22.新米諜報員と人形師リラ①
コールデン侯爵家の地下室。
使用人たちによって皮の椅子に座らせたオーギュスタはそれを凝視する。
「やめなさいレイナルド!!そんな女と何をしているの!!??」
「あらぁ?これがお義母様のご実家の愛し方なのでしょう?ですので私もレイナルド様を愛しているだけです」
「ひぃぃぃぃいいいいいいんっ!!!!」
「ぎゃああああああ!!??」
言いつけ通り、マリーはレイナルドしか魅了していない。
と云うか、夫婦の営みで陥落したので、そんなに力を使わなくていいから楽だ。
マリーに絶対的に従う侯爵に逆らう使用人はおらず、怯えたまま言いなりになっている。
(と云うか、夫婦の営みって凄いのねぇ。あんなに怯えるなんて)
営み後の寝具を洗うメイドや清掃するメイド達に至っては一切の表情を無くしている。
「そうそう、侯爵家の伝統でしたわね、コレ」
マリーは拷問器具を手に微笑む。
「レイナルド様をお産みになったのですから、使うのは無駄ですわね。
ですが、マリーを罵倒するそのお口、『潔白』かしら?」
「そうだな、マリー。母が潔白であるかどうか…確かめて見よう」
マリーに愛され、とろけた表情でレイナルドはそれを受け取る。
「やめて、レイナルド‼やめてぇえええっ!!!」
あれ程母に逆らおうとしなかった当主が、母親に拷問器具を持ってそれを口にねじ込む。
「ア…ガ…ォゴォ………」
母親の口が裂けようと、苦悶の声上げようとも眉一つ動かさずに。
「あら、お義母様は潔白なのですね。良かったじゃありませんか。
ねえ、旦那様?お義母様のお怪我、どなたかに縫ってもらいませんか」
ビクッと使用人たちは怯える。
「そうだな。…そこのお前とお前。母の口をきちんと縫っておくように」
渡されたのは、何処かの物置に放置した、折れたり曲がったり、錆びている針山の入った裁縫箱。
「私はマリーとデートだ。帰るまでに直しておくように」
「ひっヒィッ…!」
逃げられない。
この夫婦は地下の一室を締めて鍵を掛けて出かけてしまった。
命じるのは『マリー』。そして、当主であるレイナルドはその命令を恍惚の表情で遂行する。
逃げたい。
逃げた事もあるが、どういう訳かどれだけ逃げてもこの屋敷に戻ってきてしまうのだ。
「ちゃんと~、縫ってあげましょうよ~」
地下が怖い。
何時からか、白髪の魔女が住み着き、彼らの仕置きで死んだメイドや女中を切ったり縫い付けたりしている。
手が勝手に針山を探る。
「早く縫わないと~お人形になっちゃうわ~」
探します、ちゃんとした針を探すから、無理矢理手を突っ込ませるのはやめて。
魔女の操る糸が無理矢理メイド達の手を針山にねじ込み、針だらけの手で
血まみれの震える手で、うめき声を上げる前侯爵夫人の口を縫い合わせるメイド。
「ね~え?――貴女は純潔?」
「心は酷い色なのになぁ~、貴女は縫うのが下手で遅いからぁ、お裁縫が素早くなるお手手にしましょうねぇ~」
両腕を切断され、ミシンの腕を付けられた。
「何で…何で……?」
「え~?だってぇ。
――あなた達はローズマリーちゃんをいじめたじゃない?
楽しかったのでしょう?面白かったのでしょう?なーんにも悪いことをしていない女の子を甚振るの」
「だって、あの女はお嬢様の邪魔を!!」
「ふぅーん。夫の顔もぼやぼやなローズマリーちゃんが恋敵?おかしいわねぇ~。
――あらぁ?
面白い子が来たのねぇ~。
ちょっとお出かけするからぁ、ちゃちゃっと改造しちゃいましょぉ~♪
五月蠅いお口も改造して、針と糸をぉ自動でぇ~縫い合わせるようにしましょうかぁ。効率が上がるわねぇ~」
+++++
商会の元締めのバーンベルク侯爵から、グリンホルン共和国のコールデン侯爵領の諜報員になれとお達しがあった。
「あのー…私、新聞記者ですけど…隠密は出来ませんよ?」
「記者だからだよ。出国規制が緩いからな、観光のつもりで良いってさ」
拒否権無し。編集長からも出張扱いとなった。
「諦めろ。お前の『行った場所を遠隔で見聞きできる能力』を侯爵様はご所望だ」
「そんな~」
まあ、お給料も出るし、ボーナスも出る。
「出国の前にここだけ寄って行けよ」
「ふーむ。…かしこまりました」
そして、隣国での侯爵のスキャンダルの証拠写真を撮れとの事なので向いているのだろう。
ただし、記事にはしないそうだ。
「え~…この前だって私、訳の分からない婚約破棄に巻き込まれたんですけど?
まあ、観光がてら、いいネタ掴んできますね~」
コールデン侯爵領に入って暫くして、『此処の領主はダメだなぁ』と感じた。
目抜き通りの割に、領民への物流が乏しいし道の整備も悪い。
若者がおらず、年老いた領民ばかり。…この侯爵領じゃあ碌に稼げないので、出稼ぎに行っているのだと教えてくれた。
「先代侯爵様の時は良かったんだけどねぇ。あの方が鍛えた領地管理人様も亡くなって、息子さんも病気で別の人が代わってからは酷いもんだよ」
「息子さんも、ですか?」
「そうそう。今のご当主様と同じ年で、先代侯爵様と同じ病になるなんて可哀そうに」
「ふーむ?」
想像以上に不穏な領内だ。
これは碌な当主ではないと思いつつ、記者はコールデン侯爵邸に向かう。
コールデン侯爵邸に近づくにつれ、胸騒ぎが増していく。まるで底なし沼に沈んでいくような圧迫感だ。
「これって……ただの不快感じゃないですねぇ」
改めて周囲を見回した。市場では魚介類や新鮮な野菜がほとんど売られていない。山積みされていたのは輸入品と思われる香辛料の袋や乾燥野菜だった。
(来る途中の食事も香辛料がふんだん…。新鮮な食材がないんですかね)
嫌な予感は的中した。侯爵邸の門に付近で隠れていたのだが──
ゾワッ
背筋に氷柱を押し込まれたような悪寒。明らかに人間の領域を超えた気配だ。それが邸内から渦巻いてくる。
出て来たのは、二人の男女。
一人は金髪碧眼の美青年。コールデン侯爵だ。
そしてもう一人。ピンクブロンドの髪にエメラルドグリーンの瞳の美女。
(ここに嫁いだローズマリー・シモンズ男爵令嬢は…栗色の髪とエメラルドグリーンの瞳だったはず)
写真を確認するが全く似てない。それどころか――
生きている筈の女性から、生気を感じない。
代わりに漂うのは粘つくような怨嗟の念だ。
「まずいですよ……あの令嬢は……」
コールデン侯爵領に潜入して三日目。ついに決定的な瞬間を捉えた。
侯爵とその『妻』マリーが街外れの噴水庁で親密そうに腰掛けている様子だ。
普通の恋人なら肩を寄せ合うものだが――この二人は違う。
カメラを構えた手が震える。
「あの女性、全く瞬きをしてない」
レンズ越しにも分かるほど異常だった。エメラルドグリーンの瞳孔が完全に固定されているのだ。まるでガラス玉のように光を反射するのみ。
そして決定的なのは次の瞬間だ。侯爵が愛おしそうにマリーの額へ接吻すると同時に――
「うわっ!」
羽虫の大群が噴水に群がる。マリーを庇う侯爵だが、当の本人は何の反応も示さない。まるで蝋細工のように微動だにしない姿勢のまま、『マリー』の右目に小さな羽虫が留まっている。普通なら目を閉じるか手で払うはずだが、彼女は微動だにしない。瞳を一切閉じずに静止画のように固まっている。
「ありえないですね」
動揺しつつもシャッターを切り続けた。
「これがコールデン侯爵の実態ですか。…もっとありそうですけど」
従来なら、好奇心で屋敷に侵入くらいはする。
「やめときましょう」
これでも、触れてはならない領域は弁えている。
宿に戻っても疑問は尽きなかった。あの女性は本当に生きているのか?
仮に本物ならどうやって侯爵夫人として認められたのか?そもそも。
「そういえば、前侯爵夫人を見ませんねぇ」
「オーギュスタちゃんのことぉ?」
突如として背後から聞こえた甘ったるい声。
「お屋敷に無断で入り込む悪い子だと思ったのに、貴女は違うのねぇ~?」
振り返ると白髪の女性が佇んでいた。




