第86話 アラヤ空を飛び、オオカミ地を駆ける
風を切り裂くようなスピードで空へと昇った。眼球が渇く。
すでに二、三十メートルは上に飛んでいるか。森の木々の頭が深緑の絨毯となって俺の眼下に広がっていた。
上昇のスピードは次第に落ち、ググッと。下へと引っ張られる感覚に変わる。俺の体の自由落下が始まった。
「さて、」
俺の真下。小さくなって俺の目に映るのはシェスがマロウへと素早く駆け出しているところ。マロウ本人といえば、そんなシェスの動きと俺の突飛な空中飛行の二つをその目で追って忙しそうだ。
……これからもっと忙しくなるがね。
白衣のポケットにしまっていた折りたたまれた羊皮紙。ソレを挟み伸ばした人差し指と中指を、銃身のようにして真下にいるマロウへと向ける。
「魔の言弾」
そして紫色の魔力の弾が打ち出される。その弾に付随する効果はもちろん、ダークヒール。
だが、それはマロウに迫り切る前にいとも簡単にかき消されてしまった。
「くだらん、二方向から攻めれば俺の攻撃が薄くなるとでも考えたかっ?」
マロウは接近するシェスを光の壁で弾き返しつつ、俺へとその手を掲げた。
「穴だらけになる場所が地上から空中に変わっただけだっ、下等生物!」
先ほどと一切変わらぬ威力の光線の弾幕が俺へとめがけて射出され始める。俺はダークヒールの盾でそれを逸らすが、やはりその圧力は俺の体を押して……しかし。
「どうやら計算違いをしているようだな。私はいま自由落下中だぞ?」
俺の体はマロウへと向けて落ちるのを止めない。地上にいた先ほどは後ろへと押しやられるしかなかったが、今は重力が味方して俺の接近を阻むことはできなくなっている。
「もう少し術式に集中して威力を上げてはどうかね? まあもっとも、そこまで出力を上げられるのであれば、だが」
「~~~! 侮るなよっ!」
先ほどよりも数の多い光線が襲い来る。まるで花火のようだ。そしてなるほど、確かに口だけではない。俺を押しやる力はさらに増していく。そして、空中の俺に弾幕が集中することによって、辺りは突然に陽が昇ったかのように明るくなった。
そんな鮮明さを取り戻した視界の中で、俺は視た。
──疾風のように周囲の草木を揺れ動かし、マロウへ向かって這うように駆ける白銀の姿を。
それは俺とシェスの相手をしているマロウの背後から、その体をすっぽりと覆い尽くすほどの大きな影を落とす。
「はっ……?」
マロウがとっさに振り返った先。いつの間にかそこに立っていたのは、裂けたように大きな口を開く銀色の毛並みをした巨大オオカミ。
──悲鳴を上げるヒマさえない。
マロウの首元から胸にかけてを、そのオオカミは一瞬にして食いちぎる。それも肉だけではなく、骨ごと。オオカミの大きな口の形に上体をえぐられて、マロウの眼球はグルンと白目を剥いた。
俺の自由落下を妨げていた聖術の弾幕が消えて、だんだんと地面が迫ってくる。
しかし、
「ご無事でしたか、キウイ様」
俺の体が地面に叩きつけられることはなかった。シェスが俺の落下地点へと先回りして、フワリと体を受け止めてくれる。
「あまり無茶はなさりませんよう。ヒヤッとしましたよ」
「心配をかけたようですまない。ただ、一番ヘイトを向けられているらしかった私が適任だったのでね」
俺が地面に降り立つなり、ドサリと。マロウの……その依り代の体が地面へと倒れ伏す音が響く。その後ろ、銀色の毛並みのオオカミはその長い舌で、血にまみれた口元を舐め回していた。
「彼女が……ウルクロウ殿、か」
魔狼種は美しい獣と呼ばれることが多いらしい。
が、そうと呼ぶにはあまりに彼女は荒々しさが勝っていた。
……しかし、だ。ともかく今はそんなことよりも。
「まだ死ぬな、推定マロウ本人の依り代よ!」
だってまだ、触診もなにもできていない!
俺はピクリとも動かずうつ伏せに倒れるマロウへと駆け寄った。その体を起こし、仰向けにさせる。眼球運動はまだ停止していない。つまり、まだ生きてはいる。
「憑依をするとはどういう気分だねっ? 意識や力をいったいどのように定着させているのだいっ!? さあ、答えてくれたまえよっ!」
「……」
「意識レベルゼロ、か。仕方ない」
このまま応答を待っていても死ぬだけだ。
俺はマロウの依り代の体へと診察用の魔力を流し込む。
──バチバチィッ、ビクンッ!!!
マロウの体が陸上の魚のように跳ねた。魔力を流されたことによる " 悪魔の雷 " 現象に対する反応が起こったのだ。低い可能性ではあったが、この雷が心臓マッサージになる可能性に賭けたのだが、
「あ、死んだ……」
依り代のエルフの瞳孔は開いていた。
もう、そこに命はない。
「オイオイ、死体にムチ打つもんじゃないぜ」
ヒョイッと。後ろ襟が掴まれて、俺の体が持ち上げられた。正面から覗き込んできたのは大きなオオカミの顔……ウルクロウだ。
「へぇ。オメェ、人間じゃねぇのっ!」
クンクンと鼻を鳴らしたかと思うと、ニィッと微笑んだ。
「ギャハッ、エルフの注意を引き付けるためとはいえ、羽もない人間が空にぶち上がるとはなぁ! とんだ肝っ玉野郎だぜ!」
地に下ろされると、バシッと強く背中を叩かれてつい前のめりになってしまう。ウルクロウは大きな口をこれでもかと開いて牙をあらわに、豪快に笑ってみせた。
「愉快愉快っ! ヤバいくらいの聖力を感じて近くまで来てみれば、こんなオモシレー野郎が戦ってるんだもんなぁっ!」
「魔狼種のあなたであれば様子を見に駆けつけてくれると信じていましたよ」
「へぇ……アタシのことをよく分かってるようじゃねぇの? それじゃ、あの " 通信 " も当てずっぽうってわけじゃあなかったってワケだ?」
「ええ、まあ」
ウルクロウの捜索にあたって俺たちは、もともと二通りの作戦を遂行していた。
一つがローズによる占星術。
そしてもう一つが " 魔獣間の短距離通信 " だ。
「あの耳がキーンとなる超高音波はあまり好きじゃあなかったがよぅ、簡単な作戦信号くらいは覚えておいてよかったぜ。おかげで、風を使うことができた」
「おかげさまでしっかり届いていたようですよ、あなたのニオイが」
本来であれば魔獣間での通信網は吸血獣種などが放つことのできる超高音波で確立されるものらしかったが、しかしウルクロウ側にはその連絡手段がない。そこでこちらからの通信が届いたかどうかの判断には、魔熊種の兵士の嗅覚を用いることにした。
魔獣の中でも特段に優れた狩猟能力を持つ魔狼種のウルクロウが自らの不注意で風上に立つことは決してない。つまり、それでもなおウルクロウのニオイが流れてくるケースは、こちらへと伝えたいことがあるからという理由に限られる。
つまり、こちらからの通信は正常に伝わっているということを意味するというわけだ。
「ギャハッ! 全部手のひらの上ってわけかっ! やるじゃねぇか! オメェ、名前はっ!?」
「キウイ・アラヤと申します、ウルクロウ殿」
「キウイ・アラヤァ……? そりゃ確か、新参で幹部になったとかいう人間の?」
「そうです」
「へぇ、へぇ、へぇ~~~?」
ウルクロウはニヤァッとすると、その大きな腕を俺の肩へと回してくる。
「よぉし、気に入った。キウイ、アタシと結婚しなよ」
その赤く長い舌で、俺は頬を舐められる。
濃い血の匂いが鼻腔を突いた。
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次のエピソードは「第87話 作戦完了/ブチ切れる賢者」です。
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