35.エメラルドグリーンのドレスと貧者の装い
社交界ではお尻以外にも、もう一つの噂で持ち切りだ。
メイソン公爵家とそれに連なる家門の者たちの非道な振る舞い。
彼らは聖女デイジーを拉致監禁しその力を利用するため彼女を暴行した。
目的は自身らが呪い殺した政敵の恨みが跳ね返り、メイソン公爵が呪われたからだ。
同胞である聖女を傷付けられ、聖女たちの怒りを買った一族は見るからに衰退した。
メイソン公爵家と関係ある貴族たちは、過去に職人への過度な要請や暴力行為を行っていた。
果てはメイソン公爵の甥であるレイナルド・コールデン侯爵の妻ローズマリーが馬車の事故で重傷。奥方が瀕死にもかかわらず、レイナルドは屋敷に愛人を囲い奥方を無視。
それに有名な細工師の作家でもあり聖女であるゼラ・ローズが激怒。
ローズマリー夫人はゼラ・ローズの創造の原点たる大切な存在だという。
彼ら作家は創造の原点を壊すことを何よりも嫌う。
今回の一件で、貴族用品店に卸したゼラの作品の全回収を命じた所、他の作家も追随。
ただし……。
選民思想の激しい貴族以外の顧客層――商人や地方の裕福な平民階級には引き続き供給を続けている。
英傑である第三王子のパレードでの王妃含めた貴族のいで立ちでそれは明確にされた
職人らと良好な関係を築いている貴族階級もその恩恵を受けているが――
メイソン公爵派は経済ドレス・布製品・革製品産業にまで致命的な打撃を受けていた。
「私は伯爵夫人よ!?どうしてドレスの一つ売れないというの!!」
「ヴァイオレット商会からの通達です。一切の高級品を売るなとのこと。
ご不満でしたら、ヴァイオレット商会の元締めであるファインブルク王国バーンベルク侯爵に直接お申し付けください」
「え…英傑様に…?しっ失礼しますわ」
慌てて出ていく伯爵夫人。店員は彼女に頭を下げた後、呟いた。
「あれで公爵家の本家だなんて、笑っちゃうわね」
「確かにね、あの女達のドレス姿は見たくもないし着せたくないわ」
「私達は聖女様に多大な迷惑を掛けた奴等なんて嫌いよ」
ドレスショップだけではない。宝石・服飾・靴・家具・調度品。
職人系聖女や著名作家たちの撤退。並びに、呪いの影響で領地が荒れ始めたものの、聖女に拷問や監禁を行う領地と周知されてしまった。
そのことで聖女の浄化の加護は延期され、メイソン公爵派閥は資産を消耗していくばかりだった。
商人や地方富裕層からは次第に「メイソン家は呪われている」という噂が広まり、市場での信頼は地に落ちる。
それは王家も同様だった。
ベリオドールの民をメイソン公爵家に引き渡した王太子。
王太子は病死した事とし、ベリオドールにその処遇を委ねた。が、彼を支持した正妃も無事では済まなかった。
ヴィルヘルム第三王子がベリオドールに遠征中。兵站を通常より減らすなど、ヴィルヘルムを戦死させる目論見も露見した。
正妃が貧者の装いを強いられていたことや、ヴィルヘルムの功績でギリギリ体裁を整えている状態だ。
否、国王はヴィルヘルム帰還のパレードの際、豪奢なドレスを正妃に送っている。
彼女はそのドレスに袖を通すことを拒否した。
「国を割るような伴侶は不要。
――選べ。其方が踏みにじって来た職人の怒りに身を包みその罪を露見させるか、私が贈った豪奢なそれで生涯を終えるか」
正妃の顔から血の気が引いた。
「まさか……陛下……あなたは私を……?」
――それは、毒のドレスだった。
国王ガーランドは冷徹な眼差しで妻を見据えた。その口元には一片の温情もない冷笑が浮かんでいる。
「私は二つの選択肢を与えた。それだけだ。
どちらを選ぶかは、そなたの自由。どちらも拒むならば――その時はそなた自身がこの国にとって災厄となる証明になるだろう」
寝室の隅に置かれた木箱を開けるように命じた。覆面をした侍従が恭しく蓋を持ち上げると、そこには異様な光沢を放つドレスが収められていた。
エメラルドグリーンの絹地に金糸銀糸で刺繍が施されているが、毒であるヒ素を顔料にした染料を使った美しい緑は嫌な匂いがする。華麗に見えるが着れば生命を蝕む凶器そのものだった。
「こちらはかつてそなたが愛用していた、メイソン公爵家御用達の最高級仕立て師が特別に仕立てたものだ。彼らもまた、私の慈悲を受けたのだよ。
皮肉なものだな? 最後に触れるのが其方と縁深き相手の毒とは」
隣に陳列されたもう一方の箱には、麻布で丁寧に包まれた簡素な衣類が納められている。素朴な麻素材を基本とし、唯一の装飾と言えば腰紐に縫い付けられた小さな木彫りの花くらいだ。それがまるで嘲笑のように浮かび上がる。
「そちらの木箱には平民の職人が作ったものだ。彼らの技術は素晴らしいが君は随分と非難した、だが、彼らの技術には美しさと温かみがある。
そなたの罪を知ってなお、手を貸してくれた。選びなさい」
正妃は唇を噛み締めながら二つの箱を見比べた。目の前に突きつけられたのは生存への誇りと死への恐怖との間で揺れる板挟みだ。
「陛下……このような辱めを……私のどこが誤りだったのですか?」
「誤り? ああ、確かに大きな過ちがあった。それは単純明快だ。
――私の子ヴィルヘルムを殺そうとしたこと。そして我が国の未来を暗闇へ導こうとしたこと」
背後の影から淡々とした足音が近寄ってくる。現れたのはアーチバルド第二王子だった。まだ若いながらも父親譲りの端正な面立ちと、母親譲りの青い瞳には冷徹な意志が宿っていた。彼は床に片膝をつき母妃に向き直る。
「母上、あなたは愚かだった。私がどれだけあなたの傲慢さと無知によって苦しめられていたか知っていましたか?」
その瞳からは涙ひとつ流れることはない。むしろ氷のように固まった感情だけがそこに残されていた。
「私は今日、ここであなたに伝えるべき言葉があります。――これ以上あなたの名誉を汚すことなく潔く退場すべき時です」
アーチバルドの声は冷たい。
何度も進言した。
側妃の子である幼いヴィルヘルムの頭を踏みつけ、『ごっこ遊び』をする愚かな兄と傍観する母を幾度も諫めた。
(ヴィルは敢えて遊びに付き合った。実母に危害が向かないように)
ああいうやり方でしか、正妃も王太子も自身の力を誇示出来ないようだと幼い義弟は告げた。
まだ背の低かったヴィルヘルムとの剣術で勝てなくなった以降は、陰で陰湿な嫌がらせを繰り返した。
勝てないからと、彼の母に花瓶を落としたと聞かされた時は血の気が引いた。
上階から側妃が通るタイミングを見計らい、窓ガラスに叩きつけた花瓶とガラスの破片が降り注ぐ中、ヴィルヘルムは実母をその身を挺して庇った。
その時、聖女の素養が開花し、防護結界で降り注ぐガラスを弾いた。
それでも展開が間に合わず負傷し、ヴィルヘルムの額や肩には実母を庇った傷がある。
「せめて…離宮に幽閉してくださいませ」
「断る」
「私も同意します。――私が王になっても、貴女を幽閉先から出すことは致しませんがね」
正妃は両拳を握りしめた。ドレスショップでの屈辱が蘇る。メイソン家に関わった貴族階級の崩壊劇――今まさに自らもその渦中にいるのだ。
「陛下っ!お願い申し上げます!私は――」
言葉を遮るように、アーチバルドが冷たい眼差しを向けた。
「母上、あなたはいつもそうでした。自分の望み通りにならないと我を押し通す。メイソン公爵家への過剰な要請もそう。結果どうなったか――商人は逃げ去り職人は牙を剥いた。ヴィルヘルムの母君さえ――」
その名に正妃は一瞬息を止めた。ヴィルヘルムの生母――王の側室でありながら、正妃の心に消えない火種であった女性。
彼女こそが王宮内で唯一自分に物申した存在だった。
「ヴィルヘルム……あの子こそが諸悪の根源ではありませんか!」
正妃の叫びが響く。
「汚い手を使い、王太子を地に伏せさせたのに。騎士団入りまで許したのは陛下でしょう?王太子を支えるべき立場の者が――」
ガシャン!
鈍い音がした。アーチバルドが窓を叩き壊していた。彼の瞳には怒りではなく深い悲哀が宿っている。
「母上。ヴィルはね、一度たりともあなたを罵ったことはありません」
静かな声音は怒気を孕んでいる。
「そして父上に泣きついたことも無い」
父王をクソ親父とは言うものの、いつも真っ当な事しか言わない優しい子だ。
一同が沈黙する中、彼は続ける。
「あの子は、自分が泣き叫んで側妃…実母へ危害を向けられることが一番嫌だった。
だから、自らを研鑽し、兄との剣術稽古では真っ向から向き合い、勝利をもぎ取った。
あの子は優しいからね、剣を介して兄が改心することを望んだ」
正妃の顔が青ざめる。知っているのだ。王太子がヴィルヘルムに勝てない事に腹を立て、嫌がらせで彼の生母を攻撃したことを。
正妃の喉から漏れた声なき声は震えていた。
彼女は木箱の方へ手を伸ばす。豪奢な毒を纏う死か、貧者へ堕ちる辱めか──
「母上。これで終わりではない」
アーチバルドの声は氷のようだ。王が頷く。
―――カツン
アーチバルドの靴が宮殿の壁を蹴る。すると壁紙はポロポロと剥がれ落ち始めた。中から現れたのは鮮やかの毒壁紙――ヒ素で染め抜かれている。
「この部屋こそ最大の牢獄となります。さあどちらを選ぶのですか? いずれにしても長くは生きられないでしょうけれど」
ヘレナは歯軋りしながら拳を握りしめた。全身が震えている。しかしプライドだけは捨てきれず毒のドレスを睨みつけた。
「私……私は……!」
彼女の中で葛藤が続く間にも時間が過ぎていく。毒を纏う衣類は兎も角、住居から逃れたくとも逃げ道など存在しなかった。
アーチバルド王子はため息をつくように言って背を向ける準備をする。
「では――ヴィルの凱旋パレードまでに支度を済ませてください」
彼女は呆然自失状態となり立ち尽くすしかなかった。
ヘレナは震える指で木箱の蓋を開けた。中から取り出した麻布の衣裳は、陽光を浴びた麦藁のように淡い黄褐色だった。掌に触れた瞬間、ざらついた感触がした。
「これが……私の着るべきもの」
呻きながらドレスを叩き落とした。拍子にエメラルド色の毒ドレスが床に滑り落ちる。
寝室の壁や天井はあの鮮やかなエメラルドグリーンの色で染められていた。
「王命でございます。――パレードに必ず参加するようにと」
正妃は震える手で、ドレスを選んだ。
「父上」
アーチバルドが切り出した。
「ヴィルに何も告げる必要はありません。あの子は……」
彼は一瞬言葉を詰まらせた。
「母親を虐げた女の悲惨な末路など知らなくていい」
父王は静かに頷いた。
数ヶ月後。
突如、廊下から規則正しい足音が響いた。
「陛下!? ……殿下ですか?」
ベッドの隅には一枚の古びた肖像画がある。若い国王と優雅なヘレナが腕を組んでいる絵だ。彼女はそれを抱き寄せた。
「陛下……きっとご覧になっているのでしょう? この惨めな姿を。でも……きっと目を覚ましてくれるわ。昔のように私を愛してくださったように……」
ベッドの上で丸くなる。幻聴が聞こえた。ガーランドが柔らかい声で語りかけてくる。
が――
『嘘をつけ。お前の欲望が私を裏切らせたのだ』
「違う! 違います!」
叫びは天井に吸い込まれた。幻聴は消えず、アーチバルドの少年時代の声が続く。
『母上……なぜ僕の言葉に耳を貸さなかったのですか?』
「だって……お前はいつも側妃の息子に媚びへつらうから!!子爵風情の、血生臭い軍人の娘の子供などに!!」
突然咳き込み、喉から泡立つ液体が漏れた。毒壁紙の粉末が体内に蓄積しているのだ。
それでも夜になると妄想が始まる。豪華な晩餐会。シャンデリアの下で笑う自分。
ガーランドの肘に腕を絡め、王太子やアーチバルドが敬意を持ってグラスを注ぐ。
『どうだいヘレナ? この素晴らしい宮殿に戻ろうじゃないか』
「戻れる……戻れるわ……」
誰もいない一室で、正妃は怪しく美しいエメラルドグリーンのドレスを纏い踊る。
王妃殿下の訃報を聞いた社交界は騒然となり、レイナルドを取り巻く環境は急速に変化していく。
しかし彼はまだ何も知らない。
拘束された世界の中で、虚構の愛に縋り続けているだけだった。
だがそれでも、レイナルドは三番書庫の中で『マリー』だけを想い続けていた。
一方、マリーはコールデン領邸宅内で動き始めていた。
使用人たちはリラの協力もあり既にこちら側についた。そして、マリーの計画の準備は着々と進んでいく。
「待っていて、ローズマリー。私が最愛の貴女を救うから」




