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# 第104話 荷物ではない



「俺をどかせる奴を連れてこい。話はそれからだ」


 天城の言葉が届いた瞬間、注射器を持つ男は迷わず作業員へ腕を伸ばした。正面の天城を倒すのではなく、薬物を打って対象だけでも確保しようとした動きだった。


 だが、針先が作業服へ届くより早く、天城の右手が男の手首を掴む。骨を折る寸前で力を止め、そのまま注射器を地面へ落とさせた。


「離せ!」


「嫌だね」


 男は空いた手で電撃棒を抜いた。通電する先端が天城の脇腹へ向かうが、《領域掌握》は肩が動く前から力の流れを捉えている。


 天城は手首を掴んだまま男の身体を半回転させ、電撃棒を持つ腕だけを背中へ畳んだ。男の膝が路面へ落ちる。痛みで暴れても、折れていない関節は外れる位置まで一度も動かなかった。


「まず一人だ。次はどいつだ」


 拘束帯を持つもう一人は、天城ではなく作業員へ飛びついた。対象さえ車両へ入れればいいという判断だったが、その足元から金茶色の髪が躍り出る。


 ミナは閉鎖配送所の金属柵を《位相透過》で抜け、二人の死角へ先回りしていた。作業員の上着を掴んで横へ引き、振り下ろされた拘束帯を空振りさせる。


「こっち! 走って!」


「な、何が――」


 作業員は足をもつれさせた。見知らぬ人間に突然囲まれ、注射器まで向けられた恐怖で呼吸が乱れている。


 綾乃の《情動抑制》が、判断を塗り替えない範囲で過度な恐怖だけを弱めた。作業員は状況を理解できないままでも、ミナの示した方向へ自分の足で走り、門柱の陰へ入る。


『対象者、二人組から離脱。天城、車両が動くで!』


 零士の警告と同時に、灰色の車両が急発進した。運転手は仲間を置き去りにし、天城ごと進路から押し退けるつもりでアクセルを踏み込む。


 天城は膝をついた男を道路脇へ蹴り転がし、正面から迫る車両へ向き直った。避ければ証拠が逃げる。殴り壊せば、綾乃から命じられた車両と端末の保全に失敗する。


「注文が多いんだよ」


 吐き捨てながら、両手を車体前部へ添えた。衝突音の代わりにタイヤが路面を削り、灰色の車体が激しく沈む。


 天城の靴底は数センチ後ろへ滑っただけだった。領域内で自分の姿勢を強化し、車体から伝わる力を地面へ逃がす。前部を潰さず、運転席へ衝撃を返しすぎず、それでも車両だけは一歩も進ませない。


「馬鹿な……」


 運転手の声が漏れた。さらにアクセルを踏み込んでも結果は変わらず、焦げたゴムの臭いだけが濃くなる。


『外部送信、遮断した。車載端末の中は触ってへん。壊すなよ、あまぎっち』


「何度も言うな」


 天城は片手だけで車両を押さえ、もう片方で運転席の扉を引いた。施錠部が軋む直前、零士が電子錠の外部認証だけを止め、綾乃が回収用の解除器を接続する。


「三秒、待ってください」


「長ぇ」


「二秒です」


 解除音が鳴る。天城はそれを聞いてから扉を開き、逃走用の小型端末へ手を伸ばした運転手の襟を掴んだ。


「こいつは荷物だ! 俺たちは指定された物を拾ってるだけだ!」


 引きずり出された運転手が喚いた。自分で選んだのではなく、指示された回収をしただけだと叫び続ける。


「人を荷物にして、自分だけ運転席へ隠れるのか」


 天城は男を路面へ押さえつけた。琥珀金色の目に同情はなく、正義を説く気配もない。


「悪人ぶるなら覚悟が足りねぇ。命令を言い訳にして、抵抗しねぇ相手へ針を刺すだけか。そんな半端な悪なら、俺の前じゃ雑魚と同じだ」


 男の抵抗が止まった。天城は首を締めず、意識も奪わず、綾乃が用意した拘束具を運転手の両手へ掛ける。


 作業員を逃したもう一人は、その場で戦うことを捨てて側道へ走り出した。綾乃が逃走方向と距離だけを告げると、天城は運転手を拘束した直後に車体を蹴って加速する。


「右へ十二メートル。頭部への打撃は避けてください」


「分かってる」


 天城は男の前へ回り込み、振り上げられた拘束帯を腕へ巻かせた。そのまま帯ごと引き寄せ、腹部へ拳を触れる寸前で止める。衝撃を受けていないのに男の足は竦み、次の瞬間には足を払われ、呼吸できる姿勢のまま路面へ伏せさせられた。


 綾乃とミナが最初に倒した男を含めて拘束具を確認し、三人の実行者は全員、生存したまま確保された。誰の骨も折れておらず、事情聴取に必要な意識も残っている。


 作業員のもとには小春が駆け寄っていた。接触の許可を取り、首筋、腕、呼吸と心拍を確認する。


「薬物は入っていません。注射痕もなし。転倒した時の擦過傷だけです」


「助かった、のか……?」


 作業員が天城を見る。その声には安堵より、車を正面から止めた人間への恐れが強く滲んでいた。


「俺が助けたんじゃねぇ。こいつらを捕まえる仕事をしただけだ」


「でも、あんたが来なかったら」


「だったら次から、知らねぇ車に近づかれて突っ立ってるな。勝手に荷物になって、俺の仕事を増やすんじゃねぇよ」


 礼を受け取る言葉ではなかった。それでも天城は、作業員が自分の足で立っていることを確かめてから車両へ戻った。


 奏は路面の注射器と拘束帯、二人組の靴跡を順に記録し、ミナとともに後部扉を開く。内部には貨物棚がなく、人一人を固定できる幅の座席と拘束部が六つ並んでいた。


 窓は内側から塞がれ、座席同士の間には視線を遮る薄い板が立っている。運転席へ声を届ける装置も見当たらない。誰かを安全に送るためではなく、互いの顔も行き先も分からないまま運ぶための構造だった。


「中継棟の男性と近い痕跡がある」


 奏が右端の座席へ触れずに視線を落とす。残留反応は完全一致ではないが、拘束具へ重なっていたものと同じ系統だった。


「もう一つ、新しい痕跡」


「あの男とは別か」


「別。古くても一日以内。ここに座らされていた」


 車両は、今夜初めて人を選んだのではない。すでに別の誰かを運び、その痕跡を残したまま次の対象を探していた。


 零士は車載端末の外部送信を封じたまま、内部表示だけを保全した。画面に残っているのは対象名でも目的地でもなく、数字と短い待機表示だった。


『回収一、搬入未完了』


 それが直前の作業員を指すのか、すでに運ばれた別人を指すのかは分からない。だが待機表示の下では、次の接続までの残り時間だけが減り続けていた。


『二十三分後。こいつ、どこかへ帰るつもりや』


「端末を外したら?」


『接続待機が切れる可能性が高い。エンジン停止も、車両位置の大きな変化も避けたい。向こうに予定どおりやと思わせたまま、帰り先だけ拾う』


 綾乃は拘束者と作業員を別車両へ移し、灰色の車両には必要最小限の人員だけを残す方針を決めた。証拠車両をそのまま囮として使う以上、誰を乗せ、誰を外へ残すかを二十三分以内に決めなければならない。


 一度きりの鍵は使わずに残っている。灰色の車両も、三人の実行者も、選ばれかけた作業員も確保した。それでも、すでに運ばれたもう一人だけは、まだどこにもいなかった。


この小説をお読みいただきありがとうございます。

よければ★★★★★マークとブックマークで応援していただけると嬉しいです!

完結作品にはなりますが、応援が多ければ第二章突入も考えています!

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