# 第120話 再現実験
白い壁の奥で始まった振動は、第三測定室の床まで一定の間隔で伝わってきた。機械が一度動くたび、端末に表示された最後の識別番号へ新しい数値が加わっていく。
『出力負荷、第一段階』
『耐久判定、継続』
『適応反応、未達』
零士は複製を終えた記録を切り離し、外部送信の遮断を維持したまま奥の制御線へ接続を移した。正面から停止命令を送れば、向こうの担当者にも侵入位置が伝わる。すでに気づかれているとしても、何を把握されたかまで教える必要はない。
「奥の装置は別電源や。こっちから落としたら、固定台の生命維持も一緒に止まる可能性がある」
「逃げ道は?」
「二本。人が通ったんは左。右は設備搬出用やと思う」
奏も壁へ手を触れ、先ほど退いた担当者の反応が左へ続いていると確認した。固定台に乗せられた一人の能力痕跡は、そのさらに奥で急激に濃くなっている。
綾乃は、記録を持つ零士と小春を中央へ置き、奏とミナを左右へ分けた。天城には正面突破ではなく、開口後の制圧を命じる。
「扉の向こうに生存者がいます。衝撃を通さないでください」
「何度も言うな」
「守れる方へしか言いません」
天城は鼻を鳴らし、白い壁の前へ立った。ミナが腕だけを透過させ、内側の解除器へ触れる。零士が認証信号を一秒だけ重ねると、壁の一部が音もなく奥へ沈んだ。
開いた先は、細い観測通路だった。右手の厚い窓の向こうに円形の実験室があり、その中央で一人の男が固定台へ縛られている。年齢は二十代ほどに見えるが、身体へ巻かれた測定帯と呼吸器に隠れ、顔立ちまでは分からない。
固定台の周囲には黒い支柱が六本立ち、天城の古い数値が一つずつ表示されていた。被験者側の数値が上がるたび、支柱から薬液と能力刺激が追加されている。
観測通路の壁には六つの小さな収納枠があった。最初の五枠には使用済みの投薬容器が封印され、最後の一枠だけが空になっている。それぞれに個人名はなく、出力不足、耐久低下、適応停止という処理結果だけが印字されていた。
小春は窓越しに被験者の呼吸を見て、眉を僅かに寄せる。胸郭の動きは薬で強制され、本人の呼吸と噛み合っていない。このまま負荷を上げれば、能力以前に身体が保たない状態だった。
「止めろ!」
綾乃の声が観測室へ響く。操作卓にいた男が振り返った。
灰色がかった金髪を後ろへ撫でつけた、痩せた中年の男だった。白衣の襟元は乱れているが、逃走の焦りよりも、天城を直接見た驚きの方が表情へ強く出ている。
「本当に、生きていたのか」
男は停止命令へ手を伸ばさず、観測窓へ近づいた。天城の白髪と琥珀金色の瞳を、記録と見比べるように見ている。
「基準個体。君さえ戻れば、比較ではなく再現そのものができる」
「誰が基準個体だ」
「君だ。最も成功した一例だよ」
男は操作卓の画面をこちらへ向けた。そこには天城の幼少期記録と、これまで運ばれた六名の結果が重ねられている。出力が届かなければ負荷を増やし、耐久が落ちれば薬を変え、適応反応が出なければ次の対象へ移る。その工程の最後にいるのが、窓の向こうの一人だった。
「現在の対象は、偶然選ばれたわけではない。高出力運用後の回復記録、負荷を受けた後の生存率、反復使用による波形変化。その三つを満たす者だけを集めた」
「三十二件の候補は、その抽出元ですね」
綾乃が問い、男は否定しなかった。自分たちの成果を説明する機会を得たように、声へ熱が混じっていく。
「能力は、生まれた時点で完成するものではない。環境と負荷で変えられる。彼が証明した。ならば条件を再現すれば、同じ領域へ届く人間も作れる」
「候補者は、自分が何へ同意したか知っていたのですか」
「高位能力適応試験への参加には同意している」
「拘束、強制投薬、失敗時の搬出については」
綾乃が重ねると、男は一瞬だけ黙った。その沈黙で十分だった。入口で捕らえた者たちと同じく、言葉の一部だけを切り取り、自分が担当した工程の外へ責任を押し出している。
「説明すれば、必要な被験者は集まらない」
「なら、同意ではありません」
「成果が出れば、後から理解される」
その返答へ、天城は怒りではなく退屈そうな目を向けた。理解を求める時点で、男が自分とは違うと思った。天城は殺した相手にも、その家族にも、自分を正しいと認めさせようとはしない。
天城は窓の向こうへ目を向けた。固定台の男の指が痙攣し、支柱の一本へ亀裂が入る。自分の意思で攻撃したのではない。身体が能力を吐き出さなければ、内部から壊れるところまで追い込まれている。
「途中で死んだ奴は何人だ」
「必要な記録は残った」
「数を聞いてんだ」
「全体は知らない。この系統で私が扱ったのは六名だ。だが、君を作った工程に比べれば――」
男が言葉を切った。天城の領域が観測室を満たし、操作卓へ伸びる指の始動を押さえていた。床も窓も壊れていない。ただ、次の操作だけが形になる前に潰されている。
「俺が作られたから、てめぇらも続けていいってか」
「君自身が、方法の正しさだ」
「ハッ――ハハッ!」
乾いた笑いが室内へ落ちた。楽しげでありながら、そこに同意はない。男の理屈を価値のない物として踏みつける時の笑いだった。
「正しいかどうかなんざ知るか。俺がここにいるのも、そいつらを潰したのも事実だ」
天城は自分が被害者だったとも、実験が間違っていたとも言わない。過去を説明して理解される気もなかった。
「だから、てめぇらの仕事も俺の都合で潰す。それだけだ」
白衣の男の目から、僅かに熱が引いた。天城を成果として語れば協力を得られると、本気で考えていたらしい。
「君は自分が何者か分かっていない。あの施設がなければ、今の力は――」
「あってもなくても、今ここにいるのは俺だ。てめぇの説明で俺を作り直すな」
綾乃が窓の外周と制御卓を見比べる。生命維持系を残した停止には、内側で三か所を同時に切り離す必要がある。ミナだけでは一か所が限界で、零士も有線の薬液弁までは止められない。
「小春さんは対象の生命維持。ミナさんは投与管。零士さんは制御分離。奏さんは担当者が触れた緊急操作を特定してください。天城さんは――」
警報が鳴り、観測窓へ赤い文字が走った。
『基準再現率、七十一パーセント』
『最終負荷を開始します』
白衣の男が押していたのは停止ではない。天城に動きを封じられる直前、すでに最終工程を予約していた。
固定台の男が目を見開く。声にならない息が呼吸器の内側へぶつかり、六本の支柱が一斉に軋んだ。
「止めて……くれ」
その願いの直後、実験室を満たす能力反応が爆発した。
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