三話目
「―――アレクス殿下、エリックです」
「入れ」
その夕方、呼ばれた通りに俺がアレクス殿下が現在私室として使われている奥宮内の客間を訪れると、呼びかけてから間髪を入れず返事が返って来た。
そこには、いつもと変わらない考えが読めない表情の……いや、心持ちいつもより不機嫌そうか?―――アレクス殿下がどかりと一人掛けの椅子に踏ん反り返っていた。
「よく来たな、エリック・カーシウス」
やっぱり口調もいつものやや気だるげなものより、剣呑な色合いを含んでいる。
午後のセイクリッド王太子妃殿下が非公式の来訪をされた時に交わされたやり取りは、アレクス殿下にとって面白くない内容だったのは確からしいと、俺は心の中で納得していた。
とはいえ、それは王国軍の一騎士の俺にとっては何ら関係ないことである。なぜ直属の配下でもない俺を呼ばれたんだろう、と俺は内心疑問に思っていた。というよりも、嫌な予感しかしなかった。これまでにこのお人に呼ばれて今まで良い知らせだったことがあっただろうか?いや、ない。
もちろん、常日頃からこき使われ鼻持ちならない隣国の王子と言えど、将来の女王の配偶者である。俺などが気安く話して良い相手ではないので、俺は表面上は礼儀に則って片手を胸にあて、上体を少し倒し畏まる。
「……何の御用でしょうか?」
「……ああ」
俺が問うと、普段はズバズバと何のためらいもなく歯に衣着せぬ物言いでその場の空気をぶった切る、あのアレクス殿下が、珍しく言いよどんでいる。一呼吸置いた後、ようやくアレクス殿下は口を開いた。
「……エリック。俺の護衛として、明日からのセイクリッドへの旅路に同行しろ」
「………はい?」
俺は余所行きの笑顔を張り付けたまま、聞き返した。アレクス殿下が、その深海のように青い、少々目つきの鋭い瞳で俺を見据えた。
「お前も聞いているだろう?俺とエメセシルは明日セイクリッドに旅立つ、俺の父親であるセイクリッド王が落馬による重傷を負い、命も危ういらしいからな」
椅子の手すりに頬杖を着きながらむっつりと吐き捨てたアレクス殿下は、自分の父親が瀕死の重傷と話す割には、随分投げやりな口調である。
「それで、エメセシルを父王に会わせられる機会は今後ないかもしれないしな、丁度いいからエメセシルにセイクリッドを案内してやろうと思う」
「な、なるほど……」
返事をしながらも、俺の頭にはいくつもの?が浮かんでいた。
一体父親の見舞いか、エメセシル様のセイクリッド観光のどちらが本題なのやら……。相変わらず、アレクス殿下の考えは読めない。
「しかし、何故俺に護衛を?いつもアレクス殿下の警護をされているジーク殿はどうされたのです?」
俺は少し前から、アレクス殿下がセイクリッドから伴って来た数少ない従者の内、普段殿下の警護をしているセイクリッドの護衛騎士ジーク殿の姿が見えないことに気付いていた。たしか彼はアレクス殿下の乳兄弟で、幼少から殿下と共に育った人物だと聞いている。考え方が突飛なところのあるアレクス殿下と渡り合える数少ない貴重な人材だ。
まだ正式にアルカディアに婿入りされていないアレクス殿下には正式な近衛騎士隊は結成されておらず、我が王国軍の優秀な騎士の何人かが担当として警護につけられているものの、昼夜を問わずジーク殿が殿下に付き従っていた。なのに、どういう訳か今日に限っては姿を見ていない。……珍しく休暇を取っているんだろうか?
「ジークには、メルヴィナの護衛として先にセイクリッドに向かわせている。メルヴィナの奴、自分の護衛騎士を一人しか伴っていなかったからな」
自分の兄王太子妃を呼んでいるにしてはいやに親密な口調に、二人が昔恋愛関係にあったというルーシアの発言が現実味を増して来る。
全く興味が引かれない訳ではないが、とはいえ良く分からない騒動に巻き込まれるのは、正直勘弁願いたい。
「……お話は察し致しますが、アレクス殿下もご承知の通り、俺は現在結婚に伴う長期休暇中でして、殿下の護衛でしたら別の者に……」
「休暇は中断だ」
「……はい?」
「お前の休暇は今日で終わりだ、明日からすみやかに職務復帰せよ」
いやいやいや!!横暴すぎるだろ!!!
俺はひくつくこめかみを押さえつつ、激しく突っ込みたいのを我慢して会話を続けた。
「……お言葉ですが、仮に明日より復帰するにしても、俺はゲオルグ軍事顧問の補佐役であり、王国軍師団の師団長として今は警護役は業務外ですから……」
「丁度休暇で業務を別の者が引き継いでいるんだろう、つまり、今のお前は王国軍で一番抜けても差し支えない立場だと言うことだ」
……鬼か!?!?!?
休みを返上しろと言った上に、管轄外の業務を押し付けて来るなんて!!しかも、自分の護衛とか称して体のいい何でも屋として使うに決まってる!!
「第一、お前は体よく使うのに丁度いいからな」
いやそのままかよ!オブラートにぐらい包んでくれ!!
俺の心の中の突っ込みが聞こえたのか、一度だけアレクス殿下は口の端をにやりと上げた。
「……冗談だ。だが、エメセシルの護衛としてお前の妻も同行に乗り気だと言うしな、新婚早々最愛の妻と引き離すのも忍びないからな」
物は言いよう、絶対申し訳なくなんて思ってないだろうに。しかし、昼間のルーシアの口ぶりから例え俺が止めても彼女がエメセシル様に同行するだろうことは、火を見るよりも明らかだった。ルーシアが休暇を返上するなら、俺一人家に籠っていてもつまらない。
つまり、最初から俺に選択肢などないのだ。はなから分かってはいたものの、その理不尽さにやり切れない。
俺は長いため息を吐き出した後、しぶしぶ返答をした。
「……分かりました。セイクリッドまでの道中お供致します」
だが、俺とて一方的に利用されるのは癪に障る。それにルーシアじゃないが、そもそもエメセシル様は俺の直接の主君でもあった大事なお方だ。
「……アレクス殿下、既婚の立場から少し言わせて頂きますが、殿下もご結婚を間近に控えられているのですから、女性のことであまり派手なことはなさらないで下さい」
「……誤解をするな。今の俺は潔白だ」
今の、ということは昔は違ったんですね、と言いたいのを堪えた俺は立派だったと思う。
俺にまで小言を言われて苦虫を嚙み潰したような顔をしたアレクス殿下は、そのやや長めの前髪をうっとうしそうに掻き分ける。
「エメセシルと出逢ってからは、一切遊びの恋愛はしていない」
憮然とした口調で呟いたアレクス殿下の様子に、俺はおや?と意外なものを見たような心境になった。
ひょっとしたら、ひょっとするのか……?
―――アレクス殿下の私室を辞した俺はその足で、同じ奥宮にあるルーシアの私室を訪れていた。もちろん、明日以降の旅程について彼女と相談するためである。
いかにも大名行列、というような大げさな旅にしたくはないと言うのは、アレクス殿下エメセシル様共通のお考えらしく、馬車を操る御者を除けばお二人に同行するのは俺達夫婦のみのようだった。まぁ、アレクス殿下は騎士としての訓練も修められているようでご自身の身の回りのことは何でも出来るようだし、エメセシル様に関しては侍女としての役割も兼ねることが出来るルーシアが一人いれば問題はないだろう。人数が少なく身軽な方が、移動も素早く出来るというものだ。俺達が打ち合わせをしている間、エメセシル様付きの従者達が急ぎ必要な携行品と馬車の手配をしてくれていた。
「……国境にあるノルズ城砦までの道のりが、早くて3日だろ?そのあとセイクリッドの王都までが、直線距離で2日か……」
「……意外に近いのね」
俺が地図上でセイクリッドの王都までの行程をルーシアに説明していると、その地図を真剣な様子で見ながらルーシアが頷いた。俺はさらに、馬車を停泊し休憩するポイントについても地図に書き加えた。
「まぁ、馬車でなければほんとはもっと早く着けるだろうけどな。アレクス様や俺達はともかく、エメセシル様がいるからそこまでの強行軍をするわけにはいかない」
「1年前のクーデターの時とは違うものね」
そのルーシアの言葉を聞いて、俺はその時の事を思い出し、少し感傷的な気持ちになった。
1年近く前、我がアルカディアの王国軍の上層部が国王支持派と反国王派に分かれ、反国王派が一時的に国王陛下を軟禁し王宮を支配下に納めたことがあった。事前に動乱を予期していた陛下の命により俺達はそれより以前にエメセシル様を王都から避難させることに成功していたが、俺達の動きを察知していた反国王派の追手によって、当時の同僚の一人を戦闘で亡くし、さらにはルーシア自身が命の危機に見舞われる事態に陥ったのだ。結果的にアレクス殿下、エメセシル様の協力もあり俺はルーシアを辛くも救うことに成功し、そのことがきっかけで俺達は気持ちを通じ合わすことも出来たのだが、あの時の心臓が凍り付くような恐怖はもう二度と経験したくない。
実際、あの時の御恩を考えると、俺はアレクス殿下の命令には逆らえない。……例え、それがどんな理不尽な扱いであっても。
見るとルーシアも当時のことを思い出していたのか、心なしか神妙な表情をしていた。
「……大丈夫だよ。今回の旅は誰に追われている訳でもない、道中にトラブルに見舞われることはないだろう」
少し不安気な表情をしているルーシアの頬に軽く触れると、ルーシアは何度か瞬きをし俺を見つめた後、微笑む。
「そうよね……」
しかしすぐに、思い出したように表情を引き締めた。
「それよりも、セイクリッドに着いてからの方がきっと大変だわ。王太子妃であるメルヴィナ様とアレクス様の会話の様子じゃ、王太子殿下の地位についてセイクリッドの議員達の間で論争があるみたいだし」
「論争?」
ルーシアから告げられた新たな情報に俺は眉をひそめた。王太子の扱いについて議員の意見が割れているなんて、何やらきな臭い話だ。
「ええ。その時の会話では詳しくは分からなかったのだけど、議員の一部にはアレクス殿下の兄君の第一王子よりアレクス殿下を次期国王にと推す動きがあるようね。その上、現王太子妃であるメルヴィナ様と再縁組させたがっているらしいわ」
「それは気になる話だな……」
どこの国でも、王位継承争いというのは大なり小なりあるものだな。俺が見る限り、アレクス殿下は生国であるセイクリッドの王位には頓着されているようには思えないし、以前の殿下の発言ではないが、エメセシル様との婚姻によって完全にアルカディアに骨を埋めるおつもりであるようだ。問題は、件のセイクリッドの議員達と殿下の兄君である現王太子殿下のに力関係にもよるが……。
……にしても、先ほどアレクス殿下に拝謁した時には、そんなことは一言も仰らなかったな。アルカディアの一騎士である俺には関係のないこと、というのもあるのだろうが、無駄なことに関心を持たれないアレクス殿下らしい、恐らく殿下にとっては王位継承に関しての貴族らの論争など相手にもされていないのだろうな。
「……とにかく、今回の俺達の任務はセイクリッドまでのお二人の警護と身の回りの世話だ。お前がエメセシル様に肩入れをする気持ちも分からなくはないが、必要以上に口出しするなよ?」
俺は昼間にいつになくルーシアが感情的になっていたことを思い出し、釘を刺すつもりで付け加えた。それまで彼女も考え込むように胸の前で腕を組んでいたが、俺の言葉に納得がいかないのかルーシアの顔が途端に憮然とした表情になる。
「……でも、姫様の心の平安を守るのも騎士の務めだわ」
「ルーシア。男女の関係のことは当人同士にしか分からないことがあるのは、君だって分かっているだろう?ましてや、アレクス殿下とエメセシル様は一般の若い恋人同士とは訳が違う。お二人の結婚は国同士の契約でもあるんだ。俺達はただの騎士、それ以上に踏み込んではいけないんだ」
「……分かったわよ」
俺が諭すように言うと、表情は変えないまでもルーシアは小さく頷く。
どちらにしても、お二人の問題は本人同士が自覚して対処されないと、意味がないと思う。俺の見立てでは、アレクス殿下はエメセシル様を憎からず想っているようにも思えるし。でもそれはあくまで外側から見た俺の印象であって、俺が勝手に決めつけて茶々を入れていいようなものじゃない。もちろん、それはルーシアだって同じだ。
俺達は俺達の役割に徹する、それが騎士としてあるべき姿だと俺は思う。
―――その後、俺達は最終的な積み荷や、出立時刻などを確認し合い二人だけのミーティングを終える。こんな内容を話し合うなんて、まるで近衛騎士隊に所属していた頃に戻ったような錯覚さえ覚える。
あの頃は、君との間に簡単に崩すことの出来ない見えない壁のような物を感じていたけれど……今は。
俺はにわかに懐かしい気持ちと、切ない気持ちが蘇って来て、今の俺達が確かな絆で結ばれていることを確かめるように、ルーシアの腰に手を回した。
―――が。
「……エリック?打ち合わせはもう終わったのだから、自分の部屋に帰ってくれる?私も明日に備えて寝たいから」
その細い腰に振れるか触れないか、というところで強い口調で俺ににっこりと微笑んだルーシアの指が、俺の手の甲をきつく抓り上げた。ただし、その目は全く笑っていない。
「……ルーシア、俺の部屋は右宮にあるんだけど」
歩いて20分もかかる距離なんだが。
俺のいじけた声にもルーシアは動じなかった。
「そうね、……それが何か?」
「……いえ、何でもありません」
……どうやら、彼女の部屋で一緒に朝まで過ごす栄誉には預かれないらしい。
すっかり仕事モードになっているルーシアには、もはや何を言っても無駄である。
……たしか俺達新婚だったよな?この様子じゃ、少なくともセイクリッドから戻って来るまでは夫婦の甘い時間はお預けになりそうだ。
とほほ、と肩を落とす俺に対し、さすがのルーシアも少しは良心の呵責を覚えたらしく、一度はぁ、とため息をついて俺の首に両腕を回した。
間近で俺を見つめる琥珀の瞳に、どきりと胸が高鳴る。
「私の愛する旦那様?誰よりも格好いい騎士でいてね?」
ルーシアはそう言って、俺の口に軽く重ね合わすだけのキスをする。
その、艶やかに微笑んだ君はあまりに魅惑的で、結局俺は君の期待を裏切ることなんて出来ないんだ。降参した俺は、思わず口元を綻ばせた。
「……承知しました、俺の最愛の奥様」




