22 最後の戦い
「よくぞ、ここまで辿り着いたものだな!」
と、黒のストレートコートに身を固めた、ティンバー・ブートレグ伯爵はいった。
ブートレグ伯爵は歳の頃なら六十二、三、髪の色はロマンスグレー、身長は――その年齢にしては大きく――一七八センチはあった。そして、ここ、伯爵の居室は、きわめて質素な感覚に貫かれていた。大きさは十畳ほどで、落着いた薄いベージュ色に塗られたカシ材の壁には、シャガール『窓から見たパリ』の複製画以外、なにも飾られてはいなかった。明かりとりの窓のそばには机が置かれ、そのわきには数百冊ものむつかしそうな本が収められた本棚。そして、その部屋唯一の調度品は、小造りのアップライトピアノであった。
「お菓子とはいえ、あなどれぬものよな」
と、フランスのデザイナー、ペリアンの作かと思われる机のうしろから、ゆっくり立ち上がると伯爵はいった。
すると――
「仲間たちをどこへやったんだ!」
と、その部屋に集まったお菓子たちに先駆け、苦み走った大人のお菓子、ヌガーが、緊張を高めた低い声で伯爵に詰問した。
彼ら、お菓子たち一行――一人と二匹と三+四お菓子と一音楽と一妖精と一臘細工――は全員、部屋の入口近くに並んで立っていた。もっとも、身体の大きな、なんでもたべちゃうゴン、だけは <スターリング城> の外に立ち、窓の外から中の様子を窺っていた。
「そうよ、みんなをどこへやったの?」
と、マシュマロがヌガーの質問を引継いで問いを発すると、
「それに、みんなをどうしたのよ!」
お菓子妖精、ベルベルが怒って叫んだ。
「あなたはひどい人です」
と、元伯爵の死客、イミテーション・ゴールドであった臘細工、ワックスワークがいえば、
「いったい、あたなは、なにもの、なんです?」
と、文字型のビスケット、カロピーがあとを続けた。
「そうじゃな、とりあえず、わしもそれが知りたい!」
と、空飛ぶセントバーナード犬の弘左衛門がいうと、
「オレも弘じいさんと同意見だな」
と、カラスネコ科の自在猫、シュレーディンガーが、弘左衛門の意見に同意した。
「みんなの問いに答えてください!」
と、お菓子の国の生きている音楽、ムジークが伯爵に迫ると、
「それが身のためです!」
「それが身のためです!」
「それが身のためです!」
「それが身のためです!」
と、四クッキーのお菓子兵士たちが声をそろえて唱和した。
「オレさまがいるってことも、お忘れなく」
と、世紀の宇宙大怪獣、なんでもたべちゃうゴンが窓の外からドスをきかすと、
「悪人の往生ぎわっていうのは、いいはずなんだけどな……」
小さな男の子が伯爵に最後通帳を突きつけた。
「答えてください!」
彼らのうしろには何千お菓子もの、お菓子の国の住人たちの意向があった。
沈黙。
「よかろう!」
と、しばらくしてからブートレグ伯爵が回答した。
「そんなに知りたいのなら、わしの正体を教えてやろう」
いって、伯爵はストレートコートの前を、ぱっ、とはだけた。
すると――
「あっ!」
「あっ!」 「あっ!」
「あっ!」
「あっ!」
「あっ!」 「あっ!」
「あっ!」
「あっ!」
「あっ!」 「あっ!」
「あっ!」
「あっ!」
現われたのは、[徳]の文字を丸く染め抜いた粋な印袢纏に股引きという、まるで大工の棟梁のような格好をした伯爵その人の姿であった。
「はっ、はっ、はっ、これがわしの正体だ! トキオは川沿いの材木問屋 <丸徳屋> の主人、柳本竜一郎である!」
シーン!
その場に居合わせた全員は、あっけに取られていた。
「そりゃ、正体を知りたいとはいったが、知らん人間ではどうもならんな?」
と、弘左衛門がため息をつくと、
「そうだな、困ったもんだ!」
と、またしてもシチュエーションに疑問を感じはじめたシュレーディンガーが答えた。
すると――
「ええーい、おまえたちには記憶力というものがないのか!」
と、お菓子の国の平和をおびやかす謎の伯爵、もとい、トキオは川沿いの材木問屋 <丸徳屋> の主人、柳本竜一郎が憤慨した。
「わしは大乗寺啓之助の家の向かいに店を構えているんだぞ!」
間。
「それじゃ、あの公園の向こうの材木屋さんが、おじいさんの家なの?」
と、昨日の朝出会った牛乳配達のお姉さんとの会話を思いだして、男の子がいった。
「あの、ひっそりと静かだった……」
「そのとおり!」
と、竜一郎は答えた。
「世の中、わからんもんじゃな」
と、弘左衛門が呟くと、
「ああ、まったく。……だが、これであのリドルQとか、虫メガネの怪物とか、この城が木でできていた理由とかはわかったわけだ」
と、シュレーディンガーが肩をすくめた。
「あ、それで!」
と、男の子も急に気がついていった。
「ティンバー・ブートレグ伯爵のティンバーは、つまり Timber(英)だったんだ。ボクは材木っていうから、てっきり、Lumber(米)だと思っていたよ!」
「じゃ、ブートレグというのは?」
と、弘左衛門が問いかけると、
「それは、Bootleg 。密売のことさ(海賊版という意味もある)。おそらく、ディーラー(販売者)に引っかけて、名づけたんじゃないかな? お菓子の国には不法侵入しているわけだし……」
と、男の子が答えた。
「で、その材木問屋の主人が、なんで、お菓子の国にやってきたんだ!」
と、強烈なずれの感覚からやっとのことで回復すると、ヌガーが柳本竜一郎に問いかけた。
「そうよ、わざわざ来ることなんてないじゃないの?」
と、ベルベル。
「りゆう、は、なんですか?」
と、カロピーが首をかしげながら竜一郎に尋ねると、
「知れたことよ。この世界が美しいからだ!」
と、材木問屋 <丸徳屋> の主人はうそぶいた。
「これでは、らちがあきませんね」
と、ムジークがいうと、
「少し、痛めつけましょうか?」
「少し、痛めつけましょうか?」
「少し、痛めつけましょうか?」
「少し、痛めつけましょうか?」
と、お菓子兵士たちが身を乗り出した。
「まあ、まあ、まあ!……」
と、弘左衛門が彼らをなだめる。
「ここのところは友好的に…… 」
「ボクには、なんだかわかる気がするよ」
と、男の子がいった。
「おじいさんは材木問屋の……」
すると、男の子を制して、柳本竜一郎が語りはじめた。
――彼、柳本竜一郎が経営する材木問屋 <丸徳屋> は、第二次世界大戦後の日本の高度成長時代には著しい成長を見せた。いわゆる、飛ぶ鳥を落とす勢いであったのである。が、その後、経済は通常の成長期を経て停滞期に移り、また、 <木> を主体とする建造物の需要が激減したこともあって、現在では、ほとんど青息吐息の状態になっていた。そこに、空から降ってきたのが、世紀の宇宙大怪獣、なんでもたべちゃうゴンだったのである。そのとき、竜一郎は、逃げ惑い、怪獣を怖れる人々を尻目に、内心、
『しめた!』
と、思ったという。宇宙怪獣に破壊される建造物の数が並みを外れていたからである。
『これで、わしの材木が売れれば、店も昔の繁盛を取り戻す!』
――しかし、であった。恐怖の『怪獣、なんでもたべちゃうゴン事件』が終わってみれば、宇宙怪獣は自分で都市の復興にあたり、奇妙な形のシュ0ル建造物はたくさん建ったものの、竜一郎は、目当ての材木をほとんど売ることができなかった。そして、これ以上トキオで商売を続けることを諦め、趣味の宇宙論的量子力学を用いて三ヶ月前にたまたま見つけたこのお菓子の国を征服しようと思いたった、ということであった。
「そして、お菓子たちの遺伝子を改良し、わしの材木を欲しがるようにしようと、この城内で研究を続けたのだ」
柳本竜一郎はそう話を結んだ。
すると――
「うう……。オレさまの軽はずみな行為が、こんな悲劇を生んでいたとは!」
と、 <スターリング城> の窓の外から、くだんの宇宙大怪獣、なんでもたべちゃうゴンが叫び、悩んだ。
「オレさまの行為が。ああ、オレさまの食欲が、ハラの虫が…… オレさまは、あのとき、ただハラが減っていただけなのに……」
と、痛恨の表情を浮かべる。
「しゃかいあく! それが、このじけんの、しんそう、だったんですね!」
と、カロピーが感慨深げにいった。
「それじゃ、どうしようもなかったんだ!」
「そのとおり」
と、竜一郎が答えた。
「そして、たしかに、わしは悪人だが、もっと悪いのは情けを知らぬ現代社会の方なのだ!」
だが、果たして本当にそれが事件の真相であったのだろうか?
そのとき――
「なあに、あなた。いやに騒がしいわね?」
竜一郎の部屋に、いかにも材木屋のおかみさん然とした、竜一郎とほぼ同じ年齢と思われる初老の女の人が入ってきた。その掌の中には、男の子も、お菓子たちも、これまで一度も見たことがなかった <ものすごくおいしそうな砂糖菓子> がのっていた。
「コレッ、おまえ、出てきてはいけない!」
と、その姿を認めて、柳本竜一郎が狼狽した。
「はやく、奥に引っこみなさい!」
「いいじゃないのよ」
いうと、女の人はみんなに気がつき、
「あらっ、いやだわ、お客さんでしたの? すみません、まったく気づきませんで……」
というと、
「いらっしゃいませ!」
ペコリ!
と、頭を下げた。ついで、
「いま、お茶をお持ちしますからね」
それだけいって、
そそくさ…… そそくさ……
と奥の部屋に引っこんでいった。
ポカーン!
柳本竜一郎以外の、その場にいた全員が、あっけにとられた。
すると――
「あっ! あたし、わかっちゃったわ。事件の真相!」
と、お菓子妖精、ベルベルが呟いた。
「ええ、あたしにも……」
と、マシュマロも同意する。
「前から、変だと思っていたのよねぇ。だって、お菓子の国には、 <子供> 、 <もしくは子供の心を持った人たち> しか入れないはずでしょう。排除定理が作用しているんですから…… なのに、どうして、野蛮な心を持った伯爵が入ってこられたのかって、とっても不思議だったのよね」
いって、マシュマロは柳本竜一郎を指し示した。
「いまの女の人は、あなたの奥さんなんでしょう? ちがう? そして、たぶん、 <すっごく お菓子が好きな人> なのじゃないかしら……」
「で、これは想像ですけど、あなたの奥さんは、以前それが原因で一時的に健康を損なっていたのではないかしら……」
と、ベルベルが後を続けた。
「それで、あなたはお菓子全般にに恨みを抱いて……」
「でも、奥さんはお菓子が大好きだから、やっぱりおいしいお菓子を食べさせたくて……」
「そして、そのために、たくさんのあたしたちの仲間をさらって、このお城で、とってもおいしいけれども健康障害を起こさない究極のお菓子の研究をしていたんじゃないの?」
「つまり、あなたは、悪人かも知れないけれど、 <子供の心を持った> 悪人なのよ! ちがう?」
「ふん! くだらん」
と、かしましい女たちに真相を看破された竜一郎はうそぶいた。
「だが、おまえたちも、ただひとつのことだけは見抜いたようだな。そう、わしには確かに、子供みたいに優しい面はあるかもしれん。だがな、わしの本質は……」
いって、竜一郎は机の引出しから拳銃、モーゼルM1917を取り出すと、その銃口をまっすぐマシュマロに向けた。
「悪人なんだよ! ……動くな!」
マシュマロの危機にヌガーが身をよじらせると、瞬間、竜一郎の声が飛んだ。
「わしを甘く見てはいかん!」
叫んで、モーゼルを左右に降り、男の子たちを後ろの壁に重なるように並ばせた。
と、そのとき――
突如、ムジークが、ブラームスの『交響曲第四番』第一楽章を奏ではじめた。
すると瞬間的に、美を愛でる悪人でもある、柳本竜一郎が、うっとりと音楽に聞き惚れた。
その期を逃さず――
小さな男の子が青いオーバーオールの胸ポケットから、大乗寺啓之助から授かった最後の願望具現化球、緑のビー玉を取り出すと、竜一郎めがけて力いっぱい投げつけた。
すると――
ボン!
轟音! すさまじい爆煙!
そして、それが晴れてみると――
小さな男の子の姿がその場からかき消えていた。




