3話 ふたりの始まり
雨が上がり、雲が散っていく。
湖畔の道を寮へと向けて歩きながら、クラレスはラインとの出会いを思い出していた。
あれは、お世辞にもいい出会い方じゃないわよね。そんな風にも思うのに、どうしても口元は緩んでしまう。たたんだ傘を、無邪気にクルリと回す。
それはまだクラレスが、ヴェルシュピネに入学して間もない頃の話だった。
「キャァァァ――――」
ある日の夕刻、ヴェルシュピネの構内に豪快な水音が鳴り響き渡った後のこと。
夕闇を切りさく悲鳴を上げた張本人――クラレスは一人水に浸っていた。
ねぇ、どうして湖に落ちなきゃいけないの。制服もまだ下ろしたてなのに。
泣き言をいうのも虚しく、クラレスは半身浴の体勢でうなだれた。
湖は浅く膝下くらいまでの深さでしかなかった。けれど、それは髪を含めて全身を濡らした今、気分を最悪に近い。玉響の髪だけが、気分を無視してゆらゆらと水中を泳ぐ。、
「くしゅっ」
くしゃみは哀しく水面に跳ね返った。
制服は水を含んで重さを増し、身体にまとわりつく。ピンと張りのあったノートに過去の威厳はなく、今では無残な醜態を晒していた。
「うぅ、ありえないよ。私が何でこんな目に」
目の前のすべてに、クラレスはただ悄然とうなだれてしまう。
それは、教室に忘れたノートを取りに行った際の惨事だった。
「どうして、アニスに写させてもらわなかったんだろう」
重いため息と共に、口から愚痴が漏れた。
もう薄暗いし、水も冷たいし、下着まで冷たいし。そんなことを思いながら、再起できるか不明のノートと、一丁の装飾銃を持ち直した。
そう、クラレスはノートを取りに行った帰り、水の中に見つけたそれ――装飾銃を拾い上げようとして水の中に落ちていた。
本来ならば、寮から向かっても三〇分あればこと足りる。
けれど、クラレスがノートを忘れたことに気づいたのは、すでに友達と談笑を終え、寮の自分の部屋へ帰った後。程よく整備された小道を抜け、教室に到着したときには、すでに夕陽は傾きだす時刻となっていた。
「とりあえず、誰にも見られてないのが救――」
「ねぇ、大丈夫?」
そして、醜態を誰かに晒す前に立ち上がろうとした矢先、斜面の上から声がかかる。
深い青色をした髪と瞳をもった少年、同じクラスの男子――ライン・ハウクがそこにいた。
クラレスは、半ば諦めながらも彼に一つの疑問を尋ねてみる。
「み、見てた?」
「うん」
「……全部?」
「全部」
ガクリとうなだれた様子に苦笑しながら、ラインが手を伸ばす。
「とりあえず、上がりなよ」
手を掴み、クラレスが湖から引き上げられる。
そのまま、いそいそと髪や制服を軽く絞るも、すべてがしおらしく水滴を滴らせていく。
「ごめん、ぼくのせいかも」
何でそんなことを? そう思っていると、クラレスの左手ごと銃が握られた。
手を握られたことに内心ドキドキしながらラインを見るも、彼はそんなことを気にも止めた様子もなく、銃を見つめている。
「これ、媒体だよね」
「うん、中に共鳴石が仕込んであるんだ」
媒体――それは、真紡術に彩と変化を添えるものだといわれている。
真紡術の四要素とされるブレス、共鳴石、詠唱、媒体。
セカイの息吹であるブレスは、共鳴石という特殊な鉱石に共鳴し波長を強くする。
そこに詠唱を加えることにより術は完成するが、ブレスは宿す媒体により姿を変える。
花弁に宿すことも、剣の刃に纏わせることも可能となる。
共鳴石を仕込んだ銃、つまり、それはブレスを打ち出すための媒体といえる。
銃を手渡しながら、クラレスはそれを観賞する。
水に濡れた白銀の銃は、重厚ながらにいくつかの細かな装飾が施されていた。
「綺麗。この装飾。これは龍と女性?」
「うん、ここには、水のブレスを統治するものたちが施されているんだってさ。
先代の女神から、次の統治者たる龍へと託された想い。だから、この銃の名前は『水女神』」
水の女神ウンディーネ、太古にこの地を去ったとされる愛と慈しみの女神。
荘厳なその名前に、思わず息を飲んでしまう。
「でも、それがなんでこんなところに?」
「昼間、このあたりで荷物をひっくり返してさ。そのときに落としたみたいなんだ。
職員室にも届いていなかったから、やっぱりここかなって。そうしたら、君が叫び声をあげながら湖に飛び込んだから」
その言葉にクラレスの顔が熱くなり、言葉にも熱がこもる。
「す、好きで飛び込んだわけじゃないよ! おかげでずぶ濡れ」
再び、水をふんだんに含んだ制服を絞りはじめる。
生ぬるくなった服からは、いらない水が排除され、そのまま地面へと染み込む。
すると、ラインは急に顔を赤らめ顔を背け、口からポツリと言葉を漏らす。
「……白」
クラレスは、彼の態度の急な変化に首をかしげる。
そして瞬息の後、ようやく自分の今の状態に気がついた。
全身水浸し、さらに、多少は水気が抜けたとはいえピッタリと張りついた制服。
つまり、服は水に濡れたために身体に密着し、透けていた。当然、身体の線や、純白の下着はくっきりと浮かび上がり、普段は隠した姿を露にしていた。
「キ、キャァァァ――――」
本日二回目の悲鳴が発生し、腕で身体を隠しその場にうずくまる。
恥ずかしさのあまり、頭から湯気が出るかと思うほど顔を赤くするクラレス。
すると、同じく顔を赤らめたラインはクラレスの肩に手を置いて、一言呟いた。
“ 解放 ”
「えっ?」
解放、その言葉に反応し、身体と服を濡らしていた水は気化し始める。
液体である水は緩やかに気体へと変化し、その姿を変えていく。
驚きのあまり目を剥くうちに、服は見る見るうちに乾ききってしまった。
「これって、創導!」
――創導、それは三つの系統で分けられた真紡術の系統の一つ。
森羅万象のもつチカラであるブレスは、それぞれに独自の特性をもつ。創導とはその特性を使い、事物を創造または変化させることをいう。
火は「命と活」 水は「始と廻」 地は「育と護」 風は「癒と流」
そのバリエーションは多く、制限をもたないともいわれている。
クラレスは、入学したての生徒がそこまでの技能を持っていることに驚き、確かめるようにクルリと回ってみせる。制服もアイロンは当てたほうがいいだろうが、ノートまでもほとんど元の姿を取り戻している。
「す、すごい」
「ごめん、見るつもりは……なかったんだ」
夕陽の沈む中、ラインは当惑しながら謝罪の言葉を探していた。
先ほどのことを思い出したためか、顔はますます赤くなり、今にも火が噴き出しそうにも見えてしまう。クラレスも思い出したかのように赤くなる。
「うぅん、私の方こそ。ありがとう」
「そんな、ぼくの方こそ」
「しょうがないよ、見ちゃったものはしょうがない」
何だろう、すごく暑い。いや、正直少し寒いくらいなんだけど暑いよ。
太陽もすっかり沈んだ中、ラインもクラレスも自分たちの間にだけ、夕陽のような熱が残っているのを感じていた。
クラレスの顔に、思わず笑みがこぼれる。
「結局は、翌日の朝には再開しちゃんたんだよね」
その後、恥ずかしさのあまりちゃんと話もできずに分かれたものの、テスト勉強をしに訪れた朝早くの教室、そこで、ラインとクラレスは顔を合わせていた。
まぁ、同じクラスなんだし当たり前か。そんな風に思いながらも、どこか運命的なものを勝手に感じ、改めてお互いの名前を伝え合った。
単なるクラスメイトから、少し気になる相手に。
その日から、何となく早く教室に行くのが日課になった。いつしか、早く教室にいって誰にも邪魔されずにおしゃべりをするのが楽しくなっていた。
恥ずかしくてどうしようもなくて、黒歴史として葬ってしまいたいような始まり。
でも、そんな始まりから二人は繋がり、今日に至っていた。
「わぁ、すごい」
一陣の風が吹き、雲の向こうが姿を見せる。
雨に洗われたかのように、澄んだ夜空には満点の星空が広がっている。
こんなに綺麗な星空なら、少しくらい正直になってもいいんだよね?
「ライン、私は……あなたの傍が、大好きだよ」
そんな彼への想いは星空へと吸い込まれ、目には瞬く星の輝きとなり焼きついていく。
そして、星ぼしにほんの小さな願いを込めるのだ、明日がまた続きますように、と。




