30.第三王子お尻地獄 序章
*第三王子は次々回位で登場しますが、レイナルドのお尻事情があんまりなので巻き添えを喰らいます。
次回は魔女との交渉についてお話しますが、倫理観が飛んでいます。
時はレイナルドがオールス卿に殴られる直前に遡る。
レイナルドは部下が一人もいない執務室にたどり着いた。
頬を腫らしているにもかかわらず、誰一人レイナルドを気に掛けもしない。
むしろ汚いものを見るように遠巻きに逃げる女官も居た。
(全く、仕事が立て込んでいるというのに、全員辞めた?宰相閣下に部下の補充を伝えねば)
その時だった。
宰相補佐の執務室の扉を開けたファルケン宰相が、レイナルドの襟首を掴み壁に叩きつけた。冷たい眼差しに射竦められる。
「レイナルド・コールデン。答えよ。
何故ローズマリー嬢ではなく他の女と有給消化した?
我が妻のドレスや装飾品を買い漁っていたのはなぜだ?」
背後でファルケン宰相夫人が扇を構えて冷笑する。彼女の側には宰相夫人の実家の人間が勢ぞろいしている。
「貴方は無能で論外だったけれど、まさか奥方を放置して愛人と戯れる糞野郎だったなんて思いませんでしたわ!」
「あなた達の方が愚かだ!」
レイナルドの嘲弄が哄笑に変わる。
「ローズマリーは生きている!生きて俺の帰りを待っているのだから!」
ファルケン宰相夫人は冷淡な表情で告げる。
「……ああ、マリーでしたか?貴方の愛人の」
「ふん!俺が愛するのはローズマリー!マリー一人!」
「愚かだな」
嘲笑したのは宰相夫人の叔父。かつて近衛騎士団長だった人物だ。
「ローズマリー夫人を忘れたわけではないんだろ?彼女は……婚家で……」
叔父は一度口を噤み、吐き捨てるように続ける。
「……虫けら以下の扱いを受けた女性だ」
具体的な内容は話さない。拷問を受け、洗脳まがいの虐待を受けたことをこの男に知らせない。
言えば、この無能が誰彼構わずに吹聴する可能性もある。
「あなたの妄言に付き合うのも飽きました。業務に戻らせていただきます」
レイナルドはそう言い放つも、騎士に拘束された。
「第三王子帰還祝賀祭まで、あなたを拘束させて頂きます」
フェリクス・ファルケン宮廷魔術師副団長がレイナルドに首輪を付ける。
「ああ、貴方の無能を支えていた部下たちは皆辞めてしまいましたので、貴方の職場は三番書庫です」
そこは、外部と完全に隔絶された陸の孤島だ。
「拘束魔法の制限は『業務時間まで三番書庫で仕事をすること』『食事と小用以外席を立たない事』『業務後は書庫の簡易ベッドで休む事』
ああ、仕事があれば持っていきます。以上です」
レイナルドは鎖に繋がれた両手を振り回し、唾液を撒き散らしながら金切り声を上げる。
「マリーに会わせろ!愛しているんだ!俺とマリーは魂で結ばれている!」
その狂態を見てフェリクスが眉間を押さえた。
「ああ……頭が痛い……。魂じゃないだろ、尻だろ‥‥‥」
ファルケン宰相はゆっくりと執務机に手をつき、冷たい視線を向けた。
「ローズマリー嬢は既にコールデン家の籍から抜ける手続きが進められている。貴様の所有物ではない」
「嘘だ!マリーは応じない!!」
既に、代理人から書状を受け取っているがレイナルドは聞き入れない。
その代理人弁護士クラウスは、隣国ファインブルク侯爵バーンベルク卿と共に国王と宰相の元へ訪れた。
白銀の髪を厳格に撫でつけたファインブルク王国の英雄、エヴァンス・バーンベルク侯爵は、その鋭い金眼で国王と宰相を射抜く。普段は冷静沈着な彼の額には青筋が浮き出ており、握られた杖は彼の握力で粉砕された。
その隣には、今回の代理人であるクラウス弁護士が控えている。彼の顔色は無表情だが、隣の巨大なプレッシャーに圧されている事が見て取れた。
「シモンズ男爵の代理人弁護士クラウスの要件を全て飲め。
飲むにしろ飲まぬにしろ、魔法契約で内容は秘匿とせよ」
…出されたローズマリー嬢の凄惨な虐待の記憶に、国王は吐き気を催した。宰相も顔面蒼白だ。
バーンベルク卿は国王を殺せそうな鋭利な視線で国王を見据える。
「婚姻無効と相応の賠償金。至って簡単なものだろう?」
言葉も内容も穏やかだった。だが。
表情は悪鬼の如く歪み、明らかに激怒していた。
***
レイナルドは三番書庫に閉じ込められた後も、『マリー』への思いに囚われていた。
――マリーの愛が欲しい。彼女に激しく愛されたい。
しかし外界の情報は遮断され、彼が知らない間に噂は尾ひれを付けて広がりつつあった。
「おい、聞いたか?レイナルド殿が聖女様を監禁したとか……」
「しかも下着を盗んだ挙句、殴打までしたらしいぞ」
「先代侯爵は聖女様にローズマリー嬢を救ってくれと泣いて懇願したそうだ。自分が病で辛いのに、だ。あの糞野郎は治療も碌に受けさせず監禁したんだと」
「信じられない……あの傲慢な態度は昔からだが、ここまで堕ちるとは」
「まさか、レイナルド殿が……?」
「憶測は止めろ。だが、メイソン公爵が女物の下着を被って収監されたのは事実だ」
「とんだ変態だな。結局、あの男は何を考えているんだ……」
***
レイナルドは三番書庫で単調な作業を続けていた。彼の思考は常に「マリー」に戻る。
(早く彼女のところへ戻らなければ……)
しかし外界との接点を完全に断たれた彼は知らない。王都で彼の評判が地に落ちていることを。
『作業』を持ってくる文官が鼻栓をしていることを。
オールス卿は騎士団の一室で謹慎中だった。同僚の騎士が彼に話しかける。
「オールス。聞いたか? レイナルド殿の噂を」
「何だ?」
「お前に殴られて漏らしていただろう、…大を」
「ああ、思い返すと酷かったな」
「気付いてないのか、アレで作業しているもんで。誰もあいつの所に廃棄用の書類をもっていかないんだよな」
「見下げ果てた男だな」
オールス卿の目は冷たい。
「妻を冷遇し続けた男が、他人に同情される謂れはない」
***
一方、『マリー』は一人、コールデン邸の書斎に座っていた。彼女の前に置かれた紙には、『おもらしコールデン侯爵の評判急落』という見出しの記事があった。
(こんな風に広がっていくのね)
『マリー』は指先で記事の文字をなぞる。
(これでいい。全てが計画通り……)
+++++
デイジーがパンツを買い直して落ち着きを取り戻した頃。
目の治療を終えた後、国王陛下にデイジーはコールデン先代侯爵から託された手紙を渡した。
「……これが、貴女様がコールデン領で救出した、先代侯爵から預かったものですか?」
ファルケン宰相の問いにデイジーはゆっくり頷いた。
バーンベルク侯爵に預けておいたものを、鏡越しに転送してもらう。
尚、先ほど再現した蟲毒の製法、ワーズ文官やローズマリー嬢の犯罪行為もバーンベルク侯爵に中継済みだ。
それを伝えたところ、宰相の副官は気絶したが。
「はい。解呪の際、先代侯爵閣下が自ら教えてくれました。『息子や陛下に宛てた手紙が届かない』と……。
私を拉致監禁した者たちによって妨害を受けているとも」
デイジーはさらに続ける。
「何より問題なのはローズマリー嬢も呪術の被害者だということ。
聖女ゼラの加護のブレスレットが無ければとうに死んでいたでしょう。
婚家の者に崖から落とされ四肢麻痺になり。呪いの影響で回復も遅い。それを知っておきながら見捨てるとは……」
宰相が沈痛な面持ちで頷く。普段の厳格さが今は悲痛さに変わっている。
「……王権に楯突く行為であり、民の上に立つ資格の無い蛮行だ」
国王陛下の側近で宰相でもある彼が断言する。その声音には常日頃の威厳と共に、深い憐憫の情が込められていた。
「だからこそ余計に腹立たしい。何故このような愚行を放置した?」
彼の疑問は当然だった。だがこの場にいる者たちは皆理解している。政情不安定な時期に高位貴族二家を処罰すれば国内に大きな動揺が走りかねないこと。
「メイソン公爵が蟲毒の贄にしたのは、突如襲撃を仕掛けてきたとされるベリオドールの民です。
本来出向く筈の王太子は、第三王子に押し付けたようですけどね。その辺りは彼の帰還後に情報交換してください」
書簡箱の中に積まれた未投函の便箋をデイジーは指さす。
「元部下のミューラーさんが保管した手紙以上の数を送ったのに、現コールデン現侯爵には本当の意味で届かなかった」
ファルケン宰相が封筒を開ける。黄ばんだ紙には、老いた筆跡が走っていた。
インクがかすれ、ところどころ紙が破れていた。
国王陛下の声が震えた。
「……これは確かにコールデン先代侯爵の筆跡だ」
ファルケン宰相夫人が目を潤ませて息を飲む。
「弱々しい筆……どんな思いでこれを書き続けたのでしょう」
デイジーがそっと付け加える。
「呪いの影響で身体も心も消耗していました。お辛いでしょうに、一番に案じたのは。
――ご自身の事ではない事は、存じていますでしょう」
「――コールデン前侯爵夫人を収監しよう」
「それなのですが。この国の聖女にお任せした方が良いでしょうね。
夫人の居る邸内は魔女がいますから」
その言葉に全員が言葉を失った。




