身代わり令嬢は二度死に、最愛の幸福を掴む
ローズマリーのいる病院の一室は朝日を浴びて静寂に包まれていた。窓辺に吊るされたミモザの束が風にそよぐ音だけが、かすかに命の気配を伝えている。その寝室でローズマリーがゆっくりと瞼を開けた。
目覚めたローズマリーは身体が動く事や、髪が元に戻っていることに驚愕した。
「……ここは……?」
掠れた声が震えた。左手が無意識に毛布を掴む──動く。右手も。指の一本一本まで自在に操れる。信じられない思いで顔を枕から浮かせた。頸椎損傷で固定されていたはずの首が滑らかに動く。髪も艶を取り戻していた。指先で確かめるといつかの質感に戻っている。
「ロージー?」
扉がわずかに開き、男爵夫人アカシアが顔を覗かせた。瞬時に目に涙が浮かぶ。
「あなた……起きているの?」
「お母様……身体が……」
ローズマリーの言葉が途切れた。言葉にするより早く涙があふれてしまったからだ。
アカシアは夫を呼ぶなり部屋に駆け込み、娘を抱きしめた。シモンズ男爵もベッドの反対側に膝をつき、娘の額に手を当てる。
「ああ……聖女よ‥‥‥」
男爵の声がかすれる。
「ロージーの身体が……本当に……」
三人の嗚咽が朝の空気を潤ませた。
そのとき控えめにノックがあり、ゼラとリコリスがそっと入ってきた。手には小さな箱を携えている。
「…昨夜、共和国のヴィルヘルム第三王子と、他の聖女(魔女)が来てね。聖女の加護を施したのさ」
厳密にはリラをしばきに来たのと、ローズマリーから抽出した負の感情の回収だが。
これは、ローズマリーに禁術を行使した後、突然の回復に困惑する彼女への説明にと事前にシモンズ男爵夫妻とも打ち合わせて決めた事。
他に尋ねられて困るようならと、やんごとなき身分の方から自分が回復させたことにすれば良いとまで手紙を貰い、高貴な身分の方からの申し出にシモンズ男爵はひっくり返った。
本人たちがそれで通して問題ないとあっさりと言い放ったので、それに甘えることにした。
そのヴィルヘルム本人は事後処理を任せて来たからと、再び貨物用の移送方陣で戻っていった。
ベアトリス本人はぎっくり腰の夫に寄り添っている。
「まあ、お忙しいのね。お礼を言えていないわ。
――ゼラおねえさん……動ける。私、動けるわ。立てる…、けど。――フラフラするわ。寝過ぎは嫌ね」
「ああ。…少しずつ、慣らしていこう」
ゼラは涙を拭いながらローズマリーに告げる。
「ええ、手紙も書けるかしら?お世話になった方へお礼を伝えたいわね」
肉体の傷は癒えたとはいえ、長期の寝たきり状態だった為少しずつリハビリを進めていった。
立てる頻度も増えてはきたが、それでも立ちくらみが起きる為、当分は車椅子での移動がメインとなった。
回復が進んだローズマリーに、シモンズ男爵が告げる。
「王国に住むの?」
「ああ。今のロージーの体力では、国境を越えて領地に戻って、そこから病院を変えるのは負担になる。この病院のある領の隣領を王家から頂いてね。
そこで静養しながら通院したらどうかと打診されたよ」
何より、グリンホルン共和国は戦後処理や、とある公爵家の後継者問題でごたついている。
そんな中、シモンズ領に戻るのは危ないとヴィルヘルム王子からも忠告されたとシモンズ男爵は告げる。
「領民の皆、大丈夫かしら…」
「それがね、私たちが王国に移住することを知った領民の殆どは、新しい領地に移ると意気込んじゃってね。7割くらいの領民はこっちに来たんだ」
「残った高齢の領民たちですが…、王家管轄のもと信頼できる領地管理人として、ミューラーという方が領主代行として采配を振るう事となっています。
優秀な方ですが、シモンズ男爵家の意向を全面的に聞くので、どんどんダメ出しして欲しいそうですよ」
クラウス弁護士は淡々と告げた。
「領民の皆……!」
ローズマリーは思わず息を呑んだ。
魔道映像から見える新しい領地となる街並みの映像、仮設の木柵で区切られた向こうで、人々が汗を流しながら田畑を耕したり、資材を運んだりしている姿が小さく見えた。
「まさかそこまで……」
アカシア夫人が紅茶を淹れながら言った。
「みんな『領主様が王国に行くなら俺たちも行く!』って言い出して。バーンベルク侯爵様が『新天地への移住費用及び町の整備は全額補助する』と仰ってくださったのも大きかったわ」
「しかも……」
ローズマリーは車椅子から身を乗り出し映像へ近づいた。レンガ職人と思しき男たちが「オールスの兄ちゃん! この勾配はお嬢様にゃあ、ちょっとキツすぎるぞ!」と声を張り上げている。
麦藁帽子の下で新緑の髪が揺れる騎士のオールスも開拓を手伝っている。
ローズマリーは涙を拭って告げた。
「ふふっ、リハビリ頑張らないと。私の代わりに皆さんが耕してくれる大地だから」
ローズマリーの退院の許可が出た。
とはいえ、当面は杖を付いての移動になるし、長期の移動は車椅子が必須。
リハビリの為の通院も必要だ。
ゼラとリコリスが微笑んで近づく。
「ロージーお嬢様、おめでとう」
「ロージーお嬢様。退院出来て本当によかった」
リコリスの手には小箱があった。静かに横たわるのは掌に納まるほどの小さな人形。ストロベリーブロンドの髪に愛らしい赤いドレス。
瞼は閉じられ、どこか安心しきったような面持ちを浮かべている。
「この子……知っています」
ローズマリーの目が丸くなり、無意識に人形の名を呼びそうになった。けれど言葉は喉の奥で固まった。どこか遠くへ行ってしまった友達。
触れたら壊れそうな、脆い糸でつながれていた誰か。
「ごめんなさい。気のせい、みたい。……お名前はあるの?」
リコリスはそっと人形の頭を撫でた。
「『リリー』と言います」
「あら、私もお友達の『ローズ』がいるわ。…お友達になってもいい?」
「は…はいっ」
ローズマリーはローズに話しかける。
ローズも声を詰まらせながら、リリーを見ていた。
ローズマリーはリコリスから人形を受け取り、大切に指で髪を漉きながら胸の前で抱き締めた。
「……ありがとう。ローズのお友達になってね、リリー」
「僕は、ローズ。これからも、会おうね。…リリー」
彼女たちの言葉が空気を暖め、人形の髪が陽の光を纏い風に揺れる。
そしてリコリスは箱ごと人形を自身の胸元に抱きしめる。
病院の外では領民たちがローズマリーの退院を真っ先に祝いに来た。
オールスがガチガチに固まりながら、ローズマリーの好きなミモザの花束を贈った。
「オールス卿、私が入院中もお花を送ってくれましたね。ありがとうございます」
「あ…。こちらこそ、喜んで頂けて、良かった…です」
「よろしければ、私からもお礼をさせて欲しいのですが」
アカシア夫人は娘のの背をそっと押した。
「オールス卿。うちのロージーのためにこんなに素敵な花束を……」
差し出されたミモザの黄色い花束は春の訪れそのものだった。
ローズマリーは照れたように俯きながらも、しっかりと受け取った。
「素敵なお花を、ありがとうございます」
「いえ……むしろ毎回喜んでいただけて嬉しいです」
オールス卿は鍛え上げた体躯とは裏腹に、声が上ずっていた。
「実はこの花……シモンズ領でも咲かせていた品種なんです。移植したものが根付き始めまして」
「まあ……!」
ローズマリーの瞳が輝いた。故郷と新天地を繋ぐ小さな生命の証だった。
そのやりとりを眺めていたアカシア夫人がさりげなく口を開いた。
「そうだわ。オールス卿にお礼をお願いしようかしら」
「え?」
ローズマリーが驚いて振り向く。
「新しい領地の道をロージーと一緒に歩いてもらえませんこと?ロージーはまだ歩く練習中で一人だと心細いようだから……」
夫人はにっこりと笑みを浮かべて付け加えた。
「もちろん馬車の準備は整っておりますけどね」
リコリスが横で小さく息を呑む音が聞こえた。
(なるほど……!夫人の『デート作戦』だ)
オールス卿もローズマリーも真っ赤だし、シモンズ男爵も夫人の提案にオロオロしている。
ゼラはあらまぁと声を出しそうになっている。
ローズマリーの手の中のミモザが揺れ、花弁がひとひら床に落ちた。
「わたっ、私でよければ……」
「お、お任せくださいっ!」
二人の声が微妙に重なり合った。
「‥‥‥見ている?リリー。あなたが、ずっと…望んだロージーお嬢様が……」
声を詰まらせながらリコリスは続けた。
「全身で…今を喜んでいる姿を」
人形はなおも瞳を閉じたまま。だが陽に照らされて頬の輪郭が僅かにきらめいた。その一瞬、まるで微睡みの中で微笑んだように見えた。
リリーという名の小さな人形は二度と声を上げない。けれど、閉じられた瞼の向こうには確かに祝福の色が宿っていた。
読んで頂きありがとうございます。一先ずマリーの物語は終了とさせていただきます。
次回からレイナルド編となりますが、エリザベートらが非常にえげつない目に合います。
ご注意ください。




