24.ローズマリーの変化とコールデン先代侯爵との対話
ゼラがローズマリーを保護して三週間ほど経過した。
ローズマリーは『記憶の抽出』を行い、治療を進める内に覚醒する時間も増えていった。
「――美味しい。トマスおじさまのカボチャの味だわ」
「ふふ、貴女に元気になって欲しいと送ってくれたのよ」
固形物はまだだが、ポタージュスープなどの温かい食事を少しずつ摂れるようになった。
不幸中の幸いだろうか。
彼女からはコールデン侯爵家での地獄の結婚生活も夫の記憶も、すっぽりと抜けていた。
「コールデン侯爵様との婚約が決まって、馬車で会いに行った所から覚えていないの」
短い婚約時間の際も、結婚生活も本人と会ったことが無いことから、婚姻を交わした記憶が無いという。
虐待だけの結婚生活で在ったこと、崖から落とされるときに頭部を殴られた事。
ローズマリーは記憶を欠落していた。
ゼラとしては非常に不快だが。ローズマリーの虐待や精神の傷は『軽い』。
……それが、精神魔法の研究に特化した魔術師たちの見解だ。
故にローズマリーが思い出したくない記憶ごと負の感情ごと切り離された・
もしも、シモンズ男爵夫妻もローズマリーを虐げる、或いはシモンズ男爵夫妻やローズマリーの大切な侍女が殺されるなど、そういった根深い精神の傷ならば『重い』と判定はされ、精神の傷の治療に時間が掛かる。
――まあ、あくまで研究者である連中の意見なので、ゼラは信用してない。
苦痛は、当人や周囲の関係者にしか分からない。
とはいえ。
……ローズマリーは本当に何も知らないのだ。
だが、彼女の身に起きたことを…知っていくべきではある。
ローズマリーは病室のベッドに横たわっていた。窓から差し込む陽光が白いシーツを照らしている。医師が数枚のカルテを手にローズマリーと向き合う。
「ローズマリーお嬢様、現状をご説明いたします」
医師の声は落ち着いていた。
「馬車の事故による頭部への損傷。そして救出に時間を要し、長期間の栄養失調の後遺症で、四肢は麻痺しています。すぐに回復する見込みは……」
「――ないのですか?」
彼女の声は小さく震えていた。
母アカシアが駆け寄り娘を抱きしめた。
「私たちがついているわ!私が貴女の手にも足にもなる!!」
父シモンズ男爵も傍らに膝をつき、涙を流して告げた。
「そうだ。ゆっくり治していけばよい。もしかしたら、画期的な治療法が見つかるかもしれない」
とゼラも優しく手を添えた。
「私が作った道具で、少しずつ生活の手助けができるよう準備している。今は焦らず、ゆっくりと治療に専念する事だよ」
「うん‥‥‥」
ローズマリーの目に涙が溢れる。
拷問を受けた事や禁術については、あの場に居た者だけの秘密だ。
知れば忌まわしい記憶ごとローズマリーの心は闇に落ちる。
先ずは本人の体力を向上させなければ、マリーやリラの負担が強くなる。
病室の外ではオールス卿がせわしない様子でウロウロしていた。
「‥‥‥ロージーお嬢様は、…やはり泣いてしまった」
「そう、ですか‥‥‥」
髪の毛に関しては、医師が頭部の治療の為に、幾度かローズマリーの髪を剃ってしまった。栄養失調も相まって伸びるのに時間が掛かると『嘘』と付き、頭を下げていた。
医者生来のツルツルの頭部を見たローズマリーは、治療で必要だったなら謝らないでと慌てていたが。
「それでも、あの子の両親が付いている。私やリコ、ローズ。…オールス卿も」
「はい…」
このカタブツに『アレ』を見せるのは気が引けるが‥‥‥。
ゼラは指で会議室に来るように告げた。そこで調査員から送られた資料をざっと見せる。
「!!!」
「シモンズ男爵夫妻もローズマリーも、バーンベルク侯爵の庇護下にある。
そろそろ、『糞野郎』の休暇も終わる。かましてやんな」
「‥‥‥ありがとうございます」
「あと。この調査員は聖女だ。…しかし、メイソン公爵領に向かった所で拉致。…監禁されている。自衛手段は持っているから、命の心配は無いだろうけど」
「…分かりました」
オールス卿は拳を固く握りしめ、シモンズ男爵に断りを入れて共和国に戻る事となった。
帰路に着く前、ローズマリーにと色とりどりの花籠と、安心して過ごせるようにとポプリの小瓶を贈って。
(これだけは見せられなかったね)
マリーが人間ではない証拠写真。
だが、オールス卿は不器用で嘘は付けない。
あの糞野郎には彼の純然たる怒りをぶつけて貰おう。
その辺の後方支援も整っているので問題無い。
翌日、ローズマリーはゼラと話した際に、気まずそうに切りだした。
「あのね、おねえさん。ちょっと見て欲しいの」
突然、ローズマリーが苦悶の表情を見せた。
「……う…ぐぐっ……」
彼女の右腕が微かに動いた。指がピクリと動いた瞬間、一同が息を飲む。
「凄く力を使うし、頭が破裂するくらいに痛いけど、ほんの少し動くみたい」
夫人やゼラの目から涙が零れ落ちた。
「ご、ゴメンね?不安にさせるつもりは無いのよ?」
ゼラは涙を拭うとローズマリーの右手をさすった。
「‥‥‥よく頑張ったね。だが、無理は禁物だよ」
「そうね、もう少し回復したら動く練習をしましょうね。…もちろん、お医者様の指導の下に」
「うん」
ローズマリーは弱々しく微笑んだ。そして、両親に問うた。
「お父様、侯爵様との婚約はどうなるのでしょう?破棄されているの?」
「ああ、向こうと話をして、瑕疵の無い婚約無効になるよ」
これは、ローズマリーが回復した時の為に弁護士やゼラと決めたローズマリーへの説明だった。
そして、ヘルムート・コールデン先代侯爵の意向でもあった。
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コールデン侯爵領に潜入した調査員は、先代侯爵と接触したという。
妻であるオーギュスタ・コールデン前侯爵夫人に呪いを掛けられ、呪いと病魔に蝕まれる先代侯爵を手持ちの加護のアミュレットで救助。
更に、調査員の連絡で集結した諜報員らで彼を監視する者達を捕獲し、ようやく救出された先代侯爵を解呪と治癒で幾何か回復したという。
そんな先代侯爵はシモンズ男爵と話をしたいと告げた。
彼からの手紙は届いたものの、調査員本人はコールデン前侯爵夫人の生家メイソン公爵家に捕まった。
現在メイソン公爵邸に監禁されていると本人から直接聞いた。
「メイソン公爵は『呪い返し』で動けないので、令嬢が暴走していますねー。
特に、私が持っていたレイナルドの愛人さんの写真で凄く当たり散らされました」
「いや…。そんなにお気楽でいいワケ?」
「手荷物は没収されましたけど、奥の手はありますよー。重要なものは送りましたし」
公爵令嬢に殴られた頬を赤くしつつも、問題ないと語る調査員デイジー。
シモンズ男爵やゼラ達がそれを拝見したところ、酷く弱々しい文字で息子や妻の非礼を詫びる先代侯爵の誠実さが見て取れた。
捕まった調査員はお気楽なもので、『鏡越しで良ければ直接お話しします?』と提案して来た。
「いや、あんたそれでいいの?」
「本来の後継者一派は当主が倒れた隙に、クーデター起こしているみたいです。
指示系統が滅茶苦茶なので、部下もおいそれとはこっちに手出しできないみたいですよ」
その後継者一派は聖女を拉致したことを詫び、王都に公爵家当主が聖女を拉致監禁した事を報告したとコッソリ教えて貰ったらしい。
待遇もまあまあだし紅茶も飲めるそうだ。
…偶に令嬢が難癖付けて暴力に訴えてくるが、使用人が止めに入っている。
当主の派閥に少数派の後継者一派が目を付けられると面倒なので、令嬢の暴力はギリギリまで止めなくていいと伝えているそうだ。
「非力な女性ですから軽いもんですよ。加護を使って殴る箇所を微妙にずらしていますし」
『鏡の聖女』という先入観で鏡こそ部屋には無いが、水盆や紅茶の水面、小窓のガラスを介してこうやって情報を送っている。
ついでに眼球の水晶体を介して狙いを微妙に外させているそうだ。
「まあ、あんたが良いなら」
「じゃ、繋げますからね」
なので、ローズマリーはシモンズ男爵夫人らに任せ、シモンズ男爵とゼラ、クラウス弁護士は会議室に用意された鏡を中継点として、先代侯爵と話すこととなった。
「――…っ!!」
シモンズ男爵は息をのんだ。
映し出されたヘルムート・コールデン先代侯爵は呪いの影響で瘦せ衰え、魔障痕のような焼けた箇所がいくつもあった。
車椅子に乗った先代侯爵は、そこから崩れ落ちるように地面に滑り落ち、頭を擦り付けて詫びた。
「この度は…義娘となってくれたローズマリー嬢に、我が愚息と愚妻が本当に申し訳の無い事をした!!」




