《No.18》ヴァルハラ1日目、終了
ミカエルドメイン事務所を出た2人は、とくに打ち合わせたでもなく伸びをしていた。
「アイツの話を聞くと肩がこる」
「けっこう思った通りの人でしたね。カマエルの上司さんって感じ」
「どういう意味だよ」
本格的な活動は明日からだ。カマエルはミカエルの作戦に参加し、エルカは天使の軍校に入る。
寝泊まりは天使の寮を使うよう、ミカエルに言われた。最近謎の空き部屋が多いらしいが、紫水晶の影響だろう。
今日は長距離移動と戦闘、対談で疲労が溜まっている。だが寮へ直行して早めに休む、というわけではないようだ。
立ち寄ったのは服屋だった。フォーマルな衣装を取り揃えているタイプだ。
正面のショーウィンドウには、「新米天使に選ばれています!」「オーダーメイド承っております」とある。
「天使になったなら買っとかなきゃな……」
カマエルが立ち止まったのは、学生用の制服のコーナーだった。
「せ、制服ですか?天使ってみんなスーツですよね。浮かないかな」
「そうでもない。俺だって銅輪時代は学ランでやってたからな」
そう言われてエルカは、”若き伝説”のさらに若りし姿を思い浮かべる。
想像上のカマエルはいつでもしかめっ面だ。
「でも……今まで女の子で制服着てた天使はいたんですか?」
「どうだったかな。男でも未成年天使はレアだけどな」
カマエルは少し考え込むような仕草をした後、軽く口を開いた。
「……いた。そういえば。だいぶ昔の話だが」
光の薄い瞳は焦点の向く先がわからない。「だいぶ昔」を思い出しているのだろうか。
その女の子はカマエルの知り合い?どういう関係だったの?同い年?今はどうしてるの?
聞いても怒りはしないだろう。けれどどうしてかブレーキがかかるのは、彼に配慮しているからではない。
聞いたら後悔するかもしれないと、どこか片隅で思ってしまっている。こんなとき、わが身を顧みない無謀さが欲しくなる。
「どうですか?」
あれこれ脳内反省会をしながら、試着室から出た。
「似合ってる似合ってる。もう一端の天使だ」
ブレザーとスカート、どちらも紺色チェックの落ち着いたものを選んだ。
これならスーツの群れに紛れても目立ちはしないだろう。デザインも故郷の学園に近いものがあって助かった。
裾直しはその場で行われ、即日で受け取れた。
店を出ると、空はすっかり暗くなっていた。
繁華街の人通りは昼夜でほとんど変わらない。この栄えた景色は絶望を忘れるためか、いつかくる最後の晩餐に浸っているのか。
そんなヴァルハラを突っ切って歩いていく。
「悪いな、その辺を回るにはちょっと遅かった」
「大丈夫です。平和になったら、じっくりしましょうね」
「いくらでも連れてってやるよ」
それから数分歩いた先に天使の寮についた。
寮というくらいだ、こじんまりした建物を想像していたが、その予想は大きく外れた。これは寮というより……
「高級ホテルみたいですね」
広大な敷地にどっしり構える、縦に長い建物。等間隔に配置された小窓の各所から光が漏れている。
エントランスに入ると、中は普通のビジネスホテルといった感じだ。多少のこじゃれた装飾が目に付くくらいで、外観ほど派手ではなかった。
「まずは荷物降ろしてくるか。その後に飯だ。ほら、部屋の鍵」
カマエルから3本の鍵を受け取る。そのうち1本は形が違った。
「俺の部屋の合鍵は預けとく。何かあったらすぐに呼べよ」
「さすがにここで何かあったりは無いんじゃないですか?」
「わからんぞ、例えばいかつい金輪天使が押し入ってきたりな」
ミカエルのことを言ってるのか。そんな冗談を聞きながら、エレベーターで目的の階まで登る。
廊下に出たら部屋はすぐそこ、隣り合わせだった。
間取りは1K、キッチンはコンロ3つにトイレ風呂別々、エアコンもある。
ベランダは無いが、窓からはヴァルハラが一望できた。
買った制服をクローゼットにかけ、荷物を置いて外に出た。
「部屋に何か残ってなかったか?」
廊下で待っていたカマエルが聞いてきた。
「え、何もなかったと思います。掃除もちゃんとされてたみたいだし」
「そうか。ならいいが」
前の住人の遺留品があれば、放っておくわけにはいかないだろう。
しかし完璧な原状回復だった。物はおろか、傷や汚れも全く見当たらなかった。
その点では、カマエルの部屋の方が心配なくらいだ。
「カマエルさんの部屋は大丈夫なんですか?半年もいなかったんだから」
「問題ねえよ。前の事務所と同じくらいにはキレイにしてる」
それなら問題だ。数日前に行った拠点の大掃除で思ったのだが、カマエルは案外ずぼらなところがある。
特に生活感の出る脱衣所やキッチン、彼のよく座っていた椅子周りなんかは酷い有様だった。
『こう見えて整ってんだよ。どこに何があるかわかればいいだろ』
男性らしいと言えばらしいか。
「じゃあ、いつか抜き打ちでチェックしに行っていいですか?」
「落第食らわない程度にはキレイにしとくよ」
1階まで降り、次に向かったのは大食堂。これがとんでもなく広い。並みのショッピングモール以上のキャパがある。
ボリューム層は銅輪だが、ちらほらと銀輪が見える。
コックやウェイトレスなどのスタッフは一般人が行っているようだ。
着席し、メニューを見る。庶民的なものから高級志向のものまで、あらゆる料理が揃っている。
エルカは昔雑誌で見たことがある、ヴァルハラ定番の料理を選んだ。値段が思ったより安いのは、天使割引きだろうか。
カマエルも同じメニューを倍盛りで頼んでいた。
食後の入浴も施設内で行える。食堂から出た人が皆同じ方向へ向かっていくと思ったら、浴場は廊下を挟んですぐそこだった。
カマエルと脱衣所前で別れ、ひとり赤色の暖簾をくぐる。
中は女性天使が何人もいるが、同年代はいない。みな若く見積もっても20後半から30、40代だ。
会話に耳を立ててみると、カマエルのことを話しているようだった。
ミカエルドメインにあの天使が戻ってきたって本当?
ミカエル様は何を考えてるの?
そもそも今更戻ってきて何ができるの?
結局刑はどうなるの?まさかあれで終わり?
大浴場に出ても同じだ。エルカは今日のミカエルの話を思い出した。
末端の天使にとっては天界の行く末よりも、ゴシップの方が気になるのか。
カマエルは天界を守るために戻ってきたんだ。言い返す気にもならず、話が聞こえないように人の少ないところで湯に浸かった。
電気風呂だとか、岩盤浴とか、ある程度一回りしたところで上がることにした。色々回ったが、結局気に入ったのは最初に入った美白の湯だった。
髪を乾かしてレンタルの浴衣に着替え、廊下に出る。
自販機隣のベンチでカマエルが待っていた。もちろん浴衣姿だ。
「よう。ずいぶんお楽しみだったみたいだな」
「カマエルさんが早すぎなんです。何て言うんだっけ……そうだ、烏の行水」
「男なんてみんなこんなもんだ」
カマエルはジェスチャーでエルカを呼び寄せる。
「手ェ貸してみ」
言われるままに両手を差し出すと、カマエルがそれに被せてきた。
「わ、冷たっ!」
渡されたのは、瓶入りのコーヒー牛乳だった。
自販機で買ったものだろう、そばにもう一本置いてある。
「ここでの風呂上りはこれって決めてんだ」
カマエルはそう言って封を開け、勢いよく飲んでいく。
エルカも隣に座り、渡された瓶に口をつける。
冷たい。カフェインや周りの人々がどうでもよくなってしまうほど、ゆったりした時間だ。
この安息はコーヒー牛乳を飲み干したあとも、風呂上りの余熱が収まるまで続いた。
「明日からだな」
「はい」
自室の前まで戻り、最後に「おやすみ」を交わして締め。
そうなる流れかと思ったが、カマエルはその場で立ち止まったままだ。
「エルカ」
「はい?」
さっきのように手招きされるので、エルカは反射的に歩み寄る。
「――え」
抱き寄せられた。片腕で、包み込むように。
視界は閉じ、感じるのは優しくも固いカマエルの胴体、互いの体温とボディソープの残り香。
状況の意味がわからず、一瞬で顔が湯立つ。こんなまるで、恋人みたいな。
「ちょ、ちょっとカマエルさん!?」
慌てふためいても、背中に回された腕が逃がしてくれない。
というか密着しているのは幸いだった。今の表情なんて見られようものなら、もう二度と彼と目線を合わせられる気がしない。
心は乱れて体温が沸騰したおかげか、体感時間は一気に鈍化する。
「がんばれよ」
時間鈍化を解いたのは、カマエルの一言だった。
これがほんの数秒の出来事だったと気づく頃には、カマエルはさっさと自室に戻ってしまった。
(こっ…こんな大胆なことする人だったっけ!?)
結局、熱は心身ともに朝になるまで覚めなかった。




