2-7
長安では、至徳帝が反乱軍を抑え勝利を納めていた。
天宝帝が逃げた後、長安では反乱軍が略奪の限りを尽くし人々は疲弊していた。
そこに新たな皇帝として君臨した至徳帝の軍が現れたことにより、人々は歓喜した。
再び皇帝が戻ってきたということで、逃げていた人々が戻りつつある時、西方から騎馬に乗った人々がやってくる。
砂の国の民達であった。
みな殺気立ち、武器を出す。
かつて亀茲と言う国があった。時の神をただ信仰しているという理由だけに漢人から滅ぼされた恨みは根が深く闇が深い。漢人の中華思想(自分達の国が一番でそれ以外は下に見る)はこの時代から既に染み込み、異民族への偏見は凄まじかった。異民族の国を滅ぼした事に彼らは何の罪悪感もない。その犠牲者の一つが砂の国である。
今、弱っている唐王朝への復讐をすべき時だと人々は考えた。
そして、その中心にはマーフヴァルドが居た。
母も父もそして故郷も滅ぼした存在が自分の中にいる事に気づかず、復讐心に燃えていた。
辺りは次第に暗くなり空はどんよりとしていく。
黒い霧が長安を包み込む。
アングラは笑う。人間達が争い血を流す事が何よりも快感なのだ。そして、ここにいればあのもの達がくると確信していた。
胡人として貿易で関わり育った国を自らの手で壊すと言うのも面白い。
どのみち乱を起こした安禄山のせいで胡人への差別は酷くなり彼ら民族は淘汰されるのだ。
それならいっそ全て壊すのもいいではないかとマーフヴァルドに囁く。
アングラが囁くと、マーフヴァルドの考えは徐々に意識は侵されアングラの思うままに行動する。
人々の負の感情をアングラはどんどん吸い取り力は肥大していった。
ここが最高の舞台になる。
姉と時の神、そして人間達が苦しむ舞台に!
手始めにあの成り立ての王を殺そうではないか。
マーフヴァルドは砂の民達に進軍を宣告した。
「マーフ…ヴァルド?」
宮城の中の牢屋から思遠は、遠くに見える黒い霧の中から感じ取った。
胡人として、友として支え合っていた男は剣を向け長安を襲おうと進軍する。人々の悲鳴が聞こえてくる中錘を付けられた手を窓枠の鉄格子を掴み空を見る。
雷鳴が鳴り響き、砂漠の国の民達の怨嗟の声と共に長安を襲った―――――――――
チェンシーは洛陽から休む事なくアルプに乗り掛けていく。
アルプは限界が近いのか呼吸が荒く酷く苦しそうだが、チェンシーの為に脚を止めない。
「お願い…!少しでも早く行かなきゃ!!」
流行る気持ちと嫌な予感が胸を苦しめる。
マーフ!マーフ!!
心の中で幼馴染の名前を叫ぶ。
いつだって私を支えてくれていたあの人を突き放してしまった事に罪悪感が芽生える。
愛する人は別にいる。だが、心を許し通じ合っていた人でもあるマーフヴァルドも特別なのだと気づく。
そのマーフが人としてやってはいけないことをしようとしている。
止めなければいけない!
ぐちゃぐちゃな感情に頭が回らなくなり涙が頬を伝う。
「バカかお前は!!」
エシンの叫び声でハッとした瞬間、横から手綱を握られ止められていた。
急停止から振り落とされそうになる体をエシンが服のベルトを掴み何とか止まった。
エシンは本気で怒った顔を私に向け私の顔を平手打ちした。
乾いた音とその衝撃に驚き固まる。
「勝手に駆け出したと思ったら、アルプを乗り潰す気か!?」
アルプを見ると口から泡が吹き出していた。
このまま無理に走らしていたら確実に倒れ死んでいた。その反動で落馬し自分も死んでいたかもしれなかった。
「あっ…!?私…!」
自分の愚かな行動に後悔する。
突厥軍から勝手に単独で離れ行動していたのだ。
自分勝手な行動で周りを見ていなかった。
「お前の幼馴染に対する気持ちは分かるが、今は抑えろ。1人で行ったって立ち向かえる訳がないだろう」
エシンは冷静にチェンシーを説得する。
「ごめんなさい……。アルプごめんね…」
苦しそうなアルプを背中から降りて顔に撫で擦り寄った。それを受け入れた後アルプはその場に座り込み横に倒れた。
呼吸を整えようとしているようだ。
エシンが乗っているヤヴァシュが心配そうにアルプの顔を舐めている。
アルプまでも苦しめた。
私、何やってるんだろう…。
エシンはヤヴァシュから降りた後、私の顔を撫でて心配そうな顔をしていた。
「すまん…叩く必要はなかったな。」
「いいえ。そのおかげで目が覚めたからエシンは悪くないわ」
チェンシーの頬を撫でるエシンの手に手を添えた。
「頭が回ってなくて、迷惑をかけてしまった…ごめんなさい。今はもう大丈夫だから。エシンの言う通り冷静にならなくちゃ。」
謝罪した後、後方に突厥軍の集団が掛けてくるのが見える。
その中から馬に乗ったヤルカが慌ててやってきた。
「チェンシー様!ご無事ですか!?」
「ええ!大丈夫よ!勝手な行動をしてごめんなさい!」
ヤルカはすぐに馬から降りてきて駆け寄った。
みんなにも迷惑かけちゃった…。と反省する。
「アルプの状態からして今日はもう休んだ方がいい。ここで野営しよう。」
夢中で走っていたのでいつの間にか夕方になっており夕日が指していた。広大な平野で野営地にする準備を兵士達がしてくれる。
長安までは、まだ後数日はかかる。無理に走らず適度に馬を休めさせながら進めば、すぐに着く。
自分の無謀な行動で、より日数が掛かっていた可能性があった。
更に落ち込んで居ると、馬車が着きその中から元徳とワンが乗り物酔いになった状態で出てきた。
「チェンシー様…酷いです…あの速さじゃ馬車の中はしっちゃかめっちゃかなのですよ…」
「我々はあんな激しい長距離移動は慣れていないのですよ!あくまでも私は文官なのをお忘れなく!」
2人から抗議の声を受けながら謝罪した。
本来可敦は行軍すること無く、突厥の運営を任されエシンの帰りを待つべきだが無理言って参加した。
2人も着いてくる必要は無いのだろうが、どうしてもお供したいと言ってきてくれた。
突厥は今、エシンを慕う他の王族の貴族達が支えてくれている。
一刻も早くこの乱を終わらして国に帰らねばと思っている。
私には帰る場所がある。マーフにも帰る場所があるだろうか…
洛陽にいた時に伝え聞いたが、乱の後、胡人達はかなり酷い迫害を受けていると聞いた。
安禄山の行動は民族全体にまで影響を与えた。
漢人からすれば、同じ胡人である人々は裏切り者なのだ。
今まで通り貿易での生活は出来なくなっている。
各地にいた胡人達は皆流民となり彷徨っていると聞く。
何もかもあの乱の後変わってしまった…
「チェンシー、少し話そう。」
エシンは、2人の為に建てられた天幕の中からチェンシーを呼んだ。
2人は向かい合わせになりながら座り、エシンは胡座で座り腕を組んでいた。
「お前、今のままでは戦えないだろう」
「え!戦えるわよ!」
「いいや、心が乱れたままだと隙もできる。お前を守ると言ったが戦場ではずっと守れるかは保証できん。自らも守らねばダメなんだぞ」
足手纏いだと言われているのは分かっている。
確かにこの不安定な状態ではダメだ。
「光の女神の力は人間に対しては使えん。もし、アングラに操られているあいつの前ではお前は今のお前の力で対応しないといけないのだ。」
光の女神は、人間の味方だ。それはどんなに汚れたものであっても同様である。
そこをアングラは分かった上で人間に寄生している。
アングラに対抗できるのはエシンか光の女神だが、寄生している状態では力は使えない。
なんとかマーフから離れさせたら、光の女神の力でアングラに攻撃出来るだろう。
そして、やっかいなのはマーフは時の神の末裔だ。
時の神は、私達に対抗できる力を持っているはずだ。
そこも対処せねばならない。
かなり厳しい状況の中、私がこのままでは負ける可能性も出てくる。
「…お前が今考えてる事全部だすんだ。」
エシンの赤い瞳がジッと私の目を見る。
何もかもお見通しなのだと思った。
「……マーフが死んじゃうかも知れない状況が嫌なの…」
「死ぬかも知れないのは俺たちも同じだ。それにこの状況を作ったのはあいつが弱いから起こった可能性がある。」
「マーフは弱くないわ!!もし隙を作ったのであれば私のせいかも知れない…」
「何故お前のせいになる…。」
エシンはため息をつく。
「それは…!」
「お前の様子は、ただの幼馴染に向ける以上の感情に見える」
エシンも気づいていた。ウテュケン山での様子、マーフに向けた目を見ていた事。
夫婦となり、ただこの人だけを見ていくと誓っているのに…
マーフが最後に私を抱きしめてきたあの時、その手を握り返さなかった事を今でも後悔していた。
長年想っていた恋慕の感情をすぐに捨て去る事は難しかった。
エシンを想い夫として、愛している事は間違いないが、マーフへの想いを無かったことにする事はできない。
心の中の奥深くに隠れていた燻っている感情を引き出されエシンに対して罪悪感を抱く。
私はなんでこんな愚かなの!
エシンの目を見れず下を向く。
服の裾を強く握る。
「チェンシー、顔を上げろ」
エシンの声音は優しかった。
緊張しながら彼の目を見つめ返す。
「俺と出会う前からお前達はずっと一緒に居たんだ。違う国に来て会って間もない俺と婚姻した。俺とあいつではお前との時間があまりにも違う。すぐに切り替えれるほど人の心は単純ではないのだろう。」
エシンは私の強く握っている手を握り緩めさす。
「お前の今の思いを全てひっくるめて受け入れる。だからあまり自分を責めるな。…お前達を引き裂いた事は俺にも責任があるのだから」
エシンの優しさが胸を苦しめる。
心が痛い…
私が誠実な女であればこの人にこんな言葉を言わせなかったのに。
責める事しか思いつかなかった。
泣きそうになるのを堪える。泣くのは卑怯だ。
この人を傷つけたのだ。
「エシン…。あなたが私の夫よ。それは絶対に変わらない。でもいつかこの感情を忘れるから…今だけ許して…」
どうしようもなく卑怯な私はエシンにまた甘えてしまった…
エシンは、頷き私を抱きしめた。
彼の顔は見えない。どんな顔をしているのか分からない。
少しして離れた後、エシンは笑っていた。
「とりあえず、あいつを助けよう。俺だってこのままの状況は嫌だからな!全部終わったらあいつに文句言ってやる。なに人外に寄生されてんだよ、新婚生活に水を差すなってな!」
いつもの明るいエシンに戻っていた。
その姿に釣られて私も笑う。
「お前は笑ってる方がいい」
エシンに頭を撫でられ嬉しくなる。
「もう大丈夫だから。今日みたいな事はしないわ」
そう言うとエシンは微笑んでくれた。
もう休もうとエシンに連れられ寝床に着いた。
私は絶対にこの人を守ると誓って眠った。




