第二十三話 18歳 不思議な少女
王太子殿下の死から、半年以上が経ち少しずつだが王宮も以前の日常を取り戻し始めている。まだ大きなお祝い行事は催されてはいないが、来年に予定されている建国100年式典は盛大に行われるだろう。
あれからいくつか俺の周囲でも変化したことがある。まず、王太子殿下の死因が病死か、毒によるものかはっきりとした結論が出なかったため、国王陛下のご指示で王女エメセシル様を守護する近衛騎士隊の再編成が行われた。ケントを始め俺よりも古株であった数名は、別の王国軍師団に異動になり、以前王太子殿下付き近衛騎士隊の主要メンバーであった何人かが王女付きの近衛騎士隊に加わることとなった。騎士マクシミリアンもその一人だ。相変わらず、姫様の最もお気に入りの近衛騎士はルーシアで変わりはないが、俺のことも信頼して下さっているようで最年長というわけではないものの、いつの間にか近衛騎士隊の取りまとめの役割を命じられるようになっていた。
また、王女エメセシル様と北の隣国セイクリッド王国、第二王子アレクス様の婚約もアレクス王子がアルカディアに将来の女王陛下の王配として婿に入られる方向で調整がされており、近いうちに正式な両国の承認がされる予定だ。
ところで、今日は再編成された新生王女付き近衛騎士隊の親睦会である。とはいえ、非公式の内々の親睦会のため当然全員が参加出来るわけではない。非番のメンバーだけの、俗に言う飲み会、というやつである。参加するメンバーは新隊員のメンバーと、俺、ハインツあと数名だ。ルーシアには声をかけるなときつく伝えている。王太子殿下の死後、エメセシル様へより一層献身的に仕えている彼女が任務を放り出して参加するわけもないのだが、俺が危惧しているのは別の事である。実は彼女は酒に滅法弱い。ビールの小瓶1本で簡単に酔ってしまう。婚約者の俺と二人きりの時ならまだしも、他の面子に酔った彼女の可愛い姿……ゴホン、弱った姿を見せたくはない。
そんな訳で、今俺は近衛騎士隊のメンバーと城下に繰り出す最中である。
王宮を出て辻馬車を拾った俺達は、繁華街の辺りで降車し暮れ行く街並みを歩きながら、適当な店を物色しているところだ。
「―――ふぅ、なんか城下に出るだけでも気分転換になるな」
「そうだね、このところ王宮はずーっと空気が張り詰めていたからね」
俺が周囲を見回しながら言うと、ハインツも大きく頷いた。
アルカディア王国の王都城下町は、以前来た時と変わらぬ賑わいを見せていた。一般の家庭はこれから夕食の準備をするのだろうか、大きな籠をぶら下げたご婦人方が市場を行き交い、仕事帰りらしい職人や大工風の男達も屋台を覗いては軽くつまめるものを買って行っている。露天商の客引きの声や、客と商人の値交渉の声も威勢よく響いている。
一般庶民にとっては王族の死も、過ぎ去ってしまえばたやすく日常の雑踏に紛れ込んで、忘れられて行くのだろう。
王宮の空気とは対照的な明るい雰囲気の街の様子に、俺がほんの少し、感傷的になっていた時―――。
「……っきゃあっ!!」
「っわっ?!?!」
何かが俺の背中に思いっきりぶつかって来た。
と同時にゴロゴロと大きな音を立て、複数の何かが地面に転がった。
「な、なんだ?!」
さすがに倒れ込みはしなかったものの、予想もしなかった衝撃に俺は混乱したまま勢いよく振り返った。
「……ったー……」
そこには、両手で鼻を押さえながら石畳に座り込んでいる少女の姿があった。ボリュームのある大きな赤みのある茶髪を二つのおさげにしている、14、15歳くらいの少女だ。その彼女の膝の周りにはいくつか彼女のかばんから転がり落ちたらしい小瓶がそこかしこに散らばっていた。
どうやら彼女が俺の背中にぶつかって来て、その衝撃で鼻を打ち尻もちをついてしまったらしかった。
「……大丈夫か?」
俺が声をかけ、彼女のものらしい瓶をいくつか拾っていると、その少女はハッとしたように慌てて俺を制するように手を振った。
「す、すみません!!私が前をよく見ていなかったもので!!大丈夫です、自分で拾えます!!」
「いや、俺も君の気配に気づかなかったからな……これは、薬瓶か?」
「は……はい、薬屋の娘で、ティアと申します。その制服……!あの、騎士様ですか?」
「ああ、王国軍に所属している」
俺が構わずに拾うのを手伝ってやると、非常に恐縮した様子で彼女は薬瓶を受け取って行く。
「すみません……!あの、お怪我はありませんか?」
「大丈夫だ。これでも鍛えているからな。そうか、ティア。俺はエリック・カーシウスという。カーシウス家の者だ。もし、何か破損したものがあれば弁償するから、遠慮なく届け出てくれ」
「そっ……そ、そんな滅相も御座いません!!悪いのは私ですから!!」
大仰な仕草で、両手を振り否定する少女の慌てっぷりに何だか俺はおかしくなり、思わず口元を綻ばせた。すると、少女がびっくりしたように大きな瞳をぱちくりとさせた。その瞳はまるで菫のように美しい紫色だ。美人ではないが、愛嬌のある可愛らしい娘だ。
「配達か何かの途中だったのか?」
「えっ……あ、そ、そうです。道を探してて、ちゃんと前を見ていなくて……!あの、騎士様?」
「うん?」
「あの……」
彼女の言葉に俺が耳を傾けると、少女は一瞬ためらったように両手を胸の前でもじもじとさせた。
「あの……バレン公爵のお屋敷への道をご存知ですか?」
「バレン公爵?バレン公爵って……ゲオルグ・バレン公爵の屋敷のことか?」
少女の口から意外な人物の名前が出て来たので、俺は訝し気に彼女を見る。すると、少女は慌てたように両手を振った。
「あ、いえ、配達先が公爵のお屋敷の近くなので!!」
「……公爵のお屋敷の周辺には別の家なんてなかったと思うが……、まぁ、いいか。ほら、あの道をずっと行った先だ。でも歩いて行ける距離じゃないぞ?」
俺が道を示してやると、少女は神妙な面持ちで頷いた。すると、
「おーい、エリック。何してるんだー?」
遠くから先に行っていたマクシミリアンが俺に呼びかけて来る。
「あ、悪い!……悪いな、人を待たせてるから行かなくちゃいけない。それで、本当に何かあればカーシウス家に言いつけてくれ」
「あ、いえ、こちらこそ本当にすみません!」
そう俺に再度謝り、その少女が勢いよくお辞儀をした拍子に、彼女の襟元からシャランとネックレスらしきものが零れ落ちて来た。
……タリスマン?
俺はそのいつか見たことのあるデザインのネックレスに訝しる。それは確かに、以前父が見せてくれたタリスマンと同じデザインのものだった。違うのは、黒曜石のような黒い武骨な石がついていることだけ。なぜこんな若い娘が20年近く前に騎士達の間で流行ったものを持っているんだろう?
不思議に思ってそのタリスマンを凝視していると、その少女は胸元を見つめられているとでも思ったのか、真っ赤な顔でそのタリスマンごと襟元を両手で隠してしまった。
「あ、わ、悪い……変な意味じゃないんだ!……じゃ、じゃあ俺は本当に行くから!」
俺は慌てふためいて、今度こそそそくさとその少女から離れ、マクシミリアン達を追った。
―――にしても、不思議な少女だと思った。時代遅れのタリスマンもそうだが、バレン公爵の屋敷の場所を聞いて来るなんて。
俺自身今年に入ってバレン公爵の屋敷を訪問することはめっきり減っていた。王太子殿下が亡くなり王宮内がバタバタしていたこともあるし、いつからか公爵の屋敷にも多くの客人が訪れるようになり公爵自身お忙しそうだったため、自然と足が遠のいてしまったのだ。
その少女との邂逅は、俺にとってはほんの些細な出来事で、程なく忘れてしまった。しかし、その菫色の瞳だけは俺の頭の隅にかすかな印象を残したのだった。




