第15話 第四地点、再起動
高岡誠司から連絡を受けて二十分後、瀬名直人は学園都市北部へ向かう公的ギルドの車内にいた。
未成年である直人を夜間の緊急調査へ同行させるため、ギルドは学園と両親の双方へ連絡を入れていた。母が許可した条件は、現場の外から文字を確認するだけで、危険区域へは入らないこと。通話の最後に「約束を増やすたび、守るものも増えるのよ」と言われた言葉が、直人の胸へ重く残っている。
車窓の外では、無人車両が次々と脇道へ誘導され、北へ向かう道路だけが封鎖されていた。ATLASの案内表示は事故ではなく設備点検と告げている。都市全体を混乱させないための処置だろうが、本当に知るべき者まで遠ざける便利な言葉でもあった。
「第四地点は、何のために封鎖された場所ですか」
「第一次大流出災害の直後、地下で原因不明の空間振動が観測された。調査隊を入れたが、三人が重傷を負い、機材もほとんど壊れた。それ以降は地下区画ごと閉鎖されている」
「その時、黒い金属は?」
「見つかっていない。少なくとも、記録上はな」
高岡は最後の言葉を強くした。記録にないことと、存在しなかったことは同じではない。さらに今回の再起動は、合同本部が第七号の波形を使い、第四地点へ再照合用の探査波を送った十八分後から始まったという。停止していた装置は、呼びかけへ応じるように出力を上げ続けていた。
「こちらから送った探査波を、呼びかけとして受け取った可能性があります」
「ノックしたら、中から返事が来たと?」
「扉の向こうに誰かが待っているなら」
直人がそれ以上を尋ねる前に、車は旧封鎖区画の外周へ到着した。
◇
かつて研究施設が並んでいた区画は、今では高い遮断壁と無数の警告灯に囲まれていた。道路にはギルドの緊急車両と学園の能力事故対応班が並び、地下から伝わる低い振動に合わせて、足元の水たまりが細かく波打っている。
上空を旋回していた監視ドローンが一機、突然姿勢を崩した。地面へ落ちる直前に予備制御へ切り替わったが、映像は数秒間だけ黒い乱れに覆われる。第四地点の反応は、すでに地下の外へ影響を広げていた。
現場指揮を執っていた榊美鈴は、黒い実習服の上へ防護装備を重ねていた。直人の左腕に残る包帯を見るなり眉を寄せたが、説教より先に携帯端末を差し出す。
「地下三層の映像だ。お前はこの指揮車から出るな。読める文字があれば、すぐ伝えろ」
画面には、半壊した円形の部屋が映っていた。床の中央へ黒い金属板が埋まり、その周囲を七本の溝が囲んでいる。溝のうち六本は暗いままだが、第四地点に対応する一本だけが青黒く発光し、壁面へ見慣れた魔王軍文字を浮かび上がらせていた。
《座標補正中》
《受容環境を照合》
《先遣個体、待機》
「止めないとまずい」
直人が告げると、高岡が画面を覗き込む。
「先遣個体とは何だ」
「文字どおりなら、最初に送り込む者です。兵士か、偵察役かは分かりません。ただ、向こう側に意思を持つ何かが待っている」
直後、指揮車の通信へ合同調査本部の音声が入った。声の主は名乗らず、現場の全端末へ同じ指示だけを送る。
『第四地点の破壊を禁止します。転移現象を観測できる最初の機会です。隔離を維持し、出力推移を記録してください』
「観測している間に、何かが出てきたらどうするんですか」
直人が通信へ割り込むと、一拍遅れて返答があった。
『多重障壁と能力者部隊を配置しています。出現後に拘束します』
「相手の能力も数も分からないのに?」
『未知だからこそ、情報が必要です』
理屈は通っている。ここで装置を壊せば、仕組みへ迫る貴重な機会を失うかもしれない。だが、その利益を得るために危険を負うのは、命令を出している者ではなく現場の人間だった。
「なら確認します。拘束に失敗した場合、何人の被害まで許容する計算ですか」
通信が沈黙した。
「情報が必要だというなら否定しません。ただし、失敗した時の代償を現場へ押しつけたまま、合理的な判断を名乗らないでください。何を得たいかではなく、そのために何を賭けるのかを先に示すべきです」
『あなたは装置の破壊を要求しますか』
「完全破壊ではありません。七本のうち、発光している溝だけを切断する。転移を止めながら、金属板と残る六系統は保全できます」
『その判断が誤っていれば、転移先が別地点へ移る危険もあります』
「だから旧封鎖区画の外周を先に無人化し、隣接区画も退避させる。監視は残し、人だけを下げる。危険をゼロにできないなら、せめて失敗した時に死ぬ人間を減らすべきです」
『唯一の観測機会を失う可能性があります』
「その場合は、俺の限定調査権と冒険者資格を返上します。ただ、今ここで命を賭けている人たちの代わりにはならない。だから現場を退避させ、遠隔機材だけで切断してください。人命を賭けずに検証できる条件を作るべきです」
榊が直人を一瞥し、高岡は腕を組んだまま返答を待った。やがて合同本部から、地下要員の退避と遠隔切断の準備を認める指示が届く。
「通したな」
「俺の要求が正しかったからではありません。失敗した時に責任の所在が残る形へ変わったからです」
「十六歳の台詞じゃない」
「四年分、余計に失敗しましたから」
◇
地下の作業員が全員退避し、遠隔機が第四の溝へ切断具を下ろした。直人は映像を拡大し、文字列の変化を追う。地上では警告灯の色が黄から赤へ変わり、遮断壁の内側にいた能力者たちも、指定された第二線まで後退していった。
《座標補正、九十六》
《受容環境、適合》
《先遣個体――》
「急いでください。もう待機じゃない」
切断具が溝へ触れた瞬間、地下三層から衝撃が突き上がった。指揮車が横へ揺れ、固定されていた端末が机から跳ねる。直人は傷めた左腕を庇いながら画面を押さえ、榊は倒れかけた機材棚を片手で支えた。
複数の映像が砂嵐へ変わる。地下の金属板から黒い光が噴き上がり、空間を縦に裂く細い亀裂が開いた。
遠隔機が溝を断ち切る。発光は弱まったが、亀裂は閉じない。
「切る場所が違うのか?」
「違いません。転移はもう始まっている!」
復旧した映像の中で、黒い亀裂から細長い腕が伸びた。続いて、人間に似た輪郭を持つ何かが床へ滑り落ちる。全身を灰色の外套で覆い、顔は深い頭巾の奥へ隠れていた。
榊が地下封鎖を命じるより早く、その影は四つ足の獣のように身を沈め、壊れた保守通路へ飛び込んだ。設置されていた拘束装置が一斉に作動したが、金属索は空を打つ。直後、進行方向にある六台の監視カメラが順番に映像を失い、電子錠だけが開放状態へ切り替わった。
「偶然じゃない。設備の位置を知っている」
榊が追跡班を動かし、ATLASが隔壁を閉じようとする。しかし影は一度も姿を見せないまま封鎖線の内側から消えた。
《第四系統、切断完了》
《空間亀裂の収束を確認》
《未登録生命反応、一件》
《追跡――失敗》
指揮車の中から音が消えた。
直人は最後に記録された映像を止め、頭巾の奥へわずかに覗いた口元を拡大する。その唇は、亀裂を越えた瞬間に一つの言葉を形作っていた。
《探索を開始する》
地球の魔物は、獲物を求めて本能のまま動く。だが、今の存在は命令を理解し、目的を持って侵入した。
「高岡さん。都市の警戒対象を魔物から変えてください」
「何にだ」
直人は消えた影が向かった保守通路を見つめた。
「あれは魔物じゃない。魔族です」
十一か月前の災害以来、初めて意思を持つ侵入者が、学園都市の内部へ入り込んだ。
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