《No.19》天使の学校。アンバーとダイヤ
セットした目覚ましより早く目覚めた。昨日の不意打ちを食らったときは眠れるか不安だったが、案外ぐっすりだったようだ。
昨日買った制服に着替え、出発の支度をする。窓からヴァルハラを見下ろしてみると、もうぽつぽつと人影が動き出している。
最低限の荷物をまとめて外に出、カマエルの部屋へ挨拶へ行こうとした。が、部屋には鍵がかかっている。
チャイムを鳴らしても反応なし。もう出かけてしまったようだ。
今日から忙しくなるのはわかるが、せめておはようは言いたかった。
天使デビューした自分を見せるのは、夜にお預けだ。
外に出ると、寮内とうって変わって一般人の比率が高くなる。周りの目にどう映っているかわからないが、今の自分は正装した天使だ。
私服で適当に動けていた昨日までと違い、自然と背筋が伸びて早足になる。
かつてそっち側だった視線に自意識過剰になりながら、街中を歩くこと数十分。
教えられた住所はここだ。ミカエルに指定された、ヴァルハラ東部の一角にある軍校。
軍の学校というだけあって、敷地内の雰囲気はピリピリしていた。グラウンドの一角では、すでに数人の天使が訓練と思わしきものを始めている。
遅刻したかと不安になるが、指定された時刻よりも早めの到着だ。
「…あら?もしかして、あなたがエルカちゃん?」
名を呼ばれた方へ振り返ると、そこにはスーツ姿の若い女性がいた。もちろん天使。銀輪だ。
濃い目の茶髪はウェーブがかかって背中まで伸び、瞳には慈愛のこもった光が宿る。
きっと『天使』といわれて誰もが想像するような、優しげな雰囲気のお姉さんだった。
「は、はいっ。今日からお世話になります、エルカです!」
「私は"アンバー"、ここで教官をやっています。ミカエル様からあなたのことは聞いているわ」
そういえば、女性天使はずいぶん久しぶりに見た。今まで会う天使が男性ばかり(しかも悉く戦闘派)だったこともあり、まだこんなに天使然とした人が存在するのかと、妙に安心した。
アンバーと名乗った女性はエルカと目を合わせ、再びニッコリ。
「女の子の天使が増えてくれて嬉しいわ。今日から一緒に頑張りましょう!」
「が、がんばります!」
アンバーに連れられ、校内を歩いていく。
やはり、周りにいる天使は20代後半がほとんどだ。そんな環境でエルカの存在は目立つのか、すれ違う人々は誰もが一瞥を向けてくる。
20代前半のヤマトが、早すぎと評価されたのも納得である。
それで言えばアンバーも若い部類に見える。ただの天使ならまだしも、その上に立つ教官だ。彼女がそれほど優れた天使ということなのだろうか。
建物に入ってすぐの部屋に入ると、1人の天使が迎えた。
「やあ、君がエルカちゃんか!待ってたよ」
部屋にいたのは、アンバーと同年代と思われる男性天使だった。
彼も例にもれず銀輪で、外見はなかなか爽やかな雰囲気である。
パリッと整えられた短髪に勝気な釣り目が光る。
「紹介するわね、彼は"ダイヤ"、私と同じ軍校の教官。ちょっと声が大きいのが玉に瑕だけど、とってもいい先生だからね」
「よろしくお願いします」
エルカがお辞儀をすると、ダイヤは白い歯を見せて笑ってみせた。
彼も一瞬、エルカの勾玉を見ていた。
「ああ、よろしく。本当はもうひとり教官がいるんだけど、今日は俺たちだけなんだ。明日は出てくれる予定だから、その時紹介するよ」
ぱちん、とダイヤの手がクラップを鳴らす。
「それじゃあ、さっそく始めようか!トレーニングルームへいこう!」
廊下に出てトレーニングルームとやらに向かう途中、ダイヤが呟いた。
「君がいてくれてよかったよ。でなきゃ、今年の天使はゼロ人で終わるところだった。期待の星だ」
「そうなんですか」
やっぱり、ダイヤたちの記憶からもヤマトの存在は消えてしまっている。
今年唯一の合格者は、私ではなく彼だ。と訂正しても仕方がないことなので、話を合わせることにする。
「ああ。でも、焦ることはないからね。天界を守るのは先輩天使に任せて、じっくり鍛えていこう」
案内されたトレーニングルームは、何の変哲もない四角の小部屋だった。
トレーニングはおろか、数人単位での会議にしか使えなさそうなキャパである。
「訓練をするには狭い……そう思うだろう?」
ダイヤが右足で床を叩くと、部屋の景色が真っ白に塗り替わっていく。手前から奥へ、縦横に際限なく広がっていく。
この現象は覚えがある。昨日の列車で、ガネットが戦いの場を作るために行ったものと同じだ。
まさかこんなところでもお目にかかれるとは思わなかった。
「驚いた?天使の最新技術なのよ」
きっとアンバーの想像する驚き方とは違うかもしれないが、驚いたことには変わりないので相槌を打つ。
「よし!ではさっそく始めるぞ。天使になってまず最初の課題……それはズバリ、飛べるようになることだ!」
ダイヤとアンバーは目配せし、2人同時に天使の翼を顕現してみせた。
片方だけで2メートルはある、白き大翼だ。ほんの少しの羽ばたきでも、風が巻き起こる。
「自分の背中に、翼が広がるように念じるんだ。さあ、やってみて」
「えっ、そんないきなり、できるんですか」
「できるさ、君は天使なんだから。立派な天輪がついてるだろ?」
事情をどこまで知っていてのセリフなのだろうか。
エルカは正規の天使ではない。この天輪も今のところお飾りだ。
でもここへ来たのは、自分が天使として1人前になるためである。カマエルに心配をかけないくらいの、自立した天使になる。
ダイヤの熱い瞳とアンバーの暖かい瞳。2人に見守られながら、心の帯を締める。
「…わかりました、やってみます!」
天使の翼をイメージ。白くて大きくて、羽ばたけば旋風が巻き起こるくらいの大きな翼が、自分の背中に。
集中していると、なにやらチカラがみなぎってくるのを感じる。
ぽん。
何かが弾ける感覚がした。翼が顕現するにはあまりにポップな感じだ。
ダイヤやアンバーのように、バサリと仰ぐようなものではない。
「まあっ」
「……ずいぶん、可愛らしい翼だな」
エルカの背中には、大人の手のひら程度の翼が揺らいでいた。
ダイヤとアンバーは目が点になっている。
「あ、あれ。うまくできたのかな」
「確認してみるかい」
ダイヤが空間に指をスライドさせると、エルカの隣にスタンドミラーが現れる。
背中を向けた状態で首を回し、鏡に映る背中を確認した。
「こ、こんなのって……」
この極小サイズは、翼というより羽だ。
たしかに自分は、自力で天使の座を勝ち取ったわけではない。だがそれにしても、あんまりな出来である。
「あ、あんまり気にすることないわ。天使の翼は、天使の階級に比例して大きくなるものなの。これからエルカちゃんが成長すれば、自然と大きくなっていくわよ」
「そうだよ。すぐに翼を出せただけ良いスタートだ」
2人のフォローは、暗にエルカの翼が小さいものだと言っているようなものだった。これでは逆に悲しい。
「まずは体を浮かすことから始めようか。さあ、飛んでみて」
ダイヤとアンバーが手本を見せ、エルカもそれに続く。
彼らは軽々と浮かぶのだが、エルカはそうもいかない。
小さな羽を必死に羽ばたかせれば、体は浮く。しかし気を抜けば、すぐに足が着いてしまう。
数十秒浮くだけでも、気力がキリキリとすり減るようだ。
「チカラ任せではダメよ。歩くのだって、特別力んだりするわけじゃないでしょう?まずは飛ぶことに慣れてみましょっか」
アンバーが手を差し伸べてくれたので、それに応じる。ハタから見れば、親鳥と小鳥の戯れに見えることだろう。
アンバーの羽ばたきは外見に違わず、とても安定した柔らかなものだった。エルカ1人分を支えても、まったく意に介さない。
そこからは、生成された広い空間をひたすら飛び回ることに時間を使った。
自分の翼が小さいから飛びにくいと思っていたのだが、実際はそうでもないらしい。
羽ばたきで飛ぶというよりは、己に宿る天使のチカラで体を浮かせる。翼は車でいうハンドルに過ぎない。
この解釈で合っているだろうか。
そして時間は流れ、夕刻。初日の訓練終了のチャイムが鳴る。
「…っく。はあっ!もうダメです……っ」
床に落ち、膝をついて息を切らすエルカ。首筋と頬から汗が滴り落ちる。
全力疾走した後のような疲労感だ。集中していた精神が途切れたことで、一気にくる。
「よく頑張った。今日はここまでにしようか」
今日の成果。15秒間、自力で浮けるようになった。以上。
こんな調子では、空を自由に飛び回るなんてとんでもない。偽翼を使っていた頃の感覚が恋しい。
ダイヤが手を叩くと、真っ白空間が元のトレーニングルームへと戻っていく。
「飛ぶのがこんなに難しいなんて……」
もしかしたら、すぐに1人前の天使になってカマエルの手助けができるかも。
そんな考えが片隅にあった今朝の自分を咎めたい。
「大事なのは継続よ。エルカちゃん、すごく集中してできてたもの。すぐに飛べるようになるわ」
また明日と言って軍校を出る。教官2人は残った仕事に取り掛かるようだった。
寮に戻ったエルカは、真っ先にカマエルの部屋のインターホンを鳴らしていた。
一度……30秒ほど待ってもう1回。反応なし。
「まだ帰ってないのかな」
ほかの天使はもう戻っていることを考えると、カマエルはよほどの激務をこなしているのか。
もう日が落ちて食堂と浴場が混み始める時間帯だ。どうせ今ひとりで行っても渋滞は避けられないので、カマエルを待つことにした。
荷物は自室に置いて、1階の出入口が見通しやすいベンチで数時間。
こういう時、連絡手段が無いのがもどかしい。カマエルのことだ、その身に何かあったりはないだろうが。
これ以上は明日に響く。仕方なく打ち切ることにした。
自室に戻り、持ってきた日記帳に今日の分を書き込む。ペンを走らせているうちに、ふと思いついた。
ちょうどいい通信手段がここにあるではないか。
交換日記だ。これなら、互いのスケジュールのすれ違いも関係ない。
カマエルに調子を問いかけるようなオチにして、カマエルの部屋のポストに投函する。
もし夜中に帰ってきたら、返事を書いてくれることを願って。
交換日記など、昔友達とやったくらいだ。マジメな連絡手段としては原始的すぎるが、いざやってみるとワクワクしてくる。
翌日、その日記帳はエルカのポストに返却されていた。返事はしっかり書かれていた。




