沈んだ王国、水の国
火の国の復興が始まってから、数か月が過ぎた。
かつて灰と炎に覆われていた土地には、少しずつ新しい命が戻り始めていた。
焼け落ちた家の跡には、新しい家が建てられた。
干上がっていた井戸には、水が戻った。
黒く焼けた大地には、わずかながら緑が芽吹き始めた。
そして何より。
かつて敵同士だった五つの国の人間たちが、同じ土地で働いていた。
氷の国の魔術師。
光の国の神官。
水の国の技師。
火の国の職人。
風の国の運搬隊。
それぞれが自分たちの力を使い。
自分たちだけではできなかったことを。
五つの国で協力して成し遂げていた。
火の国の王、ガルドは以前とは変わっていた。
かつて。
「政治など家臣に任せればいい」
そう言っていた若き王は。
今では誰よりも早く復興現場へ現れた。
豪華な王の服ではなく。
汚れてもいい作業着を着て。
焼けた土地に立っていた。
「ガルド陛下!」
「何だ!」
「南の村で、新しい井戸が完成しました!」
「よし!」
ガルドは笑った。
「水が出たのか?」
「はい!」
「なら、見に行くぞ!」
「陛下、次の会議が……」
「会議の内容を井戸の前で聞けばいい!」
「そんな会議がございますか!」
「今日からある!」
火の国の家臣たちは。
以前なら恐怖で黙っていただろう。
しかし今では。
困ったように笑っていた。
「陛下」
「何だ?」
「少しは王らしくしてください」
「王らしく働いているだろ!」
「昔の陛下とは、意味が違います」
「うるさい!」
その声を聞いて。
周囲の者たちは笑った。
火の国には。
少しずつ。
笑顔が戻り始めていた。
だが。
西の大陸には。
まだ救われていない国があった。
水の国。
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1 海に沈んだ村
「次は、水の国です」
白い城の円卓で。
老臣がそう告げた。
五人の王。
氷の王女エリシア。
光の王女セレナ。
水の王マリウス。
火の王ガルド。
風の王フェリオ。
五人は地図を囲んでいた。
その中央にあるのは。
水の国だった。
無数の川。
巨大な湖。
広い海。
水の国は、西の大陸の中でも最も豊かな国の一つだった。
少なくとも。
かつては。
「水の国は豊かだろ」
ガルドが言った。
「海がある」
「川がある」
「魚も取れる」
「船で交易もできる」
「何を復興する必要がある?」
その言葉に。
マリウスは何も答えなかった。
フェリオが地図を見つめる。
「……あれ?」
「何だ?」
「この村」
フェリオは地図の一点を指さした。
「名前に線が引かれている」
老臣が答える。
「消滅した村でございます」
「消滅?」
「はい」
「戦争で焼かれたのか?」
「いいえ」
「なら、何だ?」
老臣は静かに言った。
「沈みました」
五人が沈黙した。
「……村が?」
セレナが尋ねる。
「はい」
「海に?」
「海に」
マリウスの顔が。
わずかに変わった。
「何人いた?」
彼が尋ねた。
老臣は答えた。
「二千三百人ほどです」
「生存者は?」
「現在確認されている者は、三百人ほど」
マリウスの手が止まった。
「……二千人は?」
誰も答えなかった。
「答えろ」
老臣が目を伏せる。
「行方不明」
マリウスは立ち上がった。
「そんな報告、聞いていないぞ」
「何度も報告いたしました」
「……何?」
「陛下が会議に出席されていた頃から」
「……」
「何度も」
マリウスは何も言えなくなった。
それは。
フェリオが聞いた言葉と同じだった。
会議では。
ずっと話されていた。
しかし。
王は聞いていなかった。
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水の王の帰還
数日後。
五人の王は水の国へ向かった。
水の国の王都は。
巨大な運河によって作られていた。
美しい石造りの橋。
水の上に建つ市場。
無数の船。
王宮の周囲には、巨大な港が広がっている。
一見すれば。
豊かな国だった。
マリウスは馬車の窓から外を見た。
「ほら」
彼は言った。
「見ろよ」
エリシアたちも窓の外を見る。
市場には魚が並んでいる。
船が港へ入ってくる。
商人たちが忙しく働いている。
「これのどこが悲惨なんだ?」
誰も答えなかった。
その時。
馬車が橋を渡り始めた。
そして。
マリウスは気づいた。
橋の下。
運河の端に。
人々が集まっていた。
汚れた服。
やせ細った子供。
小さな船の上で暮らしている家族。
「……あれは?」
マリウスが尋ねる。
側近が答えた。
「避難民でございます」
「どこから来た?」
「沈んだ村から」
マリウスは振り返った。
「なぜ、あんな場所にいる?」
「住む場所がないためです」
「王都に家を用意しろ」
「以前、その案はございました」
「なら、なぜ作らなかった?」
「……予算が」
「予算?」
「はい」
「水の国は金があるだろ!」
「王宮の維持費」
「貴族への補助」
「軍備」
「そして、陛下の船と宴の費用が……」
マリウスは黙った。
以前の彼なら。
怒鳴っていたかもしれない。
「俺を馬鹿にしているのか!」
そう叫んでいたかもしれない。
しかし。
今のマリウスは違った。
「……そうか」
それだけだった。
そして。
馬車を止めた。
「陛下?」
「降りる」
「しかし――」
「いいから止めろ」
マリウスは馬車から降りた。
そして。
運河の端へ向かった。
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3 水上の家族
小さな船の上に。
一人の女性が座っていた。
その隣には。
二人の子供。
女性は王に気づくと。
慌てて頭を下げた。
「へ、陛下……」
マリウスは船を見た。
あまりにも小さい。
四人も住めば。
身動きが取れないほどだった。
「家族は?」
女性の表情が変わった。
「……夫は」
「……」
「海に」
マリウスは黙った。
「村が沈んだ時です」
女性は続けた。
「船を探しに行きました」
「子供たちを助けるために」
「でも」
彼女は言葉を止めた。
「帰ってきませんでした」
小さな男の子が。
マリウスを見上げた。
「王様?」
「……そうだ」
「僕のお父さん、知ってる?」
マリウスは答えられなかった。
「お父さん、船で帰ってくる?」
その言葉に。
マリウスは目を閉じた。
「……分からない」
子供は悲しそうな顔をした。
「どうして分からないの?」
マリウスは。
もっと答えられなかった。
王なのに。
自分の国の民が。
どこで死んだのかも知らない。
何人が沈んだのかも。
どこに避難しているのかも。
何も知らなかった。
「……俺は」
マリウスが呟く。
「王なのに」
誰も答えなかった。
小さな船の上で。
水の王は。
初めて。
自分の国の水が。
人を救うだけのものではないことを知った。
水は。
運ぶ。
育てる。
潤す。
しかし。
奪うこともある。
飲み込むこともある。
そして。
何もかも沈めてしまうこともある。
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4 沈んだ村へ
翌日。
マリウスは一隻の船に乗った。
「どこへ行くのですか?」
家臣が尋ねる。
「沈んだ村だ」
「陛下!」
「何だ」
「危険でございます」
「だから行く」
「しかし」
「俺は王だ」
マリウスは海を見た。
「自分の国が沈んだのに」
「俺だけ安全な王宮にいるのか?」
船が動き始めた。
五人の王も。
それぞれ船に乗っていた。
数時間後。
船は海の上で止まった。
「ここです」
案内人が言った。
マリウスは海を見る。
「……何もないじゃないか」
「水の下にございます」
エリシアが海面を見つめた。
「村が?」
「はい」
マリウスは船の端へ立った。
「見せろ」
「陛下?」
「俺に見せろ」
マリウスが両手を海へ向ける。
水の国の王。
水を操る者。
彼の力によって。
海がゆっくりと動き始めた。
巨大な水の壁が。
左右へ分かれていく。
ザザザザザァァァ……!
海の底が。
姿を現した。
「……!」
五人の王が。
息を呑んだ。
そこには。
村があった。
家。
道路。
井戸。
市場。
そして。
崩れた建物。
すべてが。
海の底にあった。
マリウスは動けなかった。
「……」
海の底には。
一軒の家があった。
窓が壊れている。
扉は開いたままだった。
その前には。
小さな木馬が転がっていた。
「……」
マリウスは水を操りながら。
村の中へ降りた。
「陛下、危険です!」
「来るな」
「しかし!」
「俺が行く」
マリウスは。
海底の大地に立った。
そして。
沈んだ村を歩いた。
ザッ。
ザッ。
靴の下には。
かつて誰かが歩いていた道があった。
「……ここで」
彼は呟いた。
「二千人が」
答えはない。
ただ。
周囲を巨大な海が囲んでいた。
「俺が」
マリウスは拳を握った。
「もっと早く知っていれば」
その時。
背後からセレナが言った。
「マリウス」
「何だ」
「もっと早く知っていても」
「全部は救えなかったかもしれない」
「……」
「でも」
セレナは続ける。
「知らなかったことと」
「知ろうとしなかったことは」
「違うわ」
マリウスは目を閉じた。
「そうだな」
彼は。
もう一度。
沈んだ村を見た。
「だから、今度は知る」
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水を恐れる子供
復興作業が始まった。
しかし。
問題は。
村を作り直すだけではなかった。
海に沈んだ人々は。
水そのものを恐れるようになっていた。
「船には乗りたくない!」
「海の近くには住めない!」
「また水が来る!」
避難民たちは叫んだ。
ある少年は。
水を見るだけで震えた。
マリウスが近づく。
「名前は?」
「……リオ」
「何歳だ?」
「十歳」
「水が怖いか?」
少年は答えなかった。
しかし。
その震える手が答えていた。
マリウスは。
少年の前に座った。
「俺も怖い」
少年が顔を上げた。
「王様も?」
「ああ」
「嘘だ」
「本当だ」
マリウスは海を見る。
「俺は、水を操れる」
「だから」
「水を怖がったことなんてなかった」
「でも」
彼は続けた。
「俺の国の人間を」
「俺の目の前で、水が奪った」
少年は黙っている。
「だから今は」
マリウスは言った。
「水を甘く見ない」
「怖がるだけでもない」
「ちゃんと知る」
「知って、守る」
少年は小さな声で尋ねた。
「守れるの?」
マリウスは。
すぐには答えなかった。
「絶対とは言わない」
「……」
「でも」
マリウスは少年を見る。
「今度、村が危険になったら」
「俺が来る」
少年は。
しばらくマリウスを見つめていた。
そして。
小さく言った。
「約束?」
マリウスは頷いた。
「約束だ」
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五つの国、水を制す
水の国の復興には。
五つの国の力が必要だった。
マリウスは。
以前のように。
「俺の国の問題だ」
とは言わなかった。
白い城へ。
四人の王を呼んだ。
「協力してほしい」
ガルドが笑う。
「最初からそう言え」
「うるさい」
フェリオが腕を組む。
「今度はどんな仕事だ?」
マリウスは地図を広げた。
「まず、風が必要だ」
「俺?」
「ああ」
「海が荒れないように風を操ってほしい」
フェリオは地図を見る。
「……できる」
「本当か?」
「ただし」
フェリオは指を立てた。
「魔法だけでは無理だ」
「山を使って、防風林も作る」
「それには人手が必要だ」
「分かった」
次に。
マリウスはエリシアを見る。
「氷の壁を作ってほしい」
「海を凍らせるの?」
「一時的に」
マリウスは答えた。
エリシアは少し考えた。
「……可能よ」
「ただし、私の力だけでは長く保てない」
「火の力が必要だ」
ガルドが顔をしかめた。
「何で氷に俺の火が必要なんだ」
「あなたの火で」
エリシアは言った。
「海水を蒸発させて、水流を弱めて」
「氷が崩れないようにするの」
ガルドは驚いた。
「……そんなことできるのか」
「あなたが火を壊すためだけに使わなければね」
「お前」
「冗談よ」
「絶対、少し本気だろ」
そして。
マリウスはセレナを見る。
「セレナ」
「何?」
「光の国には、古い文献があるだろ」
「災害についての?」
「あるわ」
「全部持ってきてくれ」
「何を探すの?」
マリウスは答えた。
「この国が」
「なぜ沈み続けるのか」
五人の表情が変わった。
「……どういう意味?」
セレナが尋ねる。
マリウスは地図を指さした。
「一つの村だけじゃない」
そこには。
線で消された村の名前が並んでいた。
一つ。
二つ。
十。
二十。
五十。
「百年以上前から」
マリウスは言った。
「水の国では」
「同じ場所が沈み続けている」
部屋が静まり返った。
「自然災害じゃないのか?」
ガルドが尋ねる。
「最初は、そう思った」
マリウスは首を横に振った。
「でも」
「沈む場所が」
「多すぎる」
フェリオが言った。
「……何かあるな」
「ああ」
マリウスは頷いた。
「何かが」
「水の国の地下にある」
---
海底の門
数日後。
五人は再び。
沈んだ村へ向かった。
マリウスが海を分ける。
そして。
海底のさらに奥へ進んだ。
「こっちだ」
「何があるの?」
セレナが尋ねる。
「昨日」
マリウスが答えた。
「水の流れを調べていた」
彼は海底の岩壁を指さした。
そこには。
巨大な亀裂があった。
「この下から」
「水が流れている」
エリシアが目を細める。
「地下水?」
「違う」
「なら何?」
マリウスは答えた。
「分からない」
五人は。
亀裂の奥へ進んだ。
そこには。
巨大な石の門があった。
海底に。
あり得ないほど巨大な門。
表面には。
五つの紋章が刻まれていた。
氷。
光。
水。
火。
風。
五人の王は。
同時に息を呑んだ。
「……また、これか」
フェリオが呟く。
白い城の地下。
古代の扉。
そして今。
水の国の海底。
ここにも。
同じ五つの紋章。
マリウスが。
ゆっくり近づいた。
門の中央には。
一つの文字が刻まれていた。
古代の文字だった。
セレナが読み上げる。
「――五つの王が、一つとなる時」
「封じられた水は、再び目を覚ます」
ガルドが顔をしかめる。
「意味が分からない」
その時。
門の向こうから。
ゴゴゴゴゴゴ……。
低い音が響いた。
マリウスが振り返る。
「……今の」
海が揺れた。
海底の地面が。
震え始める。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!
「地震?」
フェリオが叫ぶ。
「違う!」
マリウスが叫び返した。
「水だ!」
その瞬間。
巨大な門の隙間から。
黒い水が流れ出した。
普通の水ではない。
光を飲み込むような。
異様に黒い水。
「何だ、あれ!」
ガルドが炎を放つ。
しかし。
黒い水に触れた炎は。
一瞬で消えた。
「火が消えた!?」
エリシアが氷を作る。
しかし。
氷も黒い水に触れた瞬間。
砕け散った。
「下がって!」
セレナが光の壁を作る。
黒い水が。
光の壁へぶつかった。
ジュウウウウウウ……!
壁が。
少しずつ。
黒く染まり始める。
「これは……」
セレナの顔が青ざめる。
「ただの水じゃない」
五人は。
巨大な門を見上げた。
そして。
門の奥から。
声が聞こえた。
低い。
深い。
まるで。
海の底そのものが話しているような声。
「――水の王よ」
マリウスが凍りつく。
「なぜ」
声が続く。
「お前は」
黒い水が広がっていく。
「我を眠らせることを」
「やめたのだ」
マリウスの顔から。
血の気が引いた。
「俺が……?」
「そうだ」
「俺が、何をした?」
返事は。
すぐに来なかった。
そして。
声は。
静かに答えた。
「お前の父も」
「その前の王も」
「そして」
海底の門が。
ゆっくりと開き始めた。
「消えた五人の王も」
五人は動けなくなった。
「すべて」
「この門を知っていた」
西の大陸。
五つの国。
消えた先代の王たち。
白い城の地下。
東の不毛の大陸。
そして。
水の国の海底に眠る。
黒い水。
バラバラだった出来事が。
少しずつ。
一つに繋がり始めていた。
マリウスは。
門の奥の暗闇を見つめた。
「父が……」
声が震える。
「俺の父が、ここに来ていた?」
その時。
暗闇の奥から。
誰かの足音が聞こえた。
ザブ。
ザブ。
水を踏む音。
「誰だ!」
マリウスが叫ぶ。
返事はない。
ただ。
黒い水の奥から。
一人の人影が。
ゆっくりと姿を現した。
五人の王は。
その姿を見て。
言葉を失った。
なぜなら。
その人物の顔を。
五人は知っていたからだった。
「……嘘だ」
マリウスが呟いた。
「そんなはずがない」
黒い水の向こう。
何年も前に消えたはずの人物が。
そこに立っていた。
水の国の。
先代の王。
マリウスの父だった。
そして。
彼は。
まるで何年も前から。
五人がここへ来ることを知っていたように。
ゆっくりと口を開いた。
「遅かったな」
海底の門が。
完全に開いた。
そして。
西の大陸を揺るがす秘密が。
今。
水の底から姿を現そうとしていた。




