《No.25》赫輪の天使
帰ったエルカは、まず日記に向き合うと決めていた。
あれから自分の気持ちを整理して、伝えるための言葉をこねまわしていた。
カマエルへの気持ちに気付いた今だ。きっと昨日までのやり取りとは同じにはできない気がする。
それでも結局、本当に言いたいと決まった言葉はシンプルだった。
────もう一度、見に来てほしいです。
ところが、向こうから先手を打たれていたようだ。
投函されていた一枚の便箋に、いつもより丁寧で慎重な文字で綴られた本文。
───すまなかった。もう一度時間をくれないか。
文章から声が聞こえてくる。不安なのはきっと、向こうも同じだったのだ。
たとえ彼に見えない過去があっても、金輪天使で遠い存在だとしても。
自分が抱いている心は、本物だ。
背を向けている間に消えてしまわないように、今度はしっかり向き合って思いを伝えよう。
互いの間に横たわる距離と時間に、負けないように。
軍校へ出ると、心配した様子のダイヤが迎えた。
アンバーから昨日の不調を聞いていたのか。
その心配を晴らすためにも、心機一転するためにも、エルカは大きく息を吸う。
「よろしくお願いします!」
「……ああ!元気いっぱいだね」
安心したようにダイヤは笑う。
「さあ、始めようか!」
そして始まる飛行訓練、憑き物が落ちたように上手く飛び立てた。
入校以来、ベストフライトな気さえする。
まるで体の内側から、エネルギーが無限に湧き上がってくるかのようだ。
集中していれば時間の流れもあっという間だった。
「そういえば、今日はヒスイ先生いないんですね」
「俺も今日の朝に知ったよ。急な呼び出しに応じなきゃいけないってさ。金輪天使は忙しいんだよな」
今日の飛行が上手くできたのは、ヒスイのお陰だ。
自分の気持ちを整理して、見つめ直す機会をくれた。
改めて礼を言いたかったが、またのお預けになってしまった。
「エルカちゃん、お昼食べておいで。俺、片付けなきゃいけない書類があるから」
昼のチャイムと共にダイヤと別れ、久々の1人での食事だ。
ペースを合わせる相手がいないと、どうしても早食いになってしまう。
というよりは、あまりの好調に体が急かされているようだった。
早々に食べ終えて、食堂からトレーニングルームへ戻る。
時間が時間なので、教官も他の利用者も誰もいない。
こんな時こそ、自分の思うがままにやりたいことをやってみたくなる。
午前練で感じたような、全てが上手くいくような感覚。
これが成長の前触れならば、なんとかモノにできないだろうか。
翼を顕現するとき、いつもより強めに念じてみる。このチカラを、翼に集めるように。
「熱ッ」
一瞬、体内を焼かれるような痛みが走った。
驚いて膝をついてしまったが、その後は何ともない。
翼も、残念ながらいつも通りの手のひらサイズのようである。
何も変わっていない?そう思いかけたところで、違和感は視覚に現れた。
(……赤?)
白い床を照らすのは、いつもの銅色の光ではない。
強く鈍い、赤色の光である。コレの発生源は、自分の天輪。
「なに……これ」
スタンドミラーを呼び出し、確認するとやっぱりそうだった。
天輪が赤く染まっている。これまでの銅輪よりも遥かに強く煌めく。
その光は辺りを焼き尽くさんばかりで、円状に自身を縛り付けるかのようである。
まさか今日の好調の要因は、天輪がこんな色に染まったから?
「でも、なんで」
天使の輪は金、銀、銅の三種類のハズだ。
それなのに、今頭上に浮かぶのは攻撃的なまでに赤い輪っかである。
こんな事象、聞いたこともない。ただ素人目にもわかるのは、決して手放しに喜べる変化ではないということだ。
警戒色として強く本能にゆさぶりをかける。鏡ごしに見ていても気が狂いそうだ。
「早いね、もう始めてたのか」
ダイヤが戻ってきた。彼ならば何か知っているだろうか。
すがるように駆け寄ると、ダイヤの反応は悪い方で当たってしまった。
「……嘘だろ」
いつもの活気立った目には、畏怖に近い濁りが混じっていた。
エルカが近寄ると、それに合わせて一歩退く。
「さっき、急にこんな色になったんです。これ」
「それは……」
言い淀んでいるのは、それが良いモノではないと証明している。
それならば尚更知っておきたいものだ。エルカ自身の、今置かれている状況を。
ダイヤは眉を捻じ曲げ、意を決したように口を開いた。
「エルカちゃん。君の、その天輪は」
「赫輪だ」
ダイヤを押しのけるように、知らぬ男性の声が刺される。
そちらを振り向くと、見知らぬ金輪天使1人、銀輪天使が4人部屋に踏み入ってきた。
肩には派手な腕章。ミカエルドメインのものとはデザインが違う。
「その腕章は天界神様直属の……」
ダイヤは頭を下げるが、天使の軍団は見向きもしない。
彼も銀輪天使であるハズなのに、まるで意に介していないような扱いである。
「天界の命運がかかった天輪だ。貴女は運命に選ばれたのだよ」
「う、運命?」
金輪天使の声色は恐ろしく冷たかった。
投げかけられた言葉も目線も、エルカではなく赫色の天輪に向けているようだ。
エルカはダイヤに視線を向けるが、彼も同様に金輪天使に気圧されていた。
「そうだ。その天輪こそが、天界を救う英雄の器なのだ」
運命、英雄の器。どの言葉も、エルカの耳を通り抜ける。
突拍子がないからではない。この金輪天使は、本当にエルカではなく赫輪に話しかけている。
唯一引っかかった単語は"赫輪"。以前出会った冥魔、メフィエラが口にしていたのを思い出した。
「天界神様は赫輪の覚醒を待ち望んでおられた。さあ、我々とともに来てもらおうか」
金輪天使は無遠慮に歩み寄り、手を伸ばしてくる。
そこへ、ダイヤが割って入った。
「ま、待ってください。彼女は新人の天使、私の教え子です。天界神様の下へ向かわれるなら、教官の私が同行……」
金輪天使はため息をひとつ吐いた。
それが音として2人の耳に届くときには、ダイヤの胴に剛針が突き刺されていた。
あのリッターも使っていた強烈な麻酔だ。ダイヤはそのまま倒れ伏す。
「木っ端の若造に用はない」
「ダイヤ先生……!」
そして逃げようと後ずさったエルカにも、無情な一撃が入れられた。




