第13話 第七号
《転移先固定試料・第七号》
黒い金属片に刻まれた文字を読み終えた瞬間、瀬名直人の中で、救助直後の安堵が消えた。
異世界の魔王軍は、兵站物資や魔道具を管理するために独自の文字を使っていた。一般の魔族でも読める簡略記号だが、地球の洞窟から自然に出てくるはずはない。しかも「転移先固定」とは、移動する側ではなく、到着地点を外部から定めるための言葉だった。
「瀬名。その文字が読めるのか」
高岡誠司の問いに、直人はすぐ答えず、床へ落ちた金属片を観察した。表面には細かな亀裂が走っているものの、魔力らしきものはまだ残っている。救助員が素手で拾おうとしたため、直人は手を上げて止めた。
「触らないでください。何に反応する物か分かりません。隔離容器へ入れた方がいい」
「質問への答えは?」
「読めます。ただし、どこで覚えたかは今ここで説明できません」
高岡は眉を寄せたが、追及より安全確保を優先した。救助員が絶縁器具で金属片を回収し、透明な隔離箱へ封じる。その間に岡部隆志は担架で運ばれ、佐伯理沙も裂けた頬と左腕の治療を受けていた。
そこへ作業区画側から、一人の男が足早に現れた。
三十代半ばほど。暗い灰色の髪を端正に分け、細い銀縁眼鏡の奥に疲労を滲ませている。作業用の防塵コートを羽織っていたが、その下には皺のない濃紺のスーツが見えた。先ほど通信へ割り込んできた声の主であり、民間企業《暁星資源開発》の現場責任者、久世冬馬だった。
久世は担架の二人へ駆け寄り、自分の目で意識と負傷状態を確かめてから直人へ深く頭を下げた。
「二人を連れ戻していただき、ありがとうございます。設備の損失については、こちらで処理します」
少なくとも、救助より費用を惜しむ人間ではない。直人がその点を記憶した直後、久世の視線が隔離箱へ移った。
「ただし、試料は弊社の調査区画で採取したものです。安全確認後、こちらへ返却してください」
「できない」
高岡が即座に退けた。
「事故原因となった可能性がある以上、公的ギルドが証拠として保全する。採掘権と事故調査権は別だ」
「所有権まで失った覚えはありません。企業が費用を負担して発見した資源を、事故が起きた途端に公的機関が接収する。それが前例になれば、今後は異常を見つけても報告をためらう企業が出ます」
「それは脅しか?」
「制度の設計を誤れば、人は制度に合わせて不都合な情報を隠すという話です」
二人の声は荒くなかったが、言葉の一つ一つが譲歩の余地を削っていく。どちらの理屈にも正しい部分があり、だからこそ、このままでは所有権と権限の争いで時間だけが失われる。
「久世さん」
直人が呼ぶと、二人の視線が同時に向いた。
「あなたはさっき、会社の設備を切り捨てて二人を助ける方を選んだ。なら、これも同じように考えてください。その金属片を会社だけで抱え込めば、次に何が起きるか判断する人間が足りません」
「君は、それが何か知っているのか」
「刻まれているのは『転移先固定試料・第七号』という意味です。自然にできた鉱石ではない。誰かが、どこかから何かを送り込むために作った物です」
久世の表情から、わずかに血の気が引いた。
「……第七号?」
「少なくとも、最初に作られた物ではありません」
「どこでその文字を覚えた」
「失踪していた間です」
「それだけで信じろと?」
「信じる必要はありません。文字の構造を別の専門家に検証させればいい。ただし、俺が嘘をついていた場合の損失は調査時間だけです。本当だった場合、会社だけで扱う損失は二人の負傷では済まないかもしれない」
久世は隔離箱と、搬送されていく部下を交互に見た。直人は返事を急かさなかった。覚悟を示した相手へ、感情だけでさらに犠牲を迫るつもりはない。
「公表しろと言っているわけではありません。現物はギルドが保全し、会社には採取記録と分析結果への共同閲覧権を残す。通常の鉱石に関する商業権も奪わない。その代わり、事故記録と発見地点を隠さない。それなら、そちらが一方的に失う条件ではないはずです」
「君は学生だと聞いたが、交渉役まで務めるのか」
「必要なら」
「随分と生意気だ」
「よく言われます」
久世の口元が、ほんのわずかに緩んだ。高岡は呆れたように息を吐いた後、共同保全と情報共有の正式手続きをその場で提示する。
久世は条項を最後まで確認し、会社側の研究者を分析へ参加させること、救助された二人の証言を本人の同意なく非公開にしないことを条件として署名した。
「君の説明が間違っていたら、調査費用の請求先を聞きたいところだ」
「その時は、救助報酬と相殺してください」
「足りないな」
「では、足りない分だけ働きます」
「冗談に聞こえないのが怖いところだ」
◇
直人はその後、救護所の個室で左腕の縫合とレベルアップ後の検査を受けた。体温は三十九度近くまで上がり、筋肉の再構成による痛みと強い空腹が同時に押し寄せている。傷が塞がったわけではないため、単独入域の試験結果は保留となり、再検査が終わるまでダンジョン活動も停止された。
学園都市内の個人住宅で一人暮らしを始めてからも、家族とは毎晩九時に通話する約束を続けている。今日は未成年の登録冒険者が救助活動中に負傷したため、公的ギルドから緊急連絡先として登録された両親へ先に事故通知が届いていた。
端末には家族と紗良から何件もの着信が残っている。以前の直人なら、治療が終わってから「問題ない」とだけ伝えていただろう。だが、それでは一人で決める前に連絡するという約束を、都合よく解釈することになる。
直人が家族へ通話を繋ぐと、画面には学園都市の外にある実家の居間が映った。母と父、その間に座る妹の顔を見ながら、救助へ入ったこと、左腕を負傷したこと、命に別状はないことを順に話す。
妹はしばらく黙り込んだ後、震える声で告げた。
「今度、実家へ帰ってきたら、ちゃんと怒るから」
「分かった。逃げずに聞く」
心配させないことはできなかった。それでも、離れて暮らしているからこそ、黙って待たせるよりは正しいはずだった。
処置を終えた佐伯が、包帯を巻いた姿で病室を訪れた。濃茶色の短い髪は血と埃を落としていたが、頬には新しい傷が残っている。
「岡部さん、手術は成功したそうです。脚も時間はかかるけど治るって」
「よかった」
「それと、私も全部話します。会社に都合が悪くても、あそこで何が起きたか隠しません」
直人は彼女が盾を離さなかった瞬間を思い出した。
「久世さんも、隠すなという条件を受け入れました。あなたが会社と戦う必要はないと思います」
「でも、また同じことが起きたら」
「その時に必要なのは、誰か一人が会社を敵に回すことじゃない。隠せない記録と、止められる仕組みです。あなたはもう十分に賭けました」
佐伯はしばらく黙り、やがて肩から力を抜いた。直人の手を両手で握り、「ありがとう」と一度だけ言って病室を出ていった。
夕方、高岡が険しい顔で戻ってきた。
「隔離した試料の分析結果が出た。材質は既知の金属と一致しない。お前の翻訳も、少なくとも記号の反復規則とは矛盾しなかった」
「他にも見つかったんですか」
「現物はない。だが、共通する特徴を持つ異常波形が過去のダンジョン記録に六件残っていた。場所も企業も別々で、当時は単なる観測誤差として処理されている」
第七号という文字と、六つの過去記録。
偶然と考えるには、数が一致しすぎている。
「最初の反応はいつですか」
高岡は答える前に、病室の端末を外部通信から切り離した。
「十一か月前。第一次大流出災害が始まる十三分前だ」
直人の中で、別々だった事実が一本の線へ繋がった。
ダンジョンの扉が偶然開き、魔物があふれたのではない。
あの金属片が本当に転移先を固定するための物なら、地球は災害に遭ったのではなく――最初から、誰かに行き先として選ばれていた。
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