第三十六話 固く握り合う手(ルーシア視点)
お互いの気持ちを告白し合った後、私達は故障した馬車の中で体を休めていた。日が暮れ始めたこともあるし、エリックも、彼が乗って来た馬もあまりにも疲労していたからだ。エリックは私の脚の怪我をもう一度丹念に手当てをした後、獣除けの火をおこした。火をおこすくらい私がやると言ったのに、彼は私に無理をするなと馬を木につなぐのも、敵の死体を私達から遠ざけるのも全部自分でやってしまった。もう2日以上ろくに寝ていない上に、ずっと戦闘や馬での移動で疲れ果てているはずなのに。
明日、明るくなるのを待って私達は移動することに決め、それまではエリックに仮眠を取ってもらうことになった。私が寝ずの番をすると言ったら、最初渋っていたものの、結局は合理的に考えて自分の体力を回復させることが優先だと判断したようだ。
そして今、私達は馬車の座席で隣り合って座っている。エリックは私の肩を枕代わりにして既に眠りの中だ。よほど深く眠っているらしく、規則正しい呼吸以外は身じろぎもしない。その彼の左手は、私の右手を固く握りしめたままだ。その手の温かさに、じわりと何とも言えない安堵感と嬉しさが込み上げて来る。
自分でも意識しない内に込み上げて来た涙が、ぽろぽろと零れ落ちた。いけない、さっきから随分涙脆くなってしまった。
―――こんなにも、愛されていたことを私は知らなかった。こんなにも大事にされていたなんて、気づきもしなかった。
彼の言動を勝手に解釈して、決めつけて、きっと私は何度も彼を傷つけた。
今になって振り返ってみると、彼はいつだって私のために一生懸命だった。ウェスティンで狼に襲われた時も、演習で私が先走った時も、戦闘で私が危険な目に遭った時も。自分の身の危険も顧みず、命を懸けて私を守ってくれた。私が彼の手を、知らずに振り払った時ですら。
ずっと、ただの婚約者として扱われているんだと思っていた。それか、ただの騎士仲間くらいにしか思われていないと。共に仕える姫様の美しさが眩しすぎて、彼が姫様の隣に立つだけで勝手に嫉妬して。
もっと彼の言葉によく耳を傾けていたら良かった。もっと彼の姫様を見つめる瞳と、私に向けてくれた視線の意味をちゃんと考えればよかった。そうすればきっと、もっと早く分かり合えていたのに。
でも彼はそんな私を見限ることもせず、ずっと受け止め続けて見守ってくれていた。
ずっと大きな愛情に包まれていたんだ。そう考えると、とても申し訳ない気持ちと、どうしようもなく切なくて嬉しい気持ちが込み上げて来る。
エリックは変わった。それはもちろん、良い意味で。体も随分逞しくなったし、顔だって元々整った顔をしていたけど、落ち着きと精悍さが加わって見つめるだけでドキドキする。でもそれ以上に、精神的に成長した。
小さい頃は、私に合わせてばかりで、私に剣で負けるとすぐ拗ねていたのにね。そうだ、どちらかというと大らかでのんびりした子供だったのに、今は強い意志と何事にも屈しない強靭な心を手に入れて、誰よりも男らしく素敵になった。
それなのに、私に対して優しいことだけは、変わらないね。
私は重ね合わせたお互いの手に視線を向けた。
小さい頃からいつも、不安な時はこの手が私を勇気づけてくれた。初めての大きなお茶会、広い王宮を初めて歩いた時、騎士に任命された時も。
この温かさだけは少しも変わっていない。手の感触は随分変わって、固くごつごつしているのに。
私は繋ぐ手に、ほんの少し力を込めた。すると反射的になのか彼の手も強く握り返された。
―――不思議な気持ち。寝ずの番をしているのは私なのに、まるで私の方が彼に守られているみたい。
「……エリック、愛してるわ」
小さく、呟いてみる。返事はない。
でも彼の寝顔はこの上なく穏やかで優しい。私はそっと自分の頭も傾けて、彼の方に寄せてみる。
途端、何とも言えない幸せな気持ちが私を満たした。―――あなたに出会えて、本当に良かった。
私はこの息が苦しくなるほど切なくて、甘やかな胸の痛みをきっと一生忘れないだろう。
私達を見守るのは、馬車の窓から姿を覗かせる清廉な白い月明かりだけだった―――。
本来はルーシア視点のこの話は『不真面目な騎士』に入れるべきかとも思ったのですが、話の流れ的にも不自然になってしまうので、この作品内に入れました。




