《No.24》釣り合わない?
初めて日記を書かなかった。
1日の振り返りも、カマエルへの交換日記も。
あの時言葉にできなかったことが、山ほどあったハズなのに。
言葉も感情も、未だ整理がつかない。
それでも無情に朝が来る。引きずるように軍校へ向かった。
その日の飛行訓練では、目に見えて調子を落としてしまった。
数メートル先の目印が遠い。体が重い。動きが遅い。
「痛ッッ」
受け身も取れずに床に落ち、鈍い痛みが遅れてやってくる。
「エルカちゃん」
アンバーが手を差し伸べてくれるが、その優しさが痛い。
床を打つのは汗だけじゃなかった。
「すみません」
こうしている間にも、カマエルは自分の任務に励んでいる。
昨日の彼が遠い存在に見えたのだって、きっと天使としての感覚を取り戻しつつあるからだ。
『天使に戻る気はねえ』
そうは言っていたけれど、明日は、明後日はどうなっているだろう。
もっと忙しくなって、一緒にいられる時間も少なくなっていくのだろうか。
もし"若き伝説”としての立場を取り戻したら、もう顔を合わせることさえ叶わない距離にいってしまう。
(だったら、こんなところで止まってる場合じゃない)
でも、もしカマエルにパートナーがいたら?
”若き伝説”に見合うような者がいたとして、今から何かしたところで敵うのか?
訓練を続けるのか止めてしまうのか、心が2方向に裂かれていくようだった。
体が固まる。意識さえ曖昧になるエルカに、待ったが入った。
「今日はここまでにしましょ。ヤケクソに体動かしても、溜まるのは疲労だけよ」
ヒスイが手を鳴らし、トレーニングルームの設備をオフにする。
白く広い空間が縮んでいき、元の一室に戻る。
「アンバー、ちょっとエルカちゃん借りるわ。いいでしょ」
「わかりました。ヒスイさんにお任せしますね」
「え、でもっ」
今日まで、少し飛ばし過ぎた。一度立ち止まる時間も必要だろうという判断だった。
ヒスイに連れられ、外に出る。あの時2人が座っていた、日陰のベンチだ。
ここで待ってて、と言って戻ってきたヒスイの手にはスポーツドリンク。
「心配をかけてしまって……すみません」
「謝ることないって」
幾ばくかの無言の時間。感情と心を整える時間をくれた。
ドリンクが喉を通り、心拍も落ち着いてきた辺りでヒスイが口を開く。
「昨日のこと、ごめんね。久々に会ったもんだからさ、結構話し込んじゃった」
その話題のための呼び出しであることは勘付いていた。
だからエルカも多少の返しは用意できた。
「こっちだって、急に逃げちゃってすみません。でも……私より、ヒスイさんが話してた方がよかったんだと思います」
「なんで」
「だって私……銅輪天使だから」
頭上を円形に照らす、銅色の光。
エルカは末端の天使だ。
一方のカマエルは、元とはいえ金輪で、伝説の天使。ちょっと長く飛べて成長だとか、そんな次元にはいない。
きっとこれからも、どんどん格差は広がっていく。やがて、本当に話すことすらできなくなる。
それは不条理ではなく、元あった距離感に戻っていくだけだ。
「たしかにカマエルは元金輪天使よ。憎たらしいことに”若き伝説”なんて呼ばれてたし。けどさ、だからって下級の天使が話しちゃいけないなんてルールは無いわ」
天使。そもそも、エルカは天使ではなかった。
気づけば偶然、輪っかが浮かんでいただけ。
他の天使には黙っていようと思っていたことだが、ついに打ち明けてしまう。
「それなら私、ほんとは天使じゃないんです。試験も受けてないし、ちょっと前まではなろうとすら思ってなかったんです」
そういえば、カマエルと出会ったのも偶然の産物だ。
神罰や紫水晶災害が起きて、たまたまカマエルに助けてもらって、ここまで守ってもらっていただけだ。
その偶然がなければ、一般人と伝説の天使。決して交わることはない。
「だから私、カマエルさんと一緒にいたらダメな気がするんです」
口にしてみれば、本当にその通りだと思ってしまいそうだった。
それでも、今の自分に反証するだけのチカラはない。
「そうかなぁ」
それ以降、ヒスイは黙ってしまった。
静寂の中、時折天使の掛け声が聞こえてくる。訓練に励む軍校生、その外にいる自分。
横目に見るヒスイは何度か考え込むような仕草を見せるが、再び口を開いたのは数分経ってのことだった。
「ねえ、エルカちゃん。あたしの家、寄ってかない?」
「え?」
急な提案に、反射的な返事しかできなかった。
「たぶんだけど、こうして話すより、エルカちゃんに伝えたいことが伝えられると思う」
教官としてはちょっとグレーだけどね。と付け足した。
その表情は軽薄にも、真剣にも見える。
どちらにせよ、断ろうとは思えなかった。そんな目のチカラを感じた。
アンバーに報告のち、ヒスイの車に乗せてもらう。
最上位の天使が持つにしては、やけに一般的な4人乗りのファミリーカーだった。
「最近運転にハマっちゃってさ。飛んでくより遅いけど、これはこれで楽しいのよね」
数十分。穏やかな運転に導かれた先は、これまた一般的な一戸建て住居だった。
ここに天界最高戦力が住んでいるとは信じがたい。ある意味では隠れ家のようだった。
「ただいま」
ヒスイが玄関扉を開くと、廊下の奥から2人の子供が顔を出した。
男の子がリビングから駆け寄り、もう1人の女の子は引き戸から顔を覗かせる。
引き戸の子は、たぶん妹だろう。エルカを警戒してか、こっちに寄ってこない。
「おかえり」
迎えてくれたのは兄。年齢は10歳いかないくらいか。
少しばかり捻くれた目つきでこちらを見たのち、リビングへ戻っていく。
残った妹の方に目線を向けると、あちらも部屋に隠れてしまった。
「ごめんね、あの子人見知りなの。さ、上がっていいよ」
白基調の、木造の家。所々に生活感が出ているが、よく手入れが行き届いている。
壁には家族写真や、細かいピースのパズルが飾られている。
「おかえり……あれ、お客さん?」
リビングのソファに腰掛けていた男性が立ち上がる。
穏やかな風貌だ。夫だろうか。
「ただいま。あたしの部下よ、エルカちゃん」
「そうか。いらっしゃい」
キッチンに向かったヒスイは冷蔵庫を開く。
中身を物色しながら呟いた。
「せっかくの来客だし、今日はあたしが晩ご飯作っちゃおうかな。カレーとかどう?」
「やだよ。ママのカレー、いっつもベチャベチャなんだもん。ドロドロがいいよ」
腕を捲ってやる気のヒスイに、長男が愚痴を垂らしながら抗議する。
「しょうがないじゃん、水少なかったらコゲちゃうんだから」
「調整がヘタなんだって。前なんて、ほとんど汁だったよ」
いつもの光景なのか、夫は口を挟もうとはしない。
妹の方も、2人の口論を無視してヒスイの袖を引っ張る。
「ねえママ、こっち来て。昨日から描いてたやつ、できた」
「本当!見せてよ」
ヒスイは次女のいる和室に向かってしまった。
鞄とジャケットはソファに放り投げだ。
それを見かねた長男は、またしてもブーイングを飛ばす。
「脱ぎ捨てやめなって。ママはいつもオレに言ってるくせに、自分だけセコいよ」
「あたしは特例なの!」
ヒスイのマイペースぶりに眉をひそめる長男だが、そこへ夫がなだめるように諭す。
「お兄が片付けたげなさい」
「ちぇ、なんでオレが」
賑やかな家庭だ。父母がいて、兄妹がいて、仲が良くて。
家族として当たり前の光景が目の前にある。
エルカにとっては、もうどうしたって戻らないものだ。
眩しいと同時に、苦しい。
なんだかここにいてはならない気がして、身を潜めるように近くの椅子に座る。
そんなエルカの元へ、夫がコーヒーを差し出した。
「ヒスイの我儘に付き合ってくれてありがとう。騒がしいけど、ゆっくりしていって」
夫は机を挟んだ反対に座った。
奥の和室に見える、ヒスイと妹のやり取りを微笑ましく見守っている。
「妻は、どうかな。職場でもこんな風じゃない?」
「とっても良い人です。明るくて話しやすくて、みんなに頼られてて……やっぱり金輪天使なんだなって思います」
軍校での振る舞いは家庭からきているのがわかる。
裏表をつくる必要もないのだ。
そんな大人の余裕があって、地位も家庭も持っているヒスイは輝いて見える。
「へぇ、やっぱりママってすごい天使なんだ」
ヒスイのジャケットを直してきた長男が戻ってきた。
父の隣に座り、話に混ざる。
「輪っかが金色だとすごいのは知ってるけどさ、ママって家だとだらしないんだよ。ヒトにはあーしろこーしろ言うクセにさ、自分はやらないんだぜ」
「靴下脱ぎっぱなしだったり、起きるの遅かったりね」
「ちょっと男2人!聞こえてるんだけど」
夫は肩をすくめ、長男は苦笑混じりにため息を漏らした。
「ま、でもいろんな人がママのことはすごい人だって言うんだよな。学園でも、親が金色天使って言うと驚かない方がレアだし。そう考えたら、やっぱママはすごいんだ」
「本当に。私なんかとは、全然違います」
ヒスイが、この家族の存在が遠い。
地位もチカラも繋がりも、全てが足りていて。
これが金輪天使の姿だ。ヒスイの姿を通して見えるものは、きっと彼にもあてはまる。
───遠いな。
「……え?」
涙ぐんだエルカの瞳を見て、長男は表情を固くする。
落ち着かない様子で目線を泳がせた後、バネのように起立する。
「オレ……宿題あったんだ。やってこよ」
逃げるようにリビングを出ていく長男だが、夫は止めなかった。
目線はエルカに向いたままだ。
「ヒスイのこと、そこまで尊敬してくれるんだね」
「……はい。だって、天使としても偉くて、家ではお母さんで。どっちでもいられるの、すごいなって」
そして向かいに座る男性は。
「だから旦那さんも、すごい人だって思います」
「え、俺もかい」
まるで意外とでも言うようだった。
夫は頬を搔きながら、目線でエルカとヒスイを反復する。
「それは……初めて言われたな。ヒスイと一緒にいるから、そう見えるのかな?」
「実際、そうだと思います。ヒスイさんみたいな方の旦那さんなら、同じくらいの人なんだろうなって」
少し意地悪な言い方だったかもしれない。
吐いた言葉に手遅れの後悔。エルカは夫の顔をおそるおそる窺う。
しかし夫は、穏やかな表情のままでいた。
「実はね、俺、普通の会社員だよ。天使でもない、フツーの天界人だ。まぁ、金輪天使と釣り合いが取れてるかと言われれば違うよね」
謙虚にふるまっている顔ではない。
自分の価値を認めていながら、疑いもしていないようだった。
「逆のことならよく言われたよ、逆玉だとかヒモだとか。でも実際はこうして上手くやってる。一緒にいる相手がすごいからって、俺も特別なわけじゃないよ」
「……そうなんでしょうか」
「そうだよ。俺もすごいって思われるのはうれしいけどね」
ああ。また涙が出る。
初対面の人に見せるには、あまりに大粒だ。
「私も、そう思いたいです。特別じゃなくても……一緒にいたい。でも、私には」
「大丈夫だよ」
食い気味に挟まれたセリフは、どこか聞き覚えがあった。
まるでヒスイのような、優しくも確信を秘めた声色だった。
瞳の光に芯が通る。この表情もそうだ。
「こんな俺でも、あんな素敵な妻に出会えたんだ」
言い切ってから、照れ隠しのように笑って見せる。
「……なんて、ごめん。事情も知らないのに、説教みたいになっちゃて。天使でもない俺が、こんなこと言っちゃってよかったかな」
「ほんとよ!あんたまでそんなこと言い出したら、いよいよあたしが物好きみたいじゃん」
「それは間違いないでしょ」
いつの間にかリビングに戻っていたヒスイだったが、ノータイムの返答に眉が曲がる。
それでも、1発のため息で呆れ顔に戻った。
「ま、そういうこと。釣り合いが取れてるかどうかなんて、案外関係ないのよ。大事なのは一緒にいたいかどうかでしょ」
その理論は、自分にも適応されるだろうか。
半信半疑のエルカに、ヒスイはさらなる後押しを加える。
「それとね、カマエルがあそこまで他人を気にするのって、結構珍しいのよ」
ずっと思考の中心に置いていた名前だ。しかし、音として認識するだけで肩がはねた。
「エルカちゃんが帰った後、アイツ世界が終わったみたいな顔してたもの。ほんと、今まで見たことないくらい」
「カマエルさんが…?」
その時は、彼の表情を見れなかった。
一時的な感情に負けて、背を向けていたからだ。
「たぶんだけどね、カッコつけたいのよ。特にエルカちゃんの前ではね」
「私に、カッコつける…?どうして」
みなまで言わないであげて。と、ヒスイは苦笑を浮かべている。
エルカも、もしかしたら、とは思う。
けれど、そんな希望を持ってもいいのだろうか。
「だからさ、信じてあげてもいいんじゃない?アイツもアイツで必死なんだって」
エルカは涙をぬぐい、深くうなずいた。
不安は残っている。
それでも、立ち止まるのはやめだ。
どれだけ嘆いたところで、2人の間にある時間は埋まらない。
それでもカマエルにとって、自分が一番目にあってほしい。
「あたしも守りたいものはあるよ。だから頑張ってる。昨日までエルカちゃんもそうだったんじゃない?」
訓練を頑張るのも、それこそ軍校に来たのだってそうだ。
カマエルの隣にいてもいいのなら、少しでも胸を張っていれる自分でいたい。
「……はい!」




