五人の王は笑った
五人の若き王たちは、地下から響いた謎の声を聞いた後も、しばらく円卓の間に立ち尽くしていた。
誰も口を開かなかった。
氷の王女エリシアは、青ざめた顔で地下へ続く扉を見つめていた。
火の王ガルドは、消えてしまった炎をもう一度手のひらに灯そうとしていた。
「……くだらん」
最初に口を開いたのは、ガルドだった。
しかし、その声には、いつものような力がなかった。
「何だよ、今のは」
誰も答えない。
「地下に何かいるなら、兵士を連れて行けばいい」
ガルドは無理に笑った。
「大げさに騒ぐ必要なんかない」
「そうね」
光の女王セレナが言った。
「誰かが私たちを脅かそうとしているだけかもしれないわ」
「五人の先王が消えたことまで知っている」
水の王マリウスが低い声で言った。
「偶然とは思えない」
「じゃあ、何だっていうんだ?」
風の王フェリオが苛立たしげに立ち上がった。
「幽霊でもいるのか?」
「知らないわよ」
エリシアが答えた。
「でも……」
彼女は地下を見た。
「私は、あの声を聞いたことがある気がする」
四人がエリシアを見る。
「何?」
ガルドが尋ねた。
「昔……まだ父が王だった頃」
エリシアは眉を寄せた。
「夜中に、父が誰かと話している声を聞いたことがあるの」
「誰と?」
「分からない」
「その声と同じなのか?」
エリシアは、ゆっくりとうなずいた。
「似ていた気がする」
沈黙が落ちた。
ガルドは鼻で笑った。
「子供の頃の記憶なんて、当てにならない」
「そうかもしれない」
「なら、もういいだろ」
ガルドは扉へ向かった。
「俺は帰る」
「待ちなさい」
セレナが言った。
「まだ話は終わっていないわ」
「何の話だ?」
「地下のことよ」
「兵士に任せろ」
「もし危険だったら?」
ガルドは振り返った。
「だったら、俺が焼き払う」
「何でも焼けば解決すると思っているの?」
「何だと?」
「やる?」
「やめて!」
エリシアの声が響いた。
二人が止まる。
「今、ここで争ってどうするんですか」
「こいつが――」
「ガルド」
エリシアは静かに言った。
火の王が黙る。
「今は、それぞれ国へ戻りましょう」
「逃げるのか?」
「違います」
「じゃあ何だ」
「考えるんです」
エリシアの言葉に、フェリオが苦笑した。
「珍しいな」
「何がですか?」
「お前が『考える』なんて言うの」
「どういう意味ですか」
「最近のお前たち、考える前に殺すか、閉じ込めるか、命令するかだっただろ」
「フェリオ!」
「事実だろ?」
その言葉に、誰も反論できなかった。
エリシアは目を伏せた。
セレナは顔を背けた。
マリウスは黙り込んだ。
ガルドは舌打ちをした。
フェリオは、そんな四人を見回した後、扉へ向かった。
「俺も帰る」
「フェリオ!」
「何だよ」
「勝手に帰らないで」
「勝手に集まって、勝手に地下が揺れて、勝手に変な声がした」
フェリオは肩をすくめた。
「俺には関係ない」
「関係あるでしょう!」
セレナが叫んだ。
「五人の王が消えたんだぞ!」
「だから?」
「次は私たちだと言われた!」
「だったら、その時になったら考える」
「あなたは……!」
「じゃあな」
フェリオは手を振った。
「次の会議には、もっとまともな酒を用意しておけよ」
「誰がするか!」
ガルドが怒鳴った。
フェリオは笑った。
「じゃあ、お前が持ってこい」
「お前……!」
火の王の手に炎が戻った。
しかし、フェリオはもう歩き出していた。
「帰るぞ」
ガルドも続いた。
「俺もだ」
「マリウス」
セレナが呼び止める。
「お前はどうする?」
水の王は少し考えた。
「……帰る」
「あなたまで?」
「国に問題が山積みだ」
「珍しいじゃない」
「褒めるな」
マリウスは苦笑した。
「何だか嫌な予感がする」
そう言って。
彼もまた、円卓の間を後にした。
残ったのは、エリシアとセレナだった。
「あなたは?」
セレナが尋ねる。
エリシアは地下への扉を見た。
「私は……」
少し迷った後。
「帰ります」
「地下を調べないの?」
「今の私には、何も分かりません」
「そう」
セレナは小さく息を吐いた。
「私もよ」
二人は並んで歩き出した。
巨大な扉を閉める。
円卓の間から。
五人の若き王たちは、去っていった。
最後の扉が閉じた。
――バタン。
大広間は、急に静かになった。
先ほどまで五人の王が座っていた円卓。
豪華な椅子。
置き去りにされた酒杯。
食べかけの果物。
そして。
誰も座らなくなった五つの王座。
老臣は、しばらくその光景を見つめていた。
やがて。
深く、長いため息をついた。
「……まったく」
その声には、怒りよりも疲労があった。
「何年も待った」
老人は呟いた。
「ようやく戦争が終わると思った」
「ようやく、あの子供たちがまともな王になると思った」
「だが……」
老臣は五つの椅子を見た。
「早すぎたのだ」
その時。
円卓の間の奥から、人影が現れた。
氷の国の老臣。
光の国の女官長。
水の国の軍務大臣。
火の国の宰相。
風の国の大臣。
五人の側近たちだった。
彼らは、最初から壁際に立ち、若き王たちの会話を聞いていた。
氷の国の老臣が言った。
「エリシア様は……最近、特に危うい」
光の国の女官長も頷いた。
「セレナ様もです」
「昔は、あんな子ではありませんでした」
火の国の宰相が苦しそうに言った。
「ガルド様は、もう誰の言葉も聞かない」
「俺が何度も忠告した」
「しかし、聞き入れなかった」
水の国の軍務大臣が言った。
「マリウス様も同じだ」
「王としての責任を、少しずつ我々に押しつけ始めている」
風の国の大臣は、苦笑した。
「フェリオ様など、会議を途中で抜け出すことが日常になっております」
「この前は、空を飛ぶ鳥を追いかけて、国境を越えました」
「笑い事ではない」
火の国の宰相が言った。
「分かっている」
再び。
沈黙が訪れた。
五人の家臣たちは、それぞれの国で、長い間仕えてきた者たちだった。
王たちが生まれた時から知っている者もいた。
歩けるようになった日。
初めて魔法を使った日。
泣いて、笑って。
父や母の後ろを歩いていた頃。
そのすべてを知っていた。
だからこそ。
今の姿を見るのが、誰よりも辛かった。
「昔のエリシア様は」
氷の国の老臣が言った。
「庭で凍えている小鳥を見つければ、自分の上着をかけるような子でした」
「セレナ様は」
光の国の女官長が続けた。
「傷ついた兵士のために、夜通し癒やしの魔法を使っておられました」
「ガルド様は」
火の国の宰相が笑った。
「城の厨房で働く老人の代わりに、薪を運んでいた」
「マリウス様は」
水の国の軍務大臣が言う。
「川に流された子供を助けるため、誰よりも先に飛び込んだ」
「フェリオ様は」
風の国の大臣が、少し遠い目をした。
「自分のおやつを、城下町の子供たちに配っていました」
誰もが知っていた。
五人は。
本当は、悪人ではなかった。
ただ。
王という重すぎるものを。
あまりにも若い時に背負ってしまったのだ。
そして。
あまりにも長く。
疑われ続けた。
命を狙われ続けた。
裏切られ続けた。
気づけば。
誰の言葉も信じられなくなっていた。
「……もう」
老臣が呟いた。
四人が老人を見る。
老臣は、ゆっくりと顔を上げた。
その顔には。
長年、王家に仕えてきた者としての苦悩が刻まれていた。
「もう、監禁するしかあるまいな」
時間が止まったようだった。
「……何と?」
光の国の女官長が尋ねた。
老臣は繰り返した。
「監禁する」
火の国の宰相が、顔をしかめた。
「王を?」
「そうだ」
「五人全員を?」
「そうだ」
風の国の大臣が笑いそうになった。
「冗談でしょう」
「冗談ではない」
老人の声は低かった。
「王を閉じ込めるなど」
水の国の軍務大臣が言う。
「反乱が起きます」
「起こるだろうな」
「王たちが許すはずがありません」
「許させる」
「兵士たちが王を守ります」
「兵士の半分は、今の王に不満を持っている」
「しかし……!」
「聞け」
老臣の声が響いた。
全員が黙った。
老人は、ゆっくりと五つの空席を指さした。
「今、あの子たちに国を任せることができるか?」
誰も答えなかった。
「できるのか?」
再び。
沈黙。
「できない」
老人は、自ら答えた。
「今のあの子たちは、王ではない」
「絶対的な力を手に入れた、十五歳の子供だ」
その言葉は、あまりにも残酷だった。
しかし。
誰も否定できなかった。
「今なら、まだ間に合う」
老人は言った。
「今なら、あの子たちを殺さずに済む」
「……殺す?」
女官長が震えた。
「このままでは、いずれ民が立ち上がる」
老人は続けた。
「反乱が起きる」
「王たちは、それを鎮圧する」
「さらに民が死ぬ」
「そして、もっと大きな反乱が起きる」
老人は一人ひとりの顔を見た。
「最後には、どうなる?」
火の国の宰相が目を閉じた。
「……王の処刑」
「そうだ」
「革命だ」
水の国の軍務大臣が呟いた。
「五人の若い王は」
老臣は言った。
「民に殺される」
誰も動かなかった。
「そんなことは、絶対にさせん」
老人の声が震えた。
「私はエリシア様の祖父上にも仕えた」
「父君にも仕えた」
「そして、あの子が生まれた日も知っている」
老臣は拳を握った。
「王として殺されるくらいなら」
「私に憎まれろ」
「私を恨め」
「それでもいい」
老人は言った。
「生きていてくれればいい」
その言葉を聞いて。
火の国の宰相が、ゆっくりとうなずいた。
「……ガルド様も」
「生きていてほしい」
光の国の女官長も言った。
「セレナ様に、民から石を投げさせるような未来だけは……」
水の国の軍務大臣が答えた。
「マリウス様を守るためなら」
「私は反逆者になろう」
風の国の大臣は苦笑した。
「フェリオ様に殺されるかもしれませんな」
「その可能性は高い」
老臣が答えた。
「だが」
老人は言った。
「やるしかあるまい」
その時。
地下から。
再び声がした。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ――。
五人の家臣たちが、同時に地下を見た。
「……まただ」
誰かが呟いた。
地響きは、先ほどより小さかった。
しかし。
確かに聞こえた。
そして。
地下の闇から。
声が響いた。
「正しい選択をしたな。あんな子供達ではつまらん」
五人の家臣が凍りついた。
「誰だ!」
火の国の宰相が叫んだ。
返事はない。
ただ。
闇の奥から。
静かな声だけが聞こえた。
「王を救いたいのなら」
「まず」
「王から王冠を奪え」
その瞬間。
五人の王座の上に置かれていた王冠が。
カタカタと震え始めた。
氷の王女エリシアの王冠。
光の女王セレナの王冠。
水の王マリウスの王冠。
火の王ガルドの王冠。
風の王フェリオの王冠。
そして。
次の瞬間。
――パキン。
氷の王女の王冠に、ひびが入った。
「何だ!?」
続けて。
――パキン。
光の王冠。
――パキン。
水の王冠。
――パキン。
火の王冠。
――パキン。
風の王冠。
五つすべてに。
同じような亀裂が走った。
老臣は、その光景を見つめていた。
そして。
静かに言った。
「決まりだ」
五人の家臣が振り返る。
「今夜から準備を始める」
「何の準備を?」
老人は答えた。
「五人の王を」
一度、言葉を切った。
「王座から引きずり下ろす準備だ」
大広間に。
冷たい風が吹いた。
その頃。
五人の若き王たちは、それぞれ自分の国へ帰る馬車の中で、同じようなことを考えていた。
――何かがおかしい。
しかし。
まだ誰も知らなかった。
王を監禁するのは。
長年、自分たちを育ててきた。
最も信頼していた家臣たちだった。
そして。
彼らは王たちを救うために。
王たちから。
すべての自由を奪おうとしていた。




