2-8
夢を見た。
子供の頃、父様と喧嘩して街の外れの池のほとりで泣いていた。
そこにマーフがやってきた。
「チェンシー、ここに居たんだ。探したよ」
「マーフ…なんで来たの。1人にしてよ」
喧嘩の原因である人がやってきて内心慌てる。泣いてる姿を見られつい突っぱねた態度をしてしまう。
私の言葉なんて聞かずにマーフは私の隣に座りに来た。
その寄り添ってくれる姿勢にドキドキする。
「どうしてヤン様と喧嘩したの?いつもは仲良しなのに」
「……嫌よ。言いたくない」
「こら!チェンシー!素直になるんだ!教えてよ。何か手伝える事があるかもしれないよ」
あの綺麗な青い目が私を見つめてくる。
それをすぐに目を逸らす。
強情な姿勢に苛立ったマーフはチェンシーをくすぐる。
「きゃはは!!やめてよ!マーフ!!」
「やめて欲しかったら教えろー!」
暫く笑い合いながらくすぐられていた。
マーフは全然辞めないので諦めることにした。
「もう、言うわ!!…父様に言ったのよ!マーフと将来、婚姻するって!!」
その言葉にマーフは目を見開き固まる。
「えっ…!?チェンシー!?それって…!」
「……でもダメだって…。私には然るべき相手がいるって…」
沈んだ気持ちで言うと、マーフも黙った。
「…チェンシー。それはヤン様が正しいよ」
「どうして!!!」
マーフの口から信じられない言葉が出てきて怒った。
「俺達は、人種も文化も違う。それに身分だって違う。何も結果を出していない胡人に大切な娘を渡さないよ」
マーフはとても冷静に話す。年齢以上に己の状況を客観的に分かっていた。
その素質もまた、将来の実力の高さを物語っていた。
「そんなの!分かんない!!今だって話してる。同じ人よ!身分なんてマーフとの間に無いわ!」
「君の近くに居れるのはヤン様の優しさだよ。本来、漢人が胡人の子供の面倒を見る必要がないんだ。他の家の胡人の大人の所に行くべきなんだ。」
マーフのお父さんはもう何ヶ月も帰ってきていない。胡人は胡人の組織があるのは知っている。私とマーフの状況は確かに他の家と比べたら不思議な環境だ。
「でもっ…でもっ…!」
どうにもならない現実をマーフからも言われ自分の感情がぐちゃぐちゃになる。
ポロポロと涙が流れていく。
それにマーフが驚き慌てていた。
「チェンシー!?泣かないで!」
「なんでマーフまでそんなこと言うのよー!!こんな風に思うのは私だけなの!?わーー!」
ギャン泣きしていると、マーフがそっと手を握ってくれた。
「……俺だって、君のこと好きだよ…」
マーフは消え入りそうな声で顔を真っ赤にしたまま言う。
「えっ…!」
自分から婚姻の話をしておきながら明確に告白されて逆に恥ずかしくなってきた。
「チェンシー。胡人でも漢人の娘と婚姻する人はいるんだ。」
「本当!?どうやって?」
嬉しさのあまり目をキラキラさせながらマーフの手を握り返す。
「お金をいっぱい持つ事だよ。漢人よりも裕福になるんだ。そうすれば、婚姻できるみたい。」
「えええー!結局お金なの!?」
またも現実的な話に戻された。
愛だの恋だのに憧れるチェンシーからすると全く面白く無い事である。
「大事な事だよ。君を貧乏にする訳にもいかないでしょう!」マーフはいつだって現実主義だ。
まだ幼く、苦労を知らないチェンシーはいじけながらもマーフに願い出た。
「じゃあ、マーフがお金持ちになればいいんだよね!それだったらなってよ!お金持ち!!」
「そんなすぐなれないよ…」
なんでよー!と文句言いながらマーフに詰め寄る。
それを笑いながら見るマーフの顔をチェンシーもクスクスと笑い返す。
子供の頃からずっと居た。マーフが外に連れられて離れている間もマーフの顔を思い浮かべていた。
大切な存在である事に変わりなかった。
ふとマーフが、暗い顔をしながら言う。
「でもチェンシー。もし俺がそうならなくて君が違う人と一緒になったら…」
「マーフ??」
さっきまでの明るい雰囲気から物憂げな顔になるマーフの顔を見た。
「俺は君が幸せなら嬉しいよ。だって、君が世界で一番大切だから!」
にこっと微笑み吹っ切れたようなその顔をチェンシーは見つめる。
マーフのあの笑顔を見て、いつかこうなるんではないかと彼は思っていたのではないだろうかと感じた。
誰よりも私の幸せを願ってた彼。
成長するにつれ私も物事が分かってきていた所もあったり、マーフはどんどん私から距離を取っていたように感じる。
お互い思い合っていたとは思うが、私たちの間で婚姻という言葉はあの時以降出てこなかった。
マーフは胡人の一族を纏め上げる商隊長として、私は外交官の貴族の娘として。お互い近くに居ながら別の世界に生きていた。
それが現実なのだと、今やっと気づいた。
私の意識は幼い頃の記憶を遠くから見ながら、子供のマーフの顔見つめた。
「…あなたが私を大切だと思ってくれてるように、私も同じく大切だと思ってるわ」
マーフとの絆は確かにあった。
必ず助けるから…
私の意識はそこで切れた。
―――――――――――
チェンシーが寝てるのを横目にエシンは見つめる。
その後ため息ついた。
「人間って難しいわよね」
「うわっ!?びっくりした!ミスランか!」
いつの間にか入れ替わっており寝床の中からエシンを見ていた。
いきなり嫁が神に変わる環境は心臓に悪い。
「急に現れるなよ…。それよりなんだよ。難しいって」
「感情だよ。クルト、本当は怒ってるんでしょ」
ミスランは伸びをしながら起き上がった。
「怒ってねぇよ。怒った所で何になる。まだそんな気持ちあるのか!って言うのか?ガキくさい」
「言ってもいいんじゃない?だってもう夫婦だもの。ワタシがクルトを愛してるように、あなたもあの子を愛してる。相手に求めちゃダメなの?」
純真で真っ直ぐな目でエシンを見る。
「……お前のように単純じゃないんだよ。」
「カッコつけたくせに!」
今日は一段と口うるさい女神にエシンはイライラする。
「俺の事は良いんだよ!!今は目の前の問題に取り組むべきだ。こんな事で仲が拗れる方が人外の思う壺だ」
「確かにそうね。あの子に隙を与えちゃだめね。クルト、いえ…エシン。太古の昔の罪が、今を生きるあなたたちにまで影響を与えてしまいごめんなさい…」
ミスランはエシンの目を見ながら謝った。
その顔は後悔している顔だった。
「なぜ謝る。お前は妹の存在に対抗できなかったのだろう。どうしようもない事だったんだろう?」
「…ワタシはワタシという存在がどういうものなのか理解していなかった。ただ人間達を守り導くだけだと思ってた。けど、時の神はそのワタシの苦しみを和らげるためにアングラを作った。そのアングラの事を少しでも考えるべきだった…どうしようもない事だと片付けて許される事ではないの」
アングラは汚れ歪んだ。少しでも彼女に寄り添っていれば未来は変わったのではないかと考えた。
「ワタシは、ワタシの罪に向き合う。だからエシン。必ずチェンシーを守ってね」
ミスランは、寂しげに微笑んだ。
その顔が猛烈に嫌気がさしエシンは気づいたらミスランを抱きしめていた。
「エシン…?」
「なんなんだよ…何でこんなにも苦しみ合わないといけないんだ?こんな風に傷つけ合った先に何があるんだよ…!」
時の神が作った世界は混沌としている。
けど、垣間見る人々の喜びは光を照らす。
その光を眩しそうに羨んでしまう闇が、光を飲み込もうとする。
その繰り返しを数千年経てしまった。
その歪みを今正す時なのだとミスランは考えた。
「もう絶対的な善の王、選ばれし王は居ない。闇を祓うのは人間達の力なのかもしれない。」
太古の昔、風の国の王クルトを絶対的な善の王に選ばなかった。けど、愛を選んだ。
この愛の連鎖が今に繋がっている事は、ワタシの間違いではなかった。
ミスランはエシンの手を握った。
「全てを終わらしましょう。」
エシンは決意を込めて頷いた。




