。


 視界の端では、二つの表示が重なっていた。


《勇者固有スキル《勇者の加護》――解放条件の一部を達成》


《ATLAS:既存能力体系に該当しない防護現象を確認》


 守るために現れた光は、直人だけに見えていたわけではない。


 レベル制度とは別の何かが、地球で再び動き始めていた。


この小説をお読みいただきありがとうございます。

よければ★★★★★マークとブックマークで応援していただけると嬉しいです!

完結作品にはなりますが、応援が多ければ第二章突入も考えています!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。