# 第107話 下りる便
# 第107話 下りる便
貨物昇降機の次回作動まで、残り三十四分。
救出した被害者は支援車両へ移され、小春が呼吸と心拍を支えながら安全圏への引き渡しを進めていた。意識は戻っていないが、薬物の追加投与は止まり、すぐに生命が途切れる状態からは外れている。
『身元照合は後です。今は搬送を優先します』
小春の報告を聞き、綾乃は灰色車両と貨物昇降機の双方を監視できる位置へ機材を移した。隔壁を開けた時点で侵入を隠し続けることは難しくなったが、外向きの警報は零士が遮断しており、下層から誰かが上がってくる兆候もまだない。
「このまま扉を壊して降りれば早いだろ」
天城は昇降機の閉じた扉を見上げた。強度を確かめるように指を当てるが、力は込めていない。
『箱だけ壊しても、縦穴の途中で止まるで』
零士は制御盤から取り出した有線記録を端末へ並べた。昇降機に階層選択の操作部はなく、上層と下層の二地点を定刻で往復するだけの構造だった。
『下側の扉が閉じたままやったら、数十メートル落ちた先で鉄板と喧嘩や。あまぎっち一人なら勝つかもしれんけど、道は消える』
「俺が勝っても意味がねぇって話は、もう聞き飽きた」
「理解したのであれば十分です」
綾乃は天城の返答を確認し、次に人員配置を示した。昇降機で下層へ入るのは綾乃、天城、ミナの三名。零士、奏、小春は上層へ残り、通信、痕跡、救出者の生命維持と退路を担当する。
「三人だけ?」
ミナが昇降機の外板を見ながら眉を寄せた。普段の軽さはあるが、遊びに誘う時の声ではない。
「内部容積と作動記録から、過積載を疑われない人数へ抑えます。下層では天城が前衛、ミナが閉鎖区画の確認。現場判断は私が行います」
「小春を置いていって、下に怪我人がいたら?」
「初期処置具を持ち込みます。生体調律が必要なら、昇降機を戻して小春を呼ぶ。その間を確保するのが俺たちの役目」
ミナは納得して頷いた。天城は綾乃へ顔を向け、相変わらず自分より弱い者が決めた配置を聞いている。
「俺一人なら、下で何人待ってても潰せる」
「敵しかいないと確認できた場合は、その案も検討します」
「確認するために、そいつが要るってことか」
天城の視線がミナへ動く。《領域掌握》は存在と動きを捉えられるが、壁の向こうにいる相手が被害者か実行者かまでは読めない。閉じた空間へ先に入り、武器、拘束、退路を見分ける役割は別に必要だった。
「一人で先へ行かないでよ。私が人質を見つけた後で、好きなだけ悪い奴を殴って」
「俺に命令すんな」
「班長の命令を分かりやすく言ってあげたの」
反発しながらも、天城は一人で扉を開こうとはしなかった。綾乃は通信断時の条件を続ける。
「零士との有線通信が切れた場合、下層班は追跡を中止して昇降機へ戻ります。二分間応答がなければ、上層側が強制帰還操作を開始。敵を追うことより、三人で戻ることを優先してください」
「俺まで戻す必要があるのか」
「契約中の前衛を失えば、組織の損失です」
「なら俺以外の二人は」
「既存班員を失う方が、さらに大きい」
綾乃は感情ではなく損失として言い切った。天城にとっても理解しやすい論理だったが、自分だけでなく同行者の帰還まで勝利条件へ入れられたことに変わりはない。
「面倒だ。遅れたら引きずってでも乗せるぞ」
「それで構いません。動かせない負傷の場合だけ小春の判断を待ってください」
『言うようになったなぁ、あまぎっち』
「殺されてぇのか」
零士の軽口へ返した後、天城は自分の端末を取り出した。ここから先は通信が切れる可能性があり、帰宅時刻もさらに遅れる。
朱音へ送ったのは、帰宅時刻未定、しばらく連絡不能になる、戻ったら連絡するという三点だけだった。場所も任務内容も知らせていない。
短い間を置き、返信が届く。
『分かった。帰ったら報告して』
許すとも、心配しているとも書かれていない。それでも、戻った後の行動が一つ増えたことを天城は理解し、通知を消さず端末をしまった。
残り時間が十分を切ると、奏が昇降機周辺に重なる反応を最後まで確認した。固定台から救出した人物とは別に、三種類以上の能力反応が扉の前へ残っている。
「同じ時刻のものじゃない。何度も使われてる」
「今夜の痕跡は?」
「一つ。下へ向かってる。戻った痕跡はない」
次の作動で何が上がってくるかは分からない。空の昇降機か、実行者か、新しい被害者か。そのどれであっても即座に対応できるよう、天城は扉の正面から外れ、ミナは壁際で位相をずらす準備を整えた。
『作動まで十秒。外向き通信なし。下から上がってくる』
低い駆動音が縦穴の奥から近づいた。床へ僅かな振動が伝わり、やがて扉の向こうで昇降機が停止する。
開いた箱の中に、人はいなかった。床には固定具の擦れた跡と、乾ききっていない細い血痕が残っている。
ミナが最初に内部へ入り、壁、天井、床面へ物質と重なる危険がないかを確かめた。零士も制御盤の内部処理と下層側への信号を確認し、乗り込んだことを知らせる追加送信がないと判断する。
「下りられるよ。床の血は誰のか分からないけど」
「奏」
「固定台の人とは別。さっき下りた痕跡と近い」
綾乃、ミナ、天城が昇降機へ乗り込む。有線通信の細いケーブルが箱の側面にある保守用貫通口から上層へ伸び、零士の端末へ繋がった。
『八分で一度状況報告。切れたら戻る。忘れんなよ』
「先輩面すんな」
『実際、先輩や』
扉が閉じ、昇降機が下降を始める。上層の明かりも人の声も金属壁の向こうへ消えたが、有線通信から届く零士の呼吸音だけは残っていた。
天城は《領域掌握》を箱の外へ狭く伸ばした。厚い壁の向こうは最初、縦穴と配線の振動しかなかったが、下降が止まりに近づくにつれて複数の存在が領域へ入る。
「左に二人。動いてねぇ。右に四人、立ってる」
「敵味方は?」
「知らねぇ。四人はこっちを待ってる」
綾乃はミナへ左側の確認を指示し、天城には右側を開くまで抑えるよう告げた。三人で戻るという条件を受けた天城は、扉の正面へ一人で立つのではなく、ミナが抜ける左側を空けて半歩右へ寄る。
下層の扉が開いた。暗い通路の右側で、顔を覆った四人が武器を構える。
「搬入者じゃない」
先頭の男が低く告げた。天城は待ち構えていた四人を見渡し、白い髪の下で馬鹿にするように笑う。
「ああ。お前らを上へ運ぶ便だ」
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