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モルツァ家の演奏会はプロのピアニストが演奏を披露してくれた。一曲が終わるごとにいろんな方と挨拶をして、エドワード・ミリオンの妻と紹介される。次の一曲が始まるために短い歓談で済んで、有難い。おそらくはエドワードがそうなるパーティーをわざわざ選んでくれたのだろう。
(この気遣いの上手さが商人としての実力なのかしら)
優秀さを実感しながら、心地よいピアノの音色を楽しむ。
知っている曲もあれば、知らない曲もあった。周囲はまるで全てを理解していますと言ったすまし顔で拍手をして、やれ技巧が素晴らしいと褒めそやしていた。
「あら、エンテ家の・・・?」
何人かの夫人に家名へ反応があり、私にはそれが引っかかった。元公爵家だから、というよりも値踏みするようなものだ。それも、上流階級ほど冷酷なものではなく、もっと俗っぽい。嫌な対応をされたわけではないので流しておいたが、不思議だった。
「ふむ、相手も商家だからかもしれないな」
首を傾げていると、商家として、名家への伝手というのはいくらでも欲しいのだとエドワードに言われた。そういった方向での値踏みだったのかもしれない。
「本来、下の身分の人間は君に声をかけるもんじゃないからな」
声をかけていいのは身分の高いほう、というルールは相も変わらずまかり通っていて、確かに私は殆ど声をかけられなかった。静かでよかったが、代わりのようにエドワードに声がかかる。それはエドワードが商家であることが関わって来るのだろう。
「君と関わろうとすれば僕から紹介をされないといけないからな」
この紹介制という壁は中流から成り上がろうとする人にとって超えがたいものらしく、身分のある知り合いはいくらでも欲しいらしい。今日私と知り合った人は次に私から誰かを紹介してもらおうと考えるはずである。
「さて、いよいよモダナ家だ」
「そうだわ、アリサに髪の毛をやってもらわないと!」
馬車は暫く移動した後、小さな建物へ止まった。
ミリオン商会が所有する倉庫らしく、殺風景ながら荷物がところどころある。
中にはアリサがいた。
「軽く換気はいたしましたが、埃っぽくて申し訳ございません」
「大丈夫よ、よろしくね」
「失礼します」
最低限の荷物だけ運び入れたのか、小さな椅子だけだった。そして倉庫の中では目立つ、エドワードがくれたバラの花束。綺麗に咲き誇ったものだけを既に剪定してくれているらしい。
アリサの手は迷いなく動き、髪にバラを巻き込んで編んでいく。ふわっと鼻をくすぐる香りに、本当に香水いらずだな、と思った。
夜になれば肌の露出が許される、というよりも推奨される。私はわざわざ着こんでいた立襟のシャツやジャケットなどを脱いでいく。現れたデコルテと肩回りにアリサはレースと、ここにも小さなバラの花を組み込んでくれた。
「引っ張りますね」
「これぐらい?」
「絞りすぎですね、緩めます」
スカートは内部に仕込んでいたリボンを引っ張って膨らみとプリーツを作っていく。バッスルほど持ち上げるのではなく、あくまで下の生地などのチラ見せである。
ジャケットなどの上着類を脱いだだけだというのに、豪華な生花のおかげかまるで別の装いだ。おそらく夜のダンスパーティーには相応しいのだろう。アリサの満足そうな頷きに勇気づけられる。
「美しいよ」
「ありがとう、エドワード様も襯衣を替えられたのね」
「あぁ、襯衣とタイだけね。さぁ向かおうか」
外へ出ればエドワードは既に待っていて、すぐに褒めてくれた。
アリサに見送られて、再び馬車へ。モダナ家は近いのですぐだろう。
既に馬車でなくドレスコードで歩いている人たちが門周辺にはいた。結構な規模だな、と感心した。
今日一日で随分慣れたエスコートに身を任せ、煌びやかな舞踏会へ入場した。これでもまだエドワード曰く出入り自由な緩いパーティー、らしい。既に夕食がメインの時間は終わっていて、私たちは少し遅めの途中入場。
居場所がないのか、密会なのか、若い子たちが屯している階段を上って、音楽が流れる部屋へと通される。
「人が多いわね」
「ティールームのほうなら空いてる、何か食べるかい」
踊っている部屋には踊っていない人やカーテンの影に隠れてコソコソしている人たちなどもいるが、軽食や飲料の置かれたティールームに人はまばらだ。エドワードが気を利かせてくれるが、やはりコルセットはキツイ。少しだとしても踊る前には食べたくない。
「・・・エドワード様は食べてきていいのよ」
「君から離れるとでも?」
眉間の皺が深くなると同時に腰に回された手に力がこもる。
私はなら帰ってから夕食ね、と宥めるように彼の背中を軽く叩いた。
「さぁて、では踊ります?」
「いや、挨拶からだな。同じパートナーと踊り続けてるのがバレると嫌な顔をされる。主に歓談と行こう」
それもそうか、とまだまだ続くダンスパーティーに人混みを上手に避けつつ会う人会う人に挨拶をしていく。できるだけドレスが魅力的に見えるように、そして嫌味なくミリオン家の仕立屋だと宣伝する。お世辞かどうかは判断つかないが、反応はとても手ごたえを感じる。
そして、やはり一曲ぐらいは踊っておくべきだろう、と踊り慣れた曲が流れた時にエドワードから流れるように手を取られた。くるっと優雅に踊り場へ連れられ、ポジションを決める。
「緊張で足を踏んだらごめんなさい」
「構わないよ、ご褒美だと思おう」
「それはちょっと・・・」
「え」
◆
練習通りのワルツ、周囲に人が多くてスペースが狭い。
ぶつからないように上手くエドワードがリードしてくれた。
皆が皆、ダンスが上手いわけではなくて、それっぽい動きで喋りながら踊っている人もいるし、たまにドレスの飾りが落ちそうになっている女性なんかもいた。それぞれが楽しそうで、全身を包んでいた緊張がほぐれていく。
ふぅ、とダンスを一曲終えて深呼吸を一つ。喉が渇いたと思った。
続けて踊っている人たちも楽しそうに飛び込んで参加していく人たちも目の前でくるくると回っている。そろそろ熱気が漂って来そうだ。
「夫人がビスキュイを焼いたらしい。菓子作りが得意だとか自慢していたから話の種に食べておきたい」
「ええ。是非」
二人でティールームまで行くことにして、人と人の隙間を縫っていく。一角に女性たちばかりが集まっているところがあり、あそこで待ってようかしらと少し思った。
「君を壁の花にする気はないぞ」
「誘われたらちゃんと断るわ」
「君がダンスに誘われるってだけでイラつく自信がある。諦めてくれ」
離すもんかと言わんばかりに握られた手に力がこもっていた。それも私の手が痛まない絶妙な加減。器用だな、と苦笑して階段を降りていく。ダンスパーティー広場のティールームよりも階下のティールームのほうが空いているだろう。
「まずは私が声をかけますので、貴女の名前を紹介するまで絶対喋らないで頂戴」
「はい」
「カーテシーは最低限できますね?」
聞き覚えのある声がした気がした。パッと階上を見上げたが、ドレスの端も見えない。勘違いだろうか、と首を傾げつつ姿勢を戻した。
「どうかしたか」
「あ、いえ・・・なんだか母の声がした気がして」
「・・・そうか、今日はもう帰宅してもいいが」
「空耳ですわ、気にしないで。私ビスキュイが気になります」
飲み物も欲しいし、と腕を引っ張って促した。ウェイターにビスキュイとレモネードを頼んで、二人で机のある場所へ移動した。
ビスキュイはほろほろと崩れやすくて、これを行儀よく食べるのは至難の業だな、と思った。エドワードは一口で食べてしまっていたので、おそらくはそれが正解だ。
「ふふ、ついてます」
「む」
「動かないで」
大口を開けたのにわずかにクズがついた口端、ハンカチで拭ってやればエドワードは照れているのか視線が泳いだ。だが、私がハンカチを畳み直したのを見て、動きを止めた。
「そのハンカチ、刺繍が」
「あぁ、はい。私が刺繍したものです」
素直にそう言えばエドワードは眉間に皺を寄せてどことなく不機嫌になった。この刺繍についてもアリサから報告があがっているのかしら、と私は言い訳するように言った。
「最初は貴方にあげようと思ってたんだけどうまくいかなかったから」
「・・・つまり僕にくれないのかい」
「ふふ、ええ。見て、よれよれだし使えないでしょう」
両手で広げて見せる刺繍ハンカチ、恥ずかしいぐらいに力加減ができていない。装飾をいれてお洒落にしたかったが歪んでいる。
「あなたは星が好きだっていうから星座をいれようと思ったんだけど、格好いいデザインがわからなくてね?もうわたしが使っちゃおう!って・・・ヒトデのマークをいれちゃった」
「ヒトデ?」
ハンカチの刺繍には星座を象るような線と、下の方に別の星らしきものがある。どっちもそれっぽいものでしかなく、一目でわかる洗練されたデザインではない。エドワードは何故ヒトデ、と見当がつかない顔をしている。それは仕方がないだろう。
「私の名前がステラでしょう」
「そうだね」
「母の名前はマリーナよ」
「ふむ」
「ステラ・マリーナ・・・海の星、だから私の名前って多分ヒトデが由来なのよ!」
私はほとんど確信を持って行っているのだが、エドワードは変わらず困惑顔。珍しい表情だった。
「え、そうだろうか・・・?」
「そうよ、きっと。それに私は気に入ってるの」
ヒトデが港によっては害獣のような扱いを受けていたりするのは知っている。嫌われ者なんだなぁと思いながら、それでも海と言えばヒトデ、というモチーフはありふれている。
「ヒトデってね、よく食べてよく燃焼するすごいエネルギーを持ってるんだって」
「・・・そうか、そうだな。罪の海に飲み込まれることのない神の恩寵を表す象徴だと聞く」
「神の恩寵・・・それは流石に過言では」
エドワードの知識の広さと意味の壮大さに驚きつつも、気を取り直してわりと好きなモチーフだと言えば、エドワードはやっぱり欲しいな、と言った。私のハンカチを控えめに摘まんで引っ張った。
「あらそう?また作るわよ。人前に出せないでしょう、それ」
「これがいいんだ」
真剣な顔をして言うから、私はもっと上手になってから、と言ったが引かない。でも確かに、上達したら、と言っていたらいつまで経ってもあげることはできないかもしれない。そこまで頻繁に刺繍をしているわけでもない。
「ふふふ、どっちにしても洗ってからね」
私は保留という選択を取った。
皆がぼちぼちと帰り始めて、私たちもその流れにのった。
外にでると会場の熱気との落差で肌寒く感じた。肩掛けを持ってくるべきだったな、と思った。
帰宅する人が多いからか、エドワードは預けたハットや上着などの受取りに時間がかかりそうだった。そんな男性陣の波にのまれぬよう私は少し離れた場所で待っていた。
夢のような日だった。
(お姫様になったみたいな気持ちだわ)
しんどい部分はもちろんあったけど、エドワードの協力もあってさほど苦労はしなかった。こんな世界を日常的に体験していると、きっとパン屋で火傷しながらパンを焼いたり売ったりするのなんて、くだらなく思うわよね。そう、脳裏にちらつく両親の姿を思い出していたからだろう。
彼女の姿をきちんととらえられたのは。
「お母様?何故こんなところに」
見たことのあるドレス。それは少々古めかしいかもしれないが、きっちりと大事にされたもので、母が手入れをしていたものだ。それを着こなす母は確かに美しくて、私はひそかに憧れていた。
私の声が届いたのだろう。
振り返ったその人は、確かに母だった。
離れていたからだろうか、以前よりも老け込んだように見える。
私の姿をとらえると彼女は一瞬の瞠目のあとキッと鋭く睨んできた。その視線の強さに私は無意識に身体が強張った。
「何故?何故ですって、私はエンテ家なのよ、パーティーではどこにいたっていいのよ」
「そ、うね・・・でも、そんなお金」
久しぶり、元気だった?なんていう隙もない。私の口からも結局お金の心配が先に出た。
「馬鹿言わないで、私だってお金を稼ぐぐらいできるわ。貴方みたいにせこせこ労働をするんじゃなくたってよ」
「何を・・・働き出したの?」
「働く?そんなことしなくたって、私にお金を払ってでもパーティーに参加してくれという人間はいくらでもいますのよ」
金を払ってでも参加を・・・?と一瞬考えたが、すぐに思い出した。
紹介だ。
私が今日散々エンテ家の人間として声をかけられたように、金を払ってでも上流階級と伝手を持ちたい人間はたくさんいる。だが伝手のない人はそもそも上の人間に声をかけるのも勝手に自己紹介をするのもマナー違反だ。
そんな彼らを、母は紹介して仲介屋のようなことをしているのだろう。
彼女からすれば金が手に入ってパーティーに参加できて、縁が切れたともいっていい昔馴染みの人たちと再び顔合わせできる。なんの損もない。
ただ、少し品がないだけ。
彼女のプライドから考えるとギリギリな気がする。
でも私としては少しだけほっとした。
ちゃんとお金を気にするようになったのだということ、そこそこ元気そうにやっているようだ。
そんな安堵した私を気に入ら無さそうに母はねめつける。
「それよりあんたとは関わるなとミリオン家の坊やに言われているのよ、知らん顔して離れて頂戴」
「・・・そうね、わかったわ」
「いいこと、誰にも言うんじゃないわよ。一切声もかけないでちょうだい」
「お母様、性格悪くなった?」
「うっさいわよ、あんた、わかってるの?」
能天気な指摘をする私に、母は嫌そうに顔を歪めた。
そして凄むように私へ顔を近づけて脅すように低い声で囁く。
「ミリオン家が、一体裏で何をしているか・・・!ひぃっ」
「え」
「やぁ、待たせたね」
振り返ると、エドワードがいて初めて見る笑顔だった。
母は急に発作を起こしたような呼吸になって、バタバタと目の前から消えていく。
エドワードへの挨拶もなにもなく、それをエドワードも気にしていないようだった。
まるで最初からそこに母などいなかったように、エドワードは話題に触れもせず、ただ優しい笑顔で、今日は楽しかったかい?と尋ねてきた。
「え、えぇ・・・お姫様みたいな気分になったわ」
自然なエスコートで馬車へ乗り込み、私たちは向かい合わせになる。
「君はお姫様だよ、ずっと」
「あらあら」
「僕のね」
「・・・あらあら」
こちらが戸惑うほどに躊躇なく気障な言葉をかけるエドワードに、違和感があった。
これはダンスパーティーの余韻のようなものなのだろうか。
よくは分からないが、嬉しくないわけではない。
「ねぇエドワード」
「何かな、ステラ」
「私たち、ようやく夫婦っぽくなってきたと思わない?」
私は、逃げてないわよ、と彼の手を握った。




