《No.23》約束の日
今日はカマエルに会える。天使になった自分を見てもらえる、初めての機会だ。
トレーニングルームでの飛行訓練もいつも以上に気合が入る。
「いいね!どんどん上達してる。初日とは別人に見えるくらいだ」
「ほんとですか?」
「しかも今日は一段と気合入ってる。だろ」
「わ、わかりますか?」
「そりゃもちろん。ここまで頑張ってくれると、こっちも教官明利に尽きるよ」
インターバルに入り、呼吸を整える。
「しかしここまで上達が早いとはね。アンバーから何か秘訣でも聞いたかい?」
「そんなことないです。いつも丁寧に教えてくれて、そのおかげかも」
「そっかぁ。…アンバーね、ああ見えて俺ら世代じゃNo1の天使って言われてるんだよ。ほんとになんでもできる。その上教えるのも上手いときたもんだ。まいっちゃうよな」
「ダイヤ先生も、すごい先生だと思いますよ」
「そう言ってくれると助かるよ。俺も何とか追い抜けないかって、あれこれやってはいるんだけどね。なかなか難しいんだこれが」
数日前、アンバーが話してくれたことを思い出す。こっちはこっちで無心ではないようだ。
エルカの視線に気づいてたダイヤが、くすぐったそうに笑う。
「あ、この話、アンバーには言わないでくれよ。悔しいからね」
「了解です」
あえて含みのあるっぽい笑みで返す。
「ま、そうだよな。急に強くなれるような裏技なんてないよな。エルカちゃんも頑張ってるし、俺も地道にいくしかないよな」
「へぇ、いいこと聞いちゃった」
突如現れた、第三の声。
ドアを半開きにし、ヒスイがこちらを覗いていた。
「うわ、ヒスイさん!来てたんですか」
振り向いたダイヤに、ペットボトルが投げ込まれる。彼の反応からするに、かなり冷えているようだ。
さらにもう1本、こちらはエルカが受け取った。
「ハロ!仕事が片付いたから見に来たわ。頑張る新米天使に、悩める教官さん」
「やめてくださいよ。ヒスイさん、口軽なんだから」
金輪と銀輪の2人体制。銅輪天使1人を見るには豪華すぎる布陣だが、エルカもそれに負けないくらいの気迫で挑んだ。
夕暮れのチャイムが鳴り、それからさらに数時間。
そろそろ施設のあちこちが戸締りされる頃だが、まだカマエルは来ない。
「エルカちゃん、そろそろ上がろう。あんまり頑張りすぎると明日に響くよ」
「すいません。もう少しだけ、やらせてください」
せっかくの約束の日だ。カマエルが来るまでは訓練に励んでいたい。
ダイヤとヒスイは顔を見合わせる。
「あたしは大丈夫よ」
「俺もいけますよ。…まぁでも、あと1時間だけにしようか。追い込むだけが訓練じゃない」
「わかりました。ありがとうございます」
約束を破るような人じゃない。きっと、忙しくて遅れているだけだ。
それをただ待つだけではいられない。
ならばその時間を使って、もっといい姿を見せられるように頑張ろう。
「ごめん一応、家に連絡はさせて」
そう言ってヒスイは廊下に出ると、通話の出来るスペースへ向かう。
階段を下りて曲がり角に差し掛かったところで、1人の男と鉢合わせした。
それはヒスイにとって、よく知った顔だった。
「う、噓でしょ。あんた…生きてたの!?」
透明な輪っかにしかめっ面の、今ヴァルハラで話題の種となっている男。
「どういうわけかな」
ヒスイは眉を曲げ、正面にいるカマエルを見つめる。
「いや……話には聞いてたけど。幽霊とかじゃないわよね」
「そう思ってくれても構わねーぜ」
とくに示し合わせたわけでもないが、2人は外に出てベンチに腰掛けた。
暗闇を照らす蛍光灯の下、ベンチに天輪が並ぶ。
「正直なとこ、生きてたとしてあんたには戻ってきてほしくなかったわ」
「そう思われてるだろうとは思ってたよ」
「あのね、あたしは心配してるの。ミカエル様に呼び出されたんでしょ、絶対ロクなことにならないわよ」
「実際そうなってるよ。ちょうどあの野郎の任務を終わらせてきたとこだ」
一方、エルカは飲料を買いに外に出ていた。
いつも使っている1階の自販機まで降りてくる。その時ふと窓の外を見た。2人が話しているところを見てしまった。
人気のなくなった施設の片隅で、静かに語らっている。
この静かな空間に気圧され、エルカは思わず息をひそめた。
「そういや、タバコやめたのか」
「何年前の話よ。あんたが銀輪なった頃にはやめてんだけど」
「そんなに前だったっけか」
「あんたが他人に興味がなさすぎるの。自分は天輪までイメチェンしてるくせに」
2人はこっちに気付いていない。
いつもなら、ここで挨拶に乗り出せただろう。しかしあの空間に踏み込む勇気は、今はなかった。
「しかし、お前もいよいよ金輪か」
「そーよ。これで立場逆転よ」
「これからはなんて呼べばいいんだ」
「ヒスイでいいわ。どうせ態度改める気もないんでしょ」
「たりめーだ」
今まで一緒にいたカマエルと、ヴァルハラで天使をやっているカマエル。
どっちも同じカマエルのハズなのに、やけに遠い存在に感じた。
その顔が数日前より天使然としているのは、気のせい?
「そういや、子供は元気か」
「どんどん大きくなってるわ。ママみたいな天使になりたいってさ」
「そりゃ将来有望だ」
今、胸の奥がきつく締まる感覚がした。中途半端に開いた口から息が漏れる。
これまで考えもしなかったが、よく考えたら自然だ。
カマエルの人生は、あの日に出会ってから始まったわけじゃない。自分の唯一の存在じゃない。
それなら、そういう関係があってもおかしくない。
───"若き伝説”だなんて言われるほどの天使だったんだから。
彼の横にいるのは金輪天使のヒスイだ。かつてのカマエルも、金輪。
歳も近くて、まるでお似合いの……
「あれ、エルカちゃん?」
ヒスイがこちらに気付く。カマエルとも目が合う。
いつもの自分なら、ここで話に混じることができたんじゃないか。
でも、今は。
「ごめんなさい!」
それは、何に対して?
考えも感情も整理がつかぬまま、エルカはその場から離れてしまった。
さっきまで聞いてしまったことの全てから、遠ざかりたかった。
「エルカ!」
数日ぶりに呼ぶ声。その声が聞きたくて今日まで頑張ってきたのに、振り向くことも足を止めることもできない。
肩を掴まれ、はんば強制的に引き留められた。
反射的にその手を跳ね除けそうになる。本当はそうしたいわけがないのに。
緊張が伝わってしまったせいで、カマエルは手を放してしまう。
「どうした、逃げることねえだろ」
エルカは背を向けたまま、唇を噛んだ。
声を出すなら、慎重にしなければ。今の自分には声色をごまかす余裕はない。
「ヒスイのことか」
体が強張る。完全に図星だった。
カマエルの察しのよさにはいつも助けられていた。
それなのに今は、的確に急所を突く槍になる。
「アイツなら、昔からの友人ってだけだよ。というか既婚者だぞ、子供もいる」
気になったことだ、たしかに知りたかった。でも、カマエルの口からは聞きたくなかった。
まるで心の中を見透かされているようで、実際にその通りなのが。
そして、それを知ったからとて、心に棘は残る。
──ヒスイじゃなかったとして、他にそんな相手がいる可能性は?
背を向けたままでよかった。真っ暗闇でよかった。
きっと今は、ひどい顔をしている。体の震えも、見えやしないだろう。
「せっかく来てくれたのに、ごめんなさい。今日はひとりにさせてください」
今度こそ、逃げるように走り出した。
呼び止める声はしたが、カマエルは追ってはこなかった。
会うための約束だったのに、いったい何をしているのか。
今はただ、さっきまで見ていた全てを振り解きたかった。
「なんとなく事情はわかったわ。大バカよ、あんた」
遅れてきたヒスイが、立ち尽くすカマエルに呟く。
「エルカちゃんには明日、あたしからもフォローしとくわ。あんたはとりあえず1日、反省しときなさい」
「……頼めるか」




