第三十七話 これからも二人で
―――翌朝、日が昇ったと同時に俺達は移動を開始した。いつまた敵の襲撃に遭うかも分からないし、何よりルーシアの脚を早くきちんと手当てしなければならない。
幸いにも追手に遭遇することもなく、アレクス殿下が派遣してくれた救援部隊にも合流出来た俺達は、彼らの支援を受けながらその日の内にノルズ城砦に辿り着くことが出来た。俺がルーシアを抱かかえて、城砦内に入ると入り口からすぐのところで、エメセシル様とアレクス殿下、そして昨日到着されたのだろうテオドール閣下が俺達の帰りを待っていた。
「ルーシア……!良かった、無事で!!」
「……姫様、ご心配をおかけして申し訳ありません」
「謝るのは私の方だわ。私を避難させるために、あなたを危険な目に遭わせてしまったのだもの」
俺がルーシアを降ろすと、エメセシル様が真っ先にルーシアに駆け寄った。ルーシアが律義に姫様に頭を下げようとするのを、姫様が押し止めている。アレクス殿下は俺達の様子を見守りつつ、救援部隊を労っているようだった。
俺達の帰還に城砦内が安堵と喜びの空気に包まれている中、ただ一人だけ異なる厳しい表情をして俺達に、正しくは負傷したルーシアの脚の怪我と彼女の無造作に背中に流されている栗色の髪に視線を向けている人物の存在に、俺は気付いていた。
その人物―――テオドール閣下は大股で俺に近付いたかと思うと、無言で俺の顔を力任せに殴り飛ばした。
激しい衝撃と同時に俺の口の端は切れ、体は地面に勢いよく吹っ飛ばされる。
「お父様!?何をするんです!」
驚いたルーシアが抗議の声を上げた。しかし、娘の非難を無視しテオドール閣下はかつてない怒りに燃えた、まるで抜き身の刃のような視線で俺を見つめている。
「……貴様がついていながら、なぜ我が娘を自ら命を絶とうとするほどの状況に追いやったのだ………?」
そう言うと、閣下は俺に近づくなり騎士装の前を力任せに引っ張り上げ、引き寄せた俺の眼前でさらに俺を鋭く睨み付けた。王国軍の誰もが恐れる武人の眼光が、俺を正面から捉えた。
「……申し訳、ありません」
俺は息苦しさを覚えながら、一言詫びた。しかし当然そんなことで閣下の気が済むはずもない。俺は閣下の強い怒りを、正面から目を逸らすまいと受け止める。
「貴様であれば、何があろうと娘を守ってくれるものと期待しておったのに……失望したぞ」
「お父様……やめて下さい!!エリックはちゃんと私を守ってくれました!私が負傷したのは私自身の落ち度です!!」
父親の剣幕にルーシアは取り乱し、怪我をしているにも関わらずテオドール閣下に駆け寄り、俺から引き離そうとする。その様子をおろおろと戸惑ったようにエメセシル様は立ち尽くし、アレクス殿下はわずかに眉をひそめるものの、特に表情を変えず冷静に事の成り行きを見守っている。
「閣下……閣下の仰る通りです。俺の力不足から、ルーシアに怪我を負わさせあまつさえ危うく、彼女が閣下からの贈り物である簪を使うような事態に陥ってしまいました」
俺は固く締め付けられている首元をそのままに、テオドール閣下を正面から見据えながら俺の過ちを認めた。
「ほう……認めるのだな、貴様では我が娘に相応しくないと。ではやはり、娘には軟弱な貴様などより、もっと屈強な武人を婿に探すとしよう」
「お父様!?」
募る苛立ち、怒りを抑えることもなくそのまま俺にぶつけると、テオドール閣下は掴んでいる俺の騎士装の襟元から投げ捨てるように手を離した。ルーシアがその乱暴な振る舞いと、テオドール閣下の言葉の意味に驚愕する。
「お父様、そんな横暴だわ!!状況をきちんと知りもしないで決めつけないで下さい!!」
父親の激しく怒る様子に怯む様子もなくルーシアは果敢に抗議する。俺は立ち上がると、そんなルーシアを制した。
「ルーシア、いいんだ。事実なんだから」
「何がいいの!!……エリック、まさか、お父様の話を鵜呑みにするつもりじゃないでしょうね!?」
彼女を押し止めた俺を、今度はルーシアは目を吊り上げて詰問する。俺はそんな彼女に再度「いいから」と言うと、既に背を向け立ち去ろうとしているテオドール閣下を大股で追いかける。
「お待ち下さい、閣下!」
俺の引き止める声に、閣下は全く耳も貸さず足を止める様子はない。やむなく俺は駆け足でテオドール閣下の前に先回りし、行く手を阻んだ。
「……何だ、言い訳など聞くつもりはないぞ。貴様に娘はやれぬ」
「……確かに!……俺よりも、武芸に秀でた騎士も、知略に長けた指揮官も王国軍にはいくらでもいます。もしくは、俺よりも穏やかに正しく彼女を導いてやれる貴族の男も、他にいることでしょう!」
「……分かっているならこれ以上その忌々しい顔を見せぬことだな。私はもはや貴様とは何も話すことはない」
俺が直立して正面からテオドール閣下を見据えても、閣下の鋭い眼光は弱まるどころかますますその凄みを増していく。
「ですが!!」
俺はその圧力を跳ねのけるように大声で叫んだ。一瞬だけ、テオドール閣下の眉がひそめられる。
「俺よりも深く彼女を愛せる男はこの世にいません!!それだけは自信をもって言えます!!!」
「……それがなんだ。その愛情とやらだけで、娘を守れていたならこうはならなかっただろう」
閣下の言い分は尤もだ。伝えきれない想いに俺は、もどかしくて歯噛みする。
「俺は確かにまだ未熟です、でも彼女がいつも俺に力をくれます。彼女のために俺はこれからももっと強くなれる、成長していける。俺の命が燃え尽きる最後の瞬間まで彼女と共にあると誓います。俺には彼女でなければ駄目です。……ルーシアにとっても俺でなければ駄目なはずだ。俺達は絶対に離れることは出来ません!」
胸の内を曝け出すように俺は必死で声を張り上げた。ルーシアがその俺の言葉に息を呑み、両手で口元を覆い俺とテオドール閣下を見つめている。テオドール閣下は俺の全身全霊の訴えに、面食らったように俺を凝視している。俺はなおも続けた。
「彼女と生涯を共にすることを許して下さい……!これ以上絶対に閣下を失望させたりしません。誓います……!!」
そう言うと、俺は深々と閣下に頭を下げた。ひたすら祈るような気持ちで、閣下の反応を待った。
「お、お父様……エリックの言う通りです、私も彼でなければ駄目です。お願いです、彼と人生を歩ませて下さい……!」
ルーシアはそう言うと、テオドール閣下に追い縋り涙に濡れた瞳で訴えた。テオドール閣下は依然として厳しい表情のまま押し黙った。
―――重苦しい沈黙が流れた。
「―――誓いの言葉に、偽りはないだろうな……?」
ややあって、閣下は苦虫を噛み潰したような、重々しい口調で俺に問いかけた。俺は顔を上げ、真っ直ぐに閣下を見据えた。
「この命に懸けて」
再び、閣下の剣呑な眼光が俺を射抜く。俺は怯むことなく見返した。
「……ならば、人生をかけてそれを証明して見せよ。しかし、次はないと思え」
「……はっ……」
俺は再び深く頭を垂れた。テオドール閣下は一度愛娘に視線を向け、宥めるようにその頭を撫で一瞬だけ満足そうに微笑んだあと、すぐに元の厳しい表情に戻り、今度こそ断固とした態度で立ち去って行った。
俺はその姿が見えなくなるまで頭を下げ続けた。
「―――っ……」
俺は消毒液が傷口に滲みる痛みに、顔をしかめた。
「エリック、じっとして」
思わず逃げ出そうとする俺の顎を掴みルーシアは、強い口調で制する。そしてまた有無を言わさぬ調子で、消毒液を染み込ませた綿布を俺の少し腫れた口元に押し付けた。
セイクリッド王国の軍医のきちんとした治療を受けたルーシアに、俺はテオドール閣下の殴られた頬の手当てをされていた。俺もルーシアも風呂をもらい身なりを整え、やっと人心地ついたところだ。本当は俺も、軍医か侍従から手当てを受けたかったのだが、ルーシアが自分が手当てをすると言ってきかなかったのだ。彼女の手当ては少々乱暴なので、出来れば遠慮したかったが彼女に俺が否を言えるはずもない。
「ルーシア、もう少し優しく手当てしてくれないか」
相変わらず、傷口をえぐるように治療するルーシアに俺は涙目になる。ルーシアは真剣に気付いていなかったのか、びっくりした様子で「ごめん」と言うと今度はそうっと俺の頬に布をあてて来た。
「でも、お前の脚の怪我も深刻な状態になっていなくて良かったよ」
俺はルーシアの腿のあたりに目をやりながら呟いた。今は彼女は伯爵令嬢らしい簡素なドレスに身を包んでいるので、実際の傷口や巻かれている包帯の様子は外側からは見えない。
「エリックの応急処置のおかげね。化膿もしていなかったし、お医者様は2ヶ月くらいで傷口も目立たなくなるだろうって仰っていたわ」
「そうか」
俺は安堵しながら頷いた。騎士として覚悟はしていたとしても、やはり女のルーシアが痕の残る傷を負うのは嫌だったのだろう。彼女の落ち着いた様子に俺もほっとする。
怪我の手当ても受けたことだし、俺もルーシアもしっかり休まないといけない。そう思い俺は彼女が薬箱をしまい始めたのを見て、席を立とうとした。
「……ねぇ、エリック」
「……ん?」
また何か話し始めたらしい彼女に、俺は立ち上がりかけた腰を再度椅子に落とした。
「……その、さっき……」
「……うん?」
歯切れ悪く言いよどむ彼女に俺は訝しがりつつ、彼女の言葉を待った。ルーシアは何故か、何度も瞬きをしてためらうように唇を開いては閉じている。その目元がほんのり桜色に染まり始め、俺はどきりとする。
「あの……ね、……嬉しかった。さっき、お父様に私とのこと、はっきり言ってくれて……」
「え……?……あ、いや……うん」
赤くなった彼女に俺もつられて、どもりながら言葉を返した。やばい、途端に何とも言えない照れが俺を襲った。
「……お父様のこと、エリックが苦手に思ってるの知ってたわ。それなのに、あんな風にはっきりと宣言してくれるなんて思わなかった。本当に……ありがとう」
「……必死だったからな……」
お互いに赤面した顔を突き合わせたまま、ぎくしゃくとした口調で話す。今まできちんと想いを伝え合って来なかった俺達は、こういった空気に免疫が無い。やばい、もう、締まりのない顔をどうやったら納めることが出来るんだ?いっぱいいっぱいになった俺は、思わず片手で口元を覆い視線をあらぬ方向に泳がす。
そんな俺の袖を、ルーシアが恐る恐ると言った感じで掴む。
「……ごめんね?……今まで、エリックの気持ちに気付かなくて……」
そう上目遣いで告げたルーシアは、はっきり言って反則だと思う。可愛すぎる。どうしてくれるんだ、この締まりなくデレデレに崩れた顔を。せっかくさっきテオドール閣下の前で真剣に宣言したのに、シリアスな雰囲気が台無しだ。もう、本当に君には敵わない。
「……いいんだ。……はっきり言って来なかった俺も、悪かったんだから……」
それだけ言うのが精一杯だった。ああ、本当に俺はどうしようもなく未熟者だ。こんな時に、スマートに君を抱き寄せてキスすることも出来ず、照れてしまうなんて。早速テオドール閣下に顔向けできない。
まだまだ学ぶべきことは一杯ある、と改めて思った。




