2話「雨の賛歌」
「うぅ、テストやばいよぉ」
放課後、クラレスはしょぼくれたようすで廊下を歩いていた。
先生に頼まれごとをされるし、テスト勉強は全然してないし、明日は遊びにもいけないかも。そう思うとさらに足取りは重くなった。
簡単な資料整理のはずだったのだが、思いのほか時間をとられ、校舎は朝とは違った静けさに支配されている。
「アニスも待っていてくれればいいのに」
親友に対するぼやきは虚しく響く。
すでに他の生徒は誰もおらず、廊下は何とも寂しく沈黙を保つ。先ほどから降り出した雨のせいか、校舎は驚くほど静まりかえり、雨の降る音のみが広がっていた。
「あぁ、本降りになっちゃったよ」
寮へと帰るため急いで靴を履き、昇降口から飛び出した。
だが、その足はとたんに止まってしまう。それは、視界が一つの人影を捉えていたからだった。
あの深い青色の髪には見覚えが……ライン?
誰もいない校庭、そこにはラインが一人立っていた。
「ライン、一体どうしたの?」
クラレスはあわてて駆け寄り、自分より少し背の高い彼を傘に入れる。
しかし、ラインはもうすでに全身水浸しで、髪からも服からも水を滴らせていた。
「はやく、拭かなきゃ。それにしても、なんでこんな場所で」
いくら、春の雨だといっても、これじゃ風邪をひいちゃうよ。
若干取り乱したクラレスに、ラインは少しすまなそうに笑って答える。
「水女神」
「え?」
「水女神と、水の声を聞いていたんだ」
そういってラインは一丁の装飾銃『水女神』を取り出した。
その銃に施された一匹の龍と、一人の女神がキラリと光る。それは、ラインの使用する唯一の媒体であり、彼が生まれてすぐに亡くなった両親の残した形見だった。
ラインはそれを大事そうに抱え、銃身についた水滴を指で拭う。
「水女神がさ、何だか雨を見たそうだったから」
「だから傘もささずにこんな、雨の中に?」
少しトゲを持たせたいい方にも、気にも留めずラインは雨空を見つめ続けている。
雨はまるで、涙のように空から流れ、地に落ち、大地を濡らしていく。
「少し、話さない?」
「えぇ、いいけど、あんまりそのままだと風邪ひくよ」
「ごめん、もう少しだけ」
ちゃんと傘に入らないと濡れる、その名目でクラレスはもう半歩近づいた。
雨に交じって、ラインの匂いがするかも。ドキドキと脈打つ心音。早くなる鼓動を聞きながら、クラレスは目の前の景色を眺めていた。
雨――その天からの贈り物を大地は心待ちにしていたかのように受け入れていく。
水と大地が助け合うように、互いを求めるようにもそれは感じられた。
その景色を見ていると、クラレスは少しだけ苦しさを覚え、言葉をこぼす。
「雨ってどうして火を消してしまうんだろうね?
水は火を弱め、火は水を拒む。二つは決して交わりあうことはない。水と火、どうして二つは一つになれないのかな」
「……恐いんじゃないかな」
何もいわず、ラインの答えに耳を傾ける。
「火も水も、きっと本当は相手を大切に想っているんだよ。
でも、相手を想うあまり、相手に拒まれることが恐くて逃げ出して、相手を傷つけることを恐がるあまり、互いに触れ合うことができない」
「二つが、一緒になれるときは来ると思う?」
「わからない。ぼくも少し怖くなるんだ、水の気持ちを考えると、水の宿命を思うと」
「宿命?」
「そう、この雨のように水は幾多にも形を変えて、セカイを巡り続けるから。
きっと触れあっても、留まり続けることも許されない。水は、そんな宿命の中でどんなことを考えるんだろうって」
雨は地に落ち、水溜りに波紋を立てていた。
そこで、雨は雨でなくなり、名前と姿を変えてしまう。
血も、汗も、涙もすべて水。そんな水に対して何を想い、どんな答えを出せばいいのだろう。クラレスは、言葉もなくその雨を目に焼き付ける。
「ねぇ、ライン」
「何?」
「あなたならどう思う?」
「えっ?」
近くから見上げる顔、ラインは突然の質問に驚いていた。
雨はその間も心地よい音を立てながら降り続ける。傘が雨と共に奏でる旋律が傘の下、二人の耳に流れこむ。
「あなたが水ならどうする?」
「ぼくなら――」
じっと雨を見つめながらその答えを探す。
雨の中、同じ傘の中、ゆっくりとした穏やかな時間が流れていた。
「私なら、うれしいよ」
「うれしい?」
ラインは不思議そうに隣へ視線を移す。クラレスが傘を持ちかえ、二人は向き合う形に変わる。
「そう……もし、私が水ならば、雨が降り終わって、その水が川になっても、雲になっても私はラインの傍にいられる。そして、また雨になって会いにこられる」
いい終わってから急に恥ずかしさに襲われる。
あぁ、なんでそんなこと言ってるんだろう。そう雨のせい、これは雨のせい。
顔は火照り、まっすぐにラインの顔を見ることもできなっていた。でも、横目にみえるラインの顔も同じように確かに紅く、そのことが少し可笑しく思えてしまう。
ラインは、何かを誤魔化すように傘から出ると、再び雨の中へとその身を置いた。
「ありがとう、クラレス。ぼくも、そうありたいと思うな」
そういうと、おもむろに銃身を空へとかかげる。そして、そのまま柔らかな声で言葉を紡ぎだした。
”流す涙の雫の中に あなたは誰を想うのだろう
セカイを潤す幾多の水が 出会い分かれる儚さに
セカイを巡る数多の水が 想い寄り添う切なさに”
詠唱にウンディーネが淡く光り、それと共に雨が光を放っていく。
まるで、声に応えるように青と白銀に彩られていく。
“我は願おう この雨が
蒼穹へと昇る 刹那の刻に
大地に眠る 悠久の中に
あるべき人のところへ 舞い戻ることを”
「この雨が、ちゃんと大切な人のところまで行けますように、ってね」
共鳴――想いを解し、受け入れることで世界はそれにコタエを示す。
ラインの詠う召詠と異なるその詩は、真紡術の根源ともいわれる純粋な想いを紡ぐ詩。
それに応えるように輝く雨は、ありがとう、と確かにいっているかのようだった。
「行けるよ。だって、こんなに綺麗なんだもの」
淡く光る雨はとても神秘的で、とても優しく辺りを照らす。
クラレスは雨の中、自分の中の想いを雨へと託す。うれしそうに雨を見つめる彼をさりげなく見つめ、彼が同じく雨に自分のことを想ってくれることを願いながら。
「ライン、もういい加減にしないとずぶ濡れよ」
腕を掴まれ、ラインが傘の中に引き戻される。
「ははは……あんまり気にしてなかったよ」
「もぅ、私がいないとダメなんだから」
湿り気を帯びた髪を弄ぶ様子に、どこか呆れたようすな声が返される。
「でも、君と出会ったときとは反対だね」
すると、ラインは仕返しとばかりに意地悪く笑ってみせた。
あまり思い出したくない過去に触れられ、クラレスは思わず頬を膨らます。
そんな様子を、ラインは楽しそうに見つめていた。
「そうだ、クラレス」
「なぁに?」
「明後日の闘技会、一緒に見に行こうよ?」
「……うん」
外では、雨が降っていた。
制服も雨で湿っぽく、晴れやかな気分にはなれはしない。
けれど、二人は同じ傘の中、確かに同じ時間を共有していた。クラレスは、ただ――
「くしゅっ!」
「あっ」
その時間がずっと続けばいい、そう思っていた。




