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悪魔でファンタジー  作者: nannryou
3/13

悪魔で田原坂

 地上軍は中印と北米を除いて反乱軍に連戦連敗だった。第4帝国のパリ攻囲戦だけは、猛烈な抵抗でとん挫したものの、ポーランド再占領、イタリア帝国のアフリカ侵攻、僕が前線に送られることになった田原坂での日本帝国との闘い、そして第4インターナショナルとモスクワの冷たいゲーム。どこもかしこも人類は敗色一方だ。DESIRESと、NATOロンドン最終防衛隊とのバトルオブブリテンがNATOロンドン最終防衛隊の完敗に終わり、かつてのカプトゥムンドがDESIRESの手に落ちたのが士気に響いている。

「神波正!」

「はいっ!」

 安紅さんからは時々連絡が入る。この前は古典力学的な光学と量子力学的な光学の知見を披露してもらった。あれは結局古典ではハミルトニアンとエネルギーが全てだから、バルク単位の物質が光速を超えることができないというのは常識で、それは打ち破られることがないというのが定説だ。だが、DESIRESの兵器は平気で光速運動を行うそうだ。その辺りを残存している地下10000メルテの最後のマシンセンターでAI分析にかけているようなことをにおわせていた。全く。初期の1週間で電子戦に完敗し、全ての巨大演算拠点を空爆されたのが致命的だ。軌道衛星が壊滅しているのも痛恨事らしい。

「この田原坂の戦いで敵兵が動員した兵器と戦術だが、我々は、どう戦うと教示された?」

「はっ。一人一破。一人一殺であります!」

 言っておきながら、にやにやしかけてしまう。なぜなら、そんなことはどだい不可能だからだ。相手は劣化ウラン弾対塵戦車を1000両。この戦車、核兵器を使えば打撃は与えられるそうだが、敵軍は軍を規律正しく散兵しており、決して集合しない。おまけに制空権はあちらだ。この状況で一人一破。一人一殺ときたものだ。戦前の太平洋戦争従事者がこんな気持ちだったのかと少し考えないではない。

「よし。では、TNT火薬の抱き込みと滑り込み訓練に戻れ!」

「はいっ!」

 こんなシーン。昔の戦争映画であったようななかったような。

 まあ、いい。

 どさっと仮宿営の寝袋を投げ下ろす。

 さて、敵軍は田原坂を橋頭保にして、薩摩中心の令和維新を実現し、戦争責任を問われなかった昭和天皇の従妹を天皇に押し上げることによる、大日本帝国の再興と栄光を願う日本帝国正統政府を標榜している。薩摩を拠点として九州全土を攻略し、第二次佐賀戦争で佐世保解法に成功した肥前と連絡を取るつもりのようだ。熊本では第二次神風連党がDESIRESの支援を受けてテロリズム行っており、この三つが連携すると九州は完全に反乱軍の手に落ちる。その先、山口、岩国解放に成功した第二次萩の乱と共闘されると西日本は終わる。北では第二次戊辰戦争により佐倉を陥落させており、東日本では横浜の横須賀、東京、厚木の徹底抗戦が続いているが、西が抜かれれば士気は落ちるだろう。ただでさえ、反乱軍に同調的な市民が少なくない上に、歴史的に見て反米的な地域ほど権力に近い場所にいたわけだからどうにもならない。日本が反乱軍に落ちた後は、北京とピョンヤンは核の投下を考えているとかいないとか。米軍も焦土戦術に切り替えるか模索中だ。そうそう。この戦いでは、なんと名乗り合いの一騎打ちを"DESIRES"が推奨しているらしい。現代の那須の与一と誉れ高い敵反乱軍のスナイパー"長門大和"は、今や正規軍の間でもファンがいるほどのヒーローだ。旧自衛隊航空士官の長門大和は視力3.0を誇り、圧倒的な集中力を持つエースパイロットだったらしいが、なんでも、射程10キロメートルのスナイプを成功させ、田原坂では自衛隊陸軍幕僚長を4人スナイプしたらしい。自衛隊側との装備の差もあるのだろうが、一種の圧倒的に迫ってくる最後の"人間技量"に称賛を送らずにはいられない大和武士の生き残りも多いらしい。明治維新の昔、田原坂を目指す薩摩精鋭部隊は熊本城によった先端スナイドル銃と徴兵農民、賊軍の残党に完全に打ち破られたといわれている。近代化の勝利の宴であったわけだ。さて、今回は趣が逆だ。正規軍には最新鋭F35の支援があり、わずか一か月前までは地上で無敗を誇った航空戦力の支援を受けられたわけだが、現在は完全に立場が逆転している。敵戦闘機自称"第一のラッパ"、コードネーム"pride"の光速移動には現行レーザーしか打つ手がない。レーザーに関しては米軍の秘密研究だったため主な生産拠点が北米と中国しか残っていない今、表にはまず出回らないものだ。F35は要するに回避要因と戦車核攻撃部隊でそれ以上の価値はない。近代化は一夜にして武器を陳腐化するとはいうけれど・・・。ちなみに僕は大分前向きな方だ。一般的な志願兵は傷病兵として退役狙いばかりやっている。この前も駆け落ち逃亡が数百人出た。どうせ、滅ぶのだから雄が考えることなんて限られている。何もかも下らない。戦争に負けるということは、負けたと思ったときに負けるのだ。つまり、もう僕らは負けている。太平洋戦争開戦前に負けたと知っていた参謀本部のように。

「なあ、神波正、お前も今日あたりどうだ?」

「え、秦、君・・・」

 考えを中断すると、この前二階級特進で就任したばかりの上官の秦君が首を回した後、挨拶を始めるところだった。秦君は筋骨隆々でこれぞ自衛隊って人だ。だが、今日あたりとは、え、まさか?

「ん、自衛隊員としての義理は果たしたからな」

 今度の熊本城攻防戦は正規軍の苦戦というか、一方的敗北が予想されている。一人一殺なんて不可能で敵が配備している戦略ドローン部隊の前では1対2000の比で死者がでることが予想されている。戦車部隊の比は米国の虎の子の生存質量投下兵器、"神の杖"と小型核弾頭弾を含めてようやく1対25.。何がやりたいのか、参加している僕らも命令を下している上官も何もかも意味が不明だ。

「でも、秦君。この前二等兵から二階級特進したばかりじゃ・・・」

「ああ、今回参加すれば三階級特進確実だからな」

 つまり、致死率30%の田原坂の戦いを踏まえてのことらしい。さらに言えばあの戦い士官の致死、降伏率は75%。

「大体、この戦い、上が乗り気でないのは見てわかるだろ、神波正。お前もそう感じるだろう?」

「え、まあ」

「第一さ、あちらの日本帝国のプロパガンダがあれだ。栄光の大日本帝国の再興というのも、戦犯の汚名のない天皇家というのも、どうしても現行司令部が本気で抵抗できない誘惑を感じさせるものがあるだろう?」

 ああ、そういうことか。つまり、反乱軍の方が、魅力がある、ということか・・・。それは考えたこともなかったなあ。家は戦後まで平民階級だったらしいし、薩長土肥の家柄でもないから、あの戦争は日本が完全な悪だといわれてもそうだとしか思っていなかったし、それにそれがおおむね世界の正史だから。

「お前、長門大和、知ってるだろ?」

「ええ、かっこいいですねえ」

「あれは、世が世なら近衛部隊ってやつさ」

「というと、旧霞会ですか?」

 旧霞会は戦前大日本帝国の爵位組の集まりだ。

「ああ、長州藩の支藩の家系だとさ。戦後に皇室の藩屏をやめちまって軍人を輩出する家系になっちまったらしいが、な。そういう話がうようようようよ軍に蔓延しちまっている。これでどうやって士気が保てる。相手がそんな連中ばかりだと気づかされた後で」

 うーん。それは課題だ。僕はプロテスタントだから全く気にしないけど、そもそもリーダーが昭和天皇の従妹らしいし、そうなると国家神道ではだめだし、確か本願寺も旧霞会の大谷家が主催しているから、これもダメ。で、ああ、そうだ。創価学会の勧誘が多いと思ったらそういうことか。あそこは、北の将軍様の命令を受けてあの手の思想には絶対近づかないから。ああ、それで、それで、こうなわけか。士官に中国系が多いと思ったらそういうことか。あそこは道教と儒教で天皇家は完全な敵だからひるむ恐れもないし・・・。ん、あれ? それなら、僕らって何のために戦うんだ?

「秦さん。秦さんもプロテスタントにでも改宗して一緒に戦いませんか?」

「俺はカトリックだから、北米にわたって最後の一戦を見届けてからどこかのレディーと死ぬつもりだ」

 秦君が寝袋の上に腰を落とす。

「おい、神波正。この戦争どう思う?」

「国内はもう終わりでしょうね」

「いや、それはわかってる。反乱軍が勝つだろう。で、その後、我々はどうなるんだ?」

「さあ」

 そうだ。どうなるんだろう。反乱軍が勝つということは、つまり、"DESIRES"と日本帝国が日本の統治軍となり、米軍と正規自衛隊が賊軍になるのか?

「米軍にはレーザーと小型核、質量兵器、神の杖、新型ステルスFX、レールガンと出てきたわけだが、そこから先に隠し玉があると思うか?」

 ああ、つまり秘密兵器か。つまり、僕ら地球人のアメリカ無敵信仰が宇宙人を打ち破るのかという話だ。要するに機動戦士で、決戦人型ロボットで、魔法使いで、神そのものをねだっているということだ。

「・・・ちなみに秦君。あった時の方が怖いような気がするけど」

「ああ、旧枢軸国は軒並み謀反済みで北欧は兵力を出し渋っているからな。まるで焼き写しだな。まあ、綺麗に国が無くなるだろうが、それと世界が無くなる方じゃ、なんとなく、前者の方がよくないか?」

 秦君がポンポンと寝袋を拳で殴りながら、空を見上げていた。支給品の鹵獲ライフル銃に視線を向けると、難しそうな顔をして秦君がため息を吐いた。

「このライフル。品質は現行品の数倍の精度の電子化銃なんだが、エミュレートされているのは米国産OSの機能制限バージョンだそうだ。鹵獲品は全てこのざまだな」

「これは、"DESIRES"に遊ばれているということでしょうか? それとも・・・」

「ああ、オーバーテクノロジーの品物は全て完全自爆するからな」

 こぽこぽとお湯が沸き立つ音がする。隣からはインスタント食品の香りがもう漂ってきている。鹵獲ライフルを手に取ると、触れてみた後、昨日目を通したおおざっぱな照準アルゴリズムを思い出す。地球質量、風速感知、コリオリ力考慮、制御装置パルス、振動感知補正、イベントオートトリガー。明らかに人間の力を必要としないスペックの武器だ。そして、まるで僕らの文明レベルに、文明レベルに・・・。

 こぽこぽと秦君が沸かし始めたお湯が沸き始めていた。慌てて僕もお湯を沸かす。就寝まで後二時間を切っている。やることは山済みだ。志願兵はTNT火薬を抱き込んだ敵戦車自称"菊一文字"通称"星の占い士"に潜り込んで爆破後、足止めをすることだ。敵の究極補助兵器である、動く拠点、劣化ウラン弾をはじき返しながら全ての装甲部隊を破壊する"プルトニウムリバモニウム合金"でできた攻撃の要である"星降る剣"と"オガネソン合金"でできた守備の要で核弾頭ミサイルを守る"星降る盾"の両翼からなる両極を集中させることにある。"DESIRES"と争って分かったことらしいが、戦争の戦術は基本的には核戦略でおしまいらしい。極限攻撃力と極限機動力とその拠点を守備、攻撃する補助極限攻撃、防御力を配置する形式が冷戦時代に完成した形式と同じだという分析を上官が深刻な表情をしながらこぼしていた。この動く基地のポケットを分断し、連携を断ち、極限攻撃力と極限機動力を破壊することが勝敗の分かれ目だ。

 インスタント食品を待ちながら、教練の暗唱を試みていると、秦君の深刻そうな声が響いた。

「"DESIRES"は、地球をどうするつもりなんだろうと、な」

「さあ、兄貴によると同人誌なんかでは"DESIRES"が地上の男性やら、女性やらを集めてハーレムにするのが流行です、けど」

「バカバカ、しくは、ないか。人類も価値観が整うまでは獣姦やらやらかしたという話もあるし、動物神神話は世界中で人気だからな」

「"DESIRES"は自称GODですからね。技術的には超越してもいますしね。ですが、彼らがそれほどだとしても、だったとしたらなおさら、愛というのは結局、ペットへの愛になるような気がするよ」

 つまり、この争いに敗れたときは人類という種が保護種に落ちるということだ。・・・最善でも。人類に敗れた種というと、狼やライオンか。つまり、犬や猫、か。あるいは益虫や植物、か。

「ああ、それを考えると米軍が反乱軍を獣でも見るような目で見るのがわかるな。やつらが勝てば終局的には人類が負けるわけだからな。本物の裏切り者というわけだ」

「人類のユダ、ですかね」

「いや、"DESIRES"に言わせれば使徒らしいぞ。確か、十字架にかけられた昭和天皇の名誉がどうとか、そう宣伝していた」

「人類を売って銀貨30枚ですか」

「ああ、だが、名誉を回復し、自らの土地が買える、というわけだな」

「僕は支持しませんが、戦前の栄光を知る側にとって戦後日本はいわいる、小作人状態ともいえる状況でしたからね」

 つまり、米軍の正規軍への猜疑も、反乱軍への憎悪も当然のことということみたいだ。人類の存続と、国家の名誉と、"DESIRES"の個人評価。全く、大人の考えることは十数年生きただけの子供にはよくわからないな。とにかく、人類の幼年期は終わったのだろう。良きにも悪しきにも、"DESIRES"は人類より年上だろう。つまり、人類は天にまします父以外の大人に出会ったわけだ。インスタント食品をすすると、秦二等兵が乾パンを進めてくる。

「アメリカ人にとっては"DESIRES"がいなければ当然味わえるはずの、地球寿命十億年がかかっているわけだからこれは当然必死だが、反乱軍の方は何にそんなに必死になれるんだろうな」

「さあ?」

「靖国の栄光とかいうのかねえ?」

「信仰は大事ですけど、靖国ってあるんでしょうか?」

「さあ?」

「うーん。そもそも僕らが必死な理由もさっぱりわかりませんけどね。どうせ、"DESIRES"が来なくても遅かれ早かれ戦後日本は滅んだでしょうし」

「そうか?」

「いや、少なくとも薩長土肥以外の非霞会系は滅んだんじゃないですか?」

「神波正、お前、根暗だな」

「ええ、そうです」

 結局、秦君は三階級特進よりも、配置転換を申請するそうだ。なんでもアメリカ移民の中国系と結婚した親類がいるらしく、米軍にも密かに接触済みだとか。この内戦では死にたくないというのも案外本心なのだろう。逃亡兵が続出する中で、一応筋道を通す秦君のような側が今や稀だ。そうそう、兄貴はといえば、徴用されて陸運の手伝いをやっているそうだが、さぼってゲームとチャットばかりやってるらしい。世界最後の便所の落書き、というのも洒落が過ぎてはいるけれど。

 後二時間だ。鹵獲ライフルのパネルに触れてGUIで設定を繰り返す。運動方程式を基礎にナビエ・ストークス方程式を加味して、ニュートン法を用いた数値微分を組み込み、最小二乗法の近似計算で補正を施す。熱感知センサーに熱方程式を組み込み、エネルギー方程式を近似解で解く。言うのは簡単だが、GUIとはいえ、む、ず、か、し、い・・・。安紅さんに電話で連絡を取って、うろ覚えのRSA法と天元術の検索をするため軍の認証を頼む。本当は違法だが、もう、日本陥落が決まった今米軍の軍事情報に触れる以外問題になることはない。ネットが寸断された今、アルファネットに予備保存された情報に職権のある人材しかアクセスすることはできないのだが。とにかく、何かしていないと頭がおかしくなる。敗戦というのは狂ってる。本当におかしいことだ。敗戦というのは狂っているんだ・・・。


「神の杖だ!」

 

 どっと歓声があがっていた。敵の不動の戦車部隊"星降る剣"がレーダーから次々と消えてゆく。米軍が敗色濃厚の日本で虎の子の質量兵器"神の杖"を日本で使用する可能性は半々だと秦君の代わりに赴任した教官は言っていたが・・・。俄然士気が上がる。自衛隊が"星降る剣"と"星降る盾"の離散戦術の足止めに使われるだけの使い捨てだとは分かっていたが、それでも、勝率が0と勝率が0でないのは士気にかかわることだ。熊本城宇都櫓から一望した城下が死体の山を失ってすっきりとしたのを見ながら、慄然とする気持ちとどこかほっとするような気が入り混じる。鹵獲ライフルを手にアスファルトが融解して嫌な匂いを立てる中、半融解した"星降る剣"敵部隊は決して後退せずに進んでくるのを見ながら、鹵獲ライフルを固定する。反動とともに後ろに吹き飛ぶ。半融解した"星降る剣"が動きを止める。鹵獲ライフルに込められている強化弾は二十発しかない。一つも外せないだろう、と思いながら、どこか他人事のように外すのだろうという考えがよぎる。この鹵獲ライフルの弾を使い切ったらTNT火薬を抱き込んで突っ込むしかない。つまり、死ぬ前の打ち上げ花火だ。2発目、強化弾が敵戦車"星降る剣"のキャタピラーの埋め込みねじを打ち抜く。狙う場所はそこしかない。カッと閃光が走る。熱風がなぐ。砂埃がスコープを埋め尽くす。目が痛い。三十秒ほど閉じてもまだ瞼が燃えている。指揮官の教官が叫んでいた。どうやら、教官が言うには米軍の戦略核が田原坂から、八代まで展開する敵守備戦車"星降る盾"の空爆に成功したということだ。雲が不気味に立ち上るのを僕は目をこすりながらようやく見た。井伏鱒二の小説のように、これから黒い雨が降るだろう。インド抒情詩の"我こそは破壊なり"が頭に響く。

"我は死神なり、世界の破壊者なり"

 ヨハネ黙示録の獣。獣には人類を蹂躙する権利が与えられている。そして神に敗れるまですべての人間の心を折る。

 二度目の閃光が走った。二十人の隊生き残りを指揮していた上官の教官が舌打ちをしてカムとトランシーバーを三度叩いた。苛立たし気に連絡カムを地面に投げつけて叫んだ。

「作戦本部がやられた! 我々は持ち場を死守し、撤退を援護する」

 強化弾は残り十発。それを使い切ったら、TNTで肉弾だ。どこかで見たような気がする。映画、だったかな。女の子の裸が出てくるから印象的だ。聖書を破り捨てて焼いてたのも印象的だ。国家の最後には愛も信仰も死ぬものだ。あの映画、聖書を焼かなかったら主人公は助かったのではないかと考えないでもない。なぜなら、アメリカが勝ったから。"DESIRES"はプロパガンダ上、キリスト教の神を名乗っているけれど、どういう信仰を持っているのだろう?

『もちろん、合衆国と同じだ。つまり、科学だよ、少年!』

 今でも、時折悪魔を名乗る存在の声が聞こえる。自称悪魔、だ。しかし、同じ? 合衆国はキリスト教国だ。

『そして、やつらはその神を名乗っている。そして使う武器は同じだ』

 スコープの照準移動に合わせて銃の自然な移動に合わせて、止まったところで固定して射撃する。すべて車両の留め具だけを狙う。1発、2発、3発目で外して、舌打ちする。二十分ほどたっているが、指揮官の教官が苛立たし気にカムに何度も怒鳴っていた。四発、五発、六発、そして7発。世界が止まっている。今、僕と"星降る剣"との間にだけ力が働いているみたいだ。まるで、二体問題のように。

 と指揮教官が叫んだ。

「神波正、山下、小角、岩下を残して大隊に合流する。おい、聞いただろう。お前たちは残って時間を稼げ!」

 世にいう太閤秀吉の金ヶ崎の退き引き、というわけでもないだろう。平家の八島、か。光秀の天王山か。もう生き残る目がない。サイパン、アッツ、ガダルカナルだ。要は玉砕時間稼ぎだ。太平洋戦争では玉砕の後東西冷戦が待っていたから意味はあったのだろうが、この異星人との人類最終決戦で時間を稼ぐことになんの意味があるのやら。まあ、その前に・・・。

 核の灰がちらちらと降り注ぐのを見ながら笑い出したくなる衝動にかられる。まあ、どう考えても被爆線量次第だね。TNT火薬の爆薬の視線を向けながら、最後の瞬間を考える。実際に爆死というのは痛いのだろうか? よくわからない。いろいろと考えていると、どさりと教官の倒れる音がした。心臓を一射。後は血が噴き出るだけだ。

「か、神波正、お前、し、指揮」

 それだけ言われても何のことかわからない、わけではないけれど、おおよそ不可能なことを頼まれたときどうすればいいんだ? 周囲を見渡すと同じように指揮官だけが打ち抜かれている。作戦本部への投下もそうだが、敵のやり方は徹底している。

「神波正君。指揮を!」

 指揮官を補佐していた佐々木君が決まりきったことを聞く。佐々木君に指揮を委譲しなかった以上わかりきっている。

「佐々木君。だから、僕と、山下君と小角君と岩下君を残して撤退でしょ・・・」

「だ、そうだ。小角、後を頼むぞ!」

 敵が旭日旗片手に熊本城に攻め上り始めていた。その中でひときわ立派な"星降る剣"に掲げられた旗がはためいていた。そして、戦車から現れた女性兵が旗を振り振り振っていた。

「どういう意味だと思う。小角君?」

「たぶん、だけど、那須の与一ですよ。神波正君」

 誰か、この新生日本帝国の旭日旗を射抜ける者はいるか、とか? 戦前だったら天皇家に弓を引くかと、言われそうだが・・・。だが、これは、時間稼ぎにはちょうどいい。とにかく味方の退却の時間さえ稼げれば・・・。そう思っていると誰かが雄大に大地を駆る不動の戦車"星降る剣"の超鋼に弾丸を弾かせた。思う間もなく銃撃と倒れる音がする。弾丸の出元を眺めると、既に、小隊が全て打ち抜かれた後のようだった。一人、苦し気にうめいている。

「これは、外せば死のデスゲーム、という趣向ですかね。趣味が良いのやら悪いのやら」

「小角君、君、やるかい?」

「・・・命令とあれば」

 命令とあれば、命令とあれば、命令とあれば。物語の登場人物は作者の都合で簡単に死ぬ。僕らが物語の登場人物ではない確証はないわけだ。こんなおかしな無敵の米軍が追い込まれるような現実無視の流れなんて正にそうだ。けれど、戦前の日本では、命令とあればと命令とあればと命令とあればと二百五十万人が、あの戦争が最終戦争ともわからないまま死んだわけだ。

「僕が、撃つけど、外した後の指揮権は小角君に任せてよいかな?」

「・・・はっ! 謹んで承ります」

 本来、軍隊というのは神聖で不可侵なものだ。騎士が務めてきた由緒ある仕事だ。大日本帝国までは日本でもそうだった。そういう意味では反乱軍の方に正義があるのかもしれないと思わないでもない。だが、しょせん、あの戦争は最終戦争であって、国内の遊びの戦国戦争や関ヶ原とはわけが違う。関ヶ原の後に生まれた"部落"なる称号を認めるのなら、彼ら太平洋戦争を支持した一定以上の層はそれ以上の責任を負わなければならない。そして、だからこそ、この"DESIRES"に、人類を銀貨三十枚で売り払う戦いに彼らは人類の敵として現れるしかないわけだ。ふと、この戦いには戦後日本の清算という側面が含まれていることに、僕は気づいた。つまり、太平洋戦争前の歴史が正しいのか、それとも太平洋戦争後の歴史が正しいのか。この敗色濃厚な戦いの中で、笑い出したくなるほど僕は力について狂おしいほどの嫉妬を覚える。だが、本来は軍隊というのはとにかく本来は神聖な階級制の規則正しい組織なのだ。

「とにかく時間を稼げば作戦本部から連絡が来る。このゲームのぎりぎりまで待って、その最後が近づいたなら撃つよ!」

 とにかく、時間を稼ぐしかない。小隊から離れ、狙撃ポイントを移動する。宇都櫓から大手門を見下ろす堀の真上に身を移す。既に二発の核で城は残骸に過ぎない。ゲリラ戦は米軍が対テロ作戦で完全に終止符を打った近代貧者の最終戦術だから、もちろん"DESIRES"には通用もしないが、だが、この日本帝国の武人趣味には通用する可能性はゼロではない。銃弾が響くたびに味方の戦力が減るのに胃がキリキリするような、頬が紅潮するような不思議な感じだ。高揚している。薩摩の白洲台地に合わせて灰色に塗られた"星降る剣"で旗を振る女性は決してひるまない。何かおかしいような気がしなくもないが、正しいような気がしないでもない。あれは何かの神秘で反乱軍が持つ勢いの象徴であるような気がする。何となく僕の心のどす黒いものが告げていた。あれは、打ち抜かれなければならないものだ、と。巨大な灰からできたようにも見える"星降る剣"が一度だけその足を止めた。旗振る女性が眉を潜めて左腕の割けた軍服を見ていた。そして、ニヤリと笑うと大音声で一声言い放った。

『自衛隊は女を撃てても旭日旗は撃てないか! 誰ぞ、武士は、誰ぞ、漢は、誰ぞ、我こそはと思うものは、いないのか!』

 カムに本部からの指示が走る。

「誰でもいいから、後、十分稼げ! そして、とにかく旗を射抜け! その後撤退だ!」

 では、時間を稼ぐ。その後、射抜ければ勝ちだ。射抜けなければ負けだ。カムを取り去ると、射撃体勢に移る。ニヤリと笑う。中学生のころ勉強した平家物語の一節が思い浮かぶ。時間を稼ぐか・・・。すーっと大きく息を吸うとカムをコマンド用に切り替える。

『我こそは、東京、武蔵の住人、神波正獅維なり! 我こそ、旗を射抜かんと欲す。我の生きざま、死にざま、見ぬと欲するものは黙りて見れ!』

 反乱軍はこういうのが、好きでもあるとか。やって見ると、自分もこういうのが嫌いではないのがわかる。残念ながら、僕の祖先は武士ではないから、時間稼ぎの罪悪感は抱かずとも済むわけだが。武士だったら、こういう時、これも計略のうちよ、というのだろうか?

『いいだろう! 名乗りを上げたからには得と示せ! 皆に、漢を示せ! どこにいる!立ち上がって銃を振れ!』

 撃たれるかな、とも思う。けれど、何だというのだとも感じる。なぜなら、日本人が滅んだのは1941年であって、今更なのだ。僕らは何も持たずに生まれてきて何も持たずに消えるのだ。

 すっと立ち上がって、銃を振る。

 カムに本部から指示が来る。

「第2大隊第43連隊、元陸自教官の阿南軍曹だな?」

「いえ、軍曹は名誉の戦死を遂げられました!」

 銃を振りながら、小声で連絡を取る。

「では、名を?」

「神波正です。これから、射撃の視線を引き付けて十分、稼ぎます」

「よし、で、射抜けるか?」

「それはGODに任せます!」

「・・・GODがどうとかは知らんが、まあ、いい、十分稼げ。やってみろ!」

 カムの連絡を絶つと大きく息を吸い込む。

『今から、我々、自衛隊の後退を賭けて、旗を射ぬーく! 反乱軍に靖国の加護があるなら、旗は射抜けないはずだ、その場合、我々、少なくとも自衛隊は熊本から撤退する! 射抜けるということは、天の采配だ! 相互に軍を引き、後日、天運を試そうではないか! わが方は十分の集中を要請する!』

 反乱軍である、日本帝国軍がざわめくのがわかる。

 当然だ。あまりに不利な条件だ。武士の名誉にかこつけたたちの悪い交渉だ。おまけに信じる価値もない条件だ。そもそも十分もあれば十分に熊本城本丸に陣取る大隊司令部は陥落する。靖国の名を出したことについてもそうだ。彼ら反乱軍は間違いなく自分たちを靖国に入れる英霊だと見込んでいるし、この戦況はそのことを明らかに裏付けている。彼らは1945年の対米敗戦で失った最後の誇りを今取り戻そうとしている。

 旗を掲げる戦車、"星降る剣"の上で旗を振る女性が笑っていた。そのもう一両、後方の戦車部隊から、男が飛び降りて叫ぶ。

『面白い! 十分やろう。2000メートル射撃だ! 射抜ければ、貴様は自衛隊の"長門大和"だ! つまり、もう一人の俺というわけだ!』

 長門大和。最近は同人誌にも描かれている日本帝国最高の武人とまでたたえられる、反乱軍の英雄だ。実物は意外と筋肉質だな。当然か。軍人だもの。顔も引き締まっているし、きりりとした二重。頭の形も良いし、顔も均整がとれている。肩幅も完璧だ。骨相学的に言えば英雄の相でもあるし、奸雄の相でもある。あ、ちなみに、僕、骨相とか全く信じないけどね。ヒーローを表するにはこの程度の語彙しかもっていないんだ。悪いね。しかし、これは人気なのも当然だ。おまけに霞会とは。天は二物を与えたり、と。

『長門! 勝手なことを、"DESIRES"と歩調を合わせるには・・・』

 彼の上官だろう。ヒュー。おまけに独断専行。ヒーローの条件をここまで兼ね備えるってどうなんだろう。ん、僕も人のことを言えない、か。

『よいではないですか、私も自衛隊の"長門大和"が生まれるか、見てみたいものです』

 旗を掲げて笑う女性が、声を遮る。

 さて、二分だ。残り八分。せいぜい時間を稼ごう。

『それより、貴様、自衛隊は本当に撤退するのか! それと、米軍はどうなる。その辺りをきちんと本部に確認しろ!』

 おやおや、意外としっかり者の一面も・・・、と、僕のような子供が英雄に対して失敬でもあるわけだが。慌ててカムに問い合わせる。それにしても、カムの相手も信じられないほどの上官だし、まるで、世界が狂ったかのようだ、いや、狂ったというのも変だ。まるで、僕を中心に動いているような・・・。

「米軍からの指令だ。貴様は引くと言え。貴様が外したら、態勢を立て直して最終防衛線でもう一戦やる。その場合、お前の独断だから、隊からは除籍するし、三階級特進もなしだ。保険も賠償もなしだ。親族の名誉も保証できんが・・・」

 おやおや。手厳しい。後、数週間で地球が陥落するかもしれないというときに意外としっかりしてるなあ。それとも、僕の方がおかしいのか。まあ、とにかく、どうせ我が家の名誉なんてあってないようなものだ。乾坤一射に賭けてみるのも猿に生まれたこの身だもの神はサイコロを振らないが、まあ、der Alte nicht wurfeltだ。GOD Dose Not Play Diceという感じではあるのだけど、実際にGODがダイスを振れないという意味ではないわけではあるのだから、賭けの振りなら我々人類にもできなくはないわけだ。決して真に賭けることはできないけど。カムに了承だと伝えると、陸上自衛隊の連隊長である上官がわざわざ名前を名乗って激励してくれた。楠木柾信中将というらしい。ついでに、例の名を出していいか尋ねると数秒の沈黙の後、汚すなよとの後、カムの音声が切れた。大きく息を吸い込んで僕は叫んだ。

『よーし。わかった。自衛隊は"天皇陛下"にかけて引く。英雄、長門大和、君も日本帝国の新天皇にかけて誓え!』

 途端に長門の表情が苦々し気に歪んで、カムに話しかける様子を僕は見た。さて三分だ。後七分。"星降る剣"で旗を振る女性がにやにやと笑っている。嫌な予感がする。どうしたものだろう。ヘルメットを固く顎に結ぶ。今、反乱軍の数千の銃口から僕を守っているものは何もない。相手が撃てば、僕は死ぬ。天にまします我らが父よ、願わくば御名をあがめさせたまえ、御国を来たらせたまえ、御心の天になるがごとく、地にもなさせたまえ。我らに日ごとの糧を今日も与えたまえ。我らが罪を犯すものを許す如く、我らの罪をも許したまえ。我らを試みにあわせず、悪より救い出したまえ。国と力と栄とは限りなく何時のものなればなり。『少年、どうして、アインシュタインの名言を理解しながら、神に救いを求める?』答えるのはいつも通り内に巣くっている悪魔を名乗る声だけだ。なぜだって? なぜなら、なぜなら、なぜなら。『それは知っている、だから"DESIRES"が現れてその絶望から解放してくれるではないか、少年』そんなことは、そんなことは、そんなことは『なぜ、"DESIRES"に合流しない。未来人の分析によると、日本中に藤原家の血筋がいきわたったのは室町までで、天皇家の血が過半を占めたのは江戸時代だと聞くぞ。女系を含めて、だが』君は、正しく悪魔だよ。『ああ、皆、そう呼ぶな。少年』さて、後、六分だ。集中しないと。

『ああ、わかった。"新天皇"にかけて誓おう! ただし、さっきからのやり取りが時間稼ぎの可能性がある。残り八分だ。更に、お前の言うことが嘘だったなら、"DESIRES"の再生装置にかけて、貴様をのこぎり引きが生易しい、あらん限りの拷問にかけてやるからな。覚悟しておけ!』

 残り五分。鹵獲銃のアルゴリズムを再確認する。それにしても、全く、悠長なことだ。噂に聞いたところ中軍も"DESIRES"と台湾軍に一騎打ちと歌合せで戦っているとか、アジアの最終戦争は何となく優雅なものだ。欧州と米国だけが"DESIRES"と血みどろの戦いを繰り広げている。まるで、諸葛亮が行った心を折るという戦術そのもののように・・・。さて、風速センサーは良好。全天モニターセンサー良好。サーモセンサー良好。圧力適正。温度適正。コリオリ力補正99.99999999%。銃床固定良好。銃眼連動率99.99999999%。時間設定は、後四分。最小二乗法と天元術の計算アルゴリズムは少なくとも今日の戦いでバグはなかった。銃弾を再度抜き出して鹵獲銃で検査する。傷なし、偏りなし、硬度よし。再度銃弾を埋め込む。後二分。後は、僕が死のうが、寝ていようが発射されて射抜くものは射抜くだろう。何せ、鹵獲銃はそういう銃だ。"DESIRES"が現れなくとも、後、二、三十年の内にはこの手の銃のプロトタイプが出回っただろう。"DESIRES"のオーバーテクノロジーの遊びに近いものに過ぎないのに・・・。後は運を天に任せて神に祈る。天にまします我らが父よ、あなたがお使わしになった最愛の御子イエスキリストの贖罪によって祈ります。神は賭けを好まれませんが、このロバの賭けに祝福をお与えください。天には栄光地にはみ言葉の、『神波正。君、しつこいな。悪魔に祈り給えよ!』悪魔に祈る、のか。"DESIRES"が天の軍勢を名乗るプロパガンダを行う以上、そちらの方が自然な気はしないでもない。『だろう』悪魔というのはたった一人の悪魔なのだろうか? しょせん、祈るのならたった一人の絶対者にでも祈らないと、『あー、あー、くそ。それなら、神にでも祈れ! 不愉快だ。下等な四時空人でさえ、民主主義なのに我々高位存在が帝政のわけがないだろうが!』いけない、集中しないと。『しろ! だが、願えば、我々は協力するぞ、何せ貴様が欲したのは世界だから。最低でも、』後一分。銃弾は旗を射抜かなければならない。旗は銃弾に射抜かれなければならない。今更になって、長門大和が言っていた拷問にぞっとする。本当にのこぎり引きは勘弁して欲しいものだ。遠藤文学を読んだことがあるが、あの拷問も願いさげだ。しょせん、信仰は拷問には勝てないという江戸時代に裏付けられた遠藤哲学を自分で体験したいとは思わない。

 二十秒。さあ、サイは投げられた。

 十、九、八、七、六、五、四、三、二、一。

 ファイヤ。

 音もせずに新生日本帝国の旭日旗が真っ二つに割けた。日はまた昇り、日は沈む。夏が来て、冬が来る。最も身近な偉大な自然である太陽。その自然すぎる崇拝。エジプトで絶滅したはずの、ローマとともにゼウス、ユピテルとともに死んだ太陽。日本人は何もかもが純朴すぎて、横柄すぎるのかもしれない。歓声があがっていることに気づいたのは空に舞う旭日旗の切れ端が黒い砂埃とともに、ふわふわと宙を長い間漂って、最後にゆらゆらとなびきながらすっと地面に落下するのを眺め終えた後だった。カムが叫んでいる。

「神波正、よくやった。面目が保てる!」

 旭日旗を拾うために旗を拾いに敵反乱軍の将兵が走り、そして・・・。そして・・・。そして・・・。最悪だった。鹵獲銃のロックをかけておかなかった僕が悪かったのだろうか? おそらく、そうだろう。そして、それが、運命でもある。僕は最善を尽くした。その結果があれだった。鹵獲銃は精密に旗の割かれた中心を再度打ち抜き、そして、戦場は凍り付いた。

 乾いた銃声だけが嫌に響き渡るという表現を聞いたことがある。僕にはそれはわからなかった。しかし、そうだ、神はサイコロを振らない。der Alte nicht wurfeltだ。GOD Dose Not Play Diceでもある。そして、カムはなり続けて僕は慌てて銃を拾い両手を挙げた。平家物語では上官の命令で那須与一が平家の趣に水を差して、従者を射る。僕は唾を飲んだ。そういう逃げ道があったらどんなによかったのだろう。

『なぜ、射た! 貴様―っ!』

『長門、事故だ!』

 英雄、長門大和の怒号と、旗持ちの女性の苦々しい声に恐怖するでもなく、僕はただ仲間に連れられて撤退に移るしかなかったのだ。僕はその後のことをほとんど覚えていない。ただ、僕らは結局、時間を稼ぎ撤退もできたが、僕らは、僕らは、僕らは、結局、熊本城を防衛できなかったのだ。

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