第1話 松波庄五郎、名乗る
永正十一年(1514年)、春。
山城国、乙訓郡、西岡、松波屋敷。
父に呼ばれて座敷へ入ると、父の膝の前に一通の書状が置かれていた。上書きにある妙覚寺の字は、私にも読める。
北面の武士を務めた家とはいえ、今の松波家に残るのは古い家名と、父が書き写してきた書物くらいだ。私はこの一年で、その書物のほとんどを諳んじていた。
父は書状に手を置いたまま、私の顔を見た。
「この家でわしの知ることだけを教えていても先がないから、京の妙覚寺へ入れ。日善上人には話を通してある」
「寺では、何を学べるのですか」
「経を覚えるだけでなく、字を読み、物事を考えることも学ぶのだ」
隣の間で、母は私の着替えを畳んでは広げ、また畳み直していた。父の話が途切れると、干し飯を包む手を止め、こちらへ顔を出した。
「峰丸、お前は父上の話にいつも先に頷くけれど、分かって頷いているのですか」
「分かっております。父上の書物なら、もうすべて読めます」
「それならよいけれど、分からなければ頷く前に聞きなさい。お寺の粥は薄いそうですから、腹が減ったら我慢せずに申し上げるのですよ」
私は笑って頷いた。その時は、寺での学びがそれほど難しいとは思っていなかった。父に連れられて京の二条衣棚にある妙覚寺の山門をくぐると、翌朝には髪を落とされ、法蓮房と呼ばれることになった。
父は山門の前で、私の剃りたての頭を一度だけ撫でた。
「次に帰ってくる時は、わしの知らぬことを一つ教えてくれ」
父はその日のうちに西岡へ帰っていった。その夜、寝所で聞こえるのは知らない僧の寝息ばかりで、母が鍋を置く音も、父が戸を閉める音もしない。寝返りを打つたびに剃ったばかりの頭が冷たい枕に触れ、明け方近くまで眠れなかった。
日善上人は、私が家で覚えてきた書物について一つずつ尋ねた。どの一節を指されても、私はすぐに諳んじることができる。
上人は黙って最後まで聞くと、同じ箇所をもう一度指した。
「よう覚えておるな。では、その箇所を己の言葉で申してみよ」
口を開いたものの、出てくるのはさっき唱えた文句ばかりで、言い換えようとするたびに元の一節へ戻ってしまう。上人はそれ以上責めず、明日また聞くとだけ言って席を立った。覚えていることと分かっていることは、どうやら別のものらしい。
私よりひと月遅れて寺へ入ってきたのが、南陽房だった。経の文句なら兄弟子の私が負けることはまずないが、南陽房は寺へ出入りする者の顔と名を一度で覚えてしまう。門前の者のことは、いつも私が南陽房に尋ねていた。
ある朝、薪を下ろした男を見送りながら、南陽房が私に耳打ちした。
「あの人、今日は腰をかばって歩いておりますから、昨日の雨で滑ったのかもしれません」
「そんなことをいつ聞いたのだ」
「聞いたのではありません。歩き方を見て分かったのです」
朝の読経が済むと廊下を拭き、粥をすすってから昼は机に向かい、夕方には庭を掃く。寺は、机の前に座っているだけで日が暮れる場所ではなかった。
* * *
幾度目かの春を迎える頃には、書き損じの紙もほとんど出なくなっていた。着物の裾は短くなり、後から入った小僧に字を教える役も回ってきた。
問答では、相手が言い淀む前に答えを返せるようになった。褒められる日も増え、私は言葉さえ通れば物事は進むと思い始めていた。
その日は、寺へ届いた米俵を夕刻までに蔵へ納めることになっていた。半分ほど運んだところで、奉公人の男が俵を下ろし、私に頭を下げた。
「法蓮房様、少し休ませてもらえませぬか」
「日が落ちれば蔵の戸を閉めるし、今日のうちに数を合わせねば明日の帳面が狂う。休むのは運び終えてからでもよいだろう」
男は言い返さず、俵の前に立ったまま動かなかった。
気づくと、黙々と俵を運んでいた南陽房も手を止め、男の肩口を見ていた。そのまま私の方へ向き直った。
「法蓮房殿も、一俵担いでみてはいかがですか。数を決めるのは、それからでもよいでしょう」
私は黙って俵を担いだ。二俵目まではどうにかなったが、四俵目には腕が上がらなくなり、五俵目は持ち上げることすらできなかった。
蔵の前で息をつき、ようやく男の肩に目をやった。着物で擦れたところが赤く腫れている。仕事を嫌がっていたのではなく、朝から何度も俵を運び、とうに肩を痛めていたのだ。
南陽房が水を汲んできて、黙って男に差し出した。私は残りの俵の数を口にするのをやめた。皆でひと休みしてから、最後の一俵まで一緒に運んだ。
夕べの勤めを終えると、私は上人に呼ばれた。米俵を運んだ時のことは、すでに耳に入っていたらしい。
「急ぐ事情は分かる。だが、あの者がなぜ休みを求めたのかは聞いたか」
聞いていない。何年も前に母が言った「分からなければ頷く前に聞きなさい」という言葉が、耳の奥によみがえった。
翌朝、薪の束の前にいた男に、私は仕事を頼む前に肩の具合を尋ねた。男は少し驚いた顔をして、肩を回してみせた。
「へえ、昨日よりはだいぶましでございます。薪なら、わし一人で縛れますで」
男はそう言って、自ら縄に手を掛けた。その年の秋、南陽房に美濃の常在寺へ移る話が来た。
荷をまとめる南陽房の横で、私は経本を紐で括るのを手伝った。南陽房は手を動かしながら口を開いた。
「法蓮房殿は、いずれ人に教える側に立たれましょう。上人様も、そのおつもりかと存じます」
「そうだとよいが」
「ですが私には、経を読んでおられる時よりも、山門で商人の話を聞いておられる時の方が楽しそうに見えます」
言い返そうとしたが、言葉が出なかった。米の値、旅先の宿の噂、家を継げずに京へ出てきた男の身の上。私はいつの間にか、そういう話の方に耳を傾けていた。南陽房が美濃へ発った後は、空いた寝床を見るたびに、自分がこの先どこで何をして暮らしたいのかを考えるようになった。
冬が終わる頃、私は上人の前で手をついた。
「寺で教わったことを、外で暮らしながら確かめとうございます」
「外へ出て、どうやって食っていくつもりだ」
「まだ決めておりませぬ。まずは西岡へ帰り、働き口を探します」
上人はしばらく私の顔を見つめ、やがてわずかに口元を緩めた。
「まだ決めておらぬと、己の口で言えるようになったか。ならば、出てもよい」
私はこれまでの教えに礼を述べ、髪を伸ばす許しを得た。還俗の支度は、思っていたよりあっけなく済んだ。
* * *
西岡の家へ着くと、母は戸口で私の頭を見て、しばらく口を開けたまま固まっていた。それでも何も聞かず、まず飯をよそってくれた。
「まずはお食べなさい。寺の粥よりは腹に溜まりますよ」
父は膳の向こうに座り、私が箸を置くのを待ってから口を開いた。
「なぜ帰ってきた。これからどうするつもりだ」
「寺の外で暮らしてみとうなりました。名を松波庄五郎と改め、働き口を探します」
「そうか。ならば、まずは明日の飯の分を稼いでみよ」
寺で学んだことを惜しむ言葉は、父の口から出なかった。母は黙って手を伸ばし、空になった椀を受け取った。
翌朝、私は自分の手で家の戸を開けた。表の道を天秤を担いだ物売りが呼び声を上げて通り過ぎ、その後ろに荷を背負った男たちの足音が続いていた。私は庄五郎として、その音の方へ踏み出した。




