第二十九話 波乱の幕開け
俺達は、競技場の舞台中央で互いに顔を見合わせたまま、立ち尽くしていた。
「ルーシア、お前の剣は……」
「ええ、一部刃を残されているようね。あのまま切りかかっていたら、あなたの腕をバッサリいっていたわ」
俺の尋ねる声に彼女は頷きながら答えた。しかし、その冷静な口調に反して顔は青ざめビクリと体を震わせていた。
彼女の言葉通りに、彼女の持つ剣をよく見ると剣先、刃元は間違いなく刃は落されているのに、何故か不自然に中央部分だけ鋭い未加工の鋭利な刃が不気味に光っている。
突然試合を中断した俺達に、ギャラリーもざわめき始めた。
「なんだ、どうしたー?」
「まだ決着ついてないぞー、まじめにやれよー!」
「エリック、ぼーっと突っ立ってんなよー!負けっぱなしでいいのかー?」
騒ぐ衆目を無視し、ルーシアは審判騎士に向きなおりその剣を見せつけるように差し出した。
「審判殿、故意か、アクシデントか分かりませんが、私の剣は一部刃が残されたままです。これでは試合を続けられません」
「何だと?本当か!」
ルーシアの申告に驚いた審判騎士は、確認しようと彼女に駆け寄る。
「俺の剣は不審な点はありません」
俺は改めて自らの剣も確認し、異常がないことを確かめると審判騎士に告げる。ルーシアも俺の剣と自分の剣を見比べていた。
「何でこのタイミングなんだ?」
俺は思わず浮かび上がって来た疑問をそのまま口にしていた。何とも解せなかった。偶発的な事故にしても、なぜ俺達の試合なんだ。
俺達の試合は、このトーナメントの対戦の中でも絶大な人気を誇る。それは俺達が同じ姫様付の近衛騎士隊であると同時に婚約者同士であるがゆえに。ルーシアは王国唯一の女騎士で、彼女自身の実力と人柄から非常に人気が高い。だから彼女の試合はいつも注目の的であり、ましてや万年負け越している婚約者の俺が対戦相手ならば、その試合はまたとない格好の余興なのだ。
他に類を見ない関心を集める俺達の試合。そして、今日は騎士の祭典でありながら不正防止のため一部の警護担当を除き何人も武器を会場に持ち込めない、一年で最も警備の薄い日でもある。国王陛下、王女殿下を始めこの国の最重要人物達が観戦しているのにも関わらず―――。
「陛下!!!」
嫌な予感がして俺が特別観覧席に視線をやると、そこには国王陛下にほど近い位置にいる小柄で目立たない様相をした印象の薄い男が、陛下に不自然に近づこうとしていた。俺は叫ぶと同時に、持っていた模造剣を反射的にその男に投げつけていた。俺が投げつけたその剣は、狙いを違わずその男目掛けて真っ直ぐに飛んでいく。
「くそっ!」
陛下の間近まで迫っていたその男は、驚くべき反射神経でもって俺の剣を弾いた。その手に小さな光る物がある。あれは、ナイフか―――?!
「何者だ!」
陛下の側に控えている人間の内で、一番最初に反応をしたのはバレン公爵だった。彼は国王陛下の従兄でもあり、過去にその名を轟かせた軍人だ。引退して久しいのに現役の警護担当騎士よりもよほど早く事態を確認し、陛下を庇うように素早く陛下と不審者の間に割って入った。しかし、公爵も今日は帯剣を許されておらず丸腰でその不審者と対峙するおつもりのようだ。
俺の剣を弾いた男は、恐るべき素早さで陛下の盾になるバレン公爵に飛び掛かる。今も鍛錬を怠っていない公爵は、無駄のない動きでクロスさせた両腕でもってその攻撃を正面から受け止めた。被害を最小限に抑えるためとはいえ、敵は鋭利な刃物を持っている。その凶刃が、公爵の左腕に突き刺さる。
「ぐぅっ!」
「バレン公爵!」
俺は叫びながら観覧席に向かって駆け出していた。見ると、ルーシアも同時に動いたようだ。警護役の騎士達もやっと事態を把握し、慌てて侵入者に対応を開始する。
俺達が立っていた舞台中央からは観覧席までは少し距離があり、俺達が辿り着くまで警護役騎士達が何とか応戦しているようだったが、やたら素早い男は単身にも関わらず巧みに警護役らを翻弄していた。とりあえずは、陛下もエメセシル様も警護役の騎士に誘導され不審者からは引き離されている。姫様の側にマクシミリアンの姿を認め、俺はひとまず安心する。マクシミリアンは並みの騎士じゃない。少なくとも俺達が加勢する前にあっさりやられてしまうような奴じゃない。
「ルーシア!」
「分かっているわ!」
俺が呼びかけたと同時に、俺の意図を素早く察知した彼女が、落とした俺の膝を足場にして舞台と観覧席を隔てるフェンスを越えようと跳躍した。身軽にフェンスと飛び越えた彼女はその勢いのまま、侵入者の背後に回り上空からその背を切り下ろす。彼女の狙いは違わず、侵入者の背を切り裂くも刃先が一部しか残されていない半端な武器のため、浅い傷を作るにとどまったようだ。だがそれでも、男の動きを鈍らすのには十分だった。
彼女に続いてフェンスを飛び越えた俺が、その男の動きを封じるため体当たりを仕掛ける。俺の狙いは功を奏し、男は俺の体に押さえつけられるように地面に倒れ込んだ。
「誰の差し金だ!」
俺が男をきつく押さえつけ叫ぶと、何とか抵抗を試みるそいつが懐の辺りを探る。まさか、他にも武器を隠し持っているのか?!
俺が身構えたのとほぼ同時に、別の人物がその侵入者の腕を踏みつけ動きを封じた。その人物は、たしかバレン公爵の側に控えていた公爵の護衛騎士だ。その見慣れない騎士は実に無駄のない動きで襲撃者を拘束した。その動きだけでも、その騎士がかなりの実力者だと見て取れる。しかし過去にトーナメントに出場していたのを見た覚えはないが……非常に印象的な鋭い目つきをしている。その眼は、かつてウェスティンの地で対峙した、野生の狼を思い出させた。
―――結局、襲撃者はそのままバレン公爵付きの騎士に身柄を拘束され引っ立てられて行った。俺達の試合も一連の事件のために中断され、俺もルーシアもとても再開する気にはなれず辞退をすることとなった。念願の俺の勝利は、露となって消えてしまった……。
とはいえ、俺達にはそれよりも優先すべきことがある。突然の刃傷沙汰に間違いなくショックを受けられているだろう、主君エメセシル様の心身のケアである。ルーシアは競技場を出るなり、姫様が下がられたであろう姫様の私室に一目散に向かった。俺もそれに続く。
「エメセシル様!ご気分はいかがですか?」
エメセシル様の部屋への入室を許されると同時に、勢い込んで部屋に入ったルーシアはソファで血の気を無くし項垂れている姫様に駆け寄る。
「ルーシア!エリック!」
特に付き合いの古い俺達の登場に少し気を持ち直されたのか、わずかに姫様の表情が明るくなる。しかし、それと同時に緊張の糸も切れたのか大きなエメラルドグリーンの瞳がみるみるうちに潤み始めた。その姫様の傍らでは、今はエメセシル様の筆頭侍女を務めているエレナ嬢が姫様の手を握り支えていた。姫様が腰掛けられているソファのすぐ近くには、マクシミリアンも厳しい表情のまま控えていた。
「姫様、怖かったでしょう」
「もう俺達が側におります。不審な輩など一切近づけませんので、ご安心下さい」
ルーシアと俺の言葉に大きく頷きながら、エメセシル様は近くに寄り添うように跪いたルーシアに甘えるように抱きつかれた。
「ああ、ルーシア、そうなの、本当に怖かったわ。あの者は何なのかしら、お父様を狙っていたの?それとも王族に恨みがあるのかしら」
「まだ私にも詳細は分かりません。今、バレン公爵の騎士が取り調べをしているはずです」
縋りついてきた姫様を、ルーシアは聖母のような優しい表情を浮かべその背中をさすってやっていた。小柄な姫様はルーシアの胸に思い切りしがみついて幼子のように泣きじゃくっている。……こんな時に不謹慎だが、婚約者としては凄く複雑な気持ちだ。
俺が羨ましそうに見ていることに気付いたのか、ルーシアが呆れるような目を俺に向けて来た。……悪い、嫉妬なんてしている場合じゃないよな。
「あなた達の試合、本当に楽しみにしていたのに」
やがて少し落ち着いたらしいエメセシル様が、子供のような口調で呟かれた。まるで物語の妖精のように可憐な顔を涙で濡らしているものだから、ルーシアの心もひどく動かされたらしく俺にはめったに見せない柔らかな笑顔で姫様に微笑みかけた。
「勝負は、来年に持ち越しですね。全く、今年こそはいい線行ってたと思ったのに」
「あら、あの剣のことが無ければ、結局は私が勝ってたと思うわ」
色々思うところのある俺は、正直な不満を漏らしてしまう。するとすかさずルーシアが聞き捨てならない、という表情で俺に反論して来た。
「分からないだろう」
「分かるわよ。私に腕を打たれて痺れたあなたの首筋に私が剣を突きつけて、試合終了、だったと思うわ」
「やけに具体的だな」
「いつものパターンじゃない」
思わずムッとして言い返した俺に、さらにルーシアは断言する。今年に限っては俺はそのパターンを崩せていたと思うぞ、と内心不満に思うがどっちにしろ試合は流れてしまったのだ、今更とやかく言っても仕方がない。
あっけにとられながら俺達のやり取りを眺めていた姫様のくすくすという笑い声が聞こえ始めると、俺達は争うのをやめた。姫様の表情を見て、明らかにホッとした様子のルーシアの顔も緩む。まぁ、二人の気持がほぐれたなら良いか。何故かエレナ嬢も笑いたいのをこらえるような、微妙な表情をしているけれども。
「エリック、少し話がある。ルーシア、ちょっと姫様の警護をしばらく頼めるか?」
やにわにマクシミリアンが俺に話しかけて来た。その真剣な表情に俺は強い違和感を感じた。俺達がこんな風に冗談を言い合っているのに、マクシミリアンはやけに深刻な様子を保っている。いつもの彼なら、とっくに俺をからかうかなんかして、会話に入っているはずだ。何せ、近衛騎士隊一のムードメーカーなのだ。
「……?いいわよ、当たり前じゃない」
俺と同じ違和感を感じたのか、ルーシアも眉をひそめながらマクシミリアンに応対した。
「姫様、ほんの半刻ほどお側を離れることをお許し下さい。何かあればすぐに駆け付けられる距離にはおりますので」
そう神妙な面持ちのままエメセシル様の許可を得たマクシミリアンは、俺を連れて姫様の部屋にほど近い倉庫代わりになっている空き部屋に向かった。
「―――マクシム、どうしたんだよ。何か今回の事で、知っていることがあるのか?」
空き部屋に入るなり、俺は厳しい表情をしているマクシミリアンに声をかけた。マクシミリアンは、俺の問いかけにしばし躊躇した様子で押し黙った後、重い口を開いた。
「俺も聞いた話なんだが実は、軍の一部の連中にエメセシル様とアレクス王子の婚姻を良く思わない連中がいるらしい。由緒あるアルカディアの王族に、他国から婿を取るのは伝統に反すると」
「……何だって?そんな馬鹿な。法律上、王位を継ぐ女性王族の配偶者に国内出身でなければならない縛りはないはずだ」
マクシミリアンから飛び出た予想外の言葉に俺は思わず不審な声で問い返した。
寝耳に水の話だ。数年前に、まだユリウス殿下がご存命な時期にエメセシル様の将来の夫を国内で探す動きがあった。姫様の嫁ぎ先、という条件でさえ国内の貴族らでは資質を満たす人間がいなかったのだ。ましてユリウス殿下が夭逝され将来の王配となるとさらに高い能力を求められる。アレクス王子に限っては、そのユリウス殿下自身が指名され、国王陛下もその実力を認められ、エメセシル様自身も納得されたまさしくけちのつけようのない婚約のはずだ。今更、アルカディア内のどんな立場の人間が不満を言うことが出来るだろう。
「お前の言う通りだ。だが、保守的な人間というのはどの時代でもいるものだ。特に俺達より上の世代の奴らはな。20年前の戦争でアルカディアを救ったのは自分達だと、いまだに思っている奴も多い。今の平和なアルカディアで軍がお飾り状態になっているのが気にくわないんだろうな。その上他国の王族に国の中を引っ掻き回されたくないと思うのも分からなくはない」
「上の世代っていうと、俺の父やテオドール閣下のことか?」
「あのお二人に限ってはそんなことないだろうさ。でも、例えばネルソン将軍なんかは前々から保守派として有名だしな。それに例え適任な人間が実際にいなかったとしても、それをでっちあげようとする輩はいくらでもいるだろう。」
保守派の筆頭としてマクシミリアンが名を挙げた何人かのうち、ネルソン将軍という言葉が引っかかった。確か、トルキア帝国との戦争時にバレン公爵の副官をされていたが、バレン公爵が王国軍を退役した後を引き継ぎテオドール閣下と同じく将軍位に就いた方だ。俺は直接の親交がないため、あまり強い印象はないが今でもバレン公爵が交流を続けられる数少ない一人と聞いている。
「……話が見えない。仮に、そんな勢力がいたとしても、一体何が出来ると言うんだ?もし今回の婚約を妨害したとしても、結局国王陛下が認めなければ王配の新たな候補者なんて有り得ない」
「……その、国王陛下を狙った犯行だったんじゃないのか?国王陛下がお亡くなりになれば、その決定権は暫定的に議会が持つ」
「何だって……?!そんなの、アルカディアに混乱をもたらすだけじゃないか!!」
マクシミリアンの唱える仮説は、俺には到底理解しがたいことだった。もしエメセシル様の婚約を妨害するだけが目的だとしたら、その後のリスクが大きすぎる。今この国が国王陛下まで失ったら、正式な王位継承者を持たないこの国の指揮系統は完全に混乱を極めるはずだ。それとも、その反対勢力というやつは既に王座に据える人間のあてがあるということか?
「……それ自体が目的の可能性もある。誰か、この国に強い恨みを持つ人間がいたとしたら……」
「マクシム……?!それは、何か根拠があって言っているのか?お前、何か知っているのか?!」
マクシミリアンの言葉のあまりの不穏な響きに、俺はたまりかねて叫んだ。マクシミリアンは表情を歪め、「いや……」と何とも歯切れ悪く言葉を濁す。何だろう、やけに胸騒ぎがして来る。
「……俺も、噂を耳にしたくらいなんだ。すまないな、確証のないことで混乱させて。……とにかく、俺達は姫様付きの近衛騎士隊として、警戒を怠らない方がいいと思っただけなんだ」
「……マクシム……」
さっぱり要領を得ないマクシミリアンの言葉に俺はもどかしさを覚えつつ、一方的に話を切り上げた彼の様子がやけに苦しそうで、それ以上の追及をすることが出来なかった。だがそのことが、ユリウス殿下の死以来、ずっと俺の中に引っかかっている得体の知れないこの国の暗部への疑いを益々募らせた。近いうちに何か良くないことが起こるような気がしてならなかった。
ここからクライマックスに向けて展開が大きく動く予定ですが、話をきちんとまとめてからアップしていきたいので、更新が少し不定期になるかもしれません。申し訳ありません。




