第11話 等級1の単独攻略
ダンジョンの扉が閉じると、外の機械音は一瞬で途絶えた。
瀬名直人は入口の安全灯を背に、湿った洞窟の奥へ視線を向けた。今回の試験区域は、通称《青苔洞》。壁面を覆う青白い苔のおかげで照明がなくても歩ける低危険度ダンジョンで、出現する魔物も小型種が中心とされている。
試験内容は単純だった。指定地点まで進み、低級魔晶石を二つ採取して帰還する。制限時間は九十分。許可区域から外れず、異常を感じた場合は即座に撤退すること。戦闘能力だけでなく、判断、記録、規則の順守まで含めて評価される。
『通信状態は良好だ。聞こえるか、瀬名』
耳元の通信機から、公的ギルド職員・高岡誠司の声が届いた。観測室では、直人の位置情報と生体反応が常時確認されている。
「聞こえています。これから進みます」
『焦るな。今回の目的は攻略ではなく、単独行動が可能かを見ることだ』
「分かっています」
『その返事が信用できる方であることを祈っている』
救護所の医師と似たことを言われ、直人は小さく息を吐いた。
腰にはギルドから借りた短剣、背には水と応急処置用品、胸元には緊急転送用の信号器がある。異世界時代の装備と比べれば心許ないが、現在の筋力で扱うなら過不足はない。強力な武器は、使いこなせなければ重りにしかならない。
直人は足音を抑えて進みながら、壁の傷、糞、抜け落ちた毛、空気の流れを確認した。ATLASの案内は安全と判定した経路を示しているが、魔物は表示どおりに配置されるわけではない。地図を信用することと、地図だけを信用することは違う。
百メートルほど進んだところで、右前方から石を擦るような音が聞こえた。
直人は案内表示を消し、岩陰へ身を寄せる。青い苔の間から現れたのは、背中を灰色の甲殻で覆った三匹の《岩殻鼠》だった。犬ほどの大きさがあり、前歯は細い鉱石なら噛み砕く。公的危険度は低いが、正面から斬れば甲殻に刃を取られる。
『迂回路を表示できる。戦闘を避けても減点にはならない』
「分かっています。ただ、後ろへ回られる位置です。ここで処理します」
直人は足元の小石を拾い、通路の反対側へ投げた。音へ反応した二匹が頭を向け、残る一匹だけが鼻を動かしながらこちらへ近づいてくる。
飛びかかる瞬間、直人は半歩だけ横へずれた。大きく避ければ次の個体へ隙を見せる。短剣の柄で下顎を跳ね上げ、露出した喉へ刃を差し込むと、勢いを失った岩殻鼠が足元へ滑った。
血の臭いに反応し、残る二匹が左右から走る。直人は一匹目の死体を蹴って進路を塞ぎ、跳び越えようとした個体の腹へ短剣を突き立てた。最後の一匹は甲殻を丸めて突進してきたため、正面から止めず、壁際まで引きつけて身をかわす。岩へ衝突して裏返ったところで、顎の下を貫いた。
三匹が動かなくなるまで、十秒もかからなかった。しかし短い戦闘でも、左足には鈍い痛みが戻り、呼吸も異世界時代より明らかに速い。技術だけなら以前と同じでも、それを実行する肉体はまだ追いついていなかった。直人は勝てたという結果より、次に同じ数が現れた時も同じ動きができるかを確認してから、短剣についた血を拭った。
《戦闘への有効貢献を確認》
《経験値を獲得しました》
視界へ表示が現れたが、レベルは二のままだった。小鬼や裂爪猿より得られる経験値が少ないのだろう。それでも《魔力循環》を使いながら戦ったことで、魔力を脚と腕へ送る感覚は前回より滑らかになっている。
『……等級一の動きには見えないな』
「身体能力ではなく、相手の動き方を知っていただけです」
『今の魔物も、失踪中に?』
「似たものとは戦いました」
高岡はそれ以上追及しなかった。質問を重ねても、直人が必要と判断するまで答えないと理解したのかもしれない。
最初の魔晶石は、そこからさらに二百メートル進んだ採掘地点で見つかった。青い鉱脈の中から親指ほどの結晶を指定器具で切り出し、端末へ登録する。企業へ納入されれば医療機器や蓄電装置の材料になるという。異世界では魔道具に使われていた物が、地球では科学技術の部品として扱われている。その違いは興味深かったが、構造を調べるのは持ち帰ってからでいい。
二つ目の採取地点へ向かう途中、直人は足を止めた。
正規経路の左側にある狭い亀裂から、冷たい空気が流れている。地図上では行き止まりだが、奥に広い空間がある証拠だった。さらに、湿った岩と苔の臭いへ、かすかな鉄臭さが混じっている。
「高岡さん。この左側に別の空洞があります。血の臭いもする」
『地図にはない。許可区域から外れるな。こちらで確認する』
数秒後、ATLASが周辺の記録を照合し、警告を表示した。
《隣接する民間資源調査区画との接続異常を検出》
《作業員二名の位置情報が消失》
直人は亀裂へ近づき、耳を澄ませた。入口には割れた照明器具と、民間企業の識別章がついた保護帽が挟まっている。表面の血はまだ乾いていなかった。さらに奥では何かが岩を叩く音が三度続き、短い間を置いてもう一度鳴る。偶然の落石ではない。声を出せない負傷者が、助けを求めている。
『救助班を向かわせる。到着まで十二分。瀬名は入口方向へ退避しろ』
「中にいる人間は、十二分もちますか」
『内部映像が取れない。判断できない』
「打撃音は弱くなっています。血の臭いも新しい。負傷者が自力で魔物を防いでいるなら、十二分は長すぎる」
『だからといって、試験中の学生を未確認区画へ入れるわけにはいかない』
高岡の判断は正しい。直人の許可は指定区域だけで、亀裂の先には敵の種類も数も分からない。救助対象を増やせば、事態は悪化する。
だが、正しい手続きを待つ間にも、人は死ぬ。
「亀裂から負傷者まで、おそらく五十メートル以内です。俺なら二分で接触できます。救助班が到着するまでの生存時間を稼ぐだけなら、討伐する必要もない」
『許可できない。戻れ』
「では確認します。ギルドの規則では、入域者が緊急救助要請を確認した場合、管理者の承認を得て活動目的を変更できる。違いますか」
通信の向こうで、高岡が黙った。
「単独試験を続けるつもりはありません。試験資格も今後の入域許可も、必要なら賭けます。それでも、助けを求める音を聞きながら背を向ける理由にはならない」
『規則を盾に、職員を脅す気か』
「いいえ。俺が何を賭けるか伝えただけです。許可するかは、あなたが決めてください」
再び、岩を叩く音が聞こえた。今度は一度きりで、その後に獣の低い唸り声が重なる。
長い沈黙の末、高岡が息を吐いた。
『単独入域試験を中止。瀬名直人の活動目的を緊急救助へ変更する。交戦は生存確保に必要な範囲だけだ。救助班との接続を最優先しろ』
「了解しました」
『瀬名』
亀裂へ身体を滑り込ませようとした直人を、高岡が呼び止める。
『功績にはならない。命令違反があれば処分もする。それでも行くんだな』
「記録のために助けるわけじゃありません」
直人は短剣を抜き、暗闇の奥へ向き直った。
「俺の目の前で、まだ助けを求めている。それで十分です」
狭い岩の隙間を抜けた先から、血の臭いと魔物の咆哮が押し寄せる。
等級一の単独試験は終わった。
ここから先は、誰かを生きて連れ帰るための戦いだった。
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