39.身代わり令嬢①
月光が大理石の回廊を青白く染め上げる王城にて、第三王子ヴィルヘルムの帰還を祝う大夜会が幕を開けていた。
豪奢なシャンデリアがきらめく広間には、王宮音楽隊が奏でる軽やかなワルツが満ち溢れている。しかし表向きの華やかさとは裏腹に、貴族たちの表情には奇妙な緊張感が漂っていた。
「あの伯爵家の方々、夜会の装飾品を揃えられなかったのかしら」
「メイソン公爵家の一門だよ。職人らを不当に虐げた結果、彼らの逆鱗に触れたとか」
「私共も気を付けねばなりませんね」
ひそひそと囁き合う招待客たちの視線を受け、尻の裂傷が癒えたエリザベート・メイソン公爵令嬢は地味過ぎるいで立ちではらわたが煮えくり返る想いだった。
(何で、…折角の夜会なのに‥‥‥!!お父様とは会えないし、どうなっているの!?)
並び順も不可解だった。
まるで渦を描くように見知った顔ぶれが並び、親交の無い貴族が会場の端に並びメイソンの一門を揶揄する様は公開処刑のよう。
本来そこに立つべきではない無い公爵家や、隣国の使者まで舞台の端に居る。
全くもって奇妙な配置だった。
喝采と共に重厚な扉が開かれた。
荘厳なファンファーレと共に現れたのは――漆黒の軍服に金糸の刺繍を施した第三王子ヴィルヘルムであった。そして……
「あれは……レイナルド・コールデン宰相補佐では?」
「彼はメイソン公爵家の一門では?」
豪奢な出で立ちのレイナルド・コールデン侯爵だった。
なお、彼や一部の貴族たちの衣装は、排泄機能を制限する加護がふんだんに練り込まれている。
その隣には、同じく赤いベルベットドレスに身を包んだ愛人マリーの姿がある。
王子が祝杯を挙げるや否や、レイナルドはマリーへと駆け寄った。
「マリー!!」
レイナルドはやっと再会できた愛人マリーの肩を寄せ、周囲の好奇の目も気にせず熱烈なキスを贈った。マリーもまた喜んで受け入れる。
「ローズマリー……ああ、我が運命の……」
一方でエリザベート・メイソン公爵令嬢の父だけは出席を許されなかった。
王位継承権を持つ王子の帰還を祝う席で、戦争を引き起こしかけたメイソン公爵家の当主は出席を断られたのだ。
その対比はあまりに明白だった。かつて圧倒的優位にあった公爵家の一門が露骨に蔑まれている。
未婚で婚約者もいないヴィルヘルムのファーストダンスは高位貴族筆頭のファルケン公爵令嬢に奪われたものの、セカンドダンスを狙って殺到する貴族とその令嬢たち。
「ほほぅ……これは面白い光景ですね」
低く囁く聖女デイジーの声。バーンベルク侯爵がその声を拾う。
「あの二人、というか侯爵殿は周囲の視線にまったく気づいていないようですねぇ」
デイジーが示す方向には恍惚とするレイナルドとマリーがいた。
月明かりの広間の中央で、レイナルド・コールデン侯爵の情熱的な舞踏が人々の嘲笑と好奇を煽っている。
その片隅で壁に寄り添うエリザベート・メイソン公爵令嬢は唇を噛み締めながら俯いていた。
「なぜ……あんな女のために」
囁く声が震える。
何故あんな女が美しいドレスを着ているの。
自分にはどこの店も装飾品一つ売らなかったのに。
何で、何で、何で。
彼女の視線の先ではレイナルドが愛人マリーと密着し、公然と接吻を交わしている。
貴婦人たちが扇子で顔を覆いながら冷ややかに囁き合う中、レイナルドだけが恍惚の表情で現実から目を背けていた。
「エリザベート様、飲み物をお持ちしました」
傍らに立った若い騎士がグラスを差し出す。エリザベートは苛立ちを抑えきれずにその手を払いのけた。
「いらぬ!」
「申し訳ございません」
騎士の顔が蒼ざめる。
エリザベートは唇を噛みしめたまま奥歯で音を立てるほど強く歯を食いしばった。
(あんな無作法な女に……私のレイナルド様が……)
本来であればレイナルドはエリザベートの婚約者候補だった。王命でコールデン家とメイソン家は互いの血統を尊重せざるを得なかったはずなのに。
だが現実は違う。
コールデン家とメイソン家の血の繋がりは一代限り。
本来の王命はこちらが正しい。レイナルドの代で血の繋がりを絶つ。
しかし、オーギュスタに都合のいい話を聞かされ、レイナルドに恋慕するエリザベートは前者の偽りの王命を信じていた。
――あの女さえ、居なければ。
エリザベートは静かに歩み寄った。華やかなダンスフロアの喧騒の中、彼女の硬い足音だけが冷たく響く。周囲の貴婦人たちが何事かと振り返るが、視界に入ったのは『ケーキスタンドから銀皿を落とし慌てるメイド』という風情。
しかし、その手に握られているのはティースプーンなどではない。
光沢のあるケーキナイフの刃先がドレスの裾の影に潜んでいる。
「……マリー様」
突如、耳慣れない抑揚で呼びかけられた。レイナルドの胸元でワインを傾けていた愛人はその声に気付きもしない。
エリザベートは唇を噛みしめ、次の瞬間には距離を詰めた。
「おまえも、私を愚弄しているのか」
刃先が閃く。
「レイナルド様は私の物よ!!」
貴婦人たちの悲鳴、ヴァイオリンが裏拍で止まり、シャンデリアの炎が震えた。エリザベートは迷わず刃を突き出す。
だが――
突き刺さったそれに、僅かな違和感を覚えた。
「──あらあら?」
女の声は酷く明るかった。
次いで奇妙なことが起きた。
マリーの細い首が――180度回転する。そのエメラルドグリーンの瞳がエリザベートを真正面から捉えた。関節が逆方向に曲がり右手を伸ばしてエリザベートを捕まえる。
「やっと見つけました。ローズマリーを虐げた『お嬢様』」
声が反響する。どこにもない喉から発せられたように思える。
それを見たメイソン公爵家の家門の貴族たちは恐怖に腰を抜かし、レイナルドさえも愛人を見て硬直した。
その中でアーチバルドは率先して父王と側妃の避難を促し、ヴィルヘルムも混乱する来客たちを自然に特定の者だけ遅れるように避難させる。
聖女エヴァンス・バーンベルクはその場に残り、マリーの力の暴走に備えていた。
――意図的に、下手人の避難は遅らせる為でもあるが。
「さあ、私の可愛い指たち。マリーを身代わり人形にして頂戴」
マリーの首はさらに回る。一周したところで静止し、今度は左に捻る。
ドレスの裾がゆらりと膨らみ、布地の奥から幾千もの糸のような腕が伸びてきた。
「捕まえた」
お前が命令したせいでローズマリーは傷付いた。
よくも、ローズマリーを傷付けて、赤ちゃんを産めなくしたな。
だから、返して?
ローズマリーがお嫁さんになる夢、返して。
あの子はあなた達の所為で沢山傷付いたの、だから貴女が代わってね?
「――あなた達が奪ったもの、生きている彼らに返してね」
「ぎゃああああああああ!!!!!」
「返して?」
エリザベートが悲鳴を漏らしたその瞬間、マリーの身体が透き通るように輝いた。糸が数万本と飛び出し、エリザベートの肢体を絡め取る。
「全部、返して」
「やめて!イヤぁぁああ!!」
その金色の糸は生き物のように蠢きながら公爵令嬢の腹部に向かって這い進む。
糸一本一本がエリザベートの体内に侵入する。
苦悶に耐えきれず彼女は大きく仰け反り声を絞り出した。
「あぁあああーっ!!」
鮮血が吹き出すこともなく。
少女の白磁の肌はそのままに。
しかし見えない内部で確実な“変質”が進んでいた。
「ローズマリー……貴女の大切なもの……今度はちゃんと治りますように……」
マリーは慈しむような微笑みを浮かべる。
そして金色の糸が最後の一本まで公爵令嬢の体内に消えると同時に。
パキン──
硝子細工が割れるような甲高い音と共にマリーの右膝から先が粉々になった。
「まだ……終わっていないわ。だってローズマリーの痛みはまだまだあるもの……」
今度は両肩が灰に変わる。
ドレスの襟元から灰がこぼれ落ちてもマリーの表情は穏やかだ。
「返して。優しい人たちから盗ったもの、あなた達が補って」
その瞳だけが妖しく、だが慈愛に満ちた色を映し輝いていた。




