16.シモンズ男爵夫妻の絶望、微かな希望
「なんだ……これは………………?」
「‥‥‥ローズマリーお嬢様が…婚家で受けた仕打ちの…一部です」
別室でシモンズ男爵の声は低く震えていた。娘の変わり果てた姿と残酷な記録の一部が刻まれた紙束を握りしめ、血管が浮き上がるほど拳を震わせる。
「あの子は…一生寝たきりで……女性の尊厳すら、ふ…踏みにじ…ら……ギッ…ッハ!ッハ!…、アガッ……!!!」
妻アカシアは文字起こしだけで半狂乱になって過呼吸を起こし崩れ落ちた。
夫人の衣服を緩め、医師が適切な処置をする。
原本は男爵と‥‥‥オールス卿にだけ見せた。
散々悩んだ。彼女の受けた苦痛を両親だけが知るべきか、他の信頼できる者へも知らせるか。
医師と、商会の組員を介してクラウス弁護士とも何度も話し合って来た。
結果、シモンズ男爵の了承を得て、オールス卿にも開示した。
病院の応接室は剣呑な空気が立ち込めている。医師と弁護士、ゼラが冷静に事実を告げた。
「コールデン前侯爵夫人ならびに、使用人たちの虐待が2年に渡って行われていたことが証明されました。負の記憶の抽出魔導具により、残虐行為は明確化されています」
「記憶……?ローズマリーの……?」
「――本人の傷を鑑みて、精神崩壊を防ぐために必要でした。
現状、彼女が一定まで身体が回復するまでは、聖女リコリスの加護で精神の負荷が掛かると眠るようにしております」
シモンズ男爵が突如自身の拳を机に叩きつける。温和な印象は消え失せ威圧感が充満する。
「結婚の申し出があった際…何度も確認した…、家格に合った婚姻ではないから……。
だが、コールデン侯爵は婚姻を是とした……。
なのに、娘をないがしろにし……娘の尊厳全てを踏みにじっただと……?なぜ……なぜ誰も庇わなかった‼」
「――先代が倒れ、前侯爵夫人が実権を握ったタイミングで……侯爵家内が夫人に掌握されたようです…ね……」
「許さん……」
シモンズ男爵の声は低く、しかし地響きのように応接室にこだました。温和な表情は完全に消え失せ、全身から殺気が立ち昇る。獅子が牙を剥くかのように。
「戦争だ……!!」
「男爵閣下!」
弁護士が制止しようとするが、彼は聞く耳を持たない。
「あの家畜以下どもを一人残らず討ち取ってくれる‼
――殺してやる……殺してやる!!コールデンの一族全員を!!!殺してやる!!!」
『殺してやる』と、叫びながら何度も頭を机に激しく叩きつけ、シモンズ男爵は吠えた。
「領地戦だ!!娘に刻まれた傷一つ一つを奴らの身体に焼き付けてやる!!!」」
オールス卿がすっと立ち上がった。彼の目は据わり、冷たい光を宿していた。剣の柄に手が掛かる。
「レイナルド・コールデン……あの男が全ての元凶だ。私が必ずや討ち取ってみせる……」
ゼラは静かに彼らを諫める。
「落ち着いてください、気持ちは十分に分かります。
――その煮えたぎる感情のまま動きたい事も。その感情も。
これを書き起こす五日間、私が全てを放ってでも手を下したい…怒りをお二人ともお持ちですから」
その声は波紋が広がるように静かだが鋭い。
オールス卿はゼラの言葉で如何にか落ち着きを取り戻した。
眼前の女性は、どれ程の怒りを殺してでも我々に事実を淡々と告げているのか。
シモンズ男爵は血涙を流さんばかりに叫ぶ。
「あんな家だと分かっていれば、嫁がせなかった…!!!
私は娘の幸せを願って送り出した‼優しいあの子の幸せをただ願った!!
糞共のおもちゃにするための道具にするわけが無いだろう!?
私の所為で…私があの子を……あんな家に嫁がせたばかりに……!!!」
爪が剝がれる程に男爵は机をギリギリとひっかく。ローズマリーを呼び、嗚咽が漏れる。
「一度も挨拶をしない時点で婚姻など破棄すれば良かった!
新郎不在の結婚式であの子を家に戻すべきだった!!
前侯爵夫人を殴り倒してでもローズマリーを連れ戻すべきだった!!
何で…っ。何で………!!!」
ゼラはゆっくりと歩み寄り、肩を押さえた。
「激情は仇になります。――ローズマリーお嬢様の望みは、あなた達両親の元へ帰ること。
…あの子の居場所を親である貴方が作って下さい、ロージーの望みを一番に考えて」
「…ロージー…ローズマリー……」
ふらりと男爵は立ち上がり、廊下を出てふらつく足取りで病室へ向かった。
その扉の隙間からローズマリーを見つめる。
扉の隙間から点滴につながれたローズマリーが見える。痩せた腕に針が刺さり、かすかな呼吸音だけが響く。
ほのかに香るのは、娘の好きなミモザの匂い――
シモンズ男爵の怒気が徐々に鎮まる。涙が頬を伝い床に落ちた。
「……なぜだ……私の可愛い娘が……。――私の宝が…髪が抜け落ち……あの豊かで美しい栗毛が……。
すまない……。
見る目の無い父ですまない…、すまない………ロージー…ロージー……」
小さな声が病室に消えてゆく。
+++++
男爵夫人は青白い顔ながら再び席に着くが、娘の未来が閉ざされた状況に嗚咽する。
ゼラがそっと肩に手を置いた。
「今はローズマリーの回復を第一に。前侯爵夫人、現侯爵に対する裁きはしかるべき場で」
その場が問題ではあるが――
その前に。
現時点でのローズマリーは四肢に著しい運動麻痺が残り、拷問を受け女性の尊厳を壊された状態。
その問題を整理せねばならない。
ゼラは口を引き結んだ後、覚悟を決めた表情で切り出した。
「……これは非公式の話となりますが、私はローズマリーお嬢様が社会復帰できる道を準備しております」
「なんですと?」
シモンズ男爵夫妻とオールス卿が同時に顔を上げた。
「現在の医療技術では、お嬢様の心身の傷を完全に癒やすことはできません。
しかし……ある秘術を使えば」
「秘術?」
ゼラは深く息を吸い込む。
「私は……禁忌の技を使うことを考えています。その技は通常の人間には扱えないものですが、幸運にも私はその門戸を開いている。
ただこれは正式な医療ではありません……禁術の領域となります」
「どのような秘術なのです?」
ゼラは苦い思いを押し殺し、続けた。
「私の姉リラが完成させた人形師の秘術です。姉リラは…禁忌に手を出し、私自身ほぼ縁を切っていたのですが…」
「……ゼラ殿の姉君が……?」
オールス卿が困惑した表情を浮かべる。ゼラは頷いた。
「ええ。姉リラは極めて高度な人体操作の技術者です。
身体の欠損を補ったり……場合によっては新しい体を与えることもできる」
その言葉に一同が息を呑んだ。
「ローズマリーお嬢様の外傷……特に婦人にとって致命的な部分の傷は。確実に治せます」
「それは……本当なのか……!?」
シモンズ男爵の瞳にかすかな光が灯る。
「ただし」
ゼラは厳しい表情で続けた。
「病院での術後も四肢の麻痺は深刻なままです。秘術を以てしても…少なくとも当面は杖や車椅子を必要とします。
彼女の肉体の回復次第では…心の傷や致命の傷は癒えても…車椅子の生活となるかもしれません」
マリーの事は話せない。あの禁術は制約が多い程効果を発揮する。
「それでも……!」
男爵夫人が震える声で割り込んだ。
「それでも娘に生きる希望があるのでしょう!?」
ゼラはゆっくりと頷いた。
「はい。……正規な方法ではない、ですが――」
夫妻の顔に絶望から希望へ変わる表情の移り変わりが見て取れた。オールス卿も無意識に拳を握り締めている。
ゼラの躊躇いを察したシモンズ男爵は毅然とした態度で答えた。
「……ゼラ殿。例えそれが禁術であろうとも、あの子が暗い未来を歩まぬなら、どうか……」
「傷付けられた娘の身体を…私のものと全て変えても良いとすら思っております。
――娘の未来を奪った者達への憎悪よりも……我々親として、できる唯一のことなのです!」
アカシア夫人が夫の言葉を継いだ。涙を拭いながらも凛とした表情で。
「例え悪魔に魂を売ってでも構いません。足りなければ私の身体を使って下さいませ‼」
「私も同じ気持ちです」
オールス卿が深々と頭を下げた。
「かつて私はシモンズ男爵と共闘し、ローズマリーお嬢様にもお世話になりました。……あの方の輝く笑顔を再び取り戻せるならば……どんな代償を払っても構いません。
――必要であれば、私がお嬢様の傷を全て引き受けます。どうか、助けてください」
ゼラはしばし黙考した後、静かに答えた。
「……承知しました。ただし、ローズマリーお嬢様は衰弱しきっているので、彼女の体力の回復と外科的な治療の優先とします。――絶対に他言無用にて願います」




