28.愛の定義とパンツを連呼する聖女
*作中の糞旦那を罵倒する文言は物理的にそうです。
その頃。
薄暗い地下室でレイナルドは『マリー』と蜜月を交わす。
実母の嘘偽りで実父の愛を否定したこの男は、『マリー』の魅了の能力で偽りの愛を真の愛と思い込み『マリー』に愛を囁く。
幸福となる筈のローズマリーはこの家で徹底的に甚振りつくされ不幸になった。
――そのおぞましい家に招き入れたお前には、偽りの愛で縛り付けてやる。
少し前、魅了の能力を半分譲渡してくれたリコリスにマリーは問うた。
「リコリスおねえさま、どうして恋や好きは愛よりも浅く感じるの?
なのに、『恋人』はキレイなのに、『愛人』は汚くて悪い印象なのは何でかしら」
「ええ!?‥‥‥そういえば何でだろう?
多分、観劇とか恋愛小説の印象で、愛人は隠し事をする悪いイメージ…何だと思う。
…うーん。私も深く考えたことなかったなあ」
それが正解なのかは分からないとリコリスも頭を悩ませる。
「感覚的なものなのかしら。だけど良かったわ、レイナルドに愛を紡いでもちっとも心は痛まないもの。
でも私はローズマリーが一番好きよ?あの子への想いをどう表現したら良いのかわからなくなるわ」
レイナルドに鬱陶しい程愛を紡いだからか、マリーは悩んでいるようだ。
「…マリーちゃんにとってのローズマリーお嬢様は…『最愛』じゃないかな」
リコリスの言葉にマリーは目を見開いた。
「最愛……ですか?」
首を傾げるとピンクブロンドの髪が肩に流れ落ちる。月明かりだけが差し込む窓辺で二人の少女が向かい合っていた。
「そう。愛にも色々あるんだよ」
リコリスは静かに微笑んだ。
「恋は誰か一人を選ぶものだけど、愛はもっと広いの。家族への愛もあるし、友達や師弟の愛もある。特に深い絆を感じる相手が『最愛』なの」
「でもリコリスおねえさま」
「マリーちゃん」
リコリスはそっと映像越しのマリーの手に自身の手をあてがう。
「私が思う愛はね、互いを大切にする気持ち。時には相手のために傷つくことも厭わない強い絆。特にローズマリー様とマリーちゃんの関係は……私にはとても美しい愛に見えるよ」
マリーは俯いたが、顔を上げるとその表情は明るい。
「じゃあ、マリーの最愛と大好きはローズマリーということになりますか?」
「そうだと思う」
リコリスの声には温もりがあった。
「誰かを守るために涙さえ流せるなら、それは立派な愛なんだよ」
「……わかりました。ありがとうリコリスお姉さま」
リコリスは優しく頷いた。
「無理しないでね。辛くなったらまたいつでも呼んで」
映像が消える前、最後に伝えたかった一言。
「‥‥‥リコリスおねえさまも、マリーの最愛ですよ」
その言葉は闇夜へ溶けるように小さくなっていった。
人形『マリー』は憎悪を隠し、レイナルドに愛を紡ぐ。
「今日も綺麗だね」
彼女の首筋を指でなぞるレイナルド。
「ありがとう……レイナルド」
『マリー』はうっとりとした様子で微笑む。
「でも、残念ですわ。王都にお帰りになるなんて」
「ああ、すまないね。君には母たちの教育を頼むよ。良い講師に巡り合えたものだ」
「ええ、リラ先生は素晴らしいですわね」
王都へ向かう馬車の前、レイナルドは満ち足りた表情で『マリー』の手を取った。
柔らかな白磁の肌は偽物とは思えないほど温もりを持っている。
「すぐに戻ってくるよ、愛するマリー」
そう囁けば、マリーの唇が薄く微笑みを湛える。
「ええ、お待ちしておりますわ、愛するレイナルド」
紡がれる声音は、鈴を転がすように可憐で愛らしい。
ああ、ローズマリーは生きているのだ。愚かな幻想だと理解できない哀れな男は、抗えぬ安らぎが胸を満たす。
彼にとってマリーは唯一の真実だった。
――その姿を、義憤に駆られた一人の騎士に目撃されたことも気付かずに。
怒りのままに、女を問いただしたかった。だが。
まず責めるべきは、あの男だ。
騎士は男の馬車を淡々と追跡した。
王城の門が重く軋んだ。レイナルドが馬車から降り立った刹那、背後で怒号が響いた。
「レイナルド・コールデン!」
振り返れば石畳を踏み締めるように歩む、オールス卿の蒼い双眸が爛々と燃えている。
「恥を知れ貴様ァ!!!」
轟く咆哮は、最早警告ではなく宣告だった。大気を切り裂き、鋼鉄の如き拳が弧を描いた。
「――ッ!!」
鈍い衝撃音が城門に木霊する。レイナルドの体躯が宙を舞い、石床に背中から叩きつけられた。大理石の破片が粉雪のように散る。
呆然と見上げれば、オールス卿が腰を屈め、掌を喉元に押しつけた。体重が載る指圧が気道を締め上げる。
「……はっ……やめ……」
酸欠に喘ぐ彼の顔面を、更なる鉄槌が襲う。鼻骨が砕ける鈍い音。迸る鮮血が制服の襟元を朱に染めた。オールス卿の腕が、獣の牙のように噛みついている。
「貴様は!貴様という男は!!自身の奥方が死の淵にいるというのに、何をやっていた!!!」
吠える声は慟哭に等しい。
「妻なら……屋敷に……」
オールス卿の眼差しが刃と化し、レイナルドの左腕を捻り上げた。関節が悲鳴を上げる。折れて砕け散る寸前の痛み。だが、コールデンは歪んだ笑みを貼り付ける。
「……馬鹿な事を。俺はただマリーと愛し合っただけだ」
「愛だと?お嬢様をあのような目に合わせて、どの口でほざく!?」
オールスの脳裏に映るのは骨のように痩せ衰え、皮膚に刻まれた拷問の痕が生々しく浮かぶローズマリー。
「彼女に一度も会ったことない貴様が!!よくも!!」
「何を言う!私とローズマリーは毎夜愛を紡いだ!!」
オールス卿の咆哮が城門に轟く。烈火のごとく怒り狂い、レイナルドの左腕を捻り上げる力は強固だった。
関節が悲鳴を上げ、皮膚から脂汗が滲み出る。だがコールデンは嗤った。歪んだ唇から泡立つ血が滴る。
「……ああローズマリー……可愛いマリー……今頃は何をしているだろうか……」
「―、だ」
激高したオールス卿が叫ぶ。
「ロージーだ!!ロージーお嬢様だ!!
ローズマリーお嬢様が幼少からの愛称を変えるものか!!よくもお嬢様を放って愛人と戯れたものだな!!」
オールス卿の怒号と共に追撃の拳が顔面を抉る。大理石に背中が打ち付けられ、意識が遠のく。しかし次の瞬間、オールス卿の巨体が宙に浮いた。
「よせ!オールス卿!これ以上は……!」
複数の人影が彼を羽交い締めにしていた。彼らはオールス卿に抵抗しながらも必死に抑え込む。
「オールス卿。俺たちはお前から聞きたいことが山のようにある。
分かるだろ?ローズマリー嬢の事や、彼女が両親に会えたか聞かせてくれよ。
その為にお前に令嬢のご両親を頼んだんだ。クソ上司をぶん殴ってお前に不名誉を与える為じゃない!」
オールス卿の背後に立つ男性は、レイナルドの秘書官ミューラーだった。
彼の周囲に集まるのは同じくレイナルドの部下や同僚たちだ。彼らの顔には侮蔑と怒りが入り混じっている。
「ミューラー……お前たち……」
レイナルドが這い上がろうとするが、彼を睨むミューラーの視線は氷のようだ。
「うるせえよ、ざっとだが聞いているぞ?
ローズマリー嬢は『事故』で生死の境を彷徨っているのに、愛人と遊ぶクソ野郎」
「俺の妻が……生死……?」
レイナルドは凍りついた。嘲笑が引き攣る。
「まさか」
「我々はこのクソ補佐官の無能さに心底嫌気が差して辞めた。
王城に居たのはオールス卿を待っていただけ。じゃ、俺らはまだまだ有給消化中なので失礼しますよ」
ミューラーは駆け付けた騎士と共に、オールス卿と王城に入っていった。
誰も、オールス卿が侯爵を殴り罵倒した事を咎めもしない。
むしろ、冷ややかな視線がレイナルドに向けられるが彼にはそれが分からない。
ただミューラーが去り際に吐き捨てた。
「てめえの尻拭いなんて御免だ。ふざけんじゃあねえぞ、糞野郎」
「な……っ」
部下の言葉も嘲笑する衆目の事も理解できないまま、レイナルドはよろめきながら執務室に向かった。
+++++
「オールス卿、落ち着いたか」
彼の上司もオールス卿のあまりの激昂を案じて駆け付けた。
「……すまない、己を律することが出来ませんでした」
「そうか。まあ、罰として給料1週間分減俸が筋だろうな」
上司もローズマリー嬢と同じ年の娘がいるので、侯爵への暴行への罰は甘い。
「ローズマリー嬢は見つかったか?無事か?」
ミューラーの言葉にオールス卿はボロボロと涙を流した。
「お嬢様は…生きておいでだ。だが、それだけだ‥‥‥」
ゼラから念の為にと、魔法契約でローズマリーが拷問され凌辱された事は秘匿とされた。
オールス自身も貴族令嬢、女性にとってあまりにも残酷な仕打ち故それを承諾した。
オールス卿は肩を落としながらミューラーに向き直った。
「シモンズ男爵令嬢は……生き延びてはいる。だが障害で四肢の自由を奪われ、コールデン宰相補佐の生家の冷遇で極度の栄養失調だった」
「酷いな……」
ミューラーの言葉が途切れる。王宮勤務時代から堅物のオールス卿自身からで聞いた、『淑やかだが快活なシモンズ男爵令嬢』という印象とかけ離れた現実に愕然とした。
「医師によれば神経損傷が原因だという。回復の可能性は低いが…専門家の施術を施せば或いは。
それでも、当面は衰弱が酷いため、身体の回復を優先せねばならない。――一生そのままかもしれないと告げられ、お嬢様は泣いておいでだった」
「そんな……」
ミューラーが顔色を変える中、オールス卿は絞り出すような声で続けた。
「それでもお嬢様をシモンズ男爵夫妻が支えておいでだ。聖女様も力を尽くして下さっている」
「ご両親に会えたんだな!?それだけでも、良かった‥‥‥」
「だが、最も許せぬのは……あの男が彼女を見捨てて女と戯れていたことだ!」
ミューラーは深く息を吐いた。
「それで殴り掛かったと」
気持ちはわかる。
ミューラー達は宰相閣下にコールデンの愛人を知らないかと、『例の映像』を見せられた。
吐きながら見たそれは本当に最悪だった。
もっと最悪なことに、あのクソ上司の一門は2国に尻で喧嘩を売ったということだ。
「ああ、それともう一つ。その情報を下さったのは鏡の聖女デイジー様だ。
彼女は死んだワーズ文官と同様にコールデン先代侯爵に会いに行き‥‥‥消息を絶った」
「嘘だろ。彼女は我が国の王子を救った恩人で救世の英傑だぞ?
隣国の聖女が、ワーズ文官と同じ末路になったというのか!?」
オールス卿の報告は静かに王宮内を駆け抜けた。執務室には緊急招集された高位文官たちが額を寄せ合う。
「あのコールデン一族が……ここまで腐敗しているとは」
宰相補佐付きの老文官が拳を握りしめる。震える声には長い年月で積もった失望が滲んでいる。
「あの家は代々王族に近しい存在であったはずだ。先代は優れた臣下であったのに」
「聖女デイジーの居所が判明しました!!――メイソン公爵家です。
鏡の加護で映った聖女様の顔には暴行の痕が‥‥‥」
その言葉に全員が押し黙る。
高位貴族が隣国の聖女を拉致し、暴行。国際問題に発展するだろう。
+++++
聖女デイジー救出の知らせが入ったのは深夜だった。
執務室は静まり返り、報告する衛兵の声だけが響く。
「聖女デイジー様はご無事です。メイソン公爵邸から救出されました。ただ……少々問題が」
「問題とは何だ?怪我は?」
衛兵は困惑した表情で言葉を選びながら告げる。
「ご本人は至って元気なのですが……、いえ、暴行を受けていますが‥‥‥」
「メイソン公爵含め一部の部下が何故か聖女様の下着を……つまり、その……パンツを履いておりまして」
「パンツ?」
一同が呆気に取られる中、扉が勢いよく開いた。
「おいっ!私のパンツ返せって言っているでしょうがあぁぁ!!」
飛び込んできたのは確かに聖女デイジーだった。しかし頬には青痣があり、髪も乱れている。そんな状態でありながら彼女は衛兵の服の裾を引っ張り詰め寄っていた。
「どうしてくれるんですか!!お気に入りだったのに!!何でメイソン公爵家のおっさんに履かれないと行けないんですか!!」
そこに控えていた女中の恰好の少女が慌てて間に入る。
「聖女デイジー様!まずは傷の手当を……」
「それよりパンツとブラジャーです!メイソン公爵令嬢には破られるわ旅の予備パンツは盗まれるわ、散々なんですけど!!??
公爵令嬢から私を庇ったこの子は、ボコボコにされましたよ!!??」
『メイソン公爵にパンツを取られた』と激昂する聖女の大声は王城内に木霊した。




