32.第三王子 お尻地獄①
*変態の所為で王子が困ったことになります。
深みのある真っ赤な紅色の髪と深碧の瞳、がっしりした体躯の男の乗った馬が先頭に立ち、王都へ凱旋した。
グリンホルン共和国第三王子ヴィルヘルム。
彼は数年前、真なる魔王に対抗するため覚醒した500人の聖女の中の一人だ。
特に驚くことは無い。何なら隣国のバーンベルク侯爵も聖女で、男の聖女は多い。
第三王子ヴィルヘルムは戦から帰還早々、驚きの連続だった。
自身らへ向けられる黄色い歓声、男たちの雄たけび。
しかし、出迎えられたヴィルヘルム第三王子ら騎士団は違和感を覚えた。
平民の出で立ちが華やかなのに対して、貴族の半数の出で立ちがシンプル。
控えめに行って、非常に地味なのだ。
凱旋の喧噪の中、ヴィルヘルムは馬上から人々の群れを眺めていた。傍に控える側妃である実母と祖父母がヴィルヘルムのマントの端を掴んでささやく。
『王妃様まであのような簡素なお召し物です』『針子や職人に不当な要求や罰をした貴族ほど、衣装がみすぼらしいわ』。
確かに──煌びやかな宝石の代わりに麻糸で編んだ腕輪を嵌める王妃。胸元のレースも最低限。
対する父王は威厳に溢れた出で立ち。
隣で祖父が唸る。
『恐らく職人らの怒りを汲んだバーンベルク侯爵が動いた。もしくは生成や付与に特化した聖女様か‥‥‥。
あの憤怒の龍侯爵の商会が一斉に引き上げれば、王都の仕立て屋は機能不全に陥る』
『…ざっとだが…、針子や職人に過度な要求をした貴族ほどみすぼらしい出で立ちだな』
ヴィルヘルムは母にコッソリ耳打ちする。
『メイソン公爵家の派閥の者が多いわ』
『成程、これは王に問うた方が良い』
屈辱に塗れた引きつった笑みを浮かべる貴族たちを眺めてヴィルヘルムは告げた。
本来ならパレード後は、人質生活で疲弊した祖母に付き添いたかったが。
ヴィルヘルムは父王への謁見を済ませておいた方が良いと判断した。
王城の大扉を開けると玉座の間には異様な静寂が満ちていた。
奥の階段からゆっくりと国王が姿を現した。
その表情は厳しく、眼差しには重みが宿っていた。
「ヴィルヘルム」
低く響く声が石壁に反響する。祖母は孫である自身のマントの裾を強く握りしめたまま小さく震えていた。
ヴィルヘルムは即座に跪き、頭を垂れた。
「帰還のご挨拶に参りました。陛下の恩寵により無事に戻ることができましたことを深く感謝いたします」
完璧な作法通りの一礼。
だが内心では緊張の糸がぴんと張り詰めていた。
国王は一歩前に進み出て、彼を見下ろす。
「……長い遠征であったな。卿の働きは聞いた。よくぞ果たしてくれた」
国王が手を振ると背後から腹心の侍従長が進み出て来た。
「側妃――そなたの母君とご祖母さまは疲れておいでであろう。客間を用意してある。休ませてやってくれ」
「ありがとうございます」
祖母は深々と膝を折り退出していく。
「――で、何がありましたか」
「第一王子は廃嫡し、第二王子が立太子する」
「…そうか」
件のベリオドールの一件に王太子が関与していた。
正妃の子だしどう切り崩すか考えていたが、第二王子が手を回したようだ。
病死という事にして、その首は魔女ドロテアの元へ送るという。
(後は首謀者の捕縛だが――)
「そして、レイナルド・コールデン宰相補佐は領内の前侯爵夫人及び使用人によるシモンズ男爵の娘ローズマリー嬢への虐待が発覚。
コールデン宰相補佐は生死を彷徨う妻を放置し愛人と戯れている。
よって婚姻無効とする間、奴を隔離処置とした」
「(あの無能か)何で結婚を承諾したよ。あと、先代のお加減は悪いのか」
「ああ。更にはメイソン公爵家当主とコールデン前侯爵夫人らは、コールデン先代侯爵及び彼の派閥や敵対勢力をメイソン公爵が呪殺しようとして失敗。メイソン公爵は呪い返しで対話不能となった」
呪術の首謀者は既に行動不能だった。
ヴィルヘルムはため息をついて告げる。
「だから当主が後継者を指名不可能になった時に、第三者機関が干渉した方が良いと進言したのですが。しかも呪いですか、高位貴族終わってんなあ、おい」
ヴィルヘルムはため息しか出ない。
「メイソン公爵一派のまともな連中には悪いが、公爵家は解体した方が良い。
奴さんとの禍根が再燃したら今度こそ手に負えないぞ」
ドロテアとの戦闘中に実母と祖父母が転送されて来た時は、生きた心地がしなかった。
…聖女の介入が無ければ、家族が殺されていてもおかしくない。
兎に角。
自身がベリオドールの制圧に行った時期に、事が起き過ぎている。
「他は?」
「――メイソン公爵は肛門括約筋が緩い故、初夜の儀及び営みでの脱糞事故があった。フォルテ国から怒りの書簡が届いている」
「何て?」
「結果、メイソン公爵夫人は亡くなり、その甥コールデン侯爵も業務中の脱糞事故が多い故、非常に不衛生だ。
よって、貴族男性の『純潔』を精査する法案が出された。」
「いや、何て?」
「更にコールデン前侯爵夫人の生家メイソン公爵家で、聖女デイジーの拉致監禁及び暴行。
「おいコラ」
「そしてコールデン侯爵邸は魔女の領域となった。
貴公にはコールデン前侯爵夫人らの確保と魔女との交渉に出向いてもらう」
「待てって」
「並びにバーンベルク侯爵以下聖女五名の提案により、同じく聖女である第三王子の帰還祝賀祭でコールデン侯爵の愛人を招くことを条件に王家と和解する」
「父上、待てや」
「それと、第一王子が廃嫡するに辺り元王太子妃カトレア・ファルケンとの婚姻無効。
それに伴い元第一王子妃カトレア・ファルケンをヴィルヘルム・グリンホルンの婚約者候補とする」
「ちょっと待てや、親父!!」
情報量が…多いわ!!!
「……ヴィルヘルムよ、どうした?」
玉座に腰掛けた父王は老齢の皺を深めて笑った。第三王子の帰還を喜ぶ様子は確かにあるが──その目は疲労に濁っている。
「陛下……私が帰還早々ですが‥‥‥、どんだけ問題抱えているんだよ!
まあ、これでもマシだけどなぁ!?昔に比べれば!!」
ヴィルヘルムは青筋を立ててぶちまける。
玉座の間に控える廷臣たちは一斉に肩を跳ね上げたが──誰も口を挟まない。
「報告があまりにも衝撃的で……まず初めに。
何度も言ったよなぁ!!あのババアは絶対やらかすってよお!!」
忘れるものか。
母の生家の爵位が低いからと正妃と共に散々侮辱して来たのを。
「男爵令嬢が嫁に来るなんぞ、あの女にしたらサンドバッグみたいなもんだぞ!!??
あの無能ボンボンが結婚適齢期になった時!!あのクソババアの異常性を下位貴族にも周知しろって言ったよなあ!?
嫁いびりするって言っただろうが!!それでその様か!?挙句に他民族巻き込んで呪術だと!?
王家から降嫁した一族だとか知った事か!!戦争の火種ぶち込む阿呆をのさばらせるじゃねえ!!!」
ヴィルヘルムの怒号に謁見の間に並ぶ高官たちの表情も一様に硬い。
「あと、聖女デイジーの拉致監禁だあ!?
――救世の英傑に何て真似しているんだ、オイ。
聖女デイジーの鏡の加護が無けりゃあ、俺はあの戦場で死んでいた!!他の戦士も聖女もだ!!殆どの作戦が聖女デイジーの加護前提だった!!
今回のベリオドールの件もだ!!知らせが無ければ正当性の無い戦になったわボケ!!!
平民だ、非戦闘員だと侮辱して、挙句に!
我が国を救った恩人によくもそんな狼藉が出来たな!?
即刻メイソン公爵家を解体しろ!!コールデン侯爵家もだ!!」
ヴィルヘルムの怒りは収まらない。
「ああ、それだけじゃあ足りねえわ!!
恩人に泥を塗る国何ぞ要らん!!!
臣下も民も守れない国の中枢なんぞ糞喰らえだ!!
とっとと王家ごと解体しちまえ!!!」
玉座の間が静寂に包まれる。
ヴィルヘルムの荒げた呼気が大理石の床を揺らし、重臣たちの息遣いさえ聞こえぬほどの緊迫が走った。
その静寂を破ったのは――
「待ちなさい、ヴィルヘルム」
穏やかながらも鋭利な声だった。振り向けば、玉座横の柱陰から義母兄の第二王子アーチバルドが姿を現した。第一王子の政務にも追われやや乱れた金髪を整えながら一歩ずつ近づいてくる。
「義兄上……」
「凱旋直後の疲れもあるだろう。まずは呼吸を落ち着けなさい、ヴィルちゃん」
「ヴィルちゃんはやめろや」
義兄はわずかに頭を下げ、廷臣たちを制するとヴィルヘルムの真正面に立った。
「私も実母や兄のような王国の膿には腸が煮えくり返る思いをしている。けれど――今ここで王家の解体を宣言すれば、国内の混乱が一気に噴き出す。
ヴィルヘルム、君の戦友も休息がいるよ。…今はその怒りを吞み込む時だ」
『…いいえ。ヴィルヘルム王子殿下の…おっしゃる通りでございます』
ヴィルヘルムは沸騰する頭を冷や水で冷まさせられた感覚を抱いた。
その声はコールデン先代侯爵ヘルムートのものであった。
聖女デイジーの鏡の加護で映し出された現在の先代侯爵は、持病と呪いの影響で枯れ枝のように瘦せ衰え、魔障痕のような焼けた箇所がいくつもあった。
呼吸にヒュウヒュウと異音が混ざるその姿に、ヴィルヘルムは一瞬声を詰まらせた。
その姿はかつて戦場に転送され、ベリオドールの汚染した空気で弱っていく祖母と同じ儚さだった。
車椅子に乗った先代侯爵は告げる。
『私は…高位貴族の当主任命を、元老院の監視下に置く法案の成立に動く所存です。
殿下のおっしゃる通り、本来は膿ごと出し切るべきでしょう。しかし、国内が安定していない今は…王家の解体は避けるべきかと存じます』
ヴィルヘルムの怒りが霧のように掻き消えた。
戦後処理が燻っている状態であること。
何より、鏡の加護によって映し出されたヘルムート・コールデン先代侯爵の姿は痛ましかった。
『私も……妻オーギュスタを巡る事件では無念至極。だが今は……国を割ることが何より避けねばならぬ時』
痩せこけた指が車椅子の手すりを強く握り締めた。骨の軋む音さえ聞こえるようだった。
『陛下。いかがでしょうか?この非常事態……貴族間の当主選定を……元老院が監視する権限を認める立法措置を』
玉座の父王ガーランドが深い溜息をつく。重く響いたそれは諦めとも受け取れる。
「……ヘルムート卿。お前ほどの者が言うのだ。よもや冗談ではあるまいな?」
『もちろんでございます』
その目に浮かぶ決意は鋼のようだ。
ヴィルヘルムもヘルムートの強い意志にため息をつく。
「デイジーの奴め。…御大とデイジー本人の意志は分かった。
こっちが引かないと目覚めが悪い。その案に乗った。だが、先ずは身体を休めてくれ先代卿」
先代侯爵が臣下の礼をした後、彼の姿は掻き消え鏡本来の姿となった。
「――御大と恩人に免じて、国の解体は保留にしてやるよ。
説明しろよ、クソ親父」
取り敢えず、順を追って処理して行くことにした。
「……で?『脱糞事故』とありますが?国家存亡に関わるのですか」
父王が大きくため息をついた。
「メイソン公爵とコールデン侯爵の件か。…そうだ」
「おい、何があった」
宰相が一歩前に出る。
「まずメイソン公爵夫人であるフォルテ国元王女ソフィア様の御不幸ですが……新婚初夜の儀式中に──」
資料を見たヴィルヘルムが顔を手で覆った。
「あんまりだろ…こんな死に方‥‥‥」
「……メイソン公爵は『初夜の儀式で大量に粗相をした』と記録されている。ソフィア夫人はその場で卒倒し、公爵の汚物に埋もれた状態で発見されたのを使用人に清められた」
ヴィルヘルムの胃が縮む。
「……つまり粗相が直接の死因ではないのですか」
「精神崩壊と衰弱死だ。だが公爵本人は『俺のケツが悪いわけじゃない』と言い張っておった。ちなみにその発言は、死の聖女による過去の記憶を再現したものだが──」
「ちょっと待て!!夫人の名誉にかかわるだろうが!!せめて、秘匿するように魔法契約でもしておけよ!!??ここにいる全員だ!!」
「ふむ、議会でもそのように段取りを組むか」
「段取りが甘いんだよボケが。
玉座からとっとと降りるかクソジジイ、義兄上を俺は推すぞ」
「儂は漏らしておらんぞ」
「うるせえよボケジジイ、毟るぞコラ」
ヴィルヘルムの苦難は続く。




