砕けた愛を掬ったあなたへ祈りを届ける (ヴィルヘルム)
「ヴィル。マリー嬢に関する魔法契約の件だけど、見て欲しい」
「これは‥‥‥」
魔法契約の効力が消えていた。それだけではない。
数十年経ったように劣化している。
他の信頼できる臣下やオールスにミューラー達には契約内容について確認したそうだ。
マリーが人形だったこと。そして、ローズマリー嬢が受けた拷問の記録の一部――女性の尊厳を踏みにじる所業の記憶がないとの事。
シモンズ男爵夫妻も同様に、娘が婚家で虐待され瀕死の重傷を負った事実のみ保持していると。
「事実、私も徐々にだが、女性にとってあまりにも酷な、その点だけが曖昧になってきている。ハッキリしているのは、ローズマリー嬢が婚家で虐げられたことや殺害の為連れ出された事だ」
「俺は今のところ、覚えてはいるが‥‥」
それはヴィルヘルムが聖女故だろうか?しかし、個人差があるならば――
「前例がないわけではない。当人同士の物忘れが激しくなった場合や歴史の影に消えていった何百年前の物も効力の消失はある」
「……」
「心残りがあるなら、きちんと清算しておいで」
「――悪いな義兄上、ごたごたしている時に」
そんなことは気にしなくていい。義弟には随分と苦労を掛けてばかりだ。
ああいう気概の者こそ王であるべきだろうに。
情に絆されてしまうとヴィルヘルムは自身を評価しているが、それを押し殺し責務を全うする覚悟を持ち合わせている。
カトレア・ファルケン公爵令嬢の件もそうだ。
『元王太子妃を自身の妃にすることは、立太子する義兄上への障害になりかねない。
――だから、令嬢に申し訳ないが、婚姻に関しては慎重に進めなければいけない』
何時だって国を想い、他者を慮る可愛い義弟の憂いが晴れるならば。
この位の積もった政務位はこなして見せる。
+++
予感はあった。
一つはローズマリー嬢の生家に赴いた時。
「まあ、どうしたのかしら。ローズマリーお嬢様のお部屋はキチンと掃除をしていたのに」
恐らくは人形だったマリーの小さなドレスや帽子が入っていた衣装ケース。
その中の物は風化し、塵も同然となっていた。
回復しリハビリの為に入院中のローズマリー嬢の両親に、ゼラ伝手に他にローズマリー嬢が大事にしている人形は無いか聞いて貰ったところ。
両親からも人形『マリー』の記憶は消えていた。
マリーが2度の死、物体の死と忘却の死を対価にローズマリー嬢の傷の身代わりになったとしたら。
――自身からもマリーの記憶が消える可能性が高い。
「死の聖女。いや、邪視の魔女ベアトリス殿。マリー嬢を弔いたいのだが、気を付ける事はあるか?」
彼女をきちんとした場所で眠らせてあげるのが、ヴィルヘルムに思いついた事だった。
魔道通信機越しのベアトリスは不機嫌な様子だったが、答えてくれた。
「……墓に名を刻んでも構わないし、あの子が好きなものを棺に納めてもいい。
ただ、グリンホルン共和国のシモンズ、メイソン、コールデン領は外しなさい。レイナルドのマリーへの妄執が尋常ではないから。
出来れば他国で埋葬しなさい。ああ、ローズマリー嬢の居る国でも問題はない。
ただし、聖女リコリスはあの子と繋がりが深すぎる。弔いに参加させない事」
「‥‥‥そうか、感謝する」
安堵するヴィルヘルムにベアトリスは問う。
「意外ね。あの娘が復讐に動いていたことを知っているのに、随分と情がある」
「…情、か。だから俺は王に向かない。
俺にはあの娘は大切な人を傷付けられ奪われた、泣きじゃくる少女にしか見えなかった。
為政者としては致命的だろう」
「情け深い王子様ね」
ベアトリスは冷たく言い放ち、背を向けた。
「あの子を弔うなら、グリンホルンから最も離れた地を選ぶことだ。さもなくば――」
彼女の金の瞳が鋭く光る。
「あの子の魂ごとレイナルドに縛られるかもしれない」
まあ、振興派とはいえ魔女二人の領域に居る以上、怱々ありはしないが。
「理解した」
ヴィルヘルムは頷き、通信を閉じた。胸中には複雑な思いが渦巻く。
もう一つ。この件に関わりのある彼女へと通信を繋いだ。
+++
マリーの死骸――正確には残されたドレスと粉々になった人形の欠片は、厳重に箱の中に納められていた。
その箱の上には、マリーが大切にしていた、ローズマリーが読んでくれたという絵本が添えられている。
ヴィルヘルムは箱を持ち上げると、廊下で待ち受けていたゼラに視線を投げた。
「どこにする?」
ゼラの問いかけに、ヴィルヘルムは短く答える。
「カルディア国、エルフォード領だ」
それはグリンホルン王国の東端に位置する小国であり、ヴィルヘルムの母方の曽祖父母が眠る霊廟があった。ローズマリーたちが住まうファインブルク王国から行くには、自国を経由し運河を渡る必要がある。
「賢明な判断だろうね」
ゼラは静かに認めた。
「ローズマリー嬢のことも考えて、あまり影響のない地は、そこくらいしか思いつかなかった」
二人は沈黙のうちに馬車へと乗り込み、王都を後にした。
+++
ヴィルヘルムの実母の国のエルフォード領の森は深い緑に覆われていた。夕暮れの薄明かりが木々の隙間から差し込み、苔むした地面を淡く照らしている。ヴィルヘルムは馬車を降りると、近くの川辺へと向かった。
「あそこがいい」
水面に映る自分の顔を見つめながらヴィルヘルムは呟く。
そこは、野花が咲く美しい木花の木の下だった。
「静かで、彼女を知る者が天寿を全うしても、誰にも邪魔されずに眠れるだろう」
ゼラは無言で頷き、準備を整え始めた。
まずヴィルヘルムが深く穴を掘り、その底に清潔な布を敷いた。そこにドレスの箱を安置し、土で覆う。最後に小さな石碑を立てた。
『ただ一人の友を愛し続けた 心優しき乙女 ここに眠る』
とヴィルヘルムが自身で書いた。
「それは?」
「赤やピンクも好きだと言っていたから、町で買った」
そう言ってヴィルヘルムは花束を石碑の傍に置いた。
祈りを捧げる。
風がそっと吹き抜け、自生したミモザの香りが漂った。
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帰り道、ヴィルヘルムは馬車の窓から遠ざかる森を見つめていた。
「終わったな」
「そうだね」
ゼラは短く答えたが、その瞳にはどこか寂しげな光が宿っていた。
「正直言って」
ヴィルヘルムはポツリと言った。
「マリー嬢のことを忘れるのが、怖かった」
大切な人から忘れられた彼女を、自身も忘れるのが。
彼女が喜んだものを訳も分からずに捨てることが。
「彼女もきっと同じだったと思うよ」
ゼラは仏頂面で告げる。
「だからこそ全てをかけてローズマリーお嬢様を救ったんだ」
「ああ……」
ヴィルヘルムは窓枠に肘をつきながら考える。
自分にとってマリーはなんだったのか。単なる復讐者ではなく、大切な人を想う無垢な少女だった。
ただ、愛する人の幸福を願った娘。
人形で居た頃の彼女はいつか、愛する者が伴侶との子を育み、母から子へと自身を受け継いでもらうのを待っていたのだろう。
馬車の揺れが穏やかに響く。ヴィルヘルムは窓辺に肘をつき、夕闇に溶けていく森を眺めていた。
「……ゼラ殿」
唐突に呼びかけた声は低く掠れていた。
「人形が人となるとはどういう心地だったのだろうな」
ゼラはすぐには答えず、しばらく沈黙した。視線を遠くの窓に向け、何かを探るように虚空を彷徨わせる。
「……どうだろうね」
やがて紡がれた言葉には不自然な重みがあった。
「命を得たきっかけ。――ローズマリーお嬢様の…死の気配を察したあの子の想いは一つだけ」
ヴィルヘルムは小さく笑った。どこか諦観を含んだ笑みだった。
「そうだな」
だがその声音にはすでに涙の兆しが混じっていた。
「俺はあの娘が人形だった頃からローズマリー嬢を慕っていたと聞いた。自分の意志など持てなかった頃から。そして――」
指先が袖口をぎゅっと掴む。
「やっと『人』になれたと思ったら――愛する人はもうこの世に居ないかもしれない。彼女と悲しみを分かち合った『兄』も居ない。
そんな状況で『復讐』以外の選択肢など、あり得ないだろう?」
語尾が震えた。唇を引き結ぶが、抑えきれない嗚咽が漏れる。
ゼラは静かに立ち上がり、上着の胸ポケットからハンカチを取り出した。
「ヴィルヘルム」
手渡しながらも言葉を探す気配はなかった。
「使いなよ」
ヴィルヘルムは素直に受け取り、目尻にそっと押しあてた。濡れた睫毛を拭うと視界が霞んでいたことに気づいた。車内に湿った吐息が残る。
「……酷い話だ」
呟きは深い悲しみを帯びていた。
「俺はあの娘の復讐を手伝う他無かった。それが彼女の唯一の望みだから。――でも」
ヴィルヘルムは俯いた。首筋に張り付いた赤い髪が一房垂れ下がる。
「本当はもっと平凡で暖かな道があったはずだ。好きだと伝える誰かが居たかもしれない。夜会ではなく祭りで踊ったり。
――ローズマリー嬢と一緒に菓子を作るだけで満足できたかもしれない」
ハンカチを握りしめる拳に力がこもる。
「何もかも奪ったのは――レイナルドだけではない。俺の無力も同じ罪だ」
「ヴィルヘルム」
ゼラは静かに制した。
「それは違う。私たちは最善を尽くした。あんたが言ったことだ」
「いいや」
否定の声は弱々しくも断固としていた。
「奪われた時間は戻らない。俺たちが手を伸ばしたときにはもう――」
涙が頬を伝った。一筋だけ。
「マリー嬢の幸せは砕けていたんだ」
不意に、ミモザの香りがした。
ヴィルヘルムはあの日の事を思い出す。
『デビュタントでローズマリー嬢はご両親と王城に来たから、見ているだろうな』
『そうなのね……!私、ローズマリーと同じ景色を見ているわ!』
「…あの晩、馬車の窓から王都の灯りを見せた時。マリー嬢は子どもみたいに目を輝かせていた」
ヴィルヘルムは遠い目で言った。
「大人びていたあの子が、初めて少女の笑顔を見せてくれた」
車内の空気が僅かに動いた。ゼラは深く頷く。
「ああ……それはマリーの心からの喜びだったろうね」
「だと、いいな」
砕けた彼女の幸せのほんの少しでも、集めることが出来ただろうか。
――王子さま、私、赤も好きになったのよ?
「――本当に、そうだといいな」
ヴィルヘルムの肩が僅かに震えていた。それ以上言葉を重ねることはなかった。
自国に戻ったヴィルヘルムは、邪視の魔女ベアトリスにマリーの弔いの完了報告をする。
しかし、ベアトリスの様子がおかしい。物凄いしかめっ面だ。
「お前、盾の精霊の加護の他に、新しい精霊の加護が付与されているぞ」
しかしそれは非常に弱いものだという。
「え?どんなものだ?」
「愛の加護。魅了とは別ね。お前自身やお前が愛するものを対象にして幸福をもたらすもの。
――まあ、実用は出来ないくらい微々たるもの。お守り程度かしら」
ベアトリスは内心でレイナルドが渇望するマリーの愛を、ヴィルヘルムがかっさらう形になった事を皮肉る。
レイナルドが狂気に至るほど求めた愛の欠片を、この脳筋のようで真面目で優しい王子が無自覚に拾い上げた。何とも残酷な皮肉だ。
「その加護は、お前が盾の精霊から授かった武勇の力とは違う」
ベアトリスは冷たく言い放つ。視線を逸らせながら。
「微力な分、お前に直接的な恩恵を与えるわけではない。――ただ」
指先で虚空をなぞり、何かを描くように。風がふわりと動いた。
「それは祈りだ」
声は低く沈んでいる。
「人形だった彼女の、最後の贈り物。お前への……感謝と祝福」
ヴィルヘルムが息を呑む音が部屋に響く。
「だがな」
ベアトリスは鋭い目で王子を睨みつけた。
「その加護に縋って泣くなよ?」
「え?」
「マリーはお前がしみったれて泣くのを望まない。もう十分だろうさ」
魔女の声が不意に優しくなる。それは叱咤と励ましの混じった調子だった。
「あの子が選んだ道だ。復讐も。ローズマリーへの献身も」
視線をヴィルヘルムへと戻す。金の瞳が鋭く光る。
「お前は余計なお節介で彼女に寄り添ったが……それで十分だ」
しばしの沈黙。
「ヴィルヘルム」
ベアトリスが厳かな声で呼ぶ。
「――分かっている。新たな加護に誓おう。
俺はこの国を良くする。そうして、あのような悲劇を起こさぬように努めよう。
不甲斐ない王族だが、どうか民の幸福の一助となって欲しい。
――それがあの娘からもらった愛情への報いになる」
マリーの微笑みを思い出す。
『優しくしてくれてありがとう』
あの一瞬の幸福のために――
ヴィルヘルムは拳を強く握った。
「俺は誓う。この力と心で民を守る。それが彼女の意思に対する……最大の敬意だ」
「ふん」
ベアトリスは鼻を鳴らし通信を終えた。
通信を切る直前、その頬が僅かに緩むのをヴィルヘルムは見逃さなかった。
「ああ」
問題は山積み。それでも。
ヴィルヘルムは立ち上がり、政務へと向かった。
君たちに誓おう。この国を良きものにすると。
何時か、君の愛する人が君に愛を育んだ故郷へ安心して戻って来られるように。




