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婚姻の儀から2ヶ月立っていた。
チェンシーは、突厥での穏やかな日々を暮らしていた。
エシンはあの夜言っていた通り、可汗として忙しくしており、話せるのは夜だけだ。朝になれば姿が見えない。可敦として貴族の会議に入ろうとするが、エシンからは突厥の女性達を纏めて欲しいと言われる。
つまり、日々の生活の運営だ。
刺繍をしたり、家畜の世話など男達がしない事である。貴族の会議に参加できる女性は特別なのだと感じた。
私は漢人だしやはり突厥独自の政治は難しいと思われてるのかも。と考えた。
時折、エシンは険しい顔をしている事もあるが、私の前では疲れた顔など見せず笑顔を向けてくれる。
そして、夜には2人の時間もある。
「……」
恥ずかしさのあまりチェンシーは草原の草の中に突っ伏した。
それをアルプは不思議そうに覗き込む。
「ねぇ、アルプ。私は可敦としてやっていけると思う?」
アルプの顔に手を触れ撫でた。
アルプは嬉しそうに鼻を鳴らす。
ヤルカやワンは私をとてもよく支えてくれている。他の突厥の人々も私を受け入れてくれている。
元徳は、よくエシンの会議に入っている。
私の付き人じゃないみたい。いや、可敦代理みたいな感じ?
これが私の突厥の日々なのかと考えた。
ふと遠くから私の名前を呼び声が聞こえた。
起き上がりそちらに振り向くとエシンが走ってきていた。
「チェンシー!!」
「エシン!?」
立ちあがろうとした瞬間、エシンが私の元に追いつき逆に抱き上げられていた。
あまりにも急な事で驚いてしまい、エシンの首に腕を回す。
「お前に大事な話がある!天幕に帰るぞ!」
「ちょっと!急にどうしたの!落ち着いて!」
自分勝手に振り回す様は相変わらずだと思いながらエシンを諌める。
「落ち着いてられるか!」
あっという間に頂の天幕に着き部屋の中に降ろされる。
エシンは息を切らしながら呼吸を整えていた。
そして、
「天宝帝が長安から逃げ出した…!」
「え…?どういう事?」
「安禄山が寝返ったんだ。洛陽を落とし、そのまま長安に兵を進めようとしている。」
信じられない、と思った。
帝が長安から逃げる…?
それって戦が起きているという事!?
「それで…当初は、俺も安禄山側につこうと思ったが、今は反乱軍を鎮圧しに行こう思う。」
エシンは物々しい雰囲気で話す。
「それって…エシンは戦いに行くって事?どうして!」
「唐からの申請と、反乱軍の動きが気になったからだ。…殺戮を繰り返している。あのままでは国が保たないだろう。もしそのままにしたら今度は突厥にも目を向けるかもしれん…」
殺戮…!?
では、父様も危ないのではないかと考えた。
それに…
「もしかして…その反乱軍の中にマーフが居るの?」
「……」
エシンは黙る。私は肯定と受け止めた。
最後に別れる時、マーフは何かを覚悟した顔をしていた。胸騒ぎがする。
「お願い!エシン!私も行かして!!マーフを止めなくちゃ!」
「ダメだ!お前を戦に連れていけるわけないだろう!!」
エシンは私の両腕を掴む。
行かせたくないと、強い意志を感じる。
「あなたは、私に可敦になって欲しいと言った。可敦だからこそ国の危機に関われるはずよ。私を遠ざけたって許さないわ…!それに長安は私の故郷よ!故郷が襲われているのに何もしないなんてできない!」
あの穏やかなマーフが殺戮など信じられなかった。
それにマーフだって長安を大切な場所だと思ってくれてるはずだと思った。
「エシン!私を連れて行きなさい!」
エシンの瞳を睨んだ。
エシンは暫くの沈黙の後、ため息をつき私を抱きしめてきた。
「お前の言い分は分かる…。だが、俺はお前を失いたくないんだ…。先の知らせを持ってきた間者は死にかけになりながら突厥に戻り生き絶えた。向こうでは恐ろしい事になっているんだ。」
「ええ。…覚悟しなければいけない事ぐらいわかるわ。それならより一層あなたと離れたくない。あなただって何が起こるかわからないもの。…近くにいるべきなのはお互い様でしょう。」
私はエシンの背中に手を回し力を込める。
もうお互い1人で生きていないのだ。
エシンは私の顔を見たあと、目を瞑り諦めた顔をした。
「分かった。連れて行こう。だが、絶対に離れるなよ。」
「エシンこそ!」
2人は見つめ合いながら、口付けを交わした。
「もう、そろそろよろしいでしょうか?」
それを元徳は咳払いしながら部屋の入り口に立っていた。
「ひえええ!!!元徳あなたいつのまにか!!」
私はエシンを押し除け距離を取った。
「言い争いしてた辺りからです。チェンシー様ご安心ください。元よりこの可汗はあなたを連れて行くつもりでしたよ。」
「え?」
「あなたの度胸を試したのでしょう。」
「おい!俺への愛を確かめたんだよ!チェンシーは度胸ぐらいあるに決まってるだろ」
なんかイラッとしたので、エシンの足の甲を思いっきり踏んだ。
エシンが悶えてる横で私は話を続ける。
「元徳、あなた唐側の情報を知っているのでしょう。教えなさい。」
「畏まりました。可敦様。」
元徳はチェンシーに頭を下げた。
「今、エシン様が仰られた様に、天宝帝は蜀という地方に逃げられました。帝と共に貴妃と楊国忠も居るようです。安禄山は洛陽にて自らを皇帝と名乗り「燕」という国名を立てたようです。」
「完全に反逆じゃない。しかも正統な皇帝を追いやり自らが新しい皇帝だなんて…!」
「唐もずっと平安ではありませんでしたが、天宝帝の治世はかなりの長期間安定していました。まさかこの様な形になってしまうとは…」
元徳は暗い顔になる。元々は元徳は天宝帝に仕えていた。敬っていた王が今居ないとなると不安だろう。
この状況で、唐側は突厥に援軍を求めてきたのである。和親公主を送った見返りとして突厥は大きく関わらなければならない。
「エシン様、何故最初は安禄山側につこうとされたのですか?私としては聞き捨てなりません。」
元徳が訝しげに言う。
「…長安には人外がいる。そいつは中から突厥に攻撃してきている。人ならざる力でな。」
「人外…ですと?」
あまりにも現実的ではない話に元徳は信じられないという顔をする。
「そろそろチェンシーにも話すべき時だと思っていた。俺達をずっと苦しめている存在を。そして…今、一番嫌な時にあの人外はこの世界を壊そうとしていると。」
エシンは深刻そうな顔をしながら話し始めた。
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時の神が世界を作った後、人々の営みを見ていた中で変化が無かった。
ただ、子孫を作るだけの人間達に飽きた時の神は、二つの神を作り人間達の側にいさせた。
善と悪である。
善なる神が光の女神ミスランとして、悪なる女神はアングラと名乗った。
二神は双子として生まれた。
最初はミスランが人々を支え導いた。すると世界は落ち着きを取り戻し、平和が訪れた。しかしアングラが変化を与え死や病、そして争いを教えた。
次第にそのバランスは崩れ人々は世界の王を決めてほしいと女神ミスランに懇願した。
絶対的な善なる王であれば人々を正しく導き争いは生まれないと、龍の一族はそう考えた。
その時代には風の狼も現れ女神を支えていた。
そして龍の一族の一部から分裂し、風の狼に付き従う人々が現れた。その者達は風の狼を王にして欲しいと懇願する。
世界は大きく割れていた。
龍の一族か、風の狼の一族か。女神はどちらの王を選ぶべきか迷っていた。
そして、決断した。
龍の一族の1人の男を選んだのだ。――




