アリサ「刺繍を貰っていない?あなたが忙しすぎるからタイミングを逃されているのでは」
レコードから流れる美しい音楽に合わせてステップを踏む。ワルツさえ覚えればいいと言われて付け焼刃で覚えている。
何度もくるくると踊っているとかなりの運動量で、私は額に汗をかいていた。リードをしてくれているアリサのほうが余程しんどいだろうに、彼女は涼しい顔のままだ。
「あとは旦那様のリードに合わせれば問題ありません、頑張られましたね」
「アリサ本当にありがとう、忘れないように復習しておくわ」
結局今日まで一度もエドワードは夕食には現れず、目の下に隈を携えて朝食の時間だけ軽い会話をした。ダンスはぶっつけ本番になるかもしれない。というより、そもそも踊らない可能性も大きいのだ。パーティーのプログラムでダンスは大体後半にあり、その前に帰ってしまっても問題ない。
「ねぇ、明日パーティーだって聞いてるけどエドワード様はまだ多忙なの」
一人での夕食を終えて、ふとそう問えば、難しそうな顔をして頷かれた。
「ええ、今夜ぎりぎりまで厳しそうですな」
「そうなの・・・流石にお身体が心配だわ」
「お伝えしておきます。社交期が終わればゆっくりできますよ、ちょうど旦那様の結婚の報告が回ったようで、その対応に忙しいんでしょう」
マスコーの言葉にどういう意味だろうと思ったが、結婚の報告が地方まで届いたのが今頃、もしくは社交期だから田舎から街まで出てきて初めて知った、そんなところだろう。それで一気にこのタイミングで挨拶に訪れる人間が増えているのかもしれない。
仕方がないわね、と嘆息。
私にできることは彼の仕事が有利になるようにパートナーという立場をこなすことだ。
明日のためにも早々に眠ってしまおうと寝室へ戻る旨を伝えた時だった。
ばたばたとした物音に驚いてマスコーと顔を見合わせると、入口側に立っていたメイドが様子を窺って旦那様のようです、と教えてくれた。
「おかえりなさい、エドワード様・・・?」
バッと目の前に突き出された赤色で視界が埋もれる。軽やかな甘い香りが広がった。鮮烈な赤色だが、グラデーションのように淡く可愛らしい色になる花びら。流石にこの花は知っているぞ。バラだろう。
突き出された零れ落ちそうな花束をわけもわからず思わず支えるように手を差し出せば、そのまま静かに手渡された。目の前いっぱい、その分重たかった。顔をあげると花に埋もれた視界に確かにエドワードが立っていた。
「じょ、女性が頭に生花を飾るのが、流行っているらしい」
「はぁ・・・」
耳を赤くして声が震えているエドワードは興味深かったが私の腕も震えている。中々の重量。エドワードの後ろにいたアリサがさっと隣にやってきて受け取ってくれなかったら落としていた。改めて見て豪華だ。大振りで見事な花。
「き、君に、いや、明日のドレスに、合うはずだ」
「あぁ、なるほど。ありがとうございます。エドワード様」
流行を取り入れたドレスにすることは大事だ。明日はドレス以外に生花でヘアアレンジすることになるのだろう。おそらくは自宅のガーデン自慢の布石であり、ガーデンパーティに繋がる会話のアイテムのはずだ。
私はアリサへ明日はよろしくね、とお願いした。恭しく了承されたが、どことなくエドワードへの視線が意味深だったのが興味深い。
「綺麗ね、香りがいいわ」
「これなら明日は香水なしでいいでしょう。量が多いので半分お部屋へ飾りましょう」
「ええ、是非。エドワード様、お忙しいのに素敵な花を・・・エドワード様?」
花束をもう一人のメイドとともに持って移動していくアリサを見送り、エドワードへ振り返ると、エドワードは膝を抱えてしゃがみこんでいた。執事マスコーが鞄を預かって動じていないので問題はないのだろうが、不思議だ。
「大丈夫ですか、エドワード様」
「問題ない・・・。ステラ、君は・・・」
どこか肩を落とした様子のエドワードに私も一緒にしゃがみこむ。先ほど勢いよく花束を差し出した覇気はない。だが目の下の隈も濃いので、寝不足なのかもしれない。
「そうだわ、エドワード様。夕食を取られた後にでも是非ダンスに一回だけ付き合ってくださいな。私、アリサに合格をいただいたんです」
「・・・ダンス、そうか。そうだな、すぐ行こう」
「旦那様、夕食は食べてください」
いきなり立ち上がったエドワードはすぐにボールルーム代わりの応接間へ移動しようとしたが、それを素早くマスコーが止めた。私はエドワードを見上げながら、緩急の激しい人だなと感心した。
「ご一緒しても?」
「ステラはもう、食べたか・・・」
「ええ、アスパラガスが美味しかったです」
「そうか・・・!ミリオン商会で上流階級向けに売り出しているんだ、今年は良い出来だと聞いている」
夕食の席でも書類を広げそうなエドワードを阻止するために隣に座って無難な話をしつつ私は紅茶を飲んだ。無難なのは私の話で、エドワードは仕事の話などとめどない。仕事が好きなのだな、と私は内心で尊敬している。
エドワードが喋るため食事もゆっくりとなり、気を利かせてくれたシェフがアイスを出してくれてその甘さを堪能した。
「さて、待たせた」
「いいえ、急に動いて大丈夫です?」
「僕にしてはびっくりするぐらいゆっくり食べた」
真面目な顔をしていうものだから、面白くて小さく笑ってしまう。雑に出された手に、私の手を重ねようとすると、急にわたわたと焦って手はひっこめられた。ハンカチで丁寧に拭ったと思えば、姿勢を整えて美しく手を差し出された。
「・・・・踊っていただけますか」
「はい、もちろん」
仕切り直して誘われたその手を取って、私はまだ音楽が始まってもいないのに弾むような足取りで歩いた。これから特訓の成果を見せるぞ、という気持ちもあったが、何より初めてエドワードという人物が私のパートナーなのだと思えた。
アリサかマスコーか、私たち二人が広い応接室へ入った絶妙なタイミングで音楽を流してくれる。本来ならピアノの生演奏かもしれないが、今はレコード。ソファはダンスの練習のために隅へ避けられて、真ん中は美しい床の模様が見えている。
初めてこの応接室へ入った時は、他と違って豪華な装飾まみれの部屋だと思った。こんな部屋が自分の屋敷にも存在したと思った。自分の立場が気になって、なんでこの部屋にいるのだろうと不思議でしかなかった。
今、そんな部屋で踊っている。
ワルツの三拍子、伸びやかな二人の脚が揃う瞬間がなんとも高揚した。
リズムが合っている、と思うと楽しくて、背け合う顔を視線だけ向けた。練習の時は反り返る背中が痛かったのに、今は自然とエドワードとの身体のラインが合うような感覚だった。
「どうでした?私は楽しかったです」
「・・・よかった。その、上手だったから」
一曲を通して踊り切り、これ以上は汗をかいてしまうなというところで、向かい合ったままに感想を求めた。
エドワードはどこか苦渋の表情で褒めてくれた。その表情は何かまずいのか、と首を傾げれば、肩をしっかりと掴まれた。
おっとこれは逃げるな、といういつものやつかなと思った。
「君は、素敵だ。ダンスも、きっと映える・・・」
「あらあら」
「やっぱり参加やめないか」
「お一人で参加して、他の女性と踊るんですの?」
「そんなことしない、君とだけだ」
「あらでも、それはマナー違反ですわ。私勉強したんです。ダンスは男性の義務だって」
エドワードは顔を覆ってあぁああ~と謎の声を発した。ダンスをした時の距離感のままだったので私は彼をそのまま受け止める形で背中を撫ぜた。
そのまま二人で楽しく参加しましょう?と囁く。
「私、エドワード・ミリオンの妻としてしっかり横に立ってみせますから」
「・・・あぁ、頼む」
眉間に皺をよせたまま八の字に垂れていた眉が、きりっと真剣になって私はうっかり見とれてしまった。
若くしてミリオン商会を大きくした人が私を頼ってくれているらしい。
それはひどく誇らしくて、甘美だった。
「仮面舞踏会とかならよかったのに・・・」
「それはそれで面白そうですね」
私の部屋の前で別れる際に、そんなことをぼやくエドワードに私は以前マスコーから聞いた不思議なパーティーを思い出した。そんな色んなパーティーに彼と参加できたらきっと楽しい。
「・・・その、おやすみ」
「エドワード様も、おやすみなさい。お仕事しちゃだめですよ」
そう念押しすれば、彼は図星を差されたような顔で口をへの字にした。逃げるように去る前に、名残惜し気に私の手を握ったのが印象的だった。扉の近くで気配を消していたアリサが、エドワードがいなくなったことを確認してから扉を開けてくれる。
「・・・おやすみのチークキスくらいしました?」
「いいえ、でも手は握られたかしら」
「・・・そうですかぁ」
若干眠たそうなアリサの気の抜けた声には少しの呆れが含まれていた。珍しいもの見た。だが、彼女の言い分もわからなくはない。エドワードの態度はいまいちはっきりしなくて、じれったいのだろう。
正直、どうしてだかさっぱりわからないが、大金をはたいて私を買い取って、その癖子供は別にいらなくて、屋敷から逃げ出さないで欲しいらしい。
優しい人たちで囲んで、私の我儘を許してくれるけど、あんまり私と視線が合わない人。
男女の愛情というには確信が持ちにくく、口説く素振りすらない。
優しい人なのかも、と思うけれど、隠し事も多そうで判断がつかない。
でも、私を大切にしようとしているのはわかる。
「エドワード様はどうして私を娶ったのかしら」
私、それだけがずっと不思議なのよ。
「それは私たちも知りません、出会った時ボスは既に貴女に夢中でした」
何気ない私の呟きに、アリサはひどく平坦にそう答えた。
それってどれくらい前?と尋ねる前に、彼女はお辞儀をして退室してしまった。おやすみなさい、と扉越しに言ったが、果たして聞こえただろうか。
踊った後だからか、夜の寝室の空気が冷やりとしていて、少しだけ冷静になる。マスコーが言っていたが、明日のパーティーでは案外踊らないかもしれない。パーティーが初めての私のために、歌やピアノの見世物が多いものや、ルールが緩いと知っている、そういう招待状ばかりを選んだと聞いている。
蝋燭の火を消して部屋を真っ暗にしてしまえば、窓の外の明るさが際立った。月明りもそうだが、星が綺麗だった。思わず見上げて眺めていれば、ふと刺繍をしたハンカチを思い出す。
「あんまり上手くいかなかったのよね」
最初はエドワードに渡すつもりだったが、初めての作品だ。刺繍が突っ張っているしそもそもの図案が良くない。果たして完成と言ってもいいのか悩み、抽斗へ仕舞い込んでしまった。
「一回くらい使っとこうかしら」
素敵なパーティーに連れて行ったげる、とその不格好なハンカチを出しておいた。
そろそろヤンデレがタイトル詐欺になりそう。すまんやで。どっかでヤンデレ要素いれたいな。




