《No.26》地獄の門
任務で外に出ていたカマエルに、ミカエルからの通信が入る。
まだ目標達成前だ。苛立つカマエルだが、一声を聞いただけで表情が変わった。
「赫輪が発現した。小娘だ」
『赫輪』の単語を聞いた瞬間、体温が一気に奪われる感覚に陥った。
その単語の意味は知っている。決してエルカに紐づいてはならないこともだ。
言葉を失うカマエルに、ミカエルは淡々と告げる。
「覚醒した小娘は軍校で襲撃を受けた。天界神の一派が攫って行ったようだ」
なぜそう他人事のように話せるのか。内容の一言一句、平坦な声色で伝えられるようなものではない。
カマエルは奥歯が砕けんばかりに噛みしめる。
すべて知っているのだ。これを聞いたカマエルの反応、次に取る行動も。
「お前ら、任務は中断だ。俺は先に戻る」
カマエルは通信を切り、部下に解散の命令を出す。
突然のことに困惑する彼らを差し置き、急いでヴァルハラへ戻った。
「おいどうなってやがる!!」
カマエルは事務所のドアを叩き壊さんばかりに開き、奥の椅子に腰かけるミカエルへ怒鳴りつけた。
ミカエルは動じない。いつも通り、意味深な目線を向けるだけだ。
「どうやら俺の見立て通りだったようだ。次期赫輪はあの小娘だった。まぁ、こんな時期に突然変異の天使が現れたんだ。候補として疑わない方がおかしいだろうがな」
カマエルは閉口するしかなかった。その疑念は自身にもあったからだ。
同時に、そう都合の良いことはないと思っていた。確率論に頼りつつ、願望でもあった。
結果は全てから梯子を外された、最悪の事態だ。
「……そこまで見透かしておいて、わざと攫わせたってのか」
「当然だ。なんのために軍校に身を置かせたと思ってる。お陰で天界神一派の尻尾を掴むことができた。紫水晶の事変以降、奴らの動向には目をつけていたが……やはり赫輪を狙っていたようだ」
「……計画には、エルカを関わらせないと言っただろうが」
「俺は不確定要素を持ち込まない主義だと言った、それだけだ」
頭の中で何かが千切れた。
その熱はカマエルを怒りのままに突き動かし、目の前の男へ迫る。
肩を掴み、固く握った拳を振り上げた。
「ほう、俺を殴るか。それよりも先にすべきことがあるんじゃないか」
ミカエルは、カマエルの怒気を目の前にしても一切の動揺を見せなかった。
両者理解しているのだ。ここで拳を振るったとて、状況は変わらない。
「小娘を攫った連中が向かったのは、あの処刑場だそうだ。お前にとっては思い出の場所だろう」
天界に存在する処刑場と言えば、思い当たるのは一ヶ所しかない。
半年前、カマエルが天使としてのすべてを失った場所。本来、墓場になるハズだった場所だ。
そこは、天使のチカラを剥奪するために使われる。天界神直属の天使のみが所在を知る、天界の暗部だ。
「赫輪を手に入れて天界を救うつもりなのか、それ以上の野望を抱えているか。どちらにせよ、小娘の危機に変わりはないな。天輪を抜かれた天使がどうなるか、お前が一番よく知っているだろう」
天輪を剥奪された者は死に至る──ただ1人の例外となったカマエルだからこそ、その痛みは強く刻まれている。
「なに、俺もただ餌を放ったわけではない。お前を信じているからだ。小娘を死なせたくないなら、どんな手を使っても取り戻して見せろ」
「……事が終わった後だ。覚悟しとけよ」
カマエルは事務所を飛び出し、半年前の記憶を辿る。
二度と戻るまいとしていた地獄への道だ。
「エルカ……!!」
処刑場は天界神一派の管轄である。
つまり、そこに殴り込みをかけるのは天界神を敵に回すことになる。
だが、カマエルにとっては今更些細なことだ。
エルカが犠牲になるくらいなら、半年前の再演になろうとも構うことはない。
──たとえ、どんな手段を使ってでも。
無策で命を捨てに行くわけじゃない。走りながら考えろ。
カマエルは、自身に持つすべてを脳内で転がし、エルカ救出の策を組み立てた。
そして、あの建物だ。街に溶け込む何の変哲もないオフィスだが、その実態は地獄の門である。
エントランスの内装もいたって普通。ただし、そこにいるのは武装した門番だ。
カマエルの侵入に気づき、応戦状態になる。
「どけ!!」
天使が武器を構える前に拳を叩き込む。逆サイドから襲い来る者には大回転蹴りを食らわす。
戦いになる前に場を制圧し、あの時の記憶を頼りに目的の階を目指す。
エルカの天輪が狙われたというならば、きっと彼女の居場所は地下の最奥部だ。
記憶が確かなら、ここだ。わずかに色のくすんだ壁が、隠し扉になっている。
そこを開くと、暗黒の細道が伸びる。エントランスの明かりが数歩先、階段の始まりを照らす。
半年前は命からがら抜け出してきたルートだ。
「待ってろよ。すぐに行く……!」
暗い階段を、アクロバティックに飛び降りながら進んでいく。下層へ沈むにつれ、体にまとわりつく空気は重苦しくなる。
そして階段の最下段に着地し、待ち構える扉を蹴破る。
闇から一転、まばゆい光が視界に差した。
あたりが不気味なほどに白一色に整えられた、大広間だった。
「おうカマエル!お前なら来る思っとったで」
そこで出迎えたのは、ミカエルドメインの同僚でカマエルのよく知る顔だった。
カマエル以上の長身、筋骨隆々の体、整えられたスキンヘッドに銀の天輪を持つのは。
「てめぇ……リッター!!」
彼の身につけている腕章は、ミカエルドメインのものとは違っていた。
天界神直属の天使のものだ。
天使社会に、二足の草鞋は許されない。つまり彼は最初から。
「神についてやがったのか。散々ミカエルを親父親父と慕っておきながら、背ェ向けんのかよ」
「何言っとんねん。親父がどうの言う前に、ワシら天使は天界神がダイイチや。神サマが白と言えば、どんな色でも白になる。そんな世界で生きとる以上、何も後ろめたいことなんてないわ」
「それなら神も哀れなもんだな。その二枚舌で、いつ背かれるかわかったもんじゃねえ」
「アンタが言うと説得力がちゃうな。でもな、誰もがバカになれるわけやない。レールから外れたモンから死んでくんや」
「賢くありたいなら、ぶっ倒される前に道を開けるってのはどうだ」
リッターは首と肩を鳴らし、拳を構える。
「……ワシらも長い付き合いや。まさか穏便に済むとは思っとらんやろ」
「言われるまでもねぇよ」
相対したカマエルも、固くこぶしを握って前傾の姿勢を取る。
突き刺すような視線がぶつかり合い、開戦の合図は2人の雄叫びだ。
互いに走り出し、一気に距離が詰まる。
目の前にいる敵を一刻も早く打ちのめし、先へ進むために。
───透明な天輪と銀色の天輪、鍛え抜かれた肉体が激突する。
両者弾けたと思えば、すぐさま体を前方に起こして追撃に走る。
天使らしい優雅さなどカケラも存在しない。打ち合う強打撃の応酬が、その衝撃で空間を揺さぶった。
かつての同僚だからと、そんな甘い情などない。
ただ相手に拳を叩き込み、肘鉄を咬ませ、ノックバックさえ助走にして殴り返す。
「ラァッ!!」
リッターの正拳突きを、カマエルは股下に潜り込むように避ける。その勢いのまま床に寝転び、自身の片足を相手の足に絡ませる。
絡んだ足を刈り取るようにしてカマエルが立ち上がり、姿勢を維持できなくなったリッターは床に手をつく。
カマエルはそのまま顔面に蹴りを刺した……が、ヒット直前で靴を掴まれ、防がれる。
踏み潰さん勢いで放ったつもりだった。しかし受ける側の腕力も凄まじい。
靴の向こうに見えるリッターの表情は、その闘争心を表すかのように青筋を走らせていた。
「やるやんけェ……クソガキが」
掴んだ足を振り払い、2人の体術戦は仕切り直された。




