6.ローズマリーの死 後編
※胸糞描写があります
次回、別のクズ旦那に王子が鉄拳制裁します。
ある日、ローズマリーに使用人が告げた。
「レイナルド様が、奥様と長らくお会いできなかった事をお詫びしたいと。
是非、王都で共に過ごしましょうとのことです」
使用人たちの冷遇や仕打ちを考えれば、疑惑が沸いただろう。
しかし、暴力と権力で支配されたローズマリーにはまともな判断は出来なかった。
(旦那様が……私に会いに来てくださる?)
これまでずっと放っておかれた新郎からの初めての申し出だ。
長らく待ち望んでいた人物からの言葉は、ローズマリーにかろうじて残されていたわずかな希望の灯火を揺らめかせた。
(……ああ、とうとうこの苦難から解放される日が来るのかもしれない……)
それまでは絶望の中に漂っていた彼女だったが、その瞬間、今まで抑え込まれていた感情が堰を切ったように溢れ出した。
「ようやく……会える……!」
ローズマリーを希望が湧き上がる喜びと安堵が胸を満たしていく。
一度も会ったことが無いからこそ、無意識に夫へ偶像的な愛と優しさを求め、幻想的な期待に胸を膨らませた。
「レイナルド様にお会いできるのですね……!」
夫が自分を迎えに来てくれる。
それが真実かどうか、ローズマリーには確かめる術がない。むしろ疑う余地すら失われている状態だ。
しかし、それでも良いと思えた。どんな形であれ、この地獄から抜け出せる可能性があるならばそれに縋りたかった。
もしかしたら夫は何も知らないかもしれない。
辛かったねと告げて、抱擁してくれるかもしれない。
両親に会わせてくれるかもしれない。お友達とも会えるかもしれない。
お忙しくてウエディングドレスを見ておられないなら、見せて差し上げたら喜ぶかしら。
それか、ヴェールだけで良いから、お父様とお母様に式を見せて安心させてあげたい。
旦那様のお仕事がお忙しいなら、お弁当を作って差し入れもしたい。
そして……そして――
温もりのある暮らしを夢見て、ローズマリーの想いは止まらない。
「……どうか、これが悪い夢ではありませんように」
ローズマリーの瞳には薄明るい光が映っていた。
「『ローズ』、『マリー』。旦那様に会えるわ、嬉しいわね」
彼女の中で今、現実と幻想が混ざり合い始めている。その境界線は曖昧で脆く、ちょっとした衝撃ですぐに崩れてしまいそうな儚さを持っていた。
馬車に揺られ、王都へ向かう。
「『ローズ』、王都は久しぶりに行くわ。デビュタント以来かしら?あの時はお父様がエスコートしてくれたのよ?」
ローズマリーはクマの『ローズ』を抱きしめ馬車に揺られていた。
人形の『マリー』は使用人に急かされたので置いて行ってしまった。
(マリーには王都の話を沢山お土産にしたいわ。あの子の服も作ってあげたい)
ローズマリーの目の前に広がる景色は一変した。
王都への道中は彼女の人生で最も幸福な旅となった。馬車の中で彼女は微笑み続けた。かつての虚ろな表情はどこにもなく、頬は紅潮し唇は柔らかな弧を描いていた。
(やっと本当の結婚が始まるのだわ……)
しかし、馬車は王都に行く道ではなく、荒れた街道へと向かっている。
ローズマリーは途中で気付いたが、何も言えなかった。ただ微笑んで馬車に揺られていただけだ。
街道は細くなり、行き先が何処なのかもわからない。それでも彼女の心は希望に満ちていた。
「ローズ、王都で美味しいご飯が食べられるかしら?
私、新しい絵本とお洋服をお母様におねだりしちゃうつもりなの……お母様驚いて倒れないかしら?」
その声は明るく弾んでいたが、馬車を操る御者からは返事はない。
不意に馬車から引きずり出される。
碌な食事も、睡眠も取れていないローズマリーの身体はあまりにも軽く、容易に引きずられて地面に転がる。
そこは断崖絶壁の風が唸りを上げていた。ローズマリーは男たちに両脇を抱えられ、震える足で岩肌に立ち尽くしていた。底が見えないその下には川の音が微かに聞こえている。
「お嬢さん、ここでお別れだ」
一人の男が冷笑を浮かべながら告げる。――コールデン侯爵家の執事の一人だ。
男はローズマリーが弾みで落とした『ローズ』を崖へと蹴り飛ばした。
「『ローズ』!」
「人形狂いの底辺女。奥様がな、あんたのこと邪魔だっていうからさぁ。お気に入りの令嬢とご当主様を嫁がせるのにあんたは要らないってさ。
王都で再会なんて大嘘だよ。あんな馬鹿丸出しの顔をされちゃあ、俺らも楽しくなっちまってなぁ」
もう一人が追い打ちをかけるように嘲笑う。
「お前みたいな貧相な女が坊ちゃんに嫁ぐなんて我慢ならないってよ。まぁ安心しろよ。ちゃんと処理してやるから」
ローズマリーは震える唇を噛み締めた。
「どうして……」
言葉にならない問いかけを搾り出す。
「なんで…こんな目に遭わなければならないんですか……?」
涙が頬を伝う。しかし彼女の眼前には答えなどなく、代わりに冷酷な現実が迫ってくるだけだった。
執事は笑いながら歩み寄って来た。
「いや……っ!助けて‼……せめて……お母様に会いたい、お父様と会いたい……‼お願いします……っ」
「恨むんなら己の不幸な運命と、親父を恨みな」
「あ…がっ………」
後頭部を殴られ、押し出されるように宙に舞った身体。
必死に伸ばした指先は虚空を掻くだけ。次の瞬間、ローズマリーの身体は宙に舞っていた。断崖から放り出されたのだ。悲鳴は風にかき消され、無慈悲な重力が彼女を奈落へと引きずり込む。
世界が回転し、視界が真っ赤に染まった。水面に叩きつけられる鈍い音と衝撃──
(……こわ…い…よ…………)
意識が途切れる寸前、最期に脳裏に浮かんだのは、温かい両親、自領で母の誕生日プレゼントを一緒に作ってくれたおねえさん。
冷たい食卓と嘲笑う義母の顔、そして部屋に残してきたアンティーク人形マリーの静かな微笑みだった。
+++++
時間が止まったローズマリーの部屋の中で『それ』は起こった。
人形『マリー』はローズマリーの絶望と死の感情を感じ取る。
(ローズマリー、死んだの?ローズ、ローズ。…いないの?)
分からない。だけど。
『マリー』は『ローズ』と一緒に見ていた。
最愛の人が殴られ、犬のように食事をさせられるのを。
ある日、スカートが真っ赤になって以降、碌に歩けなくなったのを。
その姿を見て嘲笑う連中を。
『マリー』は『ローズ』と一緒に聞いていた。
最愛の人の悲痛な叫びを。
全然幸せじゃないのに、夜通し幸せだと嘘を言わされているのを。
毎日泣いて、幸せだったおうちの事ばかり話していたのを。
――ボクはクマなのに!強い動物なのに!どうしてあいつらを止められないの!?
――私の手足が動いたら、ローズマリーを抱えておうちに連れて戻せるのに!
何度、思っても動かない体を、動かしたいと思ったか!
何度、ローズマリーを助けたいと思ったか‼
何度、ローズマリーを甚振る連中を殺したいと思ったか!!!
――よくも、最愛の人をころしたな。
たくさん、たくさん。
――よくも、ローズを切り刻んだな。
私たちを傷つけたくないから、ローズマリーはたくさんころされた。
――よくも、最愛の人に嘘をついたな。
たくさん、たくさん、たくさん…ローズマリーを殺して云ったな?
「――許さない」
『マリー』は、悪意に敏感だった。
悪意、侮蔑、高揚感。ローズマリーに向けられた悪意の全てが、自分へのものと同じように感じ、苦しんだ。
死の恐怖も。寂しさも。
『マリー』が受け入れがたいものを、全て受け止めてきたローズマリー。
それなのに、わたしたちは守れないの? まだ彼女は生きたいと思っているのに。
彼女が泣いているのに。パパとママに会いたいだけなのに。
『マリー』は、怒っていた。
「…………あの子に不幸を振り撒いた者共。必ず……必ず、『不幸』に堕としてみせる」
その瞬間、『マリー』の体が輝き始めた。
人形の表面を覆う埃や汚れが剥がれ落ち、内部の機構が音を立てて起動する。ぎこちなく動いていた関節が滑らかな動きを取り戻し、蒼褪めていたその表情はまるで生きた人間のようだ。
「……これが、私。――マリー」
――違う、この姿じゃない。
ストロベリーブロンドの髪とエメラルドグリーンの瞳は『マリー』のもの。
あいつらに復讐するにはこの姿じゃあダメ。『マリー』は自身の拳を見つめ、小さく呟いた。
――ローズマリーでなければいけない。
その目は怒りに燃え、口元には冷笑が浮かんでいる。
その復讐の炎は『マリー』の身を焦がし、艶やかな栗色の髪とエメラルドグリーンの瞳が綺麗な、やつれ果てる前のローズマリーへと変貌した。
今になって?どうでもいい。
ローズマリーを傷付けた連中を地獄に落とせるなら何でもいい。
――ローズマリーの受けた苦痛は全てお返しするわ、私は強い『ローズマリー』だから。
沢山の嘘でローズマリーを苦しめたのだから、沢山の嘘をお返しするわ。
何年も顔を見せない夫も、ローズマリーを鞭で叩いて『ローズ』を切り裂いた義母も、汚泥に浸したカビたパンを3日に一度投げ込み入浴だと冷水を掛ける使用人も。
綺麗な栗色の髪が抜け落ちたのを馬鹿にして毟ったメイドも。
お散歩が大好きなローズマリーから歩く事すら奪った連中みんな。
嘘を沢山ついて、ローズマリーに嘘を沢山言わせて何もかも奪った連中皆、みんな。
「――復讐してやる」
けれど、すぐには動かない。
私はローズマリー。淑女らしく優雅に自室で馬鹿どもの帰還を待ちましょう。
だって私は――。
「私はローズマリー・コールデン侯爵夫人。夫レイナルドに愛される妻よ」
無垢な青いドレスを翻し、マリーは口角を吊り上げて笑った。




