21 ネバー・セイ・ネバー・アゲイン
「ほーう、この城の名前は <スターリング城> というのか?」
十二世紀ベルギー、フランドル伯の居城 <ゲント城> に似た、ティンバー・ブートレグ伯爵の堀を巡らした平城 <スターリング城> の城門に、しっかと彫られた城の名前を読み取ると、シュレーディンガーはいった。
ブートレグ伯爵の古城は、基本的には、大きな四角い箱の上に同型の小さな箱を乗せた造りで、その上下の四隅に、チェスのルークのように王冠をいだいた円筒が飛び出している。
「スターリン stalin っていうのは、たしかロシアの専制君主じゃったな」
と、つくづくとその城の造りを眺めながら弘左衛門がいうと、
「うーん。……でもそれじゃ、綴りが合わないな?」
小さな男の子が答え、
「貨幣集めの趣味でも持ってんのかな?(スターリング sterling は中世イギリスの一貨幣の名称。決済取引単位として広く利用された)」
と、シュレーディンガーが博識を披露すると、
「ねえ、これも木でできてるよ!」
と、男の子がお城の壁を手で触り、びっくりしながら指摘した。
「自然愛好家なんじゃないか?」
と、弘左衛門。
「でも、ていねいに、じつに、よく、できていますよ」
カロピーが、そのできばえに感心してつぶやくと、
「手先が器用なのね」
と、こちらも手先が不器用な自分の許婚を見て、マシュマロが呟いた。
「はやいとこ、なかに入りましょうよ!」
と、ベルベルがみんなを急かすと、
「でも、この門、開くのかな?」
ムジークが、おそるおそる城の巨大な門を手で押した。
すると――
ギー!
きしんだ音をたてて城門が開いた。
「ブートレグ伯爵は、どこにいるんだ!」
と、ヌガーがあたりを見まわすと、
「気をつけて! なにが仕掛けてあるか、わからないから……」
と、男の子がヌガーに注意をした。
八十畳ほどの城内に人の影はなかった。壁画も、ピアノも、暖炉も、椅子も、玉座も、高さ十二メートルはある天井から吊り下げられた装飾用の豪華絢爛たるカーテンも、まったく動く気配を見せず、それぞれがあるはずの位置に静止している。
「静かだわ! こわいくらい」
と、ベルベルが心細げにいった途端――
「わーっ、なんだこれは?」
大音響のブルースが城内狭しと響き渡った。
「ジョン・メイオールかい?」
「ランプトンじゃないの?」
「クラプトンの間違いでしょ?」
「ホールズワースの方がいいな!」
「トッド・マコーヴァーっていう手もあるぞ……」
それぞれが音楽について勝手な意見を述べた。
すると――
「よくぞ、ここまで辿り着いた! 祝電を打ってあげよう」
ブートレグ伯爵の声がピアノの裏に隠されたスピーカーから聞こえ、
ヒラ ヒラ ヒラ ……
天井から一枚の紙が落ちてきた。
「『ずかずか入る城。そぉ、敵多く伸し、退く。おお、来て怖ろし類は数々(かずかず)』 なに、これ?」
拾って読んだマシュマロが首をひねると、すかさず、小さな男の子が答えた。
「この事を(お)軽げに逃げるか男の子」
「ふっ、ふっ、ふっ、さすがだな!」
と、スピーカーからブートレグ伯爵が答えた。
「いったい、なんなの?」
と、マシュマロが問いかければ、
「回文じゃよ」
と、弘左衛門が説明した。
「それって?」
「上から読んでも下から読んでも同じ音になる文章のことじゃよ」
「ふーん」
マシュマロがうなずく。
「たとえば、それを短歌形式でやろうとすると……」
と、男の子がいって、
かわひかりとちすむあにもわかやか(やかわもにあむすちどりかひわか)
川光り土地住む兄もわか若やかやかわも川面にあ浴むすちどり千鳥かひわ鶸か
かいわいのいざかやであいかどでま(てとかいあでやかさいのいわいか)
界隈の居酒屋で会い角で待て都会あでやか賽の祝いか
例をふたつ示した。
すると――
「なるほど、面白いな」
シュレーディンガーがいい、
くつろいできじやのこるかなついら(いつながるこのやしきでいろづく)
寛いで雉や残るか夏以来繋がるこの野四季で色づく
一例を示した。
すると、それに対抗したのか、ヌガーが、
かんたんふいかでいのものきずきゆ(きすきのものいてかいぶんたんか)
感嘆符!如何で異のモノ築きゆき好きの者いて回文短歌
と、詠うと、
「あら、あんたにそんな才能があったとはね!」
ちょっと感心して、マシュマロがヌガーに拍手した。
と、その瞬間――
スポン!
<スターリング城> の床が抜け落ち、
「わぁ!」 「キャッ!」 「ひえー!」
「わおっ!」 「え!」 「へっ!」
「ちょとぉ!」 「うわーっ!」
―――――――――――――→ ヒューン
一人と二匹と三お菓子と一音楽と一妖精が、暗くて狭くて怖い、古城の地下の迷宮世界に落下していった。
ドスン!
「まあ、がんばりたまえ!」
ブートレグ伯爵の声が天井から聞こえ、そのすぐあとに――
ニュルルル ネバーッ パクッ パクッ……
迷路の一方の端から不定形の怪物が現われた。
そして――
バタン!
いまや、男の子たちが落とされた落とし穴の天井と変わった古城の床が音をたてて閉まった。
ニュル ネバーッ……
「キャッ! なによ、これ?」
「はやく、にげるんだ!」
ドタドタドタ……
ニュル ネバーッ パクッ ドロロロ……
バタバタバタ……
ニュル ネバーッ パクッ ドロロロ……
ドタドタドタ……
パクッ ニュル ネバーッ ドロロロ……
バタバタバタ……
「ねえ、カロピー。キミははじめてぼくのところに来たときは、ただの文字型ビスケットだったけど、即座に子供の姿に変わったよね?」
と、不定形怪物から逃げながら男の子がカロピーにいうと、
「ええ、ですけど、でも、それが?」
「キミ、もしかしたら変身能力を持ってるんじゃないの? 綴りを変えることによって、その綴られたものになれるっていう?」
「わかりました! やってみます」
飲み込みよく、カロピーが答えた。
「えっと、なにが、いいですか?」
「とりあえず、火炎放射器だな! ああいったゼリーみたいな怪物は、たいてい熱に弱いから!」
「ザップガン(究極の光線銃のこと。それを使うと通常は物語が終焉する)の方がいいんじゃないかな?あれなら、すぐに片が着くぞ!」
ニュル ネバーッ パクッ ドロロロ……
「こわいわ、ヌガー」
「大丈夫だ、マシュマロ。おれがついている!」
ニュル ネバーッ パクッ ドロロロ……
「ぼくも怖いな?」
「あんたには、あたしがいるでしょ!」
「気のりしないなぁ……」
「ゼータクいうんじゃないの!」
ニュル ネバーッ パクッ ドロロロ……
「えっと、では、か・え・ん・ほ・う・し・ゃ・き!」
蚊円帆牛矢木!
「だからぁ、そうじゃなくって!」
「ごめんなさい、ぼく、へた、なんです!」
「さあ、もう一回!」
「はい! では、か・え・ん・ほ・う・し・ゃ・き!」
火炎放射器!
「よし、おれが撃とう!」
ヌガーがいい、カロピー印の火炎放射機を受け取ると、不定形怪物めがけて強烈な火炎を放射した。
ボォーッ ニュル ボォーッ ネバーッ ボォーッ パクッ ボォーッ ドロロロ……
「おっと、危ない!」
壮絶な戦い!
「よし、そのすきにテレポートを試そう」
いって、シュレーディンガーが姿をかき消そうとすると、
シュン! ゴツン!
「いててて……」
見えない壁にはばまれたかのように、シュレーディンガーが、もとの位置に弾き返された。
「くそっ、波束が収縮しないぞ!」
自在猫が悪態をつく。
すると――
「ふっ、ふっ、ふっ、無駄だよ! その地下室は <無限に深いエネルギー井戸> のようなものなのだ。……抜け出すことはできない!」
ブートレグ伯爵が憎々しい声で天井のスピーカーから指摘した。
「うーむ」
と、シュレーディンガー。
「すると、お菓子の国に来てからのオレの制限されたテレポーテーション能力も、すべて貴様のせいだったんな!」
自在猫がブートレグ伯爵に問いかけた。
すると――
「ううん、たぶん、それは違うよ!」
と、男の子が自在猫の方を向いて、
「現在、研究されている <超ひも理論> が正しいとすれば、ボクたちの住む宇宙の全次元は十のはずなんだ。そのうち時間一と空間の三方向、合わせて四次元が、ボクたちの住む普通の世界に使われていた。残りの六次元のうち四次元も、どうやら、ここお菓子の国で時間一と空間の三方向、合わせて四次元として使われているみたいだったよね。お菓子の国に来て、特別、身体がふくらんだり、紙みたいに二次元の存在になったようには感じられなかったから」
「フーム」
と、シュレーディンガー。
「とすると、本来、ここお菓子の国では六次元で働くはずのオレのテレポーテーション能力は、十引く四引く四の残りの二次元分、制約されていたことになるわけだな。ちょうど、九×九の将棋盤(二次元)で、ただ前にしか進めない、すなわち横方向の動きが制限された <香車> のように、だ」
「その通り。……そして、ここお菓子の国では、残りの二次元がこの空間に存在するすべての粒子の内部空間(量子力学的粒子の性質を規定する仮想のベクトル空間のこと)として――通常世界から見れば――二重にコンパクト化されて、存在しておったのだ!」
と、ティンバー・ブートレグ伯爵が男の子の説明を補足した。
「その事実を探り当てたとき、わしは狂気したよ。すなわち、その残りの二次元を利用することによって、通常のやり方では得られない超光速移動を達成することが可能となったからだ」
「おまえが、このゴルゴンの山から、遠く離れたお菓子の国に神出鬼没に現われた理由は、それだったんだな!」
ヌガーが不定形怪物に火炎を浴びせながら大声でいった。
すると――
「あ、あつい、あつい、もう、もちません!」
と、それまで火炎放射器として孤軍奮闘していたカロピーが、ついに根を上げた。そもそも、お菓子とは熱には弱いものなのでである。
ボォーッ ニュル ボォッ ネバーッ ボッ パクッ ボ ドロロロ……
カロピーの放射する火炎の勢いが、みるもる威力を失っていく。
「くそっ、これまでか!」
と、ヌガーがくやしげに叫んだ。
「なんとか、ならないの?」
と、ベルベル。
「ぼくには大きい音を出して、誰かをびっくりさせるか、きれいな音楽を流してうっとりさせることくらいしかできません」
と、ムジーク。
「役たたず!」
「ひえー! これで、わしらも最後か?」
「ヌガー!」
と、マシュマロが悲痛に叫び、
「そう。……だがよく、ここまでがんばった!」
ティンバー・ブートレグ伯爵が感慨深げにいった。
「では、さらばだ!」
ニュルルルルルル…… ネバーッ ネバーッ ネバー セイ ネバー アゲイン
パクッ パクッ パクッ パクッ……
火炎攻撃がついえて、勢いを盛り返した不定形怪物が、男の子たち一行に迫る。
ニュルル パクッ ニュルル ネバーッ パクッ ニュルル パクッ パクッ……
男の子たちに近づいてくる。ドロドロと体液をしたたらせながら、一歩、二歩、三歩…… 十メートル、五メートル、四メートル、三メートル、と近づいてくる。
ニュルル パクッ ニュルル ネバーッ パクッ ニュルル パクッ パクッ……
絶体絶命の危機!
と、そのとき、大地をゆるがすすさまじい震動音が聞こえ――
ドッコーン ガラガラガラ ガオー!
「オレさまの食欲の前に敵はないのだ!」
肥満した巨大な恐竜の姿が <スターリング城> の地下世界に現われた。
「おお、なんでもたべちゃうゴン!」
と、目をくるくるまわして、男の子が嬉しそうに叫ぶ。
パクリ パクパク パクリ パクリンコ……
無限に高いポテンシャルエネルギーの壁を打ち破って現われた、大喰らいの宇宙大怪獣、なんでもたべちゃうゴンは、あっという間に、ブートレグ伯爵古城地下迷宮世界の不定形怪物を平らげてしまった。
「加勢に参じたぞ! だが、ウェップ! まずいな…… もういっぱいとはいえないな」
「そんなの食べて、お腹、大丈夫なの?」
「ところが、磁場か密度の影響か、オレさまのハラのなかに、またしてもあの黒くて小さいものが発生したようなのだ!」
男の子の質問に、なんでもたべちゃうゴンが困ったように答えた。
「そのうち、また、追い出してもらわなくちゃな」
「ぼくも加勢に駆けつけました!」
と、なんでもたべちゃうゴンの大きな背中の影から現われたのは、「ワックスワーク!」
弘左衛門が叫んだ。
「たのもしい味方じゃ!」
すると――
「お菓子の国の名誉のために、わたしたちもやってきました!」
「お菓子の国の名誉のために、わたしたちもやってきました!」
「お菓子の国の名誉のために、わたしたちもやってきました!」
「お菓子の国の名誉のために、わたしたちもやってきました!」
四クッキーのお菓子兵士たちが声をそろえて、そう続けた。
「うん。みんな、ありがとう!」
いって、小さな男の子は天井を睨みつけた。
「最後の戦いだ! ティンバー・ブートレグ伯爵、待ってるんだぞ!」




