# 第116話 廃止医療物資庫
学園都市西端の廃止医療物資庫は、地上から見れば本当に死んだ建物だった。
錆びた搬入口には鎖が掛かり、壁面の施設名は半分以上剥がれている。周囲には建設資材の仮置き場と使われなくなった保守道路しかなく、夜間に人が近づいても目撃者は出にくい。八年前の閉鎖記録を信じるなら、地下へ電力が流れる理由もなかった。
黒瀬班は、建物から離れた三方向へ監視点を置いた。救出した三名を医療側へ引き継いだ小春も合流し、移動中の生命維持を終えた後も異常がないことを確認している。ここから先は新しい対象の有無が分からないため、治療担当を外す理由はなかった。
「地上に生体反応なし。警備用の無人機も止まっています」
奏が古い保守道路へ膝をつき、指先で路面の汚れをなぞった。能力痕跡は地上入口では途切れているが、重い車両が何度も同じ線を通った跡だけは、雨で薄まりながら残っている。
「閉鎖後の補修車両記録は?」
「直近二年はゼロや。せやけど轍は一か月以内。幅も前に追った医療搬送車と近い」
零士は公的な電力記録と、地下有線網から拾った実測値を二つの画面へ並べた。帳簿上の使用量はゼロだが、地下では三分おきに小さな通電が発生している。待機中の生命維持装置か、定期診断を続ける設備に近い間隔だった。
「壊して確かめるか」
「まだです」
綾乃は予想していたように即答した。天城も搬入口へ近づかず、暗い建物の輪郭を見たまま鼻を鳴らす。
「言ってみただけだ」
「先に止めろと言った人が試さないでください」
「あまぎっち、ちゃんと覚えとるやん」
「零士。監視へ戻ってください」
綾乃に言われ、零士は笑いを堪えながら画面へ向き直った。天城が独断で正面を破れば、入口が罠でも中継点でも相手へ答えを知らせる。待つことは力を使わない選択ではなく、使う時機を班へ預ける仕事になっていた。
ミナは資材置き場の陰から物資庫へ近づいた。壁へ片手を沈め、内部に物体と重ならない空間があることを確かめてから全身を透過させる。地上階を一周した後、通信へ小さな声が届いた。
『上は空っぽ。埃も古いまま。でも地下へ行く階段だけ、靴跡が新しい』
「扉は?」
『二枚。外側は普通の防火扉。内側は厚いし、その先の壁に何か細かい物が詰まってる。中身が分からないまま抜けるのは嫌』
「戻ってください。地下は別経路から確認します」
透過できるからといって、見えない設備へ身体を重ねる必要はない。ミナは壁の外へ戻り、地下階段の位置と扉の厚みだけを地図へ記した。
その間、天城は《領域掌握》を建物へ向けて薄く広げていた。広い範囲を取れば感知の密度は落ちる。壁と地面の構造を全て読むのではなく、内部で動いたものだけを拾うよう意識を絞る。
「地下に機械が三つ。一定の動きを繰り返してる」
「人は?」
「ここからじゃ分からねぇ。だが一番奥の機械だけ、時々止まる。何かに合わせて動いてる」
小春が零士の通電記録を覗き込んだ。三分ごとの小さな電力変化とは別に、弱い波が不規則な間隔で重なっている。
「生命監視器が生体情報へ合わせて補正している可能性はあります。ただし、機械の自己診断でも同じ変化は起きます」
「中にいると決めるには足りません」
綾乃は地図へ仮説を置くだけに留めた。天城の記憶、零士の電力、小春の推測。そのどれも単独では突入理由にならない。
監視開始から二十七分後、北側保守道路へ白い小型車両が現れた。
車体には廃棄物回収業者の標章がある。登録番号も外見も公的記録と一致したが、本来の車両は同じ時刻に学園都市南部を走っていた。複製された番号を使う別車両だった。
「運転手一名、助手席なし。後部の重量は行きより帰りが増えそうな足回りや」
零士が車内通信を拾う。音声はなく、搬入口の近距離認証へ短い識別列だけが送信された。外部承認者の端末から回収した引き渡し通知と、先頭四桁が一致している。
錆びた鎖は外されなかった。搬入口そのものが壁ごと内側へ沈み、車両を呑み込んだ後で元の位置へ戻る。外から見える廃墟の形は、一分も経たず完全に復元された。
「施設は稼働中。人の出入りも現在進行形です」
「それでも人を運んでる証拠はまだないぞ」
「はい。次を確認します」
天城の指摘に、綾乃は頷いた。過去と似ているから敵だと決めることも、怪しいから中の人間を被害者と決めることも避ける。正しい対象を間違えれば、助けるはずの相手へ牙を向けることになる。
車両が入ってから四分後、地下の通電が大きく跳ねた。天城が感知していた三つの機械が同時に動き、一番奥だけが下方へ移り始める。
『外壁沿いの配管が開いた。細い隙間なら地下の受入室まで行ける』
戻っていたミナが、搬入口の作動で生じた保守隙間を見つけていた。綾乃の許可を受け、今度は構造の分かる空間だけを選んで地下へ入る。
数秒の沈黙が続いた。
『人がいる』
ミナの声から軽さが消えていた。
『二人。透明な搬送容器の中。どっちも呼吸してるけど、一人は管が多い。今、奥の昇降機へ運ばれ始めた』
「敵は」
『受入室に三人。白い作業服。武器は見えない。でも容器を止める操作盤の前に一人いる』
小春が直ちに、管の位置と監視器の表示を質問する。ミナから返った断片的な情報では、一人は移送を中断しても急変する可能性が低い。もう一人は投与と呼吸補助が装置へ繋がり、雑に切り離せば生命を危険へ晒す。
内部に生存者がいることと、今まさにさらに深い場所へ運ばれようとしていることが確定した。外周確認を続ければ、二人は再び行き先の見えない経路へ消える。
「突入します。目的は二名の生存確保、作業員三名の生存拘束、受入記録と昇降機経路の保全。地下奥への追跡は、二名を確保してから判断します」
綾乃の指示が全員へ届く。天城はすでに搬入口の前へ立っていたが、壁へ拳を打ち込まず、零士が偽の認証を返すのを待った。
「開けるで。五秒後」
「遅ぇ」
「待てとる時点で合格や」
五秒後、錆びた壁が音もなく沈んだ。天城は開いた幅だけを通り、後方から綾乃、小春、奏、零士が続く。ミナは地下受入室で二人の搬送を見失わないよう、その場へ残った。
地上の廃墟の下には、白い照明で満たされた通路が続いていた。壁面には施設名も所属章もない。ただ、地下へ降りる扉の上に、黒い文字が三つ並んでいる。
『出力』
『耐久』
『適応』
それだけなら、回収端末と同じ言葉に過ぎない。
だが扉が開く直前、奥の放送設備から流れた無機質な声を、天城は覚えていた。
『再評価対象を、第三測定室へ搬入します』
幼い頃、何人もの姿が消える前に聞いた声と、まったく同じだった。
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