第三十話 混迷する王国
―――先日のトーナメントでの襲撃者の件は、犯人の不可解な獄中死によりそれ以上の真相解明には至らず、犯人の独断によるものか何者かの指示であったかすら判明しなかった。
事件から1週間と経たないある日、俺は国王陛下から内密の呼び出しを受け、陛下の居室を訪れていた。
「……国王陛下、お呼びでしょうか?」
俺が国王陛下の部屋付き侍従に案内された先は、応接間でも執務室でもなく、さらに奥の寝室であった。人払いをされたそこには、以前よりやつれた様子の陛下がベッドの背板にもたれかかるように座られていた。否応にも故ユリウス殿下の死の直前の様子を思い出してしまい、俺は内心酷く動揺していた。
「エリックよ、よく来てくれたな。このような見苦しい姿を晒して心苦しいことであるが、そなたに折り入って頼みたいことがあるのだ」
「頼まれたいこと……一体何でしょうか」
陛下の少しかすれた声にさらに胸騒ぎを感じながら、俺は平静を装い傅いた姿勢を崩さない。
「うむ……。そなたら、エメセシルの近衛騎士隊に姫を密かに王宮から避難させて欲しいのだ」
「……避難?!」
俺は耳を疑った。王宮から避難、ということはエメセシル様に何かしらの危険が迫っていることを意味するからだ。
「先日の曲者の件はお主も承知しておるだろう、実はそれよりも前に我の寝室の寝具から毒性物質が見つかっておったのだ」
「毒性物質?!こ、この部屋からで御座いますか……?!」
「……そうだ、幸いにも我の近習の一人が早い段階で発見してくれたからな、既に対象物は取り除かれている。しかし、我の体に多少影響を与えているらしい、それでこうやって公務の合間に休養を取らねばならん」
「それで、その毒を仕込んだ犯人というのは……!」
陛下のお言葉にあっけにとられるばかりの俺は、礼儀も忘れて陛下に問いを重ねる。陛下御自身はあくまで冷静に俺の言葉に頷いた。
「未だ見つかってはおらぬ……その毒というのは揮発性の特殊なものでな、仕込まれてから数時間ほどしか効果を及ばさないようなのだが、我の部屋に出入りする侍従、侍女の数は多い。もしくは警護の騎士が犯人やもしれぬ。今は気づいた近習が必ず代えの寝具を用意してくれ、常に取り換えてくれておるために我への健康被害は最小限で済んでいる。しかし、王太子の最期を考えるとあやつの持ち物にも同じような毒が細工されていたとしても、何も不思議ではあるまい」
「……そんな……」
「今のところ、エメセシルには健康的な被害はないと聞いている。しかし、今回の事と言い毒の事と言い、何らかの勢力が我を狙っていると見て間違いはないだろう。もしかしたら真の狙いは王女かも知れぬ。そこでそなたら近衛騎士隊に、姫の休暇を名目に王宮から連れ出してもらいたいのだ。セイクリッドのアレクス王子にも、我が国とセイクリッドの国境にあるノルズ城砦でエメセシルを一時保護してもらうように既に使いを出しておる。またテオドール将軍にも、万が一のことを考え軍の一部をノルズ城砦に移すようにも命じた。事の真相が明らかになるまでは、エメセシルにはそこに待機させるつもりだ」
突然降ってわいた深刻な事態に、俺は思わずごくりと唾を飲み込んだ。なんてことだ。もはや予感どころではない、この国の目に見えない部分で何か恐ろしい計画が今確かに蠢いている。
「……承知致しました。近衛騎士隊の名に懸けて、王女殿下をお守り致します」
俺は国王陛下に向かって、深く頭を垂れた。
―――近衛騎士隊のメンバーとエメセシル様付き侍女の一部のみで秘密裏に進められた、エメセシル様の避難計画は数日のうちに実行に移された。表向きは、毎年のように休暇を過ごされるウェスティン離宮に今年も保養で訪れるという名目だ。近衛騎士隊と侍女の何人かを実際に囮としてウェスティンに出発させ、その裏で姫様と俺達近衛騎士隊中核メンバー、筆頭侍女エレナのみで密かにノルズ城砦に向かった。
王都を出て2日目、俺達はノルズ城砦に続く街道の道をひたすら走っていた。この2日間は特に変わったことはなかった。姫様を乗せる馬車の中には、野営も想定してそれなりの道具や食料も積んでいたが、幸いにして今のところ必要な事態には至っていない。馬車の中には、エメセシル様と侍女エレナ嬢、そして警護と身の回りの世話を兼ねてルーシアが乗っている。その周りを警護するように、俺とマクシミリアン、ハインツが騎馬で前後を走っている。
馬車の中では、体調の優れない父王を心配するエメセシル様をルーシアが元気づけているようだ。彼女らの話し声が、換気のために開けている小窓から耳に入って来る。
「心配いりませんよ、エメセシル様。国王陛下にも守りを固める近衛騎士隊がおります、外敵の存在も分かった今、彼らがいっそう目を光らせていますから、陛下のお身の安全は彼らが何としても守るでしょう。陛下のお体が毒による不調であれば、その元凶さえ断てば間もなく回復されるでしょうし」
「そう、そうよねルーシア」
「それに、もし姫様に何か危険があれば私が身を賭してお守りしますから!近衛騎士隊一の実力を持つ私をご信頼下さい!」
その耳に飛び込んで来た、まさに騎士の鑑と呼べるルーシアの言葉に俺は少し複雑になる。今の彼女は間違いなく近衛騎士隊の誰よりも一生懸命に使命に取り組んでいる。彼女のその姿を、素直に称賛する気持ちと、そこまでの覚悟を捧げないで欲しいという気持ちが俺の中で渦巻いていた。だから俺は、その彼女のひたむきな姿を冗談に変えたくなってしまった。
「誰が近衛騎士隊一の実力なんだ?勝手に決めつけるな」
「エリック!」
中にも聞こえるように馬上から、わざと俺は大声で言った。ルーシアの素っ頓狂な声が中から返って来たのをいいことに俺はさらにからかうような口調を続けた。
「剣術以外でお前が得意なことは他にあったか?地図もろくに読めないし、隊単位での戦術はさっぱりなくせに」
あえて彼女が苦手としていることを強調し、意地悪く言ってみる。素直な性格の彼女がすぐにそれに反応するだろうことを見越して。
「うるさいわね!私は姫様直属の近衛騎士なんだから、団体戦に強い必要はないでしょ!私の剣があれば、並の兵士からなら、姫様には指一本触れさせないわよ!」
「お前はもう少しチームワークを覚えろ!それと単独行動は控えろよ、この前の演習のときだって……」
「ちょっと、今その話する必要ないでしょ!」
ここぞとばかりにこの前の演習の彼女の失態についても釘を刺しておく。少し無鉄砲なところのある彼女の弱点を突いて、彼女が危険を冒す可能性をわずかでも減らしておきたいから。
「だいたい剣術だって、この前のトーナメントで決着は着いていないんだから、隊一を名乗るのはどうかと思うぞ」
「あら、去年まで負けっぱなしのくせに、屁理屈はよして頂戴!」
「何だと!」
「何よ!」
普段は決して自分の剣の腕前をひけらかしたりしないルーシアが、わざと大げさにおどけるように俺に反論する。馬車の中から、エメセシル様の控えめな笑い声が漏れ聞こえてくる。ルーシアは俺とのこのやり取りですら、姫様を元気づけるためにやっているのだ。……ああ、君ってやつは、どこまで使命に忠実なんだ。
「おーい、そこの夫婦、喧嘩はやめないか」
こうなったらいっそのこと俺もとことん話に乗ってやる、となおも応酬を続けようとした時、マクシミリアンの面白がる声が間に入った。同時に、まるで息をぴったり合わせたように俺達二人の声が重なる。
「「まだ夫婦じゃない!!」」
まだ、ね。
そんなやり取りを俺達が繰り広げていた時―――。
「おい、気を引き締めろ!不審な輩が近づいて来るぞ!」
先導をしていたハインツが、前方から鋭く叫んだ。その一瞬で俺達を取り巻く空気は、一変した。俺は馬車を引く御者に馬を止め後ろで控えておくように短く指示をすると、ハインツのいる前方まで一気に距離を縮めた。そこには武装した10人弱の男達が、行く手をを阻むように立ち塞がっていた。皆黒ずくめの格好をしており一見野盗にも見えるが、その放つ殺気から訓練を受けている人間なのはすぐに分かった。
「何者だ!」
「姫君の御身柄を引き渡してもらいたい」
ハインツの呼びかける声に、覆面をしたリーダー格らしい男が一方的な要求を返して来た。やたら威圧的な態度だ。狙いが姫様ということは、とうとう水面下で動いていたらしい敵が姿を現したということか!!
「断わる!貴様の目的は何だ!」
俺は相手の要求を跳ねのけ、問い質した。人数でこちらが劣勢だとしても近衛騎士隊の名に懸けて、弱みなど見せるわけにはいかない。
「答える義はない。命が惜しくば、速やかに要求に従うが良い」
あくまで相手は強硬手段に出るつもりのようだ。そのリーダー格の男の覆面から覗く、野生の狼のようなやたら鋭い視線は以前見たことがある気がする。他の男らに比べても、圧倒的な存在感を放つその男の無駄のない立ち居振る舞いが、並々ならぬ強さを俺達に伝えていた。相手がこちらの問いに答える気がない以上交渉しても時間の無駄か、と俺とハインツ、マクシミリアンは目くばせをし合い戦闘態勢に入る。
「答えないなら、実力で退けるだけだ!」
「良かろう、こちらも力づくで参る!」
その発声を皮切りに、戦闘は開始した。俺達3人は騎馬のまま敵の包囲網に突撃を開始する。瞬発力のあるこちらの攻撃は早速、敵の陣形を崩し敵の何人かを落馬させることに成功する。鋼と鋼の打ち合う音が響くが、相手は軍事訓練を受けているようでもその実力は兵卒程度のようだ。この程度なら俺達の敵ではない。
わずかにタイミングをずらすことで、互いが互いの動きを見ながら敵が後方の馬車に攻撃を仕掛けて来ないよう、守備線を守ることにも俺達は注意を払っていた。
「エリック!」
後方の馬車からルーシアの心配する声が飛んで来る。
「心配するな!ルーシア、お前は姫様とエレナ嬢の側を離れるな!こいつらは俺達で叩きのめす!」
「分かったわ!」
俺を信頼しているのか、ルーシアは素直に応じた。これで彼女を心配しながら戦うリスクは減らせる、俺は内心安堵していた。
程なく大半の敵を蹴散らした俺達だったが、やはりリーダー格の男だけは一線を画す実力を持っていたようだ。
「ハインツ!」
マクシミリアンの大声に俺はハッと意識をハインツに向けた。見ると、一人でその男と戦っていたらしいハインツの肩から右胸までが斬られ血が噴き出していた。しまった!あの男だけは油断するべきではなかった!俺は即座に馬を走らせ駆け付ける。男の凶刃が落馬し、膝を折り蹲るハインツに差し迫る。
俺は馬上から飛び降り、その勢いのまま男に斬りかかった。馬を捨てたのは、細かい動作が遮られてしまうのを防ぐためだ。
体重をかけた俺の攻撃を、振り向いた男は薙いだ剣であっさりと弾いてしまう。なんて怪力だ!弾かれた剣から電撃が走ったように痺れが広がった。俺に続くようにマクシミリアンが後ろから攻撃をしかけるが、それもまた男が回し蹴りで吹っ飛ばしてしまう。なんて奴だ、力だけでなく、素早さも桁違いだ。こんな使い手が、この国にいるなんて。この強さは、まるでテオドール閣下や、バレン公爵に対峙した時のようだ。
その男はたった一人で近衛騎士である俺達3人を圧倒していた。
「くそっ、なんて馬鹿力だ!!」
元々力の強さに定評のある俺やマクシミリアンですら舌を巻く相手の剣の重さに、マクシミリアンがたまらず怒声を上げた。また、俺達の剣は難なく阻まれ再び地面に飛ばされてしまう。
その男は、まだ体勢を整えられていないハインツから確実に仕留めることにしたようだ。
「させるか!」
俺はとっさに無我夢中で男に体当たりをした。大事な仲間を殺させるわけにいかない!
俺の捨て身の攻撃は相手も受け流し切れなかったのか、ようやく態勢を崩すことに成功する。しかし、それ以上に俺の体が勢いを分散しきれずよろけてしまう。しまった!
マクシミリアンが地面に倒れた状態で、ハインツも出血のため動けない。最早万事休すか?!と、俺がそれでも何とか剣を構え直そうとした時―――。
「エリック!」
いつの間にか馬車から飛び出して来たルーシアが男に斬りかかっていた。
激しい鋼のぶつかり合う音が響いた。ルーシアは流れるような動きで敵を下から薙ぎ、上から切り払い、目にも留まらぬ速さで男を追い詰めていく。ついに地面に転がっている死体に男が足をとられ、たたらをふんだ。大きく態勢を崩した男に、すかさずルーシアは男の死角に回り込み下から払い上げた。しかし、恐るべきことにその俊敏で隙のないルーシアの攻撃ですら、男は腕に装着していたらしい籠手で受け止めた!
「噂の女騎士か!お手並み拝見とさせてもらおう!」
「私の仲間に怪我を負わせて!後悔させてあげるわ!」
ルーシアの威勢のいい声を聞きながら、俺は焦っていた。早く、早く男の注意をルーシアから逸らさなければ!いくらルーシアが類稀な剣の使い手で素早さでも群を抜いていたとしても、俺の感覚ではあの男はルーシアと互角かそれ以上の実力を持っている。場数の上では相手の方に分があると俺は見ていた。それに加えて、ルーシアは咄嗟の状況判断に弱い―――!
俺の嫌な予感が的中していくかのように、最初こそ相手を押していたルーシアが次第に劣勢に転じて行く。じりじり追い詰められていくルーシア。起死回生をかけたのか、彼女が必殺のフェイント攻撃を繰り出す!
しかし、男はそれにひっかかりながらもさらにそれを上回る驚異的な速さでルーシアの剣を弾いた。男の剣が、ルーシアの頭上に振り上げられる。ルーシアは一瞬ひるんだように動きを止めた―――!
俺は体中の血が沸騰したような、全身が粟立つのを感じながら突き動かされるように、無我夢中で男に突撃していた。
刃を通して、肉を断つ衝撃が全身を駆け巡る。俺の剣が、男の背後から心臓を一突きにしたのだ。
「ぐっ……!ぬか……っ……たっ……!!……ン卿……っ」
俺は衝動のままに男の体ごとその剣をさらに深く突き上げ、さらに止めを刺すために剣の角度を変える。完全に男が絶命したことを確認し、やっと剣を引き戻しその死体を地面に振り落とした。
刃先に滴る男の血を払った俺は、有無を言わさぬ勢いで目の前のルーシアの腕を掴んだ。俺の気迫に恐怖したのだろう、ルーシアの肩が大きく跳ねた。だがそんな彼女にもためらうことなく俺は怒鳴った。
「ルーシア!深追いをするなといつも言っているだろう!」
俺達が初めて直面した実際の命の遣り取りにショックを受けていたのだろう、硬直していたルーシアだったが、俺の言葉に我を取り戻したようだ。彼女の無茶な行動を責めた俺に我慢が出来なかったのか、すぐに秀麗な眉を吊り上げた。
「なっ……私があそこで加勢しなかったら、危なかったのはエリックの方じゃない!」
いつもの調子で言い返すルーシアに俺は拳を握りしめぐっと押し黙る。全く彼女の言う通りだ、あそこで彼女が飛び出してこなければ今頃、地面に血だまりを作って倒れていたのは俺の方だ。全て、俺の力が足りないせいで、仲間にもルーシアにも危険な目に遭わせた。
「ああ……そうだよ!!」
それ以上の反論も出来ず俺は吐き捨てると、ルーシアから背を向けハインツの手当てに向かった。そうだ、やらなくちゃいけないことはいくらでもある。早く状況を整理し、今後の対応を考えなくては。




