15.戦いの準備と両親との再会
「……改めて、確認したいことがあります」
ゼラが口調を改め、ローズマリーの記憶を解析していた装置から分厚い紙束を取り出した。
「これはローズマリーが婚姻した2年間の内…9か月分の記憶です。…残りも引き続き文字起こしを致しますが。
正確には彼女の肉体と精神に残されたトラウマの記録と言いましょうか」
医師が声を潜める。
「おっしゃっていた、記憶の抽出ですね」
「はい」
ゼラは簡潔に答え、紙束を差し出した。
「感情の羅列を、時系列にまとめたものです。
内容をご確認いただきたい。特に肉体的損傷に関する記述と、先生が診断された傷跡の一致について、判断を仰ぎたい」
連中を徹底的に追い込むのに、これらは大きな証拠だ。
ローズマリーから追い出すべき記憶だが、連中の安住の地から追い出す武器でもある。
医師は紙束を受け取った。そこに踊る文字の羅列は──
一人の少女では耐えきれない苦痛の証明だった。
「これは……」
医師の手が震えた。ページをめくるたび、どす黒いインクが語る記憶が鮮明に蘇る。
【足を開かせる皮の椅子。執事に殴られ恥ずかしい格好で縛られた手足。先代侯爵夫人がもつ、四つに開く金属棒。お腹の中が痛い。嘲笑。痛い】
【侯爵家に嫁いで幸せだと言わされる。やめると焼け爛れた皮膚から滴る液体。匂いは血と膿を混ぜたもの】
【耳元で囁かれる嘲笑。『底辺』『穀潰し』】
長年医師として従事して来たとはいえ、吐き気を催すほどの人間の悪意。
これらを受けた少女の叫びから目を逸らすことなく、医師は文字を追った。
「この箇所です」
ゼラが冷徹な声で指示する。
医師はカルテと照合する。
「――確かに存在します。傷跡の深さは進行していますが……」
ゼラは次々と該当部位を列挙していった。
リコリスが背後で小さく嗚咽を漏らした。
しかしゼラは一切動じない。その眼差しは氷の刃のようだった。
「先生。これらの記述が臨床上の証拠となり得ると判断されますか」
医師は深く息を吐き出し、重々しく頷いた。
「医学的には疑いの余地はありません。ここまで詳細かつ肉体と一致する記述は……被虐行為による心的外傷を裏付ける有力証拠と言えるでしょう」
その時、病室の扉がノックされた。
「ゼラ殿。御依頼通り弁護士をお連れしました」
ヴァイオレット商会の組員が立っていた。背後には三十路半ばの紳士が佇んでいる。
ゼラも顔見知りだが、改めてと云った感じで弁護士が名刺を差し出す。
「本件担当となります、クラウスと申します。よろしくお願いします」
「ええ、よろしく」
ゼラは手短に事情を説明する。
その間、クラウス弁護士は医師から渡された資料を速読していた。ページをめくる指がふと止まる。
「ほう。『記憶の抽出』を用いた証拠記録とは珍しい。近年流行の捏造防止法に対応した最新仕様ですね」
「ええ。錬金協会公認の魔導印付きですから改竄不能です」
ゼラは肯定した。
「ただ一つ懸念点があって」
「被告人側が『洗脳された妄想』と主張することですね」
クラウスが先回りして答えた。
「あの子は無意識的に洗脳され、支配下にあった。…これは物証に成り得るか?」
彼は顎をなぞり思案顔になる。
「しかしその場合……医師による裏付けと被害者の身体症状が克明に合致する。
加えて特定日の出来事が時間経過に伴う傷についてとも一致している──」
「つまり」
「法廷では極めて強力な物証となります」
三人の間に沈黙が流れた。クラウスが突然眼鏡を光らせた。
「一点確認を。この記録内に登場する加害者は全員コールデン侯爵関係者でしょうか?」
ゼラは頷いて、映像の模写を並べる。
「ローズマリーの記憶に在った、彼女を甚振る者達の顔です。この女、前侯爵夫人に酷似している。関係者の姿見は現在洗い出してはいる。
レイナルド・コールデン侯爵の関与は不明だが……」
その時だった。
「ローズマリーの父です‼娘は、娘がこの病院に入院していると聖女ゼラ・ローズ殿から手紙を貰ったのです!」
「お願いです、娘に!ロージーに会わせて‼」
ローズマリーの両親とオールス卿が病院にやって来た。
ローズマリーが崖から落とされ訃報が宰相やレイナルドの所へ届いたのが3日後。レイナルドが屋敷に戻ったのが4日後。
ローズマリーが崖から落ちて、5日後にシモンズ男爵夫妻は娘と再会した。
レイナルドが『マリー』と出会うのは、それから2日後の事。
+++++
リコリスが静かに病室のドアを開けた。ゼラは廊下で待機しているシモンズ男爵夫妻に深々と頭を下げた。
医師が説明する。
「ローズマリーお嬢様は現在、鎮静剤を投与され、深い睡眠に入っております。
容体は安定しておりますが、予断を許さない状況です。
……その状態でよろしければ、どうか、覚悟をしてお入りください」
「構いません!顔を見られるだけでも……!」
男爵が声を詰まらせながら前に出ようとする。その隣で夫人はハンカチで口元を覆いながらも、必死に頷いた。
「お願いいたします……あの子の無事を……」
ゼラはちらりと少し離れて立っている男――オールス卿に視線を向けた。彼は俯き、拳を強く握りしめている。レイナルド・コールデン宰相補佐の護衛騎士だった彼。
今回の一件ではレイナルドはローズマリーのいる侯爵領に一切返らず、ローズマリーの現状を知らない。
だが、過去にシモンズ男爵と戦で共闘した過去があり、ローズマリーの窮状を知ろうと積極的に動いた人物であることも把握していた。正義を貫こうとして失脚しかけている存在。
「オールス卿も同伴されますか?……辛い光景になるかもしれませんが」
ゼラの問いにシモンズ男爵夫妻が振り向く。
オールス卿は親子の再会を邪魔したくないのと、負傷した令嬢の姿を見るのはローズマリーに無礼を働くのでは、としばらく逡巡した後、ゆっくりと頷いた。
「……ご迷惑でなければ。お嬢様の無事をこの目で確認したい」
オールス卿は夫妻を窺った。
「ご両親のお許しがあれば、ですが……」
夫妻は互いの顔を見合わせた。夫人が決然と頷く。
「構いません。あの子の状況を知ってくださる方が多い方が良いでしょう」
男爵も同意した。
「オールス卿は信頼できる方だ。…どうか、お願いします」
ゼラは礼をしてドアを更に開けた。
「では。こちらへ」
病室は清潔な白色で統一されており、ベッドサイドのテーブルにはゼラが贈ったブレスレットやリコリスが買ってくる花籠。
そしてそのベッドには、点滴のチューブを繋がれたローズマリーが横たわっていた。
ストレスと毟られて斑点の目立つ頭には、リコリスが選んだ花柄のスカーフが巻かれている。それと、肌の負担にならないようにと編み紐のブレスレットに、ゼラが元々ローズマリーにと誂えていた加護の付いた魔石をあしらったものが細い腕に付けられている。
ゼラが小さく手招きすると、夫妻はゆっくりと娘の傍らに近づいた。
「ロージー……」
夫人の声は震えていた。男爵も膝から崩れ落ちそうになりながらも堪える。
「……ロージー……本当に……本当に会えた……、なのに、どうして…………」
涙をぽろぽろと溢しながら、夫人は娘の小さな手にそっと触れた。男爵も無言で寄り添い、妻の肩を支える。
ゼラはベッドの反対側に控え、彼らの様子を見守っていた。そこへ、恐る恐るオールス卿が近づいてきた。
「ローズマリーお嬢様……」
彼は目を見開いた。
「これは……」
ローズマリーの顔色は蒼白で、頬はこけている。元々華奢だった身体はさらに細くなり、点滴のチューブが幾筋も腕から伸びていた。そして——
点滴を受けている右腕の肘近く。不自然に赤黒く変色した部分があった。皮膚が薄く剥がれかけており、火傷の跡のように見える。しかもその形状は……筒状で規則的に放射状に広がる痕。煙管を押しつけられた痕跡に違いない。
オールス卿はその場で立ち尽くし、言葉を失った。彼の顔から血の気が引いていく。
「お嬢様……このような……こんな惨い目に……」
彼の肩が小刻みに震え始めた。
「……ッ」
オールス卿は片手で顔を覆い、低い嗚咽を漏らした。
「申し訳ございません……!私は……私は何もできず……!」
絞り出すような謝罪の言葉が漏れる。拳が力なく自身の太腿を叩いた。
「オールス卿……」
夫人が彼に気づき、ハンカチを差し出そうとした。オールス卿は慌てて首を振る。
「私の責任でございます……お嬢様の苦痛の日々に何もできなかった……っ、申し訳ございません……申し訳ございません………」
ゼラは静かに口を開いた。
「オールス卿。貴殿がどれほど胸を痛めていらっしゃるか……我々も理解しております。現在もローズマリーの保護と敵対勢力への対策を進めています。……どうか力を貸してください」
オールス卿は涙を拭い、深く息を吸った。彼は力強く頷く。
「もちろんでございます。騎士として……ローズマリーお嬢様を守るために全力を尽くします」
その時、ベッドサイドで丸まっていたローズが小さく唸った。
「おねえさんたち……」
ゼラが屈みこんでクマのぬいぐるみを撫でる。
「ローズ。ローズマリーのパパとママが来た。彼女は安心できる場所にいるよ」
「ほんとうだ、よかった」
ローズは安心したようにローズマリーの傍で再び丸まった。
「ロ…ローズが…喋って……!?」
驚く夫妻とオールス卿。
「私も驚きました。ローズは私たちが野営中に、必死にローズマリーを助けてくれと私に告げたのですから」
「そ…そうなのですか……」
「ああ……、ありがとうローズ……」
病室には静寂が戻ったが、その空気は重い。
――これから、もっと凄惨な記録を見せねばならない。




