第18話 偽りの避難命令
実家との通信が途切れた瞬間、瀬名直人は保護室の扉へ手を伸ばした。家族の顔が脳裏へ浮かび、考えるより先に身体が走ろうとする。
だが、指が取っ手へ触れる直前で足を止めた。
一人で処理しない。知っている危険は共有する。つい先ほど、実習班の四人へ約束したばかりだった。焦って飛び出せば、家族を餌にした者の思惑どおりになる。
「零士、警備員を呼んでくれ。俺は緊急内線を――」
「もう押した。せやけど、なおとっち。その端末は今、触らん方がええで」
授業資料を届けに来ていた羽柴零士は、壁面端末から距離を取ったまま表示を指した。黒く染まった画面は元へ戻っていたが、通信時刻の一部が飛び、接続履歴だけが不自然に点滅している。
「なぜ分かる」
「ただ回線が落ちただけなら、履歴は順番に残る。これは途中へ別の信号を割り込ませた時の崩れ方に近い。俺の《電磁静域》は、通信とか電子機器に干渉する能力なんよ。こういう事故記録の見方も授業で散々やらされとる」
「誰がやったかも分かるのか」
「そこまでは分からん。外から意図的に弄られたらしい。それだけや。焦って操作したら、残っとる痕跡まで上書きするかもしれへん」
観察できた事実と推測を分けた説明だった。直人は零士を全面的に信用したわけではないが、今は端末へ触れないという判断に筋が通っている。
「分かった。職員が来るまで待つ」
「それがええ。クラスメイトの家族が危ない時に、何もせんと帰れるほど薄情やないけど、ここから先は俺が首突っ込む仕事やないしな」
間もなく、高岡誠司と榊美鈴が警備員を伴って駆け込んできた。その後ろには、耳の下で切り揃えた黒髪と白い作業服が印象的な二十代後半の女性技術員が続く。学園都市通信保全課の片桐奈緒と名乗った彼女は、端末へ検査器具を接続すると、零士が指摘した箇所を見て短く頷いた。
「外部から偽の認証信号を重ねられています。羽柴君の判断どおり、操作していたら追跡用ログが消えていました」
高岡は零士へ向き直った。
「連絡と証拠保全に感謝する。ここからは我々が引き継ぐ」
「了解。ほな、なおとっち。勝手に走り出したらあかんで」
「分かっている」
「分かっとる人間の顔には見えへんけどな」
零士はいつもの軽い笑みを見せたが、直人の返事を待たず保護室を出た。協力した理由も、正式な担当者へ任せて引く理由も明確だった。少なくとも今この場で、その判断を疑う理由はなかった。
片桐が外部干渉を遮断し、高岡が実家周辺の公的記録を呼び出した。父、母、妹の携帯端末は三人とも生体反応を返している。しかし位置情報は自宅ではなく、二キロほど離れた旧河川防災施設で止まっていた。
「どうして家を出ているんです」
「十八分前、自治体の災害網から避難命令が送られている。地下ガス管の異常という名目だ」
榊が表示した命令書には正式な電子署名があった。だが事故記録は存在せず、避難対象に指定されたのは瀬名家だけだった。学園都市と外部自治体を結ぶ緊急連携回線が悪用されたらしい。
「実家を襲わず、公的な命令で人目の少ない場所へ移動させた……」
「侵入者は、この世界の人間が何を信用するかまで学習している」
高岡の声に怒りが滲んだ。
片桐は旧式の災害回線から家族の端末へ接続を試みた。妨害の隙間を縫って通話できるのは十数秒だけだという。二度目の呼び出しで、妹の震えた声が返ってきた。
『お兄ちゃん……?』
「無事か。父さんと母さんは一緒にいるか」
『いる。避難所へ入ったら扉が閉まって、電気も消えて……外から誰かが開けろって言ってる』
父が端末を受け取り、三人が施設内の管理室へ立て籠もっていると説明した。机と棚で扉を塞ぎ、救助隊を名乗る声にも応じていない。
『直人、お前は一人で来るな』
「行くことは、もう分かってるんだな」
『父親だからな。止めても来るなら、せめて約束を守れ』
「榊先生たちと一緒に行く。勝手には動かない」
通信が途切れる前に、直人は本人確認用の合言葉を決めた。
「妹が小学生の時、俺のプリンを食べて冷蔵庫へ戻したものは?」
『空の容器……って、あれはお兄ちゃんが先に私の――』
「それでいい。誰が来ても、答えられなければ開けるな」
言い返す妹の声を聞けたことで、直人の胸を締めつけていた恐怖がわずかに緩んだ。回線が切れると同時に、高岡が直人へ向き直る。
「お前はここに残れ。目的が誘い出すことなら、現場へ行くべきではない」
「俺が行かなければ、家族を解放する理由もありません。相手は俺が何者か確かめようとしている。言葉と術式を理解できる人間を外せば、救出の選択肢が減ります」
「罠だと分かって踏み込む気か」
「一人では行きません。位置情報を共有し、榊先生の指示に従います。俺を守るために家族を人質の場所へ残すなら、守る順番が逆です」
高岡はなお反対しようとしたが、榊が先に決断した。
「同行させる。ただし隊列中央。家族を見ても離れるな。命令違反が一度でもあれば拘束して退避させる」
「守ります」
「言葉ではなく行動で示せ」
◇
旧河川防災施設は、学園都市の外縁を流れる川の堤防下へ埋め込まれていた。周辺住民の避難と道路封鎖はすでに終わり、建物を囲むように公的ギルドと警察の車両が並んでいる。
榊を先頭に対能力事故班が内部へ入り、直人は約束どおり隊列の中央を進んだ。家族が数十メートル先にいると分かっていても走らない。恐怖がないのではない。胸の内側で暴れる焦りを、仲間と交わした約束で押さえていた。
通路の壁には黒い線が蔦のように這い、魔王軍の簡易術式を形作っている。逃走阻止、視界遮断、そして観測。施設全体が、救助へ来た者の順路と選択を記録する装置へ変えられていた。
「ここは俺たちを殺すためだけの罠じゃありません。誰を先に助け、何を捨てるか見ている」
「解除できるか」
「中心を壊せば止まります。ただし、家族のいる方向と同じです」
「なら救出を優先する。術式は後だ」
榊の判断と同時に、背後の隔壁が落ちた。部隊の半数が通路側へ分断され、黒い線が通信と能力の発生位置を乱す。残った者たちが体勢を立て直した先には、透明な防水隔壁に守られた管理室があった。
父が母と妹を背に庇っている。三人とも無事だった。
そして隔壁の前には、灰銀色の髪と金色の縦長の瞳を持つ魔族の青年が立っていた。
『来たか。守るものに引かれて歩く、世界の外側の異物』
直人は家族の無事、敵との距離、隔壁の強度、榊の位置を順に確認した。衝動のまま飛びかかれば、家族が巻き込まれる。それでも、胸の奥で燃え上がった怒りまで隠すつもりはなかった。
『俺を調べたいなら、正面から来ればよかった』
『弱点を知らずに敵を測る者はいない』
『家族を道具にしなければ、俺一人も呼び出せない。その程度の斥候が、敵を測ると語るのか』
青年の笑みがわずかに歪んだ。
『言葉で強がることは、力のない者にもできる』
『そうだな。だから言葉の後に、行動で証明する』
直人は魔力を全身へ巡らせ、金色の瞳を正面から睨み返した。
『俺が何者か知りたいなら、好きなだけ見
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