# 第100話 三十六時間後
三十六時間後の認証時刻まで、残り一時間を切っていた。
天城は組織管理住居の玄関で靴を履き、端末へ短い文字を打ち込んだ。朱音には任務の内容を知らせていない。知らせられるのは帰宅が遅れることと、今夜中に戻れるか分からないという二点だけだった。
『帰宅未定。朝までに一度連絡する』
送信すると、すぐに既読がついた。返ってきたのは『分かった。連絡がなければこちらから確認する』という一文で、どこへ行くのかも、何をするのかも尋ねてこない。
互いの領域へ勝手に踏み込まない。帰れない時は連絡する。それは朱音が一方的に押しつけた規則ではなく、二人で暮らすと決めた時に天城も認めた条件だった。
「面倒くせぇ」
そう吐き捨てながらも、天城は端末の電源を切らずに部屋を出た。
◇
解析室では、回収した三つの記録媒体が前回と同じ隔離容器へ収められていた。ただし長机の上には新たな受信機と複数の有線端末が並び、零士の前だけが小さな管制卓のようになっている。
奏は媒体へ残った能力反応を再確認し、綾乃は時計と各員の配置を照合していた。小春とミナも出動装備を整えているが、誰も認証結果が出る前から立ち上がろうとはしない。
「早いやん、あまぎっち。まだ殴れる相手は出てへんで」
「てめぇが遅ぇせいで逃がしたら、先にてめぇを殴る」
「俺を殴ったら接続先が消える。待つんも前衛の仕事や」
零士は軽口を返しながら、天城の耳元の通信具へ試験信号を送った。天城が不機嫌に応答すると、音量を一段下げ、走行中でも外れないよう固定具の位置まで直す。
「聞こえ方は?」
「問題ねぇ」
「ほな結構。壊したら弁償やからな」
「通信確認は終了です。羽柴さん、監視系統を報告してください」
綾乃の声で、室内から余分な会話が消えた。零士は六つの表示窓を指で示し、確定している事実と、まだ推測にすぎない部分を分けて説明する。
「媒体は外へ認証要求を出す。返事が正規なら搬出予定の断片を開き、違えば内部消去へ移る仕組みや。俺が触れるんは通信経路まで。媒体の中で何を判定しとるか、全部分かったわけやない」
受信した信号をそのまま外へ通すことはしない。零士は《電磁静域》で媒体から伸びる無線経路だけを選別し、認証要求を隔離した受信機へ吸い上げる。その先では通常の解析端末が同じ形式の複製要求を一度だけ外へ送り、実物の媒体へ返さずに応答だけを別系統へ保存する準備が整えられていた。
「接続先が分かれば、すぐ行くんだな」
「場所まで落とせたらや。経路だけで飛び出したら、囮の中継器を殴って終わるで」
「二度言わせんな。場所を出せ。出た後は俺が潰す」
天城は壁際へ背を預けた。動き出すためではなく、動かないまま時刻を待つためだった。零士が一瞬だけ眼鏡越しに見上げ、口元を緩める。
「待てるようになったやん、後輩」
「殺すぞ」
「今は待ち。あと四十秒」
室内の時計が秒を削る。認証時刻と同時に、一つ目の媒体が起動音を鳴らした。わずかに遅れて二つ目、三つ目からも信号が立ち上がる。
零士の指が端末へ触れるより先に、周囲の空気が薄く震えた。《電磁静域》が三本の外部通信だけを捕らえ、味方の通信と有線機器を残して閉じ込める。表示窓へ認証要求が流れ、その直後、別方向から二種類の応答が返った。
「二つ来た」
ミナが身を乗り出す。
「片方は触った相手を消去側へ送る罠や。もう片方が認証応答――まだ通さん」
零士は応答を媒体へ戻さず、隔離受信機の中で分離した。だが一つ目の媒体では内部消去が始まり、保存領域の一部が赤く欠けていく。《電磁静域》で外側を止めても、内部へ仕込まれた処理までは止まらない。
「一つ、四割消失。二つは維持。認証応答の転送経路を取る」
軽い口調は消えていた。零士は一つの通信へ飛びつかず、返ってきた二種類の応答がどの中継点を通ったかを順に切り分ける。三つの候補が地図上へ残り、そこから先は電子情報だけでは一つに絞れなかった。
「奏、前に端子から拾った古い痕跡。候補三か所の過去案件記録と照合できるか」
奏が隔離容器へ手を添えた。電子情報を読むのではない。媒体へ触れた能力使用者の残留反応を読み直し、過去に候補地の現物を解析した時の記録と比較する。
「一番は違う。二番は薄すぎる。三番――同一とは断定できない。でも、系統と癖は近い」
「十分や。電子経路の事実と、残留反応の一致可能性を重ねる」
地図から二つの候補が消えた。最後に残ったのは、学園都市東部外縁の廃棄設備集積区にある保守用中継棟だった。現在は常用されていないが、旧式設備の点検経路だけは生きている。
「確定か」
天城が壁から背を離す。
「事実として確定したんは、認証応答が最後にそこを通ったこと。相手がおるか、機械だけか、次の先へ逃げた後かは分からん」
「なら、行って確かめりゃいい」
「せや。ただし今度は全員で行く条件が揃った」
綾乃はすでに出動申請と移動経路を開いていた。奏が追跡資料を封じ、小春が医療鞄を肩へ掛ける。ミナは中継棟の壁材と内部図面を確認し、透過可能な侵入口を二つまで絞っている。
天城が待っている間に、現場へ踏み込むための条件が次々と揃った。殴るだけなら一人でできる。だが、殴るべき相手がいる場所へ辿り着くには、自分にない仕事をする五人が必要だった。
「羽柴、通信維持。白峰、現地で痕跡を再確認。東雲は単独侵入を避け、内部状況を見てから救出経路を作ってください。雨宮は後方待機。天城さんは、私の合図まで前へ出ないこと」
「合図が遅けりゃ置いてくぞ」
「遅いかどうかは、現場を見てから決めてください」
綾乃は言い返し、零士が天城の端末へ経路を送った。画面には保守用中継棟の位置と、次の通信が開くまで残り四十七分という表示が出る。
「あまぎっち、帰宅連絡は?」
天城は舌打ちしながら、朱音へ『朝まで戻らない』と追送した。今度の既読はつかなかったが、送信済みの表示を確認して端末をしまう。
「行くぞ。四十七分もいらねぇ」
「せやな。せやけど到着までに、先輩からもう一個だけ注意や」
零士は閉じかけた解析画面へ視線を戻した。分離した認証応答の末尾では、通常なら機器識別子が入る欄だけが空白になっている。
「向こうも、こっちが見とることに気づいたかもしれん」
次に開くのは、ただの中継点ではない。待っているのが敵か、消された痕跡か、それともこちらを測るための罠か。答えが出るより先に、黒瀬班の六人は夜の学園都市へ動き出した。
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