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第三十五話 通じ合う想い

 

 「ルーーシアーーーーー!!!!!!」


 俺の怒号は、空気を震撼させるように響き渡った。


 ルーシアの細い銀の簪を握る手が、まるで雷に打たれたように震えた後、ぴたりと動きを止めた。


 「エ、エリック・カーシウス!!!」


 俺に気付いた男らの一人が振り返る間も許さず、俺はその男を馬で蹴飛ばした。完全にコントロールを失い興奮している馬の勢いのまま、俺は男らに襲い掛かる。逃げる敵にも容赦なく背中から一突きにした。完全に俺の理性は失われていた。自分では自覚なく、凄まじい腕力で本来なら断ち切れるはずのない敵の鎖帷子ごと粉砕していた。俺の登場に恐怖に腰を抜かした男の、先ほどまでルーシアを組み敷こうとしていた奴も一太刀で切り捨てた。一方的な殺戮を、俺はルーシアの前で繰り広げていた。


 やがて敵が全滅したことを認めた俺は、ようやくルーシアに振り返った。どれだけ狂気に濡れた顔をしていたのだろう、ルーシアが地面に座り込んだまま蛇に睨まれた蛙のように身をすくませた。


 俺は本能的な怒りのままに、彼女に大股に近づいた。俺が睨み付けていたのはたった一つ、彼女が手に持つ銀の簪だけだった。硬直している彼女に構わず、無理やりにルーシアの腕を掴んだ。簪を凝視する俺を、ルーシアが恐怖を張り付けたまま困惑したように見返した。


 「エ、エリック……?」


 震える彼女の声が、俺の名を呼ぶ。


 「……命を……絶とうとしたのか……」

 「……」


 自分でも驚くくらい、低い不気味な声音だった。ルーシアが怯えるのも無理はない。耐えきれない、といったようにルーシアが俺から視線をそらし、俯いた。


 俺は自分の不甲斐なさに奥歯を噛みしめた。ぎりっという音がやけに大きく響いた。


 「……お前に、こんなことまでさせたなんて……俺はっ……!!!」


 彼女に決してこれを使わせないと、誓っていたのに。俺が弱いせいで。俺の力が足りないせいで、彼女に怪我を負わせ、危険な場所に一人で残し、その結果命と貞操の危機に晒してしまった。男達に引き裂かれたのだろうか、彼女の騎士装は大きく前が開いており彼女の着用する鎖帷子が露出していた。


 ―――君を守ると誓っていたのに。


 苦渋に顔を歪める俺に、ルーシアはさらに困惑を深めた。俺をじっと見つめていたかと思うと、何か言いたそうに唇がわずかに動くものの言葉にならないのか震え、結局引き結ばれてしまう。その代わりに、彼女の澄んだ琥珀の瞳が揺らぎ、大粒の涙が零れ始めた。


 「ルーシア……すまない、怖い思いをさせた」


 俺は項垂れ、心から彼女に詫びた。彼女に触れる資格なんてない、分かっているのにあまりにも君が脆い姿を見せるものだから俺は、どこか頭のネジがいかれてしまったのだろう。彼女の濡れた瞳に自分の口を寄せるとその透明な涙を唇で掬い取った。彼女は驚いたように睫毛を揺らしたが、抵抗する様子もなく俺にされるがままだった。


 「エリック……」


 涙を一つ一つ、受け止めているうちに力を失ったようにルーシアがため息交じりに俺の名を呼んだ。その、甘い声音に俺は正気を保っていられなかった。彼女の体を引き寄せ、彼女の声を絡めとるように唇を寄せた。ルーシアは一瞬身を固くしたけれども、俺を受け入れるように瞳を閉じた。それからは彼女を掻き抱くように強く抱きしめ何度もその唇を味わった。


 ―――ふいに彼女の細い指が恐々と、俺の目元をなぞった。彼女の全てがただ愛しくて、俺はその指先を掴むと手の甲にも口づけを落とした。危うい程、恍惚とした様子で俺を見つめるルーシアに、俺は彼女を抱く腕にさらに力を込めた。彼女は俺の胸に頭を埋めもたれかかるように体を預けると、ようやく力を抜いた。


 

 「……エリック……姫様は……?」


 しばらく無言で抱きしめ合っていた俺達だが、その沈黙を破ったのはルーシアの方だった。彼女の言葉に、夢うつつになっていた俺の意識が、現実に引き戻された。そうだ、彼女はどこまでも模範的な騎士なのだ。


 「……大丈夫だ。今はアレクス様と君のお父上に保護されている。俺は、姫様を殿下に預けた後、すぐに引き返して来たんだ」


 彼女の体を離し、一度平静を取り戻そうと俺は言葉を噛みしめながら告げた。だが、ルーシアは俺の言葉にひどく驚いたようだ。


 「それじゃ、エリックは少しも休んでないってことじゃない」

 「……休んでなんていられるかよ……命より大事な女が危険に晒されているって時に……!」

 「……!」


 項垂れ呻くように告げた俺にルーシアは鋭く息を呑み、その琥珀の瞳を驚いたように大きく見開いた。俺はそんな彼女の手を両手で掴み額の前で掲げ持った。片膝を着き、まるでこれから断罪される罪人のような心境だった。


 「……すまない。俺はお前には相応しくないかもしれない。俺は騎士失格だ。途中何度も、主君である姫様を見捨てそうになった。愛しい女を危険に晒している最中に、何で別の人間を守っているんだろうって。砦に着くまでに姫様を放り出して何度引き返そうかと、悪魔の囁きに身を委ねそうになったことか……!でもその度に、お前が何のために命を懸けているのか、それを考えてようやく踏みとどまっていたんだ」

 「……エリック……?」


 ルーシアが信じられないものを聞いているかのように、瞳を揺らし俺の名を不審そうに呼ぶ。そうだよな、信じられないよな。さも一人前の騎士のように振舞って、偉そうにお前に小言を言って来ていたんだからな。


 「……軽蔑しただろう。俺は、本当は使命とかどうだって良かったんだ。騎士の鑑であるお前の隣に立つ時に恥ずかしくないようにって、いつもそんな理由で、騎士らしく振舞っていただけだ。俺は全然清廉潔白な人間じゃない。全部お前を手に入れるためだ。今まで、お前が騎士じゃなかったらって、何度思ったか知れない。お前が屋敷の中で大人しくしてくれていたらって。でも、剣を振るうお前は戦乙女のように美しくて、いつも凛としているお前の誇り高い姿に、同時にどうしようもなく惹かれていたんだ」


 あっけにとられたように、ルーシアは俺の告解を聞いている。俺はもうやけになって、心の中に溜めていた想いを洗いざらい告白した。彼女に呆れられても仕方が無かった。だってこれほどまでに俺の中身は、ちっぽけで情けないんだ。


 だが、次に俺の耳に飛び込んで来たのは俺自身全く予想もしていなかった、まさに斜め上のルーシアの言葉だった。


 

 「……エリックは、姫様のことが好きなんじゃなかったの……?」


 

 その言葉のあまりの衝撃に、それまでの悲愴な覚悟が一瞬どこかに行ってしまって、俺は目を点にしてルーシアを見つめてしまった。途端、何故か俺に問いを投げかけたルーシア自身の顔も狐につままれたような表情になった。


 


 「……は?」

 「……え?」


 

 しばらく、俺達の間を変な沈黙が包んだ。……ややあって、俺は絞り出すように彼女に問い返した。


 

 「……俺が、エメセシル様を好きだなんて言ったこと、一度でもあったか……?」

 「……ない、の、かしら?」


 ―――あってたまるか!!!


 一体どういうことだ?!なんで俺がエメセシル様のことが好きだなんて話になるんだ?!俺は混乱し、頭を抱えた。一気に疲れが襲ってきたような気がして、頭が痛い。


 「……姫様を主君として敬愛はしているが、そういう目で見たことは一度もないぞ?」


 もう、本当に勘弁してくれ。情けないやら、泣きたいような気持で俺はルーシアを思わず睨み付けた。命がけで駆け付けて来たのに、この仕打ちはあんまりじゃないか?俺の恨みがましい目線に怯んだルーシアがたじろぐように体を揺らした。


 「でも、いつも姫様を目で追っているのを見ていたわ。そのくせ、私が夜会でドレスを着ていても、お世辞の一言も言ってくれてなかったじゃない!」

 「……それは、任務中に仕事と関係ないことを話したら、お前が嫌がると思ったんだ。それに……」

 「……それに?」

 「……俺が目で追っていたのはお前のことだよ。でも任務中に婚約者に気を取られているなんて言われたら、お前も嫌だろ?その点、姫様を見ていたら周りが勝手に仕事熱心だと評してくれるし。……お前は常に姫様の隣で警護していたから」


 こうやって種明かしをさせられるのは、かなり恥ずかしかったが、誤解をされたままじゃ堪らない。でも俺の言動が彼女を混乱させていたことも事実だ。俺も反省しなければならない。


 「……テオドール閣下にも、お前に相応しい男になるまでは婚姻は先延ばしだと言われたことあったし、今度こそ婚約を破棄されるかもしれない……お前だって、本当の俺の情けない姿を知って、がっかりしただろ……?」


 すっかり消沈して、肩を落として呟いた俺をルーシアはびっくりした顔のまましばらく眺めていた。もう、どうとでもしてくれ、と俺が覚悟を決めていると。なぜかルーシアは噴き出したように笑い始めた。


 「っ……ふふっ……あはははっ……」

 「ルーシア!笑わないでくれ……俺は真剣に……!」


 俺が思わず顔を赤くして叫ぶと、ルーシアは肩を小刻みに揺らしながらも何とか笑いを納めようと、口元を手で覆った。


 「……ふふっ……ごめん。……でも、私達がここまで似た者同士だったなんて思いもしなくて……!」


 もう堪えられない、という風に笑いを抑えようとしたのか彼女は再び俺の胸に顔を埋めてしまった。俺はそんな彼女に途方にくれて、しばらくどうしたものかと手を宙に泳がせるが、ややあってこわごわとその彼女の頭を掻き抱いた。


 「ルーシア……?」

 

 俺が声をかけると、しばらくは返事が無かった。その代わりに彼女の両手がギュッと俺の制服の前を掴んだ。


 「私もごめん……。がっかりさせると思うけど、不真面目な騎士だったのは私も同じよ。だって、私は騎士になりたくてなったんじゃないもの」


 彼女の言葉に俺は耳を疑った。


 「……何だって……?じゃあ、お父上が君にむりやり……?」

 

 彼女は俺に体を預けたまま、首を振った。


 「それも違うわ。決めたのは私自身よ……あなたが騎士の修業を始めて、会える時間が減って寂しくて……お父様に剣術を教えて下さるようにお願いしたのよ。陛下の申し出を引き受けたのも本当は、あなたと少しでも傍にいたかったから」

 「……!」

 「……馬鹿よね、こんな不純な動機で、あんな責任重大な役目を引き受けちゃって。そのくせ、あなたがエメセシル様と接するたびに嫉妬して……私は、本当はこんなにも面倒くさい女なの」


 俺の胸に顔を埋めたまま告白する彼女の顔が、真っ赤になっているのは見ていなくても手に取るように分かった。予想もしなかった彼女の言葉に俺は大きく息を呑み込んだ。


 「おまけに私は背も高いし、訓練のせいで筋肉隆々になっちゃったし、その上可愛げのない性格だし……」


 明らかに気持ちがしぼんで次第に声が小さくなる彼女に、だんだん可笑しさが込み上げてくる。筋肉隆々だなんて、思ったこともないよ。いつも、君の美しい立ち姿に見惚れていたんだ。


 ―――君が、愛おしくて堪らない。


 「ルーシア」


 俺はわざと、ルーシアの耳元で甘く囁いた。とたん、彼女の肩がびく、と跳ねた。


 「顔を上げてくれないか、君の顔が見たい」

 「………いやよ」 

 「…ルーシア」

 「無理よ、今絶対すごい顔赤いもの」

 「それが見たい」

 「絶対いや」


 意固地になっているのか、まるで小さい子供のように俺の胸に頭を埋めたまま彼女は首を振る。そのさらさらの栗色の髪の隙間から除く彼女の耳が赤くなっている。


 「ルーシア」


 彼女が顔を上げてくれる様子はない。俺は、一つため息をつく。……本当は君の瞳を見て言いたいのに。


 


 「ルーシア……愛してる」


 


 ゆっくりと噛みしめるように、彼女の耳元で囁いた。彼女の肩がもう一度震えた。


 もう一度、彼女の名を呼んだ時ようやく、彼女が恐る恐る顔を上げた。予想通り、真っ赤な顔、潤んだ瞳で。俺はその可愛い顔にどうしようもない愛しさを感じて微笑んだ。彼女の頬を両手で包み、そして、再び彼女の唇に自分の唇を寄せた。ルーシアがうっとりと瞳を閉じる。俺達は互いの温もりを確かめ合うように、何度も口づけ合った。


 ―――ふいに、俺の中にいたずらな心が込み上げてくる。愛しい彼女を、少しからかってやりたい。俺の気持ちを疑われたことへの、ちょっとした意趣返しだったかもしれない。


 


 「……二人で騎士をやめようか」


 


 本心半分、冗談半分。君の答えは分かってる。


 俺の言葉を聞いた彼女の琥珀の瞳が大きく見開かれる。疑うような、咎めるような視線。でもすぐに、君は俺の大好きな気の強い澄ました笑顔を向けたんだ。


 


 「駄目よ」


 


 数瞬の迷いもなく、凛とした声音で返した君。少しくらい、迷ってくれてもいいのに。分かっていたのに、予想通りな真面目な彼女の返事に、俺は思わず少し不機嫌になってしまう。


 でも次の君の回答には、俺はまったく参ってしまった。きっと俺は一生彼女には敵わない。剣の腕前という意味じゃなく、精神的な面で。……いわゆる、惚れた弱みってやつだろうか?


 満面の笑みを浮かべた彼女は、自信満々に俺に告げた。


 

 「―――だって私達、お互いの騎士の姿に惚れているんだもの」


 前作『不真面目な騎士』では、ここでエピローグですが、エリック視点ではもう少しだけ続きます。宜しければお付き合い下さい。

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